第6話 天駆鳳歩流を習う
全身に怒気をみなぎらせた一走斎が小典をねめつけている。
「その術、いったい誰から教えられたのだ!」
あれほど余裕ぶっていた一走斎の姿はどこにもなかった。顔中を真っ赤にさせて、怒りで体が震えている。
「それをお主にわざわざ教える筋合いはない」
息は上がっているが、小典は落ち着いて声で言い返した。
「何っ?!」
一走斎が掴みかからんばかりに小典に接近した。
「千破剣どの」
おっとりと呼びかけたのは、終着地点で見ていた衣谷十郎柔正であった。
「勝敗は、早駆けで、という約束であったはずですね」
「……」
無言のまま小典をねめつけている。小典も負けじと目をそらさない。
「約束が守れぬということであればこの勝負……」
「約束は守る。そして勝負は続けるぞ!」
一走斎はたっぷりと小典をねめつけつつ、言い放った。
「二本目の勝負は、巳の刻(午前10時頃)であったな」
「ふふふ。そうよ」
桃鳥が答えた。
「次で、勝負を決める。せいぜい悪あがきをしておくんだな!」
ふん、と鼻を鳴らすと一走斎は、野次馬たちを乱暴にかき分けて、どこかに行ってしまった。
「ふむ。さあ、鞍家さまこちらへ」
一走斎がどこかに行ってすぐ、群衆から現れたひとりの男が言った。
痩せ型で長身。浪人銀杏の髷がどこか、浮世離れして見える。しかし、着ているものは品の良さを感じさせる代物だ。武家のようでもあり、町人のようでもある。つかみどころのない雰囲気がどこか桃鳥と相通じるものを感じる。
「
小典は、竹野と呼んだ男のほうへ向かった。
「小典は、これから修行をしてもらうわ」
一走斎との早駆け勝負が決まったその日、小典の邸宅に桃鳥が現れると開口一番そういった。
「は?」
座に着くなりそう言う桃鳥に小典は素っ頓狂な声を上げた。
「師の名は、竹野京一郎鳳歩どのよ」
桃鳥は、かまわず話を続けていく。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず小典が腰を浮かべて、話を遮る。
「何よ」
「何よ、はこちらのセリフです」
小典は、威儀を正した。コホンと咳払いをする。
「まず、修行というのは何の修行ですか?」
「決まっているじゃない。早駆けよ」
「早駆け!?」
「いま、長唄の稽古を小典に課すわけないでしょ」
何を馬鹿なことを、とでも言いたげに桃鳥は言う。
「早駆けに師となるべきお方がおられるのですか!?」
桃鳥に小馬鹿にされたことよりも早駆けを教える者がいる、ということのほうが驚きがあった。
「私の家の古くからの知り合いでね。武家ではないけれど、苗字帯刀を許されているお方なの」
「それは京のお方で?」
桃鳥がうなずいた。
桃鳥自身は、京生まれ、元服までは京で育った。現在、黒葛家本家は江戸にあるが、黒葛家に生まれた子女はすべて、元服までは、京で様々なしきたりや作法を教え込まれる家法なのだという。それは、元公家の家柄ということと幕府と朝廷の折衝役という役割を長らく担っていたという経緯からくるものらしい。
「鳳歩どのから数えて、五代ほど前、行き倒れていた修験者を助けたところ、お礼にと早駆けの術を授かったと聞いているわ」
武芸を伝えている家柄には、わりかしありがちな話である。ほかには、神仏や天狗、僧侶などから伝えられたというのが多い。どこか神秘的な演出を考えてのことだろうと小典は思っている。
「それで、その竹野……」
「竹野京一郎鳳歩どのよ」
「その竹野京一郎鳳歩どのはどこにおられるのですか?」
「京から江戸へ向かっているところよ」
「……」
小典は、絶句した。
京から江戸までは、徒歩で十五日前後かかる。もちろん、天候不順や病気などを考えずにだ。幕府公用の継飛脚でさえも三から五日ほどかかるのは皆知っている。では、桃鳥は、小典が勝負を受けることを見越して依頼していたということなのか。
固まったままでいる小典に桃鳥は言った。
「昨日、京を出たと思うから、明日には着くと思うわ」
「あ、明日……ですか?」
ますます理解できなかった。昨日、朝一に出たとしても、江戸まで二日ほどしかない。そんなことは不可能だ。
「ふふふ。
翌日、竹野京一郎鳳歩どのは確かに小典と桃鳥の前に現れた。
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