第二十七話:色欲、到来

 声がするのだ。

 やまない声が、頭を支配して仕方がない。

 煩い。

 煩い。

 酒場の喧騒も、ベッドの上の女だってこの声よりは喧しくないと言うのに。

 うるさくて、うるさくて、どうしようもない。


 安息など、どこにもない。



第二十七話:色欲、到来



「ルクスリアはどこだ?」

 そう言いながら、一人の男が、石畳を踏みつけてその部屋に入ってきた。

 その部屋はメンバーには談話室と呼ばれている――勿論仲良く談話などするはずがない――『アジト』の一角にある場所だった。空き部屋に、デザインなど考えることなくルクスリアが勝手にあれこれ持ち込んだソファだのが散乱して、皆、各々それらを好き勝手に使う――そうやって成り立つ『談話室』。それはまさしく、『自分達』の協調性の無さを象徴するような部屋だと、男、スペルビアは溜息をついた。

 その部屋に居たのは一人の少女であった。薄紅の髪は短く、ろくな手入れもされずに跳ね散らかしている。動きにくいなどという理由で、仮にも女性でありながら腹だの肩だの太腿だのをところ構わずさらけ出す服装は――その割にかっこいいという理由でマントは着けている――どうかと思うがと、スペルビアは常日頃思っていた。夕焼けのようなオレンジの瞳が、鋭くスペルビアを睨む。

「んだよ、テメェの腰巾着に聞けばいいだろが」

「腰巾着……アケディアのことか?」

「あァ、テメェが腰巾着だったか?」

 はん、と鼻で笑う少女に、スペルビアは顔を顰めた。どうにも、この少女とは反りが合わない。

 第六位、『強欲』を冠する少女、アワリティア。彼女とはその粗暴な言動を注意するうちに、すっかり険悪になってしまった。己の美貌に騙されない、惑わされないあたりは好感が持てるが、それ以外が悪すぎる。いっそ見た目通り子供だったならまだ見過ごせたかもしれないが、どうせ、彼女も『自分と同じ』なのだから、腹を立てない理由が無い。

「……もういい、他を当たる」

 踵を返そうとしたスペルビアを、「待てよ」とアワリティアが止めた。それに少し驚いて、スペルビアは振り返る。その先にいたアワリティアは、ソファに脚を広げて座り、にたにたと悪辣な笑みを浮かべている。

「教えてやるよ、ルクスリアの行先。用事あんだろ?」

「……いや、いい。借りたものを返そうとしただけだ」

「ルクスリアはよぉ、エリュファス村に行ったぜ」

 いいと言ったのにアワリティアは勝手に教えてくる。そうして、また、笑みを深くした。


「んで、お父様から聞いたけどよぉ? 今エリュファス村に居るらしいな、インウィディア」


 その言葉に固まったスペルビアを、アワリティアは嗤う。ああ成程、言いたがったわけだと、スペルビアは舌打ちした。

「心配してんの? お優しいこって」

 アワリティアの馬鹿にした声。それを無視して、黙ってスペルビアは歩みを再開する。

 エリュファス村には、行かない。行ったとして、何にもならないと知っている。自分は檻の中にいる。そして、インウィディアはもう、自ら檻の中から飛び出したのだから。

「……だから、後悔する、と言ったんだ……」

 歩いて、歩いて、廊下の突き当たりで立ち止まり。

 スペルビアはただ、それだけを吐き捨てた。


 どちらに向けた言葉なのか、もう、自分でも分からない。



 村は凄惨な状態となっていた。

 木々はなぎ倒され、大地は割れ、火が付いたのかあちこちが黒く煤けて、青々とした緑は最早無残に散らされている。大人も子供も戦った。だが勝ち目はなかった。最早、皆が諦めていた。

 ――たった一人を除いては。

「頑張るねぇインウィディア」

 蠍の尻尾を持つ、巨大な山羊を模した魔物の頭に腰掛けた、一人の男――この惨事を引き起こした張本人が、肩で息をするインウィディアを見下して嘲笑う。

 ボロボロになった広場にて、彼等は対峙していた――

 ――というには、あまりにも一方的な蹂躙だった。

 インウィディアは、誰がどう見ても限界を迎えていた。彼女の足元からは影が伸び、それらは彼女の背後に広く伸びて、傷付いたエリュファス村の人々の周囲に具現して、壁となって守る。その壁は、既に幾度かの攻撃を防いでヒビ割れている。僅かに震えるその影は、あまりにも覚束無い。その姿に、男はまた笑う。

「お前、昔はあれだけ闇魔術を使いたくないって駄々こねてたのになぁ? 必死になっちゃってさぁ……背後見てみろよぉ、みーんな、化け物を見る目でお前を見てるぜぇ?」

「――うる、さいっ」

 荒く息を吐いて、インウィディアは目の前の男を睨み上げる。

 ――言われずとも分かっていた。自身が守る村の人々が、特に大人達が、自分を、恐怖の目で見ていることくらいは。

 ――それでも、退く訳にはいかない。何故ならば、ここには、精霊獣を御し、疲れた友達が帰ってくるはずなのだから。

「立ち去って……! ここに、貴方の欲しいものなんてないわ、ルクスリア……!」

 インウィディアの儚い睨みを鼻で笑って、ルクスリアと呼ばれた男は肩を竦める。その軽薄な笑みが、インウィディアは昔から――あの『アジト』に居た頃から、嫌いだった。いやらしく上がった口角も、常人よりも長い舌がぬたりと己の眼鏡を舐めるのも、その奥で笑んだ、爬虫類の鱗のような緑の瞳も――どれもこれも不気味で嫌いだ。彼の、左側だけセミロングに伸ばした黒髪だって、絶対にセンスが悪い。裸に直接羽織った丈足らずの上着は前も閉めずに腹筋を晒し、ズボンの下に下着は無いだとか言われて、セクハラだってされた。インウィディアにとって、アーリマンやアケディアは恐怖だ。だが、ルクスリアに対するものは、何よりも嫌悪があった。

 ――こんな、軽薄で嫌らしい男より、弱い自分が悔しい。

 インウィディアは歯噛みする。それでも気丈に、闇の魔力で作った防御壁を背に、ルクスリアを睨み上げた。

 ルクスリアが笑う。

「つれないねぇインウィディア。俺達は同胞じゃねぇか? お前だって、スペルビアには懐いてただろ?」

「……気安く、呼ばないで。一緒になんかされたくない。それに、スペルビアは……貴方とは、違ったもの」

 ――皆、怖かった。嫌いだった。平然と人を殺し嬲る彼等が恐ろしかった。ただ、スペルビアには違っていた。彼が誰かを傷付ける時、その笑顔が、苦しく歪んでいることを知っている。人を傷付けたくないと泣いた自分に、黙って毛布をかけて、彼の部屋に匿ってくれたことを覚えている。

 ――彼を突き放したことを後悔はしていない。自由になることを己は選んだ。それに抱くべきは後悔ではない。後悔なんて、しない。したくはない。

 だから――助けだって、求めるわけにはいかない。自由を選んだなら、自分で立たなければならないのだ。

 インウィディアが黙って、ルクスリアへの睨みを強くする。にたにたと笑っていたルクスリアは、「そうかよ」と言って。


「命令にお前のことは含まれてねぇけど、壊すなとも言われてねぇしなぁ」


 ふ、と、表情が失せた。

 インウィディアの背筋が凍る。重圧が小さな肩を押し潰す。

「アスモデウス」

 名を呼ばれ、山羊のような魔物が片足を持ち上げる。インウィディアはこの魔物をよく知っていた。『自分達』に与えられた、Aランクの中でも特に戦闘能力の高い――『特級』。

 村を潰した蹄が、インウィディアの額目掛けて、墜ちる――


「ウィディ!!」


 その蹄は、インウィディアの頭を潰すのではなく、彼女の目の前に現れた闇の渦に飲み込まれた。地響きと、ごう、と土煙が舞う。上空から、豪速球で何か物体が降ってきたような衝撃。

 ――煙が晴れた時、インウィディアの前に、純とレオン、アカザ、そして酷く息切れしたメルエージュが立っていた。

「――っハァッ、げほっ」

 うち一人、メルエージュは直ぐに崩れてその場に倒れ込み、咄嗟にインウィディアが抱き留める。

「メル……!?」

「メル、私達をここまで運ぶのと、着地のためのバリアもしてくれたんだ。怪我とかじゃないけど、休ませてあげて」

 慌てるインウィディアに、純がそう声をかけた。アカザが風の陣を作り、インウィディアの防御壁を強化していく。

 アスモデウスは――蹄から、どんどん闇の渦に飲まれていく。その頭に乗っていたルクスリアが飛び去ったと同時に、アスモデウスの全身を飲み込むと、渦は小さくなって消え失せた。

「っ、はぁッ!」

 がくり、とレオンが膝をつく。軽やかに着地したルクスリアが鼻を鳴らした。

「ははぁ、お前がレオン・アルフロッジ? へーぇ、随分闇魔術に慣れてきてんじゃん。特級つっても所詮Aランクじゃ『干渉』されちまうかぁ」

 バテバテだけど、と付け加えて、ルクスリアは笑う。見下ろされるレオンは、息を切らしながらも目の前の敵を睨んだ。

「けどいーのかよ? お前も闇属性なの隠してこの村に居たんだろぉ?」

「……ウィディだって、力を使ってまで村を守ってくれたのに、オレだけ逃げるわけにいかないだろ」

 インウィディアの不安げな目を受けながら、レオンは吐き捨てる。

 レオンも――そして、純もアカザも、守られている村人の目にはとっくに気が付いていた。それでもと、目の前の男を睨みつける。

「ふぅーん、ま、別の場所に飛ばされたって、もっかいアスモデウスを召喚すればいいだけだけどぉ」

「っ!?」

「……ま、頑張りに免じてそれは勘弁してやろっかな。村の殲滅が目的じゃねぇしぃ」

 長い舌で舌なめずりして、悪魔のように笑う。そうして伸ばしたその手に――闇が渦巻いて、それは一本の太刀となっていく。

「……貴方も、闇属性を……」

 刀を構え、純が唸った。

「貴方は、一体何者なの……!? なんでこの村を襲ったんだ……!」

 きょとん、とルクスリアの目が丸くなる。そうして――堰を切ったように、大声で笑い出した。

「――っはははは! 今ここでそれを聞くんだ!? 傑作だなぁ!!」

 笑い出した意図が分からず、純は警戒を強める。刀を握り、睨みつける少女に、ひとしきり笑って疲れた息を吐き出して、また、にたりと笑う。

「――いいぜ、答えてやるよ。俺の名はルクスリア。『色欲』を冠する――」

「……っ、まさか……黙ってよ! ルクスリア!」

 口角を吊り上げて、そう放った男に――インウィディアが、青ざめて、叫んだ。

 だが即座にルクスリアが彼女を睨む。びくり、と肩を跳ねさせて、インウィディアは怯んだように口を閉ざした。

 ルクスリアが笑う。


「『Sランクの魔物』だ」


 ――Sランク。

 それは、純も聞いたことがある。魔物のランク付けの最高クラスであり、伝説レベルにしか記録されていないもの。

 パルオーロの書物で読んだ記憶がある。英雄伝説にて語られる、『魔王』、それだけが現在、Sランクの魔物として記録されているのみであると――

 否、それよりも。何よりも――

「魔物、だって……?」

 有り得ない。それが、真っ先に純の頭を支配した。だって、今まで出会った魔物とは、EランクからAランクまで、全て動物や幻獣の形をしていて。人語など解することはなくて。

 ――目の前に居るのは、どう見ても、ひとなのに。

 ルクスリアの嘲笑が村に響く。純達にはそれが、嫌に大きく聞こえた。

「信じられねーなら見せてやろうか?」

 嗤い、ルクスリアはくるりと軽やかに純達に背を向ける。そうして、手に持つ太刀の切っ先で、丈の短い服の裾を捲りあげた。

 そうして見えた背中――どう見ても、にんげんのそれだ。羽根が生えている訳でもない、刺がある訳でもない。鱗や毛皮だって存在しない。

 だが、たった一つ、存在しないはずのもの。存在しては、いけないもの。

 ――両肩甲骨の間。そこに、『刻印』が、赤く怪しく、光を纏っていた。

「――っ、んなわけ……ッ! 魔物には、感情が無いんじゃねぇのか……!」

「ああそうだな? Aランクまでの『雑魚』には無いとも。けどよぉ、言っただろ? 俺は『Sランク』だってなぁ」

 咄嗟に絞り出したようなアカザの声を、ルクスリアは容易く切り捨てる。膝をついたまま、レオンが震えていた。俯いたその体は、先程の疲労のせいではきっとない。

「で、も、そんな、それじゃ――」

 ――それじゃあ。

 ――人間の形の魔物が、存在するというのならば。

 その先の言葉を、レオンが発することは無かった。背後で、インウィディアが青ざめている。それと同じか、それよりも、レオンの顔からは血の気が引けていた。


「――お前らにとって魔物とは何だ?」


 ルクスリアが、わらっている。

「血が出なけりゃ魔物か? 感情が無けりゃ魔物か? 人型じゃなけりゃ魔物か?

――暴論だなぁ! お前らは二つ足で歩けなけりゃ人間じゃないと宣うか!?」

 再び、ルクスリアは大声で笑い出した。喧しい。喧しいと思うのに、それを止める手立てがない。純も、アカザも、武器を構えたまま動けない。レオンはもう俯いてしまっている。メルエージュだけが、疲れ切って鉛のような体を引き摺って、インウィディアを抱き締めた。

「それを『それ』と定義するのに必要なのは何だと思う? 知能か? 見た目か? 能力か? お前らは俺を人間だと思うか? よぉく見てみろよぉ!」

 高笑いして、ルクスリアは太刀を翻した。その切っ先を自らに向ける。自らの、腹に向ける。そうして、勢いよく貫いた。

 血潮が舞う。にんげんと同じ、赤い色をしていた。

 腹を切り開いた太刀を、ルクスリアは投げ捨てる。そうすれば、闇の魔力で出来たそれは一瞬で掻き消えた。相変わらずわらいながら、己の腹に手を突き入れる。そうして、その手は腸を引き摺り出して、見せた。

 見せ付けられる。純達の目の前に、にんげんの内蔵が。自らのそれを見せ付ける、それはあまりにも狂気的な光景で。誰かが呻く。酸っぱい臭いが、純の鼻の奥をついた。それは、誰かが吐いてしまったのかもしれないし、純の喉にこみあげていたものかもしれない。純は、知らずのうちに、歯を食いしばっていた。耐える、ために。


「――なぁ? 俺はそんなにも、人間みたいな形をしているか?」


 それは、あまりにも、ばけもののようだった。


「……あー? 何? シケた?」

 血の気を失せさせて言葉を失った純達に、ルクスリアは溜息を吐く。肩を竦めて、引きずり出した腸をぐいぐいと自分の腹に戻した。

「あーあーやだねぇ、もう少しわーきゃー騒いで欲しいわー。はしゃいだ俺が恥ずかしいじゃん」

 そうぶつくさと言う、その姿は本当に、そこらにいる人間と全く同じに見える。だが、腸を詰め直し、血塗れになった腹を指でなぞると同時に傷が癒えていく姿は、とても人間のものでは有り得ない。

「……もういいや、本題いこうぜ。ファレルとか言う奴を探してんだ、この村に居るんだろぉ? そいつが持ってるネックレスを回収してこい、だってさ」

 その言葉に、ハッと純は意識を引き戻される。そうして、ルクスリアを睨みつけた。相手がどういうものだろうと、村を壊した敵を許すわけにはいかない、と、自らに言い聞かせるように。

「ファレル……さんは、もう死んでる。この村に、貴方が欲しがるものは無いよ。さっさと出て行って……!」

 刀を構え、純は吼える。戦って、勝ち目はないことはわかっていた。相手がなんとか、目的を失い、退いてくれることだけが希望だ。

 ――目の前の男の人格性として、その希望が薄いことが分かっていても。

「……ふぅーん」

 ルクスリアが目を細める。そして――直後、ボコォッと、純の足元の地面が割れた。

「っ、わぁっ!?」

「ジュンちゃん!?」

 純の足元を割り、伸びた黒の触手は彼女を拘束して空中にて締め付ける。ルクスリアの影が、彼の背後から地面を通って伸びていたのだと、空中から見下ろしたことで知った。先程までルクスリアが立っていた場所の後ろに、穴が見える。

 ――ルクスリアは、空中に捕らえられた純のすぐ側にまで、同じく黒の触手を伸ばして足場にすることで、やって来ていた。

「っ……離せ!」

「威勢がいいねぇ、そういう女嫌いじゃないぜ」

 ルクスリアが嫌らしく笑う。そして、無駄だと知りながらも身を捩り出来る範囲で暴れる純に、顔を近付けた。息がかかるほどの距離に、ぞくりと純の背筋が凍る。


「――お前、持ってるな?」


 何を、とは、言われずとも分かってしまう。即座に否定できれば良かったのに、純の喉は、引き攣って震えない。

「ジュンちゃんを離しやがれ!」

「ジュン……!」

 アカザの矢とレオンの闇の弾丸が、純を拘束する触手とルクスリア本体目掛けて飛んでくる。だがそれらは、ルクスリアが操る闇の魔力で防がれてしまった。

「弱いくせにいきがんなよ、早漏か?」

 それには終わらず、攻撃を弾き返した魔力は、蔦となって目にも止まらぬ速さで二人を弾き飛ばす。弾き飛ばされ、二人は遠く、焼き焦げた木に叩きつけられた。

「レオン、アカザ……ぐッ!」

「おいおい、最中に他の男を呼ぶのはマナー違反だぜ」

 声を上げた純の顎は、ルクスリアに掴まれて無理矢理顔を向けさせられる。

「さぁて、ネックレス、どこに隠した?」

 べろり、長い舌で頬を舐められ、純はぞわりと寒気に襲われる。だがそれで終わらず、拘束していた触手が、細く分かれて彼女の服の中を這い回ってきた。吐き気がするほど気持ち悪いのに、身はひとつも動かせない。

「――っこの、変態……っ! 離せ……!!」

 この男の股間を蹴り飛ばしてやりたい。無理だと分かった上で、脚に力を込めた。

「おっと」

 ――しかし、その前に、戒めはあっさりと解かれることとなる。どこからか飛んできた赤い一閃が、ルクスリアの闇の触手を裂いたのだ。純は解放されて、ぐらり、落ちる。

 着地の衝撃は無かった。インウィディアが咄嗟に、闇の魔力で受け止めてくれたからだ。ルクスリアのものとは全く違う、優しい感触だった。

 相変わらず闇の魔力を足場に、上空に居るルクスリアは――落ちた純ではなく、己の背後を遠く眺めている。

「……妨害はしといたんだけどなぁ? さっすが騎士様、つーか……ま、いっか」

 そんなことを呟いて、だが、ルクスリアは握り拳をぱっと開いた。

「目的は達した」

 その指には、碧い、美しい石のネックレスがぷらり、引っ掛かっている。

「――っ!」

 慌てて純は自分がネックレスを入れた所を叩くが、空の感触があるだけだ。

「っこの! 返せ!」

 純が吠える。ルクスリアはそんな声などどこ吹く風で、じろじろとネックレスを眺めていた。

「……なぁーるほどなぁ……そういうことか。ははぁーん……」

 そう、呟いて。

 ルクスリアはくるりと振り向いて、ネックレスを投げた。

「――っ!? あぶなっ」

 慌ててネックレスを受け止める。見やると、石にも傷などは入っておらず、綺麗なままだった。ルクスリアが上から笑う。

「それ、いいや」

「……は?」

「お父様には無かったって言っとくわ。お前が持ってる方が面白そうだ」

 あっけらかんと、そんな事を言って。

 ルクスリアの真横に、闇が渦巻く。それは門のような形になって、丁度、成人男性一人が入れるような大きさにまで形成されていく。

「あぁ、でも残念だなぁ? 俺は『メンバー内』じゃ第五位、俺の上に四人もいるんだぜ? お前等この調子で大丈夫なわけ? あ、ちなみにスペルビアが第三位な」

 余計なお世話だと、純は歯噛みする。聞いてもないのにお喋りな男だ。そう、苛立ちが抑えきれない。

「じゃあな、次は俺をイかせられるまでいかなくとも、勃たせるくらいできるよう頑張ってくれよ?」

 言葉の意味は、純には半分も理解出来なかった。ルクスリアが入って消えた闇の門は、小さくなり、やがて何も無くなってしまう。

 ――静寂が満ちる。夜闇だけがある。星空が、嫌に綺麗だ。

「っ、レオン、アカザ……!」

 気を抜きかけて、弾き飛ばされた二人のことが意識に戻る。抜けそうな腰を立たせ、飛ばされた方へ走ると、二人、木にぐったりともたれかかっていた。

「ちょっ、大丈夫!?」

「……生きてる、ぎりぎり、防御はした……」

 衝撃を殺しきれなかったけど、と付け加えて、レオンが咳き込む。アカザもまた、咳き込みながら、「畜生」と唸った。

「あの野郎、次は絶対、股間ぶっ刺してやる……」

 悪態をつくアカザも、傷だらけではあるが大丈夫そうだ。純は安堵の息を吐いて、二人に手を差し伸べた。


 ――ガンッ


 そんな音に、純は咄嗟に振り向いた。見えたのは、こちらへと歩み寄ってきていたインウィディアが倒れている姿。頭からは、先程までには無かった鮮血が流れ出して、彼女の傍に石が転がっている。

 ――石を投げられた。そう気付くのは、二発目が放たれるのとほぼ同時だった。純は駆け出して、インウィディアを庇って覆い被さる。背中に痛みが走った。

「出テ行け」

 嗄れた声。村の、老人らしい。

「いたっ」

 レオンの声がした。レオンの方にも投げられたと、見なくてもわかる。インウィディアを庇う純の背に、さらに痛みが増えていく。

「出て行ケ! 村から!」

「悪魔の子メ! お前達が災厄を呼んだんだろう!?」

「アンタ達のせいダよ! アンタ達のせイデ村が!」

 若い男性の声、女性の声が混ざっていく。そこに子供の声が無かったのは、救いなのか、純にはもう分からなかった。背中が、痛みを通り越して、最早熱い。

「ちょット……! やメテよ! 皆、ウィディが守ってくレテたんでショ!?」

「うるサイ! そもそもこの村に悪魔の子が来なケレば!」

 メルエージュが静止する声も、村人達を止めるには足りない。

 ――分かっている。そう、純はインウィディアを庇ったまま、拳を握り締める。住んでいた家が、村が壊されて、何かのせいにしなければやってられないんだということも。怒りにしなくちゃ、絶望から逃げられないんだということも。分かっているし、理解は出来る。

 ――だけど、こんな事って――

「――第一! さっキノ男は魔物だって言うじゃナイか!」

 村人がまた、一人、叫んだ。

「人間と同じ姿をシタ魔物が存在するなンテ、そンナの……!


――魔物と、闇属性の人間、何が違うッテ言うんダ!!」


 ――ルクスリアが、笑った理由を理解した。こうなることを見越していたのなら、もう、とんでもなく性格が悪い。

 ――見越して、いたのだろう。ならば、こうなったのは、軽率な発言をした自分のせいなのかもしれない。そんな思考さえ、純の心を蝕んでいく。

 純には最早、笑うことしか出来なかった。背が、熱い。きっと服は血で濡れている。

 村人の非難の声が大きくなっていく。投げられる石が止まない。

「――静マレ!!」

 ――それを、止ませたのは一つの声だった。

 純はゆっくりと顔を上げる。レオンも、レオンを庇うように身を乗り出していたアカザも、また顔を上げて声の主を見た。

 声の主――エリュファス村村長、メイズラドが、傷だらけで息を荒くしながらも、立っている。きっと彼も純達が到着するまでの間戦っていたのだろうと、想像に難くない姿だった。

「今すベキことを取り違えルナ、愚か者共。エリュファス村の誇りを穢すつモリか」

 彼は、重く、吐き捨てる。村長としての威厳をもって、村人達を睨みつけた。

 そして――娘、メルエージュを見る。メイズラドは一匹の蝶をメルエージュの周囲に飛ばせた。蝶は、くるくるとメルエージュの足から頭まで飛び回り、飛び回るごとに輝かしい白色から鈍い灰色になっていき、やがて消え失せる。

 反対に、メルエージュは疲労が取れたようにぱっちりと目を開かせた。そんな娘に、溜息をついて、ついと純達を指し示す。

「……余所者達ヲ、離れへ。扱いは任セル」

「ソレって、ワタシが治してもいいッテことよネ?」

「二度言わセルな、早くシロ」

「アリガト、パパ! 大好き!」

 メルエージュが飛び跳ねて、純達に駆け寄った。純は自力で立ち上がり、気絶しているインウィディアをメルエージュに任せて、レオンとアカザに歩み寄る。彼等もまた、お互いに肩を貸しあって、立ち上がりつつあった。

「離れハ、ワタシの家の裏ヨ。そこで休みまショ」

 そう言って、インウィディアを背負ったメルエージュが、眉を下げる。

「ごめんなさい」

 メルエージュが謝ることではないのに、誰よりも申し訳なさそうな顔をした彼女に、純達にかけることが出来る言葉は無かった。ただ、首を振って、彼女について歩いていく。

 夜空は雲が増えて、星も見えなくなっていた。

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