咲きぞこない✿ファンディ―
五速 梁
第1話 #1 ア・デイ・インザ「トゥームス」
壁の時計は、午前十一時を示していた。
「あー、始まったか」
私はカウンターの内側で一つ伸びをした後、前を向いて気合を入れ直した。
私の名前は
知り合いというのは、ここ「トゥームス」の主人である
この、ぼちぼち中年にさしかかった男性と私の間柄を説明するのは難しい。
私と彼が知り会ったいきさつを含め、今日までの出来事を語るとなると、とても長い話になるからだ。
それはまた別の機会に譲るとして、とにかく今はこの、到底流行っているとはいえない店の切り盛りを、今日は私が全面的に任されているというわけだ。
私が柄にもなくかしこまってお客の到来を待ち構えていると、ほどなく正面のガラス戸が開いて、一人の人物が店内に姿を現した。
「あれっ?」
人物はカウンターの中にいる私を認めると、頓狂な声を上げた。
「ファンディーちゃん。……イズミは?」
入ってきたのは、泉下さんのバンド仲間の、哲也という男性だった。
ちなみに「ファンディー」というのは、彼らのバンド「リバイバルブート」内での私の愛称だ。
「なんでも、どうしても外せない用事があるからって、今日だけ店番を頼まれたの」
「へえ、すごいじゃないか。……ふーん、それにしても、あいつが店を放ったらかすほどの用事って、何かな」
「わかんない。……あ、ええと。今日は何をお探しですか?」
私が店員っぽく話しかけると、哲也さんは「おや」という顔をした。
「いや、買い物じゃなくて、大佐が今日、休みだからバンドの練習でもしようと思って……ファンディーも一緒にやらないかい?」
「えっ……だって、お店を任されてるのに、勝手に抜けだしたら怒られちゃう」
「そうかあ。ちょっとぐらい留守にしても、構わないんじゃないかなあ」
「うーん……」
私は一瞬、哲也さんの申し出に心がぐらつきそうになるのを感じた。だが一応は店を一人で任されたのだ。私は「店主」の顔になると「また今度、時間のある時に誘ってください」と言った。
「そうか、わかった。……結構、いい曲ができ上ってるんで、早く歌ってもらいたくてさ。……それじゃ、イズミによろしく」
哲也さんがさわやかな笑顔を残して店を去ると、店内はまた、私一人になった。
再びぼんやりと客待ちをしていると、今度は私の携帯が鳴った。
「もしもし」
「あ、涼歌?……今、ひま?」
電話の相手は、
「ううん……実は今、ちょっとバイト中なの」
「バイト?涼歌が?珍しいね」
私が「トゥームス」で店番をしていることをかいつまんで話すと、彩音は「すごーい」と感嘆の声を上げた。
「じゃあ、商品を見繕ったりするんだ」
「それは無理。ゾンディ―も「お客の相手は会計の時だけでいい」って言ってた」
「そうなんだ。……実は今、ユキヤやキエフ君たちとカラオケに行こうって話してたんだけど、涼歌も来ないかなと思って」
「ううん……残念だけど、私は無理。三時までここにいなくちゃ駄目だもん」
「そっかあ。……お店に「クローズ」っていう札を出して、抜けだして来るっていうわけにはいかないよね」
彩音の誘いに正直、私は心を動かされかけていた。だがすぐに思い直して「それができればいいんだけどね」と、やんわり断った。
頑張ってね、というエールを最後に通話を終えると、私はカウンターの外に出て、店内を見回り始めた。
いくらお客の相手をしなくていいとはいえ、一応、どんな商品が並んでいるかぐらいは頭に入れておくべきだと思ったのだ。
それにしても、と私は思った。なんとわけのわからない商品ばかりの店なのだろう。
ネックが折れ、代わりに箒の柄のような棒をくくりつけたギターや、鍵盤が半分以上失われているオルガンなど、こんな物を買って行ってどうするのかと思うような物が「商品」として陳列されていることに、私は首を傾げざるを得なかった。
「しょうがない、掃除くらいはしておくか」
もしお客さんが入ってきて「これってどうして修理しないんですか」と聞かれたら、私はきっとこう答えるに違いない。「私も聞いてみたいです」と。
陳列棚の掃除を終えて壁の時計に目をやると、ちょうど正午だった。
泉下さんからは「カップ麺ならいくらでもストックがあるから、自由に食べて」と言われているが、私はそれを無視してスタッフルームの奥に行き、据えられていた冷蔵庫をこっそりあらためた。いくら独身の一人暮らしとは言っても、もう少し何かあるだろうと思ったのだ。
ある程度、貧相な中身を予想していた私は、想像をはるかに上回る眺めに仰天した。
野菜ジュースと牛乳とキャベツ、そして焼きそばがあるだけで、あとは肉も野菜も、見事なまでに何も入っていなかったのだ。
内容次第では、こっそりカレーでも作っておいてあげようかと思っていたのだが、これでは何も作りようがないではないか。私は溜息をつきながら冷蔵庫の扉を閉じると、店内に引き返した。
午後になっても客足らしいものは一向に現れず、私はふと、泉下さんが「あまりにも暇だったら、俺のDVDプレイヤーのハードディスクに入っているライブラリを見ていいよ」と言っていたことを思いだした。
私はパソコンの隣に置いてあるDVDプレイヤーを開くと、電源を入れた。
ハードディスクにアクセスすると、フォルダのアイコンが画面上に大量に表示された。
恐る恐る開いてみると、中身は私が聞いたこともない特撮番組の題名ばかりだった。
確かに時間を潰すには十分すぎる量だったが、あいにくと頭から見るほど、私は特撮に通じていなかった。私はずらりと並んだ番組のタイトルを見ながら、こういう事に理解を示せるようにしておかないと、いつかゴタゴタの元になったりするのかな、とふと思った。
そう、いつか彼と――
そこまで考えて、私ははっとした。いかんいかん。バイト中だ、おかしな妄想はやめておこう。フォルダを閉じかけた私は、並んでいるアイコンにふと、気になる名前の物があることに気づいた。それは「リバイバルブート・結成記念ライブ」というものだった。
にわかに興味をそそられた私は早速、そのファイルを再生した。そこには家庭用ビデオカメラで撮られた、ライブハウスの演奏内容が記録されていた。
「うわっ、若いっ」
私は映し出された店主――泉下さんの姿を見て、思わず叫んでいた。
現在、泉下さんは三十五歳。ファイルの日付を見ると五年前だった。
彼くらいの年代になれば「ついこの間」なのだろうが、私にとっては、がむしゃらにベースを弾きまくる姿はとても新鮮で、思わず最後まで見入ってしまったのだった。
DVDを見終えた私は、再びカウンターの中で来客を待つ姿勢に戻った。
二時をまわった頃、ガラス戸の向こうに人影が見えた。ひどく大きなその影に、私は思わずはっとなった。
ドアを開けて入ってきたのは、男性と女性の二人組だった。
男性は「トゥームス」の入り口を窮屈そうに身を屈めて潜ると
「あれっ、ボンクラ店主は?」といきなり憎まれ口を利いた。
「あら涼歌ちゃん、今日はお留守番?」
一緒に来た女性が優しい表情を見せつつ、男性の後から入ってきた。長身の男性は柳原さんと言って少年課の刑事、同伴している女性は千草さんといって看護師だった。
どちらも私とは面識があり、特に柳原さんの方は泉下さんといつも、店内で馬鹿話をしては延々とたむろするのが常だった。
「すごいじゃないか。このマニアックな店を任されるなんて」
柳原さんは顎をしゃくりながら、にやにや笑いを浮かべた。
「もう面倒くさいから、全部半額で売っちゃおうと思っています」
少しきつめの冗談のつもりで私がそう言うと、柳原さんは笑いだした。
「まだまだ優しいなあ。俺なら九十九パーセントオフにするけどな」
柳原さんはそう言うと、急に悪だくみを思い立ったような顔になった。
「なあ、これから俺たち、遅い昼飯を食うんだが、涼歌ちゃんも来ないか?すぐそこの店だから、時間内に戻ればバレないぜ。……どうせ客なんて大して来ないんだ、店員なんて、いてもいなくても大して変わらないよ」
ひどいことを言うなあと思いながら、私は柳原さんの言葉につい笑ってしまった。
「いいんですか、お巡りさんがそんな事言って」
「あいつだって、その昔はお巡りさんだぜ。……で、どうする?」
私は少し考えて、頭を振った。
「せっかくですけど、また今度にします。あと一時間だし、店番もできないのか、なんて思われたくないですから」
ふうん、えらいねえと柳原さんはひとしきり感心して見せると「じゃあまた今度」と言って店を出ていった。
あと一時間かあ、そう思ってぼんやりしていると、今度はガラス戸の向こうに別の巨大な人影が現れた。
「ハ―イ、めぐちゃん、いる?」
よく通る声をフロアに響かせて入ってきたのは、巨体の女性―正しくは男性なのだが―だった。
「エリカさん」
「あら、涼歌ちゃん。めぐちゃんはどうしたの?」
私が店番を頼まれていることを告げると「ひどいわね、女の子に一人でお店を任せるなんて。危ない人でも来たらどうするつもりかしら」と言った。
「それは心配してないと思います。危ない目には散々、遭ってきたし」
私が言うと、エリカさんは「それもそうね」と笑った。実際、私たちは短い間に、驚くほど多くの事件に遭遇していた。――その話も、またの機会にしたいと思う。
「じゃあ今日は、つき合えないのね。――実はこれから、ミカたちと野外コンサートに行くの。良かったらご一緒にって思ってたんだけど……」
「はい、ちょっと無理みたいです」
私はお尻がソワソワするのを感じつつ、ぐっと踏みとどまった。
「じゃあめぐちゃんによろしくね。バーイ」
エリカの大きな身体が店の外に消えると、私はまた、一人でポツンと取り残された。
もうあと三十分足らずだというのに、私はだんだんと理不尽な気分に駆られ始めた。
――もう。お客も大して来ないくせに、遊びの誘いばっかり。いったい、どんな商売をしてるのよ。
そう思って憤慨しかけた時だった。ふと私の目が入り口近くの棚の一点に吸い寄せられた。カメラの箱の横に、見るからに不審な穴が開けられているのだった。
――あれは一体?
そう思った時、店の電話が鳴った。出ると、泉下さんの友人の
「おっ、今日はめぐちゃんいないのか。……ふうん、店番かあ。ま、いいか。この間、ご購入いただいた「スペースX・通信ヘルメット」だけど、もっと状態のいい奴が入ったから、今だったら取り換えてあげるよって、伝えてくれないかな」
それじゃあ、と電話を切りかけた美倉に、私はふと思い立って「待ってください」と言った。
「ん?何だい?」
「ゾンディ―……泉下さんって、なんだかみんなにすごく、愛されてるんですね。次から次へと彼に会いに来る人がいて……」
私が言うと、少しの沈黙があり、「ああ、そうだな。あんなに愛されている男はいないよ」と答えた。
電話を終えた私は、立ちあがって店内を見回した。そうだ、いかに変わっているとはいえ、彼はこの店を愛しているのだ。
そしてそんな彼を、周りの人たちも――そう、私を含めて――きっと愛しているのだ。
私はフロアに出ると、入り口近くの棚をあらため始めた。何だかわからないけど、私を甘く見たら痛い目に遭うんだからね、ゾンディー。
※
「お疲れさま。長い時間、よく頑張ってくれたな」
にこにこしながら姿を現した泉下さんに、私は「それほど大したこと、なかったわ」と言った。
「ふうん……じゃあそのうちにまた、やってもらおうかな。……おやっ?」
フロアを見回っていた泉下さんが、突然、強張った声を上げた。
「商品が……ない」
「えっ、本当?」
私が驚いて近づくと、泉下さんが棚の一点を指で示した。
「ここにあった「スペースX・通信ヘルメット」が無くなってる……物盗りに入られたんだ!」
顔を青くしてうろたえている泉下さんに私は「どうしてだろう?私、ずっとお店にいたのに」と言った。
「誰か不審な人間は来なかったかい」
「来た人といえば、柳原さん、千草さん、エリカさん……」
「ふうむ。……じゃあ君に気づかれないように侵入した犯人がいたんだな。それにしても、あれに目をつけるとは大したマニアだな。……まあ仕方ない。君のせいじゃない」
泉下さんは、肩を落としながらも私を労うように「他に何も盗られなかったんだから、よしとしなきゃな」と言った。
私はしおらしく「ごめんなさい」と頭を下げた。
「私、ちょっと近くのドラッグストアで買い物をしてくる。……すぐ戻って来るね。……あ、それから、DVDプレイヤーの中におかしなファイルがあって、ちょっと気になったんだけど。……とにかく、また後で」
そう言い置いて、私はスタッフルームに荷物を取りに移動した。しばらくすると泉下さんの「あれっ」という大きな声が聞こえた。
――やっぱりだ。と、私はひそかに含み笑いをした。私がスタッフルームを出てフロア内を横切ると、泉下さんがカメラの箱を手に、しきりに首をひねっているのが見えた。
「おかしいなあ」と、首を傾げている泉下さんを横目に店を出た私は、心の中で「詰めが甘いわよ、ご主人」とほくそ笑んだ。
※
「まったく君にはやられたよ」
店に戻るなり、泉下さんが弱り切った顔で私を出迎えた。
「人を騙して、隠し撮りなんかしようとするからよ」
私はここぞとばかりに、立腹していることを強調した。
「それは悪かったと思ってる。哲也が新曲のMVに、君の素の姿を映した映像を使ってみたいっていうから」
「だからって、騙して隠し撮りなんて、神経を疑っちゃうわ」
私は憤懣やるかたないといった口調で言った。だからあんなに不自然な誘いが次々とやってきたのだ。私が誘惑にどれだけ耐えられるかを撮影するために。
「でも、君が戻ってきてカメラを回収した時はぎょっとしたよ。撮りっぱなしにしてたはずなのに、どこにも映像データがなかったんだから」
私はにんまりと笑うと「気づいたのが三十分前だったから、ギリギリ逆転できるかなと思って」と言った。
私はバイトが終了する直前、隠しカメラに気づいて、中に入っていたデータを抜き出したのだった。それから私は本体のデータを消去すると、抜きとったデータをDVDプレイヤーに移し、腹立ちまぎれに「自撮り」を付け加えておいたのだった。
「こんな映像を見せられたら、負けを認めざるを得ないよな」
泉下さんがそう言って再生した映像には、頬を膨らませた私が大きく映し出されていた。
「どこかでこの映像を再生しているお馬鹿さんへ。今度こんな悪ふざけをしたら、一生、許さないからね!」
真っ暗な画面を前に泉下さんは「負けたよ、今までで最強の敵だ」と、肩をすくめた。
「あ、それと、私を私を騙そうとした罰として、幻の怪盗が大事な商品を盗む手助けをしておいたから……もし反省するんだったら、お宝の隠し場所を教えてあげるけど」
「お宝の隠し場所だって?」
「冷蔵庫を覗いてみて」
私に言われるまま、冷蔵庫を覗いた泉下さんが驚きの声を上げるのを、私は笑いをかみ殺しながら聞いていた。
「……参った、こんなところに隠したとは、名探偵も完敗だよ」
そう言いながら泉下さんが持ってきたのは、よく冷えた「スペースX・通信ヘルメット」だった。商品には、私が書いた但し書きがつけられていた。
「ちゃんとしたご飯を食べないと、これは没収します。怪盗ファンディ」
それを見た泉下さんは、両手を上げると観念したように私に言った。
「言う通りにしますから、それだけは勘弁してください、お嬢様」
私は勿体をつけるように両手を腰に押し当てると、頷きながら言った。
「よし、今回だけは特別に許して進ぜよう」
〈了〉
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