第3話 道場破り

 小典は、悶々とした日々を過ごしていた。

 例の道場破りの話しの続きを聞きたかったのだ。しかし、桃鳥も小典もそれぞれ別々の仕事にかかりっきりであった。当然、話しを桃鳥から聞けるわけがなかった。それならば、別の人物から聞けばいいのだが、そこはやはり、公に道場破りの話しははばかられる奉行所内である。話しをするのであれば、信頼出来る人物同士になるのは、皆、同じだ。ゆえに、小典の場合、桃鳥ともうひとりいるとすれば、清見六左衛門東鳴なのだが、その清見ともここ数日来会っていなかった。

「一体、戦うには剣のみにはあらずとはどういう意味なんだ?」

 ここ数日来考えて、答えが出ない問いを小典は口に出した。

「だ、旦那っ!」

 突然、勘三が庭先に現れた。

「どうした勘三?」

 勘三の息が乱れている。のっぴきならない様子だ。

「何か事件でもあったのか?」

 勘三がこれほど慌てているのは珍しい。よほどのことなのかと小典も身構える。

「…ど、ど、」

「ど?どがどうしたのだ?まずは落ち着け」

 小典の言葉に勘三は胸に手を当てて、息を整えることを優先した。深呼吸を二、三回。

「ゆっくりと息を整えて。あ!ちょっと待って」

 小典はそう言うと、その場で待つように手で合図し、役宅の奥へ行き、柄杓で水を汲んできて、勘三に渡した。それをごくごくと音を立てて勘三は飲み干した。ふーっと大きく息を吐くと改めて言った。

「旦那、ど、道場破りが現れました」

「道場破り?!どこに?」



「おお、鞍家。どこにいくんだ?」

 南町奉行所を出たところで、同僚の同心、清見六左衛門東鳴に声をかけられた。

「す、すまん!後で」

 精一杯の返事をして、小典はまた駆け出した。

 向かうべき場所は、わかっている。小石川同心町近くにある筒丸七左衛門つつまるしちざえもんのところだ。勘三が伝えた道場の名は、兄弟弟子がいるところであった。

 筒丸七左衛門は、小典と同じく、衣谷十郎の道場で新陰流を学んだ間柄だ。年は、小典よりも六歳ほど年長だ。小典にとっては、いわば、兄弟子となるが、どういったわけか、気が合った。先輩後輩の関係を超えて、友のように接していた。今は、小身の旗本や御家人が多く住む小石川で他流の道場を手伝っている。そこに、例の道場破りが現れたという。

「たしか、七左衛門どのの道場主は、病を得て伏せっているはず。ということは……」

 独り言を言いながら、さらに速度をあげるべく足に力を入れた。

 お城の堀沿いを行き、途中で右に折れ、真っ直ぐ水戸様のお屋敷にでる橋を渡る。水戸様の敷地沿いを行くと伝通院の寺社領にでる。そして、このまま道沿いに行けば、小石川の同心町だ。だが、息が荒い。片腹が痛くなる。額の汗を手で乱暴に拭う。少し止まり、息を整える。その時、遠くから人々の歓声が聞こえることに気が付いた。おそらく、筒丸七左衛門がいる道場だろう。ぐずぐずしてはいられない。再度足に力を入れて、駆け出した。

 小典が着くと、すでに道場の周りはおろか、通り沿いにまで大勢の人々が群がっていた。人をかき分けかき分け、前に出る。途中、「おい!役人はお呼びじゃねぇぞ!」「すっこんでろ!」などとヤジが飛んできた。江戸っ子の気質がそうさせるのか喧嘩や何かの勝負事にはお上がかかわるな、という思いが根強い。今は相手にしている暇はない。無言で前に出る。

 道場はややこじんまりとしていた。板張りで二十畳ほどだろうか。近くの御家人や旗本などが大勢通っていると聞いていたので、もう少し大きな道場を想像していたが、意外とそうではなかった。

 道場の正面には、一段高く座がしつらえており、そこには、座布団と床の間に掛け軸が掛かっている。その上には、神棚がある。左右の壁には棚がしつらえてあり、木刀や長物の武具が掛かっていた。典型的な町道場だ。

「七左衛門どの」

 呟いた声が聞こえたのか、チラリと男が小典を見た。

 一段高く座がしつらえてある手前に横向きに座している男――筒丸七左衛門である。その前に、大股を開いて男が一人仁王立ちして、座っている七左衛門を見下ろしていた。

 その男が着ている派手な陣羽織の背中側に千手観音の如く、何かが描かれている。

「剣か?」

 思わず目をすがめてつぶやいた。

 長刀、短刀、薙刀、槍、直刀、はもとより、巨大な木槌、さすまた、突棒、袖絡みまである。ほかにも見たこともない武具が所狭しと描かれていた。

 それらは、木の箱の中から飛び出している。そして、その木箱を背負ってひとりの男がいる。特に目が行くのは、男の足の太さだ。

 筋肉隆々の様子が、その一筋一筋に至るまで見事に描かれていた。

「では、勝負は、否と申されるか?」

 その陣羽織を着た男が言った。どこか小ばかにした物言いだ。

「はい。この道場の主が不在である以上、拙者が勝負どうこうは言えない」

「お主は、この道場の師範代ではないのか?」

「師範代だが、同流ではない。ゆえに流派を代表することはできぬ」

 ふん、と仁王立ちの男は鼻で笑った。

「都合のいい話だな。俺にはただの逃げ口上にしか聞こえぬ」

 男は、左右を見渡して、見物人たちを見回した。

「聞いたか?皆の衆。ここの道場主は、病などと抜かして師範代に同門すら置いていないそうだ。腰抜けも甚だしいと思わないか?己の流派を標榜しながら、教えているのは他流の師範代。これでは、銭を出して教えを受けている弟子どもが哀れだな」

 見物人たちがざわついた。派手な陣羽織の男は明らかに挑発している。小典は、筒丸七左衛門を見た。その横顔は平静を装っている。それでいい、と思った。誘いになってはいけない。

「それとも……」

 陣羽織の男は、わざとらしく考えるように首を傾げた。

「初めから、わざと他流の師範代を置いていたのかもしれんな。さすれば、挑戦されても同門ではない、と逃げ口上ができる」

 盛大にこき下ろした。

「まあ。このような下賤の道場の主には、そのような姑息な考えがお似合いだな」

 七左衛門のこめかみ辺りがけいれんしていた。怒りをこらえているのがありありとわかる。

「おい!そこまで言われて黙ってるのかよ!」

「そうだ!そうだ!」

「あんた、武士だろ?矜持ってもんがないのかね?」

 黙っている七左衛門に、観衆からヤジが飛んだ。

 それでも、七左衛門は黙って座ったままだ。その時、

「その勝負、拙者がお受けいたします!」

 観衆の中から若い男の声が響いた。

「幸三郎どの?!」

 七左衛門が驚きの声を上げた。

 聴衆をかき分け出てきた幸三郎と呼ばれた若い男は、小典よりも歳が若く感じられる。二十歳にいくかいかないかだろう。興奮のためか、頬が赤く染まっていた。両の拳を固く握っているのが、幸三郎の心情を何よりも表していた。

「そこにおられる七左衛門殿は、叔父上に請われて当道場を手伝って頂いているだけ。故に当流とは関係ござらん。拙者は、当道場主の甥にあたる鈴間幸三郎すずまこうざぶろうと申す。その勝負、拙者がお受け致します」

 やや早口にそう言うと、陣羽織の男を睨め付けた。

「幸三郎どの!相手の策に乗ってはいけません!」

 七左衛門が声をあげた。

「七左衛門どの。わたしも武士の端くれ。ここまで言われて、おめおめと下がってしまっては末代までの恥。叔父上にいかようにお叱りを受けようとわたしはこの勝負、受けます」

 話している間も陣羽織の男から目をそらさなかった。

「いい心がけだ。ではお主がこの道場を代表してこの勝負を受ける、ということでいいかな?」

 陣羽織の男は、ほくそ笑むかのように口の端があがる。

「そうだ!」

 幸三郎が言った。

 そのかけ声に合わせるように観衆から拍手喝采がでた。

「それでこそ武士ってもんだ!」

「よし!見直したぞ若いの!」

 などとはやし立てる声が聞こえる。

 幸三郎は、ゆっくりと道場に入り、男に近づく。

「して、勝負はいかように?三本勝負?それとも一本勝負で?」

「どちらでもいいぞ」

 余裕綽々の物言いに幸三郎は怒りで益々顔を紅潮させた。

「では、一本勝負でお願い致す。得物は木刀でよろしいか?」

「木刀?いいや」

 陣羽織の男は、首を振った。

「では、木槍か?」

「いいや」

「薙刀か?」

「いいや」

 幸三郎はおろか、七左衛門まで訝しげに陣羽織の男を見つめる。

「まさか、弓矢や手裏剣などというのではあるまいな」

 幸三郎は、からかうように言った。

 観衆からも失笑が漏れた。

 陣羽織の男は首を振った。

「俺様は、そんなちんけな

「得物は持たないだと?」

 幸三郎、七左衛門、そして小典まで思わず声を上げた。観衆までざわつきはじめた。

 陣羽織の男は、皆の反応を十二分に確かめてからおもむろに口を開いた。

「この俺様―千破剣一走斎ちはやいっそうさいはこれで勝負よ!」

 そう言うと、おもむろに着物を端折った。

 観衆から「おお」という感嘆の声がこだました。

 陣羽織の男―千破剣一走斎の太ももは見事なまでに筋肉に覆われていた。そしてその太さは、女性の胴かそれ以上ある。

「そう。俺様とで勝負だ!」

「早駆け?!」

 誰もが驚きの声を上げずにはいられなかった。





 













 



 






 






 

 

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