第三十二話:影渡りの糸を断ち
守りたいものがあるのなら。欲しいものがあるのなら。貫きたいものがあるのなら。
今ここに、力を示せ。
第三十二話:影渡りの糸を断ち
「はァ……ッ、はぁッ」
ガタガタと震えながら、盗賊を率いていた男は情けなく尻餅をついた。部下は皆伸び切っている。呼び寄せていたテトラホーンは残らず塵に帰った。洞窟内に戦闘の傷は少ない。一度爆発を起こされた痕が大きく残っている程度で、それは盗賊達を呼び寄せるためのものだったのだから例外だろう。盗賊と斬り合った戦闘の余波というものは、無いのだ。そんなものが出来るほど、実力は拮抗していなかった。
盗賊達は完敗した。全てはたった一人、目の前の、細身の神父によって。
「こ、こんな……馬鹿な……馬鹿だ、クソ、テメェは馬鹿だ! その力があって何故神父なんぞやってやがる!?」
己の武器も、部下も失った。『低級の魔物を操る鈴』の指輪を嵌めていた指は切り落とされた。ボタボタと血を垂れ流す己の手を握り締め、男は半狂乱に叫ぶ。
「馬鹿だ馬鹿だ! 簡単に騙されたあのシスターも! 馬鹿なシスター一匹のためにその力を振るうテメェも! 馬鹿に決まってる!!」
「……貴方の生き方を否定はしませんよ。私個人としてはね」
静かに、ピエトロは返した。その瞳に温度はなく、声に抑揚はない。ヒィと、盗賊の男の喉が悲鳴を上げた。目の前の神父こそ、自分達より余程『人殺し』だと、その温度で理解してしまった。
「懸命に真っ当に頑張るよりも、奪う方が楽だなんて当たり前です。魔物が蔓延るこんな世の中ですから、街々の移動中に行方知らずだなんてそう珍しいことでもない。ある程度の力があるならば、全て魔物のせいにしてしまえば甘い汁だけ吸えるでしょう。リシュール王は賢明で優しい方ですが、国土全て救うにはリシュール王国は広すぎる」
さくり、軽い音を立てて、一歩ピエトロは男に近付く。
「親に捨てられた孤児。職を失った不幸者。奪う甘さを知った愚か者。道を踏み外すだなんて簡単です、とてもね」
この神父は、足音を立てずに歩くなどきっと簡単なのだろう。そう、男には分かってしまった。この足音は、わざとだ。
「己の信念を持つことの、己の信念を貫くことの、騙されても信じ続けることの、どれだけ難しいことか」
さくり。もう一歩。ピエトロはもう、男の目の前にいた。
「……この世にはどうしようもなく救えない者がいる。同時に、誰かに信じてほしい者、信じられることで救われる者がいる。彼等の違いを、表の言葉だけで見破るのは難しい。判断材料がそろわないまま判断を迫られることもある。信じずに騙されないことも、信じずに見捨てることも、信じて騙されることも、信じて救うことも、全ては結果論に過ぎない。何が正しいかなど、結果でしか示せない。
だから、信じるのだそうです。何度裏切られようと、誰かに信じてほしい者、信じられることで救われる者を取りこぼさないために」
にこりと、神父の服を着た男は――笑っていた。
「美しいでしょう。私はそれに救われた。だから、私が護りましょう。貴方のようなどうしようもない相手に裏切られ、彼女が取り返しのつかないことになる前に、私がそれを斬りましょう。この力は、今は彼女のものですよ」
――呆然と、盗賊の男はその顔を見上げていた。しかし、やがて、笑い声を上げる。
「……悟ったツラァしてんじゃねぇぞ……クソ、テメェだって俺と同じじゃねぇか……他人から奪ったこと、あるんだろう、はは、ハハハ!」
半狂乱に笑う。男は、指をなくした腕を振る。もうそこに鈴はなく、何の音も鳴りはしない。ただ、指の断面から血が飛び跳ねて、ピエトロの髪を汚した。それでも男は腕を振る。
「――『怪物』を放ってやった! 既にだ! テメェの女も! あのガキ共も! テメェも! 俺達も! 全員ここで死ぬんだよォ!!」
ハハハハハ、ハハハハハ! 男は笑い続ける。それを煩わしそうに、ピエトロは少し眉を寄せた。
「……罪は自覚していますが、貴方と一緒にはしないでくださいね。私は、私達のように他人から奪って私腹を肥やしていた者からしか奪っていませんから」
まあ単に、その方が効率が良かったからですけど。そう付け加えてピエトロは――かつて魔物の蔓延るスラムで『賊狩り』と呼ばれた殺人鬼は、盗賊の首を刀の柄で殴りつける。ゴッ、と鈍い音がして、男は悲鳴もあげずに倒れた。
「殺しはしません。ルリカはまだ貴方達の未来を信じるでしょうから」
顔を上げ、周囲を確認する。すっかり伸び切った盗賊達は暫く目覚めないだろう。目覚めたところで動けるかは怪しいところだ。縛っておく必要は無いだろう、とピエトロは判断し、次いで洞窟の奥に繋がる道を見る。
「……彼等四人を先に行かせて正解でしたね。ですが、急ぎましょうか」
地形は覚えている。刀を携えたまま、大地を蹴った。
*
「……アレキサンドライトの映像、見エなくなっチャッたわネ。干渉し返さレたんじゃナクて、壊されチャッた」
一応すぐに全部処分できる用意はしてたみたい、と、付け加えてメルエージュが溜息をついた。盗賊アジト、洞窟内。暗い中をアカザの持つサンストーンのブローチが照らし、ピエトロと別れた純達四人は周囲に気を配りながら歩いていた。既に何頭かのテトラホーンに遭遇し、倒している。指揮系統の取れていないEランクの魔物を倒すのは四人にとってはそう難しいことではなかった。
「大丈夫、アジトの構造は覚えたよ。この先の分かれ道を左に行けば、ルリカちゃんが居る小部屋に着くはずだ」
「あらレオン、すごい記憶力ネ! 流石だワ!」
「そ、そんなことないよ」
メルエージュに純粋に褒められ、レオンが顔を赤くして首を振る。その様をにやつきながら見ていたアカザが、ふと顔をあげた。
「――構えろ! 来るぞ!」
アカザのその声で、全員即座に臨戦態勢を取る。四人の視線の先、洞窟の奥から蹄の音が鳴る。テトラホーンだ。それもかなり数が多い――とは、その大量の姿が暗闇の向こうから飛び出してきて、すぐに視覚的にも理解することとなった。
「あの量を倒すには道が狭――」
「――違ウわアカザ! 皆! 端に避けテ!」
迫り来る大群に、何かに気が付いたメルエージュが叫ぶ。その言葉に考えるより先に従って、四人はそれぞれ道の両端に張り付いた。テトラホーンの大群は目の前に迫り――
そのまま、四人の間を通り過ぎて走り去っていった。
「……な、何? 私達を倒しに来たんじゃないの?」
「盗賊のボスに呼ばれて全頭移動、って感じでもないね。もっとなんだか、単純な……」
純が困惑の声を上げると、レオンがそう言って首を捻る。
――その時だった。
「うわぁあああ!!」
数人の男の悲鳴。洞窟の奥――テトラホーンが飛び出してきた、そして先にはルリカも居るはずの、その方向から聞こえた悲痛な声に四人は顔を見合わせる。
「……行こう!」
純の言葉と共に、駆け出した。
――分かれ道を左に。その先は、薄暗い中でも異様さを感じとれた。
鈍く光る、蜘蛛の糸か。それは道を覆い、盗賊であろう男二人を絡め取っていた。駆け付けた純達に気が付いた男が、青ざめた顔で手を伸ばす。
「たす、たす、たすけ、」
震えた舌が、最後まで言葉を紡ぐことは無かった。男の頭は見えなくなった。道の上、張り付いていた巨大な蜘蛛が、男の頭に食らいついたが故だった。ぶち、ごき。嫌な音が鳴って、首を失った男の体がだらんと力を失う。糸に囚われ、その体が地に落ちることは無かった。
「……あ……あ……」
もう一人の男は、尿を垂らしてその死体を見る。だが、直ぐにその男も何も言わなくなった。蜘蛛の、腕、だろうか。その爪に、腹を貫かれて、そのまま裂かれたのだった。あれは多分、腸だ。そう、純の頭の冷静な部分が判断する。冷静、だろうか。現実逃避、かもしれない。純にその判断は難しい。目の前で、裂かれた部分から腸が漏れ出て、中身が漏れて、異臭が道に充満する。吐き気がした。だが、気分を悪くしている場合ではない。
「……アラクロード……Bランクの魔物だ……!」
青ざめたレオンが絞り出した声に、蜘蛛はこちらに視線を投げる。少し身動ぎしたか、こちらに近付いたか。影になっていた巨大な体が、四人の視認の元に現れた。
黒光りする巨大な体は、頭の大きさから判断して五メートルはあるだろう。こんな巨体がこの洞窟のどこに隠れていたのかは甚だ疑問だと――思った時、その身体のほとんどが、影と一体化していることに純は気が付いた。その赤紫の目は六つ、頭に三対並んで光っている。じいと、その目が舐めまわすように四人を見下ろして――ずぷり、その体は影に沈んだ。
沈んだ、のだ。巨体の姿が消える。薄暗い、静かな洞窟に戻る。蜘蛛の糸さえ影となって消えて無くなる。凄惨な死体を二つ、残して。
「――っダメ! 暗い洞窟内ナンてアラクロードに最適すぎるワ!」
メルエージュが叫んだ。その意味を飲み込む前に、純のすぐ横から蜘蛛の爪が現れる。
「――ッ!!」
防御は間に合わない。咄嗟に判断して、純は転がるようにその爪から逃れる。頬に熱い線を引かれた。びりりとした痛みが、傷付けられたと理解させる。
「アラクロードは影の中に潜る! 気を付けろ! 四方八方暗いこんな場所じゃ何処から来るか分かんねぇぞ!!」
アカザが純の前に出て、翠の風を渦巻かせた。それはアカザを起点に四人を包み込む。風属性の防壁だ。純もまた、パルオーロで読んだ魔物図鑑を思い出す。アラクロード、巨大な蜘蛛の形をした魔物。属性は、闇と土。そして――主にラーフィット大陸に生息する、Bランクの魔物。
Bランク。魔物としても上位のクラスだ。それこそ、戦績を高く上げた手練達がパーティを組んで、作戦を立てて討伐を目指すような。テリトリーを考えても、こんな、盗賊がアジトにしている洞窟に居るようなものではない。
「……やっぱり、おかしい」
レオンがそう、歯噛みする。
「魔物を操る鈴も、アラクロードも。あの盗賊達が扱えるようなものじゃない……誰かが、盗賊達に与えたんだ……」
四人の頭に浮かんでいたのは、同じだった。魔物を操る存在。闇属性。人の形をした魔物――スペルビアに、ルクスリア。加えて、純には、彼等と通ずる存在が他にも居るだろうという確信に近いものがあった。
七つの大罪。スペルビアとルクスリアの名前の由来。この世界には無いはずの概念。彼等の中に、純と同じ、異世界からの存在がいるかもしれない証左――スペルビア、ルクスリア、アケディア、そしてインウィディアを除いても、あと三人。その中に盗賊達に何らかの手引きを行えるような存在が居ても、不思議ではない。
しかし、そんな事を考えている場合ではないことも事実である。土属性は草属性に弱い。土属性でもあるアラクロードは水と草の複合属性である風属性の防壁に無闇に攻撃しては来ないが――薄暗い洞窟内の暗闇の中に潜んで機会を伺っているのだろう――時折、闇の中から目玉が覗き、ぎょろぎょろと四人を見下ろしている。風属性の防壁も永遠に張っていられるわけではない――それを分かっているように、その目は四人から離れる気配が無い。
――その時だった。
「……ジュン、さん? レオンさん、アカザさん、メルエージュさん……? そちらに、居るのですか?」
少女の声。道の先、小部屋に繋がるであろう木の扉を挟んで、それは聞こえた。
ルリカの声だ。そう理解すると同時に、四人は六つの目玉が一斉に声の方を向くのを見た。扉まで、この道には灯りがない。暗闇は小部屋まで続いている――即ち、それは、アラクロードが影を通って扉の隙間を抜けて、小部屋まで辿り着けることを意味する。
「――ッ!! ルリカちゃん! 扉から出来るだけ離れて!!」
純が叫び、四人が駆け出すのと、闇の中の気配が蠢くのはほぼ同時だった。ザザザッ、と、巨大な闇が影を通って小部屋に向かう。その気配を追い掛け、追い越し、四人は扉を蹴破って小部屋の中に転がり込んだ。
部屋の中は想像より広く、道中よりは明るい。数箇所に灯りを放つ――恐らくは炎属性だろう――宝石が埋め込まれていた。
アラクロードが移動出来る影は一続きのものだけだ。ずるりと、部屋の入口付近に出来ていた影から、大蜘蛛の頭が覗く。同時に、ずず、と、大地が揺れた。自分が出るには部屋が狭いと判断したか。洞窟の土壁に、土属性であるアラクロードが『干渉』して、その地形を変えているらしい。ゆっくりと部屋を拡張し、天井を高めて――漸く、影から巨体が這い出てくる。
一歩先に小部屋に入り、縛られていたルリカといぬの前に構えた四人を、五メートルの大蜘蛛が見下ろした。
「……ぁ……う……ま、魔物……?」
ガタガタと震え、ルリカはへたりこんでいる。腰が抜けたのだろう。当然だ。Bランクの魔物など、目の当たりにしたことはないに違いない。だが、アラクロードと真っ向から対峙した今の状況では安心させるために抱きしめてやることはおろか、その体を縛る縄を解いてやることも出来ない。
《ギシィイイ……》
低く、唸る。六つの瞳はじっとりと――ルリカを見下ろしている。アラクロードががぱり、観音開きに大口を開けた。鋭い糸が真っ直ぐにルリカに向かって飛び出す。
「ひっ……!」
「伏せテ!!」
悲鳴を上げるルリカの身を糸が貫く前に、間一髪、メルエージュが飛ばした草の魔力を宿した蝶がそれを弾いた。しかしルリカはそのままばたりと倒れ込んでしまう。
「ルリカちゃん!?」
「っ、大丈夫、気絶してるダケよ!」
『ぎゃっぴ!』
いぬがぴょこんと飛び跳ねて、ルリカを守るように彼女の前に躍り出る。その白い毛皮は汚れ、打撲されたような痕を残しているものの、アラクロードに唸る目は恐れの色を宿していない。とはいえその体はアラクロードからルリカを守るには小さすぎる。
また糸が飛ぶ。今度はそれをアカザの風が弾いて、アカザは唸った。
「レオン……! ルリカちゃんが気絶してる間に、あのデカブツをどっかにやれないか!? エリュファス村でやったみたいな……!」
魔物は闇属性で、闇属性は闇属性の魔力の中を通ることが出来る、という。故に闇属性であるレオンには魔物に干渉することで魔物を遠くへ転移させることが出来るはずだ。事実そうやって、純達は、シュヴァルツでのカルベリアスやエリュファス村で現れたアスモデウスといったAランクの魔物との戦闘を回避してきた。
しかし、レオンはちらりとルリカを見て、ぐっと歯を食いしばる。
「……無理だ! 多分その子、魔除けの聖石を持ってる!」
――魔除けの聖石。ピエトロが馬車の御者に渡したそれを純は思い出した。
「巡業する聖職者が魔物避けに持つ、光属性の宝石を複数埋め込んで作った魔術具だ……多分、ピエトロさんが持ってたのより強力なやつ。洞窟全体に効いてるみたいで、闇の魔力が抑制されてる。オレの魔力も、勿論」
「……つまり、やるしかねぇってことか」
アカザが顔を顰め、アラクロードを睨み上げる。アラクロードの目は依然として、ルリカを睨み下ろしていた。
「アラクロードにも聖石の効果はある。だから彼女を狙ってるんだ。あいつは本調子じゃない……チャンスはあるよ」
レオンがそう、その手に『
アラクロードは様子を伺うように四人を見下ろして――
ぐっと、顔を上げる。口を開き、糸を天井に向けて数本――丁度、天井に埋め込まれ部屋を照らす炎属性の宝石の数だけ――鋭く穿った。
「ッしまっ……」
その意図を悟ると同時に、固いものが割れる音がして、部屋が真っ暗になる。どぷん、巨体が沼に沈むような音がした。
「――ッ照らシテ、精霊!」
咄嗟にメルエージュが白い蝶を飛ばし、部屋がある程度の灯りを取り戻す。しかし先程よりも影は大きく――何より、アラクロードが何処にもいない。
「何処に――」
純が顔を上げた時、その視界の端に、黒い蜘蛛の脚を捉えた。それは――倒れ伏す、ルリカの影から。
「――ッ!!」
そのままルリカの首を貫かんと振り下ろされた脚を、寸でのところで割り入った純は刀で受け止める。
「
ほぼ同時に、ルリカの下から風が舞い起こって彼女の身を、おまけにそばに居たいぬの軽い体を地面から吹き飛ばした。アカザだ。咄嗟の行動だが、ルリカからアラクロードを引き剥がすためには正しい判断だっただろう。影が途切れる。吹き飛ばされた一人と一匹の体を、メルエージュが受け止めた。
「飛ンで、ジュン! ルリカちゃんの影カらジュンの影に移ッタわ!」
メルエージュの叫び。分かってる、と返事をする余裕は純には無かった。己の足元から糸が飛び出る。それは純の足を搦め取り、純の背後、新たな蜘蛛脚が飛び出してくる。
「――捕った!!」
――脚は、純の体を貫く前に、糸に絡みつかれて動きを止めた。アラクロードの糸ではない。闇色をしたそれは、レオンの掌から伸びていた。
「糸は真似だけど案外イケた、ぞ! このまま、釣、り、上げる! ――メル!」
名を呼ばれたメルエージュはハッと顔を上げ――説明を必要とせずとも、光の蝶をレオンの腕に纏わせた。身体強化の精霊術だ。ぐ、と歯を食いしばり、レオンは己の闇の糸を掴んで腕を上げようと力を込める。強化を受けて、常時を超えた力を宿したその腕は――闇の糸に搦めたアラクロードの身体を、無理矢理に引きずり出した。
ずぷんっ、と、影から抜けてしまえば呆気なく、アラクロードの巨体が宙に浮く。蜘蛛の腹が顕になって、純はその腹の中心に赤く光る刻印を見た。アカザもまたそれを好機と見たのだろう。即座、弓をつがえ、きりりと上に狙いを定める。
「
高密度の風を纏い、一本の槍となった矢が刻印へと真っ直ぐに飛ぶ。そしてそれは赤く光るそこへ刺さり――ほぼ、同時。刻印を覆い隠すように腹部周辺からアラクロードの甲殻が伸びて鎧となる。矢は、その横から伸びた甲殻に挟まれて軽く刺さった状態で停止し――やがてそれは、自重に耐えきれず落下した。アラクロードは腹部を下に向けたまま、脚を180度回転させて天井にへばりつく。レオンが搦めた闇の糸が千切れる。アラクロードの刻印は僅かに傷が入っていたが、大口から霧のように吐き出された闇の魔力が渦のように腹部を覆い、次の瞬間には傷は失せていた。
《――ギシャアアッ!!》
「ッ……!」
「レオン!」
それに驚く間もなく咆哮が洞窟に響く。アラクロードの目はレオンを睨み、開いた口から鋭く糸の弾丸が飛んだ。メルエージュが叫ぶも間に合わない。
己の魔力を弾かれた反動で後方に転げたレオンは無防備にその弾丸に――貫かれることは、無かった。
「これは本当に、とんだ怪物だ」
弾丸はレオンの前に飛び込んだ刀に切り捨てられたからである。神父服が揺れた。
「ピエトロさん!?」
「お待たせしました。盗賊の対応は終えたのでご安心を――と、話している暇は無いですね」
二撃目。放たれた糸の弾丸を切り、ピエトロは上を向く。アラクロードは既に体勢を戻し、純達に背を向けて、逆さまの状態で天井からこちらを見下ろして、また口を開く。何度でも弾丸を飛ばすつもりなのだろう。
「これでは連携もクソも無い――ジュンさん、土獄を!」
「えっ――、!」
突然名前を呼ばれて純は跳ね上がるが、自分とピエトロが丁度それぞれ部屋の両端に居ることに気がついて、その意図を察した。
「「――緋炎一刀流、五の型!」」
同時に唱え、純とピエトロはそれぞれの背後の土壁に向かって刀を凪いだ。アラクロードの口から、今度は同時にいくつもの弾丸が飛ぶ。
「「土獄!」」
瞬間、両側の壁から土が盛り上がる。それは一瞬にして、アラクロードと純達を分断するように小部屋を上下に分ける壁となった。
初めて、静寂が訪れる。土のドームに覆われる形になるが、メルエージュの精霊のおかげで暗闇になることは無い。恐らくアラクロード側もそうだろう。
「……緋炎一刀流の使い手が二人になると、やはり出来る幅は広がりますね」
ふう、とピエトロは息を吐く。刀をしまう気配はない。純達もまた、武器をしまうことはしない。メルエージュが気絶したルリカをそっと抱き寄せる。未だ、その意識が戻る様子はない。
「しかしアラクロードは土属性を持っていますから、壁が干渉されて破られるのも時間の問題です」
ピエトロの言葉を裏付けるように、純達の頭上では、何か砂の削れるような音がごりごりと鳴っていた。既に純とピエトロの干渉を受けた土壁を崩すのはこの部屋を広げた時よりは時間がかかるだろうが、そう長い間ではないだろう。それぞれが神妙な顔で、己の武器を握り締める。
「アレを倒さねば結局仕様がない。……レオンさんが闇属性なのはこの際どうでもいい。味方なのでしょう?」
「っ……はい!」
レオンが頷いたのを見て、ピエトロが少し笑う。
「さて、しかし、どうするか……」
「……! ネえ、アラクロード、上側で糸をいっパイ吐いテるワ! 蜘蛛の巣塗れニなっちゃッテる!」
精霊の視界を見たか、慌ててメルエージュが叫んだ。純達もまた顔を見合わせ、それぞれその目に焦りを宿す。
「……まあ、分断すれば向こうは向こうでフィールドを整えるのは予想の範疇でしたが」
「お、オレも糸張ろうか!?」
「レオンが巣作りしてどうするのさ――」
ピエトロの溜息。レオンの焦った声。純がそれにツッコミを入れて――ハッと、目を見開いた。
――緋炎一刀流の使い手が二人になると、出来る幅は広がる。
――ここには風属性のアカザも、精霊術使いのメルエージュも、闇属性のレオンもいる。
「……レオン、アラクロードには無理でも、『アラクロードの糸』に干渉はできる?」
「え? ええと、そうだね、オレの魔力をどうにかそれに触れさせられれば……糸くらいなら……」
「ふむ」
ピエトロが純を見る。緋炎一刀流の使い手同士が目を合わせた。
「皆。アラクロードを、倒そう」
純は真っ直ぐに、全員にそう言った。
土が崩れる音がする。
土獄で出来た壁は崩壊し、部屋が再び一つになる。上部は既に巨大な蜘蛛の巣と化していた。黒く禍々しい気を纏った糸がいくつも絡み合い、囚われれば命は無いだろう。その巣の中心で、アラクロードは巣にかかるであろう哀れな小バエ達を見下ろし――その目に、閃光を映した。
「緋炎一刀流、四の型」
バチバチと音を立て、雷電を纏った刀は弾ける。雷電はさらに、その使用者の靴底を覆う。ついと、その二本の刀を――純とピエトロが下から掬いあげた。刀を、雷電と――その静電気に引き付けられるように、黒い糸が覆っている。
「『
雷に弾かれるように、二人は飛び出す。それぞれ別方向、電気の駆動力を得て、彼等は弾ける火花となる。自由に駆ける、嵐となる。飛び出して、振るった刀はアラクロードの糸を切る。そして切れた糸を紡ぎ直すように、刀に纏う黒い糸――レオンの魔力が張り付いた。
火花はまた、弾ける。壁を蹴り、糸を蹴り、四方八方を二つの雷電が疾走する。土属性に雷属性は弱い。だが、その速さにおいて、属性相性など関係無かった。アラクロードの目がぐるぐると回るも、その火花は捉えられない。
「――干渉、しきった!」
火花と化した緋炎一刀流の使い手二人が縦横無尽に飛び交うその下で、レオンが叫ぶ。その両手の指から黒い糸が伸びて、それは部屋の上部、アラクロードの巣――だったものに繋がっている。
「ひっくり、返れぇえ――ッ!!」
《ギッ――》
拳を握り、レオンは腕を振り下ろす。その動きに従って、糸が蠢いた。異常を理解したか、アラクロードがレオンに牙を剥くが、遅い。
既に、アラクロードは巣に囚われた獲物へと反転していた。レオンの意志に従って、黒い糸は一瞬にしてアラクロードの身を縛り付け、八つの脚を引っ張り、その腹を純達に見せ付けた。
《ギ、シ、ィイイイ……ッ!!》
「ぐぅ……ッ!!」
ギチ、と糸が軋みをあげる。Bランクの魔物アラクロード、弱体化しているとはいえその力は強い。糸で捕らえられたとして、動きを封じられるのは五秒が限界だと、この作戦を聞いたレオンは言った。
五秒だ。
「行くわヨ……ッ!」
五。既に草属性の緑の精霊をアラクロードの周囲に浮かばせていたメルエージュが、精霊達を弾丸として、刻印を覆う甲殻の鎧にぶつける。鎧が剥がれていく。
「今度こそ、貫いてやる――!」
四。
「
三。アカザの、槍のごとき風が刻印にぶつかる。だがまだアラクロードに魔力はあるか、更に鎧が覆いを厚くしようとする。矢を覆う風が減り、矢の速度が落ちていく――
「緋炎、一刀流」
二。火花だった二人は、純とピエトロは、それぞれ糸を足場にして、アラクロードの両脇にいた。柄を動かせば、刀から雷は消える。その刀を一閃、振るえば――舞うのは緑だ。新緑のそれは、幾つもの葉である。洞窟内ではそれは異質で――良く、目を惹いた。
一。飛び立つため、二人が膝を折る。
零。ブチブチと音を立て、アラクロードを捕らえた糸が千切れ――
「六の型」
既に、刃は迫っていた。葉の半分は、それぞれが刃となって矢が開いた刻印への傷に突き刺さる。もう半分は、回転刃として二つの刀が纏っていた。
「――『
刀は、二方向。純は上から、ピエトロは下から、鎧についた裂け目を切り付けた。種類の違う刃に妨げられて、厚い鎧は刻印までを覆えない。
ぱきん。
そんな呆気ない音だった。完全には勢いを殺されていなかった風の矢が、妨げるものを無くしてしっかりと刻印を貫いた。
《シャ、アアァ――……》
アラクロードの声は掠れ、消えていく。砂が散るように、その身は光の粒子と化して、洞窟の闇に溶けていった。
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