第三十一話:緋炎一刀流

 力とは、放つ時ではなく、抑えつける時にこそ技量を必要とするのだ。



第三十一話:緋炎一刀流



 夜更け、月明かりの下で草原を獣が駆け、爪に千切られた小さな葉が舞う。メルエージュに強化魔術をかけられた狼達は、易々と純達を背に乗せて盗賊のアジトへと向かっていた。

 群れの先頭、中心となって走るのはピエトロが乗った白いボス狼。その後方周りに、純達四人を乗せた四匹の狼が集まって、それ以外の狼は時々躍り出る魔物に吠えたてて牙を剥き、追い払う。そうやって、隊列は乱れることも止まることも無く進んでいた。

 ピエトロの周りに純達が集まったのは、彼の話を聞くためだ。――無論、緋炎一刀流について、である。

「まず、ジュンさん。貴女は別の世界の人間ですね?」

 確信を持った言い方だった。ピエトロのその言葉に、純もまたひとつの確信に近い予想を抱いて頷く。

「……更白は……私の祖先は、ここに来たことがあるんですね」

 純の、返した言葉に、ピエトロが「ええ」と応えた。

 それは、そうだろうと純は思う。焔硝岩 更白――その人物の名をこの世界の存在であるピエトロが知っているということは、更白がこの世界に居た記録があるということだ。同時に、純の家には更白の生誕記録と死亡記録が残っていた。であれば、更白がこの地で生まれて純の世界にやって来た、もしくはその逆の可能性は消える。ということは、更白は、純のいた世界とここを往復したということになる。

「えっと……純の家に、緋炎一刀流を伝えたんだよね? その……さ、さぁし?」

「更白だよ」

「さーしぁ!」

「さらしろ」

 純の訂正に、うぐぐ、とレオンが唸る。そんなやり取りにピエトロが僅かに笑った。

「サラシロという音の響きは、リシュール人の舌には合わないのです。端的に言えば、非常に呼びづらい。『当時』もそうだったのでしょう。ですから、更白の名はむしろ、彼女の友人達に付けられた愛称で通っています」

 一拍置いて、ピエトロは続ける。


「『サーシャ』。その名の方が有名でしょうね」


 四人の間に、びり、と。静電気のような衝撃が走って、ばっと顔を見合わせる。

 ――サーシャ。五人の英雄の一人。赤の英雄。英雄の一人は、別の世界から来たと云う。


「……さて、緋炎一刀流のことを話す前に、皆さんは魔法というものをご存じですか? 魔術ではなく魔法、です」

 その言葉に、純、レオン、アカザの三人が顔を見合わせた。思い出すのはアークハット遺跡での出来事だ。人間を嫌い、レオンを蔑んだ土地神、ライ。彼女が操る雷――

「……その反応にはとりあえず、存在を知ってはいる、と解釈しましょう。

魔法と魔術は別のものです。とはいえ、私自身は魔法というものを見たことはありませんから、伝え聞いたことをそのまま話すことになりますが」

 ピエトロの言葉に、純達は彼へと視線を戻した。彼の口が動く。

「まず魔術とは、別の世界ではともかく、我々には非常に身近なものです。我々は大体一人一つ、特定の属性の魔力を持ち、その魔力を行使して術を使う。

……とはいえ、宝石や魔導書グリモワールによる魔力の補助無しで魔術を使う魔術師は殆ど居ません。そもそも魔力とは何なのか、厳密には明らかになっていませんが……『私達』の中に伝わる話では、生命体自身の生命エネルギーを燃料に燃やす炎のようなものだと考えられています。生命エネルギーには個々に特色があり、属性は人によって異なると」

 炎色反応みたいだな、と純は思う。ピエトロの言葉を整理しながら、『燃料』、という言い方が気になった。

 その引っかかりは、継がれた言葉に解消されることになる。

「生命エネルギーを使うということは、魔術を使うことがそのまま、命を削ることに直結します。事実、自分だけで魔術を使おうとすると低級魔術でもすぐに目眩や頭痛を起こして気絶、最悪絶命してしまう。だから、魔力を溜め込んだ宝石や魔導書の力を主に燃料にして、自分の魔力は精々スイッチ程度に、極力使わないようにする。それが魔術師の基本です。

……例外が、闇属性と光属性。闇属性についてはわかりません。私は魔物でしか見たことがありませんし……ただ、彼等は魔力の枯渇が無いかのように、ほぼ無尽蔵に魔術を使います。なんなら魔力そのものを操ることすら――疲労はあるようですが、それも自分の魔力を使えば直ぐに倒れてしまう普通の属性と比べれば無いようなものでしょう」

 ピエトロは、レオンが闇属性であることを知らない。彼が説明する後ろで、レオンは気まずげに青い瞳を逸らしていた。

 しかし、そういえば、と純は思う。リックは炎属性だが、同じく炎属性の魔力を持つ宝石をブローチとして身に付けていた。アカザの弓にもエメラルドがついている。一方でレオンは水属性の魔術を使う時こそ魔導書グリモワールを用いるが、闇属性の魔術を使う時、そのような補助を使うのを見た事がない。インウィディアもエリュファス村を守る時、あれ程の障壁を張ったというのに、補助は見当たらなかった。

「光属性の方は……そもそも、光属性は本質的には『精霊と交信することのできる属性』と言えるでしょう。この世界に存在する数多の精霊の力を借りてあらゆる術を行使する……それは、そちらのお嬢さんの方が詳しいと思います」

 ちらりと視線を投げられて、メルエージュが目を丸くする。

「エエと、そうネ。精霊術は精霊を操る術ナノだけド、精霊はそモソも大気中の『霊子』ってイう力の粒の塊ヨ。ワタシ達は霊子にお願いシテ、精霊として力を貸してモラうの。霊子には種類があるノダけど、闇属性を除イて全ての属性が存在スルわ。普通の属性には無い効果……治癒とか、強化ネ、そうイウことが出来るものもアルの」

「そういった精霊術は、魔術と言うより非常に『魔法』に近いと言えるでしょうね。事実精霊術は人外種……エルフに与えられた力だとか」

 ピエトロがメルエージュの言葉を引き継いで言った。メルエージュに集まっていた視線は再びピエトロに向かう。

「魔術とは我々人間が生命エネルギーを使ってなんとか行使する『術』ですが、魔法とは大気中の霊子を燃料に扱う――人外種の『法』……理、なのだそうです」

 ――法。理。かくあり、そうなるもの。当然のもの。

 レオンとアカザの脳裏に、ライが、アークハット遺跡で言った言葉が過ぎる。魔術を偽物と呼んだ彼女の蔑みの目を――同時に純もまた、ハザマが言った、魔法と魔術は違うという言葉を思い出していた。

「……さて。では緋炎一刀流の話に戻りましょうか」

 ピエトロが言う。

「結論から言えば、緋炎一刀流とはかつて英雄サーシャが神に与えられた魔法の知識と剣術を組み合わせて考案した、刀を使った降霊術です。彼女はこの世界でそれを考案し、元の世界に戻る前に一人にそれを継承し――決して広まらぬよう、途絶えぬよう、一子相伝と門外不出を厳命しました」

「神に……、えと、降霊術?」

 純が首を傾げると、そう、と応えてピエトロはメルエージュ、そして純の順に視線を投げた。先に口を開いたのはメルエージュだ。

「霊子は人間に感じ取ることは出来ナイと言われテイるワ。エリュファス村の民が精霊術を使えるのは、エルフ様によっテ受け継ガレる血の中に霊子を感じ取れるタメの……術式? を組まレタからヨ。

余所者を拒絶すルノはソレもアルノね。他の血を入れタら血が薄クなるカラ……」

 ダカラって攻撃すルのも自由を縛るノモ違うと思うケド、とぼやくメルエージュに、ピエトロが笑って言葉を続ける。

「そう、エリュファス村のような例外を除き、人間には霊子を感じとれません。感じ取れるとすれば、霊子が宝石に吸収されて『魔力』と化した後です。

――それでも、霊子自体はあらゆる属性のものが常に大気中に存在しています。それも、尽きること無く。だから使う方法さえあれば、感じ取れなくても使うことが出来る。


故に、降霊術。緋炎一刀流は、大気中の霊子を刃に降ろして扱う『剣を媒介とした魔法』なのですよ」



 ぴちゃん、と水が跳ねる音がして。

 ぴちゃん、頬に水滴が落ちて、ルリカは目を覚ました。

 視界情報で、暗い洞窟の中、硬い岩肌の上に手を後ろ手に縛られたまま寝かされていたと知る。体が痛い。不自然な体勢で硬い場所に寝かされていたこともそうだが、それとは別に、殴られた腹が未だにじんじんと痛んでいた。服に異常は無さそうだが、懐に入れていたシトリンのブローチはなくなっているようだ。傍に、何か物でも入っているように膨らんだ、丸まったローブがある。メルエージュに託されたローブだろうとわかったが、馬車に置いてきたはずのこれが何故ここにあるのかと、ルリカは首を傾げた。

「……ここは」

 体を引き摺ってなんとか上半身を起こす。状況をもっと把握出来ないかと周りを見渡していると、荒い、男の足音が聞こえた。そちらへ目を向ける。どうやらここは洞窟内の小部屋で、打ち付けられた木の壁と扉で区切られているようだった。

「よお、目覚めはどうだァシスター様よ」

 扉を開け、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべるのは、あの時眉を下げて縋るようにルリカに助けを求めた――そして、腹を殴り、恐らく自分をここまで連れてきたであろう盗賊の男だった。

 自分の状況を理解して、ルリカは、震える身を抑えつけて微笑んでみせる。

「自然を感じられるベッドでしたよ。神がお恵み給うた大地と共にあって、素敵なお家ですね」

「……口の減らねぇガキだ、素直に泣き喚きゃいいのによ」

 盗賊は舌打ちをして、だが直ぐに、再びニヤニヤと見下すような笑みを浮かべる。

 無遠慮に近付いて、ルリカの前で膝をつく。笑う顔が、ルリカの眼前に向けられた。

「まんまと騙される馬鹿なガキで助かったぜ、もう他人を信じようなんて思えないだろ? まあお前に次なんてないけどな!」

 ギャハハハ、と下品な笑いがその小部屋に響く。唾が飛ぶ。それに――ルリカは、顔を顰めることも無く、男を見上げた。幼い瞳は、それでも迷いはない。

「いいえ。

――私は、再び誰かに同じことを言われても、きっとその人を信じます」

 男の笑い声が止まった。ルリカは静かに、問へ答える言葉を紡ぐ。

「同じ言葉だから同じように嘘だとは思わない。騙されても、裏切られても、信じることで救われなくても、私はシスターとして――信じることで救われる人がいる限り、信じることをやめません。

貴方にも、きっと別の道があると信じています」

 真っ直ぐに、見上げる青い瞳。その瞳は――ゴッ、という鈍い音ともに、後方へ飛んだ。盗賊の男が腹を蹴り、その小さな未成熟の体を飛ばしたのだった。

「腹立つガキだな! もう誰も信じない、だとか言うんだよそこはよぉ!」

 人間を売りとばすにあたって、その身に傷は無い方が良い。だが頭に血が上ったその男にはそんなことは関係ないようだった。蹴り飛ばされ、蹲って咳き込むルリカの頭に向けてその足を上げる。

「――うぐっ!?」

 ――男の足は、落とされる前に男ごと突き飛ばされた。なにか小さなものが、男の体の側面にぶつかって来たのである。完全に意識の外からの攻撃に、男はあっさりと転げて岩肌に身をぶつけた。

『グルルァ!!』

「な、なんだ!? 魔物!? 鈴はボスしか持ってねぇってのに!!」

 唸り声と恐ろしい鳴き声に、男は及び腰になって慌てる。そしてその鳴き声から、巨大な魔物を連想したのであろう。男は反射的にその脅威の姿を確認しようと、上を向いた。

 上には――ただ、変哲もない岩肌があるのみである。男は、ゆるゆると、ゆっくり目線を下に下ろした。

 丸い体。白いふわふわとした毛並みと、犬のような耳。耳のすぐ下からは一際長い毛が生えた――子供が両手で抱えられるぬいぐるみのような、そんな生き物が、ルリカを守るように男との間で唸り声を上げていた。

「……ま、魔物?」

 今度は恐怖の代わりに困惑が混ざった疑問形で、男が呟いた。小さな白い生き物は相変わらず唸って、男を見上げている。

「お……驚かせやがって!」

『ぎっ』

 その小さな体は、簡単に吹き飛んだ。立ち上がった男が蹴り飛ばしたのである。白く丸い体は岩肌にぶつかって、ぼよんとバウンドしてルリカの傍に落ちる。ぐったりしたその身を、慌ててルリカが庇うため覆いかぶさった。

「だ……っ駄目!」

 トドメを刺そうと男が歩み寄る。ルリカは己の身の下に隠した白い生き物を――後ろ手に縛られているために抱き締められないが――守るように体全体で包んだ。そして、次に来るであろう衝撃と痛みに、目を閉じて身を強ばらせる。

「……あ?」

 残った苛立ち混じりに、男が言った。近付く足音が止まって、ルリカも恐る恐る目を開ける。

 男は上を向いていた。その視線を辿ると、岩肌に映像が投影されている。投影元は壁に埋め込まれた小さな鈍い赤色をした宝石の欠片だ。

 その映像には、おそらく洞窟の入口であろう場所に、神父服の男と四人の子供が映っていた。

「……ははは! おい見ろ! あの神父とガキ共、お前を助けに来やがった!」

 苛立ちは解け、愉快そうに男が笑う。そして、嘲った目をルリカに向けた。男が何かを操作して、宝石の欠片が映す投影を消す。迎え撃つためだろう、小部屋の隅に置いてあった武器を手に、男は笑いながら出口へ向かった。

「どうやって追ってきたのか知らねえがここは俺達のテリトリーだ、今度こそぶっ殺してやる! いいか! お前が信じたからあいつらは死ぬんだぜ!」

 ギャハハハハ! と高らかに笑いながら、男は小部屋を出ていった。取り残されたルリカは、身を起こし、改めて己の体の痛みを自覚する。至る所がズキズキと響いていた。体は自然と震え、ず、と鼻を啜ると、その音が嫌に響いた。

 白い生き物は、そのつぶらな瞳をルリカに向けている。その視線に気がついて、微笑みかけた。傍にあったローブは平たくなっている。

「……あなたが、あのローブの中にいたんですね。ついてきてしまったの? ……それは、ごめんなさい」

 暖かいその身を撫でたいが、手は不自由だ。謝って、ひとつ、息を吐く。

「……きっと、大丈夫。神父様はドジだけど、無茶なことはしないもの。ここに来たのも、何か考えがあるはず……だから、きっと大丈夫……」

 自分に言い聞かせるように、大丈夫、と繰り返す。歯を食いしばり、泣かないようにと堪えていた。

 白い生き物――いぬは、乾いたその身を、ルリカに擦り付ける。ぴちゃん、と、洞窟のどこかで水滴が落ちた。



「さて、緋炎一刀流の七つの型については道中に口頭で説明した通りです」

 洞窟の入口で、ピエトロがそう言う。狼は既に己の住処へ帰っていった。

「ですがまあ、実践で覚えるのが一番良いでしょう。やれますね?」

「は、はい」

 固くなった純の返事に、ピエトロがやや口角を上げる。大丈夫ですよ、と、その薄紫を細めて言った。

「緋炎一刀流において最も重要なのは最初の柄の動きです。あの小さな動きが、霊子を刃に降ろすための術の核。同時に最も難しいものですが、貴女は恐らくは幼少期から伝えられ、しっかりと体で覚えている」

 その言葉に、純は自然と己の手を見下ろしていた。緋炎一刀流の七つの型。それぞれ特有の、小さなモーション。そういえば、教えられた最初の頃はよくこんがらがったり、抜けたり、余計な動作を入れてしまったり、なかなか成功しなかった覚えがある。もう意識しなくてもできるようになったけれど、あの動きに、そんな意味があるなんて知らなかった。多分、教えてくれた親も知らなかったのだろう。

「さて――早速お出迎えです」

 ピエトロの言葉で洞窟に目を向ける。すると、テトラホーン達が洞窟の中から唸りを上げていた。

「……私に、やらせてくれますか」

 ピエトロに、そしてレオン達に向けて、純は問うた。反対の声はない。

 純は目を伏せ、その手の中に赤い刀を具現する。しっかりとそれを握って、目を開いた。テトラホーンは三匹。洞窟の中にも、いくつかの瞳が光っている。

「緋炎一刀流、三の型」

 構えを取り、柄を小さく動かす。刃に水が溢れ、滴り落ちる。

 踏み込みは、静かに。滑らかに。水のように、すり抜けるように。

「『水式』」

 純の身は、瞬きの間にテトラホーン三匹の背後にあった。水は、斬撃となってテトラホーンの刻印を貫いていた。三匹の獣は、声も上げずに光の粒となる。

『ブルルルン!!』

 洞窟の中にいたテトラホーン達が、まとめて勢い良く飛び出して、純に踊りかかった。対し、純は身を屈め、刀を地面と水平に構える。土獄に似た体勢だが、しかしそれよりも身を捻らせて、『水式』とは別の動きを、柄に。

「緋炎一刀流、二の型――」

 ぐるん、屈ませて捻らせた身を戻す反動で、一回転。刀と共に回れば、炎が純の周囲に立ち上る。更にもう一回転。炎に導かれるように、吹き上げられるように、空中で、さらに回転。


「『炎輪エンリン』――ッ」


 テトラホーンはその炎に巻き込まれ、宙に浮く。炎の渦の中、回る斬撃がその刻印を切り刻んだ。

 テトラホーンが全て光の粒となって、炎が消える。

 純の身は軽やかに、その場に降り立った。

「――よろしい。少々派手ですが、及第点としましょう」

 ピエトロの言葉に振り返って、純は「手厳しい」と苦笑いで返す。確かに派手だった。しかし、少なくとも近くにいたテトラホーンは全匹消滅させたらしい。レオンやアカザ、メルエージュが駆け寄り、お疲れ様、凄いよと笑いかけてくれた。

「――まあ、派手だろうが地味だろうがどうせこちらの行動は筒抜けでしょうね」

 ピエトロが顔を上げる。その視線を追うと、鈍い赤の宝石が岩肌に埋め込まれていた。

「あれは……アレキサンドライトか!」

 アカザが舌打ちして言った。純もまた、パルオーロで学んだ知識を思い出す。

 ――アレキサンドライトは、あらゆる魔力を吸収する宝石だ。同じ魔力を吸収した二つの宝石は離れた場所にあっても周りの音や景色をもう片方へと送ることが出来る。即ち、監視や盗聴を可能にする代物だった。

「まあ、ここは向こうの拠点ですから、当然監視の宝石も置いているとは思っていましたが。恐らくはアジトの至る所に用意されているでしょうね。こちらには向こうの動きはわからず、中の様子もわからず、向こうには丸わかり、と」

 そう言って、ピエトロが微笑んだ。言葉だけなら非常に不利な状況のはずなのだが、その笑みには勝利への確信しかない。

「いやはや、皆さんに――特にエリュファス村の民に、手伝ってもらえて本当に助かりました」

 笑って、彼はメルエージュに手招きする。疑問符を浮かべながら歩み寄ったメルエージュに、何か耳打ちをして――

「! やってミルわ!」

 メルエージュがぱっと顔を明るくさせた。そして手を掲げ、透明な蝶を舞わせる。その蝶は埋め込まれた宝石の周りを一周すると――宝石の中に入り込んだ。それを見届け、メルエージュは目を伏せてなにか集中し始める。

「――成功ヨ! アジトの中のアレキサンドライト、ぜーんぶ乗っ取っちゃッタわ!」

 そして、少しの後、そう明るい声で笑ってみせた。

 驚いたのは純達だ。

「え? 乗っ取った?」

「アレキサンドライトを動かしている魔力は全て同じものです。ならば、一つを支配してしまえば全てに干渉できるはず。所詮魔術師でもない盗賊のそれ――魔力、いや霊子の扱いにおいてトップクラスであるエリュファス村の民に干渉出来ないわけがありません」

 にっこりと笑うピエトロの顔が悪魔に見えるのは気の所為だろうか、と、純は思う。メルエージュはといえばレオンに抱き着いて、「凄いでショ!」などとはしゃいでいた。

「同じ属性の魔力なら干渉できるワ! アレキサンドライトに注がれてた魔力は土だっタケど、ワタシは闇属性以外なら干渉できるカラ! もうコレであのアレキサンドライトはワタシにしか操作出来ないし、ワタシからは全部のアレキサンドライトの映像が見えチャウの! あ、デモ、このアレキサンドライト安物ね。音は取れないみたいダワ」

 ピエトロさんに言わレテ半信半疑でやってみたケドできるもノネ、などと、メルエージュは嬉しそうに笑う。その笑顔は眩しいが、結構えげつない事のように聞こえるのは気の所為だろうか――真っ赤で慌てるレオンを他所に、純とアカザは遠い目をした。

「さて、流石に向こうもアレキサンドライトが使い物にならなくなったことくらいは直ぐに察知するでしょう。壊されるのは時間の問題です。メルエージュさん、アレキサンドライトの映像を我々と共有することは出来ますか?」

「任セテ!」

 メルエージュはレオンを離し、その指から数匹の茶色の蝶を羽ばたかせる。その蝶は純達の体の中にそれぞれ吸い込まれていった。

 ――同時に、純達の脳裏に『情報』が入り込む。それは記憶を思い出すように負担なく、映像を見ているかのように鮮明に、彼等にアレキサンドライトの映像――アジト内部の様子を理解させた。アレキサンドライトが使えなくなり盗賊達が慌てる様子、至る所にテトラホーンが眠る道、そして――蹲る、土に汚れ、乱れた桃色の髪。

「……ルリカちゃん!」

「いぬも一緒だ!」

 子供達が顔を見合わせる横で、ふう、とピエトロが息を吐いた。

「――どうやら、内部は大きい道が二つあるようだ。二手に別れましょう。盗賊達の方は、私が誘き寄せて叩きます。その間に皆さんには別の道からルリカを助けに行ってもらいたい。魔物は出るでしょうから、どうぞお気を付けて」

 ピエトロに、一人になるつもりなのか、とは言えなかった。その微笑んだ神父一人の立ち回りに、四人は及ばない気がしたからだ。

 ――何よりも、その笑顔に、何も反論ができる気がしなかった。

「行きましょうか」

「……はい!!」

 恐怖を隠した返事が、夜闇に響き渡った。



 一方で、盗賊達は恐慌状態に陥っていた。

「な、何したんだあのガキ!? アレキサンドライトが反応しねぇ!」

「俺が知るかよ! アイツらこっちに来るぜ!」

 盗賊達の溜まり場である大部屋。普段ボスの為の座椅子を除き、申し訳程度の座布団だけが敷かれ、皆が祝杯と称して飲み散らかした酒瓶を放置したその場所は――今は宴の騒がしさとは異なる様相で、滅茶苦茶に散らかされている。慌てふためく部下達は、幾人かは先程の戦いで気絶し、先程目覚めたばかりだった。

 彼等がアジトにおいて有利である最大の理由はアレキサンドライトだ。この入り組んだ洞窟で自分達だけが全ての映像を把握できるから有利に立ち回れた。だが、その利は今や向こうに握られている。そして、個人の戦闘力が劣っていることは、先程理解したことだった。

「――ええい! うるせぇ!」

 叫ぶ。その一喝に盗賊達は黙った。静寂に包まれたその部屋で、盗賊のボスである男は部下達を睨み下ろす。

「この指輪――これがあれば低級魔物が俺達の思いのままだ。これを手に入れてから俺達は負け無しだった、違うか」

 男は己の指輪を掲げる。ちりん、と、ガラスドームの中で鈴が鳴った。

「それが、なんだ、何だこの有様は! ガキ四人と神父一人にビビり散らしやがって! クソが! ここまで馬鹿にされたのは久しぶりだ!」

 叫び散らす、その男こそが一番動揺している。それに、部下達は気付いてしまった。当然、口に出すことは出来ないのだが。

「……“アレ”を放つ」

 ――男が、冷や汗をかきながら、そう言った。今度こそ、部下達はざわめきたつ。

「む、無茶ですボス! アレはBランク! 鈴でも制御出来ないんですよ!?」

「うるせぇ!! さっさとアレを出せ! あのシスターの部屋! あそこの前にでも出しておけ! あのガキ共はあいつが目的だ! 奪還されて溜まるか!」

 部下達の必死の訴えは聞き入れられない。むしろ、そう必死に止めようとした部下の一人にナイフが突き刺さった。悲鳴が上がる。

「俺を誰だと思ってやがる! クソが! 魔物さえ平伏す俺様を! ふざけんな! ふざけんなよ!」

 まるで狂気だと、誰かが呟いた。叫び散らして、ボスの男は立ち上がる。酒瓶が蹴り飛ばされ、岩肌にぶつかって割れた。

 ――その部屋に、遠くから爆破音が響く。

「……来やがったか! クソ! テメェら着いてこい! 奴等をぶちのめすぞ! ……おいそこの!」

「ひぃ! はい!」

 自分達のボスに睨みつけられ、慌てて返事をしたのは最近この盗賊に入った数人の男達だった。

「アレを放っておけ! いいな! 命令だ!」

 言い捨てられて、男達は部屋から出て行く後ろ姿を見送る他ない。静かになった部屋で、彼等はお互いに真っ青な顔を見合わせて、顔を歪めた。

「ど、どうすんだよ」

「し、仕方ないだろ……放たないとボスに殺されちまうよ……」

「は、放ったらすぐ逃げようぜ! な! なぁ!?」

「くそっ!! 死にたくねぇよォ!」

 半ば逃げるように、やけくそのように男達もまた部屋から飛び出す。蹴られて転がった酒瓶が、ぱりんと割れた。



「……この、音は……?」

 蹲り、痛みに少し意識を失ってしまったらしい。傍の白い生き物が息をしていることに安堵しつつ、ルリカは顔を上げる。自分を閉じ込めている扉の鍵は閉まっているから、出ることは出来ない。壊せるほど力は強くない。

 扉の向こうから、だろうか。もっと遠くかもしれない。息が聞こえる。何か大きなものが、静かに呼吸しているような、息だ。

「――誰か、いるん、ですか?」

 返事は、無かった。

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