第2話 剣のみにあらず

 勘三が話してくれたのは、道場破りが立て続けに江戸の町道場を荒らしているという話しであった。

 小典は、今時分、そんな輩がいることに驚いた。

 戦がなくなり、太平の世になって、幾度か尚武のお触れは出たことはあるが、それでも正面切って、道場破りをしようなどという者はほとんどいない。第一、たとえ勝ったとしても、その後、弟子などに付け狙われるのは必定。となれば、命が幾つあっても足りない。それに、お上に咎められる可能性も高い。徒党を組んでの私闘の禁止は、すでに御触書に書かれている。わずかな名誉と命を天秤にかけるのならば、口には出せないが、小典は、命を選ぶ。それ故の、驚きというよりも呆れたという方が真実に近いかもしれなかった。

「あれはすごかった」

「そうきたか、といったところだな」

 道場破りを見てきた者達が口々に感想を言い合っている。

「しかし、あれは……」

「卑怯だといいたいのだろう」

「ああ。あれは武芸に入るのか」

「拙者も同感だ。ただ、武芸といえば武芸にはいるのではないのか」

「しからば、お主が挑戦されたら受けるのか」

「ははは。どうしたもんかな」

 役宅の中、小典は事務方の仕事の手伝いをしていた。後ろの方で、話している声が嫌でも耳に入ってくる。

――武芸といえば武芸に入る、とはなんだ

 小典は筆を止めて、考えに浸っていた。

――柔術か?いや、違うな。柔術であれば立派な武芸だ。侍が卑怯だなんのと複雑な思いに駆られるのは、飛び道具か?ということは、手裏剣術?いやしかし、手裏剣術は武芸十八般に入っている。含針術?鎖鎌?どれも入っているな。まさか水練術ではあるまいな。うーん。考えれば考えるほどわからない……

「わっ!」

耳元で大きな声がした。

「ひぇ!」

 思わず変な声を上げて飛び上がった。崩れるように後ろを振り返る。

「と、桃鳥さま?!」

 南町奉行所与力、黒葛太郎右衛門桃鳥くろつづらたろうえもんとうちょうが立っていた。六尺近い長身で細面、錦絵に出てくる役者然とした色男である。立っているだけでどこか、品のようなものを漂わせているのは、神君家康公の御代に臣下に加わった元公家の血筋のなせる業なのだろう。

 桃鳥は、ご自慢の袷の内側に刺繍されている色とりどりの鳥や草花をチラリと見せつつ微笑んでいた。

「いきなりなんですか!驚かさないでください」

「あら。何度も呼びかけたのに無視していたのは小典よ」

「別に無視をしていたわけではありません」

「では、何を考えていたの」

「そ、それは……」

 と言い淀んでから辺りをみる。

「あれ?」

 誰もいなかった。部屋の中には小典と桃鳥だけしかいなかった。いつの間にか皆いなくなっていた。

「皆、だいぶ前に出て行ったわよ。どうせ、おおかた、道場破りの件でも考えていたのでしょ」

「あ!ご存じでしたか」

「奉行所内はその話で持ちきりよ」

 桃鳥は、小典の横に座った。

「では、桃鳥さまは、仔細をご存じなのですね」

 小典の言葉に桃鳥は笑みをこぼす。

「ふふん。仔細も何も見に行ったから知っているわ」

「ええっ!?」

「何よ。そんなに驚くこと?」

「見に行かれたのですか!?場所はどこです?」

「日本橋人形町通り、三光稲荷神社近くの長谷川町の駒甚右衛門こまじんえもん道場よ」

「え!?あの駒どのですか?」

 伝馬町に牢屋敷があるため、小典はじめ奉行所の与力同心には庭みたいな地区だ。勘三に聞いていたときから、皆がこぞって見に行くぐらいであるから近場なのであろうと思っていたが、まさか、そこまで近くだとは思っていなかった。せいぜい、浅草辺りだろうと思っていたのだ。

「長谷川町の駒甚右衛門道場といえば、確か駒派陰陽流こまはいんようりゅうの道場でしたよね」

 場所柄、八丁堀にも近いため、下級武士も多く門下生として名を連ねているはずだ。それに、道場主の駒甚右衛門は、老年になりかかろう歳ながら今だに大名や大身の旗本などから剣術指南として声がかかるほどの腕前だ。そう易々と後れをとるとは思えなかった。小典自身も幾度か町で見かけたことがあるが、なるほど、と思わずにはいられない佇まいであったことは記憶している。

「そうよ」

「では、甚右衛門どのがお相手を?」

「いや。甚右衛門どのは相手をしていないわ」

「では誰が」

「弟子の岡野某とか言っていたわね」

「結果、敗れたのでしょう?」

「見事にね」

 桃鳥の言葉に思わず腕を組んでうーんと唸った。小典は、駒派陰陽流と手合わせをしたことはないが、あの駒甚右衛門の弟子である。相当の使い手であろう。それが見事に敗れる、ということが想像出来なかった。

「相手の御仁は?」

「意気揚々と帰っていったわ」

 ますます信じられなかった。

「では、さぞかし甚右衛門どのは肩を落とされておられたでしょう」

「ふふん。苦笑されておられたわ」

 道場破りを苦笑だけで帰す駒甚右衛門もまたやはりただ者ではない、ということなのだろう。

「そういった振る舞いができる甚右衛門どのもお見事ですね。して、相手はいったいどこの何者なのでしょうか?」

「さあね。ただ、おそらく西国で育ったのだとは思うわ。少し言葉の端に訛りがあったのはたしかよ」

 桃鳥自身、京で育ったから西国の訛りは江戸で生まれ育った小典とは違い敏感なのだろう。

「その男の名はなんと?」

「たしか千破剣ちはや……」

「失礼」

 突如、廊下から声をかけたのは見知った中間の者だ。

「黒葛さま。北矢さまがお呼びです」

 北矢勘解由左衛門――この南町奉行所の筆頭与力である。

「すぐにお伺い致します、とお伝えして」

 中間の者は、頭を下げると素早く下がった。

 桃鳥は優雅に立ち上がる。

「と、桃鳥さま。話しの続きは?」

 慌てる小典の方を見ると、桃鳥は微笑んだ。

「また今度ね。でもそのうち小典自身の目で見られるかもしれないわ」

「では、せめて教えてください。その男は、どのような技を使うのですか?」

「どのような技ね……」

 桃鳥はしばし考えた。そして、

「〝戦うは剣のみにあらず〟ってところかしら」

「は?」

 素っ頓狂な声を上げてしまった小典を可笑しそうに見ると、片手を上げて出て行ってしまった。

「ちょっ、ちょっと桃鳥さま」

 虚しく声だけが誰もいなくなった廊下に吸い込まれていった。


 それから、三日間、小典は、別の事件に忙殺されて、桃鳥とは顔を合わすことはなかった。

 


















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