第二十六話:受け継ぐこと

 後悔しよう。

 お前を傷付けてきたことを。

 懺悔しよう。

 真実から目を背けていたことを。

 冀望しよう。

 お前が幸せであることを。


 左様なら、世界で一番優しい子。



第二十六話:受け継ぐこと



 洞窟内は沈黙に満ちていた。

 闇属性とバレてしまった――その恐怖でか、レオンは俯いて一言も発さない。純から見て背を向けているために表情はわからないが、メルエージュもまた、レオンを見つめて何も言わない。アカザはどこか警戒した様子で、彼等の動きを観察している。おそらくは、メルエージュがレオンに敵意を見せた時、直ぐに守れるように。

 純は、どうするべきか、何を言うべきか、何もわからずに見守るしかできない。全ては、メルエージュの次の行動にかかっていた。

 ――メルエージュの体が、僅かに震えている。彼女はとうとう、ぱかり、口を開いた。


「――カッコイイ……!」


「……、えっ」

 レオンが目を丸くして顔を上げた。

 ――彼の視界にまず入ったのは、豊満な胸であった。

「――っんぶぅ」

 レオンの、潰れたような――実際に、飛びかかったメルエージュの主に胸部の脂肪によって潰されたのだが――声が間抜けに響く。

「凄イわレオン! またワタシの事助けてクレたのネ! アリガト! 大好きー!!」

「め、メルちゃんメルちゃんそれはちょっとうらやまし……じゃなくて! レオンが息出来てない! 離れてやって!!」

 一足先に混乱から復活したアカザが慌てて静止に入る。呆然としていた純もまた、その声でハッと我に返った。メルエージュに抱き着かれ胸を顔に押し付けられ頭に頬擦りされているレオンが、ガチガチに固まって、可哀想な程に真っ赤になっているのが見える。赤い顔は酸素の不足も手伝ってはいるだろうが、何よりも女性慣れしていないが故だろう。

「アラ、レオンったら照れチャッテ、可愛いワ!」

「えーと……メル、属性に関して何も言うことないの……?」

「属性?」

 きゃっきゃっと可愛らしく喜んでレオンを抱き締めるメルエージュに、純は思わず声をかけていた。メルエージュはきょとんと目を丸くして、純を見る。

 そして、優しく微笑んだ。

「いぬのことも、レオンのことも。皆は仲間思いで、ソウして、心配性なノネ。素敵ダシ、正しいワ。実際、いぬを見て魔物だって騒がレルことも、闇属性だって迫害さレルこともいっぱいあるはずダモの。ここがワタシ達しかいナイ洞窟でヨカった。村だったら大騒ぎダワ」

 きゅう、とメルエージュはレオンを抱き締める力を強める。それは、子供を宥める母のようでもあった。

「ワタシは大丈夫。レオンがワタシを守ろうとシテくれたって、ちゃんト分かってるモノ。だから大丈夫ヨ。アリガト、レオン」

 目を見開いて、やがて、レオンの体の力が抜けていく。メルエージュの背にも回せず、行き場を失って宙を彷徨っていた彼の両手は、ぽとん、と軽く地面に落とされた。

「――つまり、俺達が必死に隠そうとしてたのは杞憂だったってわけかぁ」

「アラ、杞憂は良い事ダワ!」

 肩を竦めるアカザに、メルエージュはくすくすと笑う。純の口角も、知らずの内に上がっていた。

「……杞憂は、いいけど、そろそろ、離れてほしいな……」

 感情の起伏が落ち着いて、レオンには羞恥心が舞い戻ってきたらしい。か細い声で懇願する声に、とうとう、純とアカザの笑い声が洞窟内を反響した。



「――それじゃ、気を取り直して」

 暫し後。

 ごほん、と咳払いをひとつして、乳房の圧迫から逃れたレオンが声を張る。しかし未だに彼の顔から熱は抜け切ってはいないのが、取り繕った威厳を失わせていた。

「精霊獣を倒したし、これで村長さんに言われたことは果たしたってことでいいんだよね?」

「そうネ! 証拠も兼ねて、蒼の鏡を復活させちゃいマショ!」

 レオンの問いに、メルエージュは元気よく答えた。彼女はアカザから鏡を受け取って、軽い足取りで奥の泉に近付く。泉の付近を飛び回る薄明の蝶は、人の接近など素知らぬ顔で、幻想的な風景のひとつとして光を零していた。

 純達もまた、メルエージュを追って泉の前へと歩み寄る。そうして気付いたが、泉の水は透明ではなく、薄い蒼色をしていた。空が、水面に浮かんでいるようだった。

 泉の前で、メルエージュは膝をつき、鏡を水に浸す。

 ――鏡の周りを縁取る珊瑚が、光を反射して煌めいた。それはやがて泉の色を吸い込むように蒼空の色を宿していく。鏡に映る水面の揺らぎが、そのまま、蒼の鏡を海と成す。

「アっ」

 メルエージュが短く声を上げた。鏡が彼女の手を離れ、ふわり、ひとりでに浮かび上がったのである。それはくるりと空中で回転し、鏡面を純達の方を向けて止まった。

「……聞いた事がアルわ。蒼の鏡は、隠された真実を照らす力を持っテイるんダって」

 メルエージュが呟くように声を落とす。鏡が煌めいて、淡い光を宿す。

 ――鏡に映るのは、目の前にいる純達ではなかった。

「これは……、森の奥? この洞窟の裏側ダワ。でもこんなトコ何も無いケド……」

 メルエージュが呟いた。その声に応じるように、鏡はさらに、森の奥をその身に移す。

 奥へ、奥へ――そう、遠くではない。

 鏡の中。映された森の、木々の隙間――そこに、黄金色に輝く球体が覗いていた。

「……トパーズ?」

 呟いたのはアカザだった。木々の根に絡まって、球体の宝石が輝いている。根に、と言ってもこの森の木々は巨大である。それを考えると、鏡に映るそれはかなりの大きさの――ともすれば直径2mはあるかもしれない。

 そこまでで、蒼の鏡は光を失う。それはゆっくり下降して、再びメルエージュの手に収まった。

 ――そして、その手の中に飲まれるように、消えていく。

「……えっ!?」

 メルエージュが慌てて手を振った時には、既に鏡は完全に彼女の中に入ったように、その姿は消えてしまっていた。

「か、鏡が中に!?」

「ど、どうしマショ! コレ、レオン達が持って帰るノヨね!?」

「それはいいんだけどよ! え!? メルちゃん体大丈夫か!? なんか気持ち悪くなったりしてねぇか!?」

「大丈夫ヨ、何とモナいワ!」

 純、アカザ、メルエージュがわたわたと騒ぐ。しかし、鏡がメルエージュの中に収まった事実は覆らず、出てくる様子もない。

「……もしかして」

 その中で、レオンがぽつり、呟いた。

「メルが、蒼の鏡に選ばれたのかな……?」

 場の視線がレオンに集まる。それに気付いて、慌ててレオンは手を振った。

「いやあの、もしかしてなんだけどね? ほら村長さん言ってたでしょ、『二百年前まで力有る者に受け継がれて使われてきた』って……その後継者がメルオディア様だったみたいだけど、次の後継者として、メルが選ばれたんじゃないかなって」

「……成程ダワ……でもどうしまショ、コレ、皆が持って帰る予定だッタのニ……

……そうダワ、ワタシも皆と一緒に行けバいいノヨ!」

「え!?」

 名案だとでも言うように明るく言ったメルエージュに、今度はメルエージュ以外の三人が声を上げた。メルエージュがぱちくりと目を瞬かせる。

「ダメかしラ?」

「いや戦力としてありがたいし、私はいいんだけど……いいの? 村の人達に反対されない?」

 純の言葉にレオンもアカザも同意見らしく、顔を見合わせる。対して、メルエージュはにっぱりと笑った。

「大丈夫ヨ! 何とかしてミセるわ! ワタシ、ずっと広い世界を旅してミタかったノ!」

 輝く笑顔で喜ぶメルエージュに、純達の顔にもつられて笑みが浮かぶ。メルエージュが仲間に加わること自体に、誰も文句はなかった。きっとさらに賑やかになって、楽しい旅になるだろう。

「さて」

 話はまとまったところで、と言うように、アカザが声を上げた。

「どうする? 村に戻るか? さっき鏡で見えたのも気になるが」

 その言葉に、全員で顔を見合わせる。まず、メルエージュが口を開いた。

「多分この洞窟の裏の森ダワ。ココからならすぐヨ。それにあれが本当にトパーズなら……」

「もしかしたら、『空白の歴史』の間にラーフィット大陸からエリュファス村を移動させたトパーズそのものかもしれないよね」

 言葉を引き継いで、レオンが真面目な顔で言う。メルエージュが頷いた。

「250年前――『空白の歴史』が始まる前まで、エリュファス村がラーフィット大陸にあった記録はあルシ、『空白の歴史』の中期にエリュファス村は移動したってイウ推定は確かだって言われてルケど、『空白の歴史』が始まってから移動するマデ、そしテ移動してから『空白の歴史』が明けるまデノ記録は無い。


――それガ、トパーズの中に残っていタラ、大発見ネ」


 再び、四人は顔を見合わせた。誰ともなく、口を開く。

「行ってみよう、森の奥へ」



 空は、すっかり日が傾いていた。

 洞窟を出て、再び木々の根を踏み越えて進む。鏡に映っていた通りの光景だが、自らの身を投じることで実感は違っていた。

 洞窟までの道のりよりも、圧倒的に木々の密度が高い。

「ココまではアンまり人が来ないノヨ。生活のためには浅い所までで問題ナイし、迷いかねナイし……生き物も居ナイし、魔物の気配も無かったから、ずっと放置されテタの」

 だから見つからなかったのね、と、メルエージュは付け加えて言う。

 ――歩き続けた四人の前に、とうとう、鏡で見た通りの巨大な丸い宝石が現れる。根の中に埋もれて、絡まって、それでも輝きを失わず、僅かな木漏れ日を反射して煌めいていた。

「この魔力は……確かにトパーズだね。こんなに巨大なものがあるなんて……」

 レオンが呆然と見上げる。アカザも溜息をついて眺め上げた。

「大きさもだが……根にがっしり絡まってんな。百年以上放置されてたなら仕方ねぇけど……こりゃ持ち帰るのは無理だな」

「後でリックに報告しよう。リシュール王国から考古学団が派遣されるかもしれない」

 そう言って、レオンはトパーズに歩み寄る。両手を球体に添え、目を閉じた。

 暫しの沈黙。

「……保存反応確認。中に何かある……、取り出すね」

 全員が頷くのを確認して、レオンは呪文を唱える。

 ――トパーズが、淡く輝いた。

 ぐわん、と、純達の隣にあった木々が湾曲する。

 トパーズの中に収められていた『空間』が、木々を押し退けて、現れる――


 そして、四人の目の前に現れたのは――ひとつの、小さな家だった。

 石造りのそれは、乾燥でかヒビが入り、所々劣化して崩れそうだった。最早、家としての機能を果たしてくれるかは怪しい。純は建築には詳しくないが、レオンの家やリックの家とはまた違うように見える。リシュール王国で見た家々がヨーロッパ的であるならば、目の前のこれは砂漠が似合うと言えばいいだろうか。

 扉はなく、一部大きく崩れて出来た穴から中に入れそうだった。四人は頷いて、注意を払いつつ、中に足を踏み入れる。

 ――中は、半分ほど、崩れた石に埋もれていた。無事なのはおそらく寝室であろう小部屋だけである。

 その小部屋だけが、他よりも綺麗に残っていた。壁沿いに置かれた机、棚、そして寝具であろう、他よりも高く作られた台。その上に――薄汚れた布を、おそらくは毛布として――横たわる、人骨があった。

「……この家に住んでた人かな」

 少々強ばった声だが、動転することもなく、レオンは懐から取り出した手袋をはめながら呟く。メルエージュが静かに、人骨へと祈りを捧げていた。

「ごめんなさい。貴方の家、少し調べます」

 一言、純は人骨に告げて、頭を下げる。当然、その骨が何かを語ることは無かった。



「……で、見付けたのはこの二つだな」

 アカザが息を吐く。四人が囲む、その真ん中に、二つ――小さな木箱と古びた分厚い冊子が置かれていた。

「冊子……これは日記だと思う。ラステン文字で書かれてたし、『空白の歴史』のあたりの物なのは間違いないよ。

ざっと目を通したけど、多分この家の……多分あの骨の人かな、その人の。マメな人だったんだろうね。ほんと、子供の頃から死ぬまでほとんど欠かさず書いてたみたいで……文量は多いんだけど……劣化が凄くて」

 レオンが冊子を拾い上げて「でもトパーズの中にあったおかげか、この期間放置されてた割には綺麗だよ」と付け加えて言う。

「リシュール王国の考古学団に任せたらもっと分かる事があるかもしれないけど……とりあえず、オレが解読できただけを話すね。

この日記を書いた人は『ファレル・リアム・ベルヴィッチ』。名前は表紙に書いてあった。多分、ラーフィット大陸の、『空白の歴史』前までは沢山あったって言われる国々のうちの、何処かの王子様」

「王子? それにしては家が粗末すぎねぇか?」

 アカザの疑問に、レオンが眉を下げて「ううん」と唸る。

「どうやら権力闘争で負けて、国を追い出されたみたいなんだけど……それについては、日記を読んだ方がいいと思う。オレが解読できた範囲だけど、読み上げていくね」

 そう言って、 レオンは日記を破かないよう慎重に捲る。最初の方は読めないのだろう、ぱらぱらと飛ばして、やがてその手が止まった。

「……『母上が兄上をよく叩くようになった。父上があの子供ばかり可愛がって母上や俺達に見向きもしないようになったからだと思う。』『兄上に、絶対にあの子供に王位継承権を奪われるな、といつも怒った。兄上は辛そうだ』」

 レオンはそう、静かに読み上げていく。

「『優しかった母上がこんなふうになってしまったのはあの子供のせいなんだろう。父上が妾にしたあの女が死に際に産んだ、見目だけはいいあの子供。あの子供がいなくなれば、母上は元の優しい母上に戻ってくれる』『母上も言っていた。あの子供が全ての害悪なのだと。あの子供さえ死んでしまえば、全て元に戻るのだと』『あれは悪魔の子なのだ。俺を兄と呼んでくるのが鬱陶しい。俺が母上と兄上を守らなければ』」

 そこまで読み上げて、レオンは一度顔を上げる。

「……この頃のファレルさんの歳はだいたい一桁くらい、みたい。多分、ファレルさんとそのお兄さんが王様と正式な奥さんとの子供で、もう一人、妾腹の弟さんが居たんだね。そして、その……美しい弟さんにかまけて、王様は奥さんを蔑ろにした」

 一度言葉を切って、レオンは、言いづらそうに口を閉ざした。だがやがて、また、言葉を紡いでいく。

「王族だし……正妻やその子供より妾の子供が愛されるっていうのは正妻の立場も危ぶませるものだったんだろうね。正妻――奥さんは怒って、狂って……その憎悪は、弟さん――妾腹の子供に向かった。そして、ファレルさんにも憎むように教えたんだろう」

 一種の洗脳だよね、と言って、レオンはまた顔を下げて、ぱらぱらとページを捲っていく。

「……『兄上が日に日に窶れていく。母上が叱咤する頻度が上がったからだろうか。兄上は凄い人だが、少し繊細なところがある。心配だ』『父上は、俺達を全然見てくれないで、あの悪魔ばかり気にかける。父上は母上を捨てて妾にしたあの女にそっくりなあの悪魔を、代わりに妾にしたいらしい』……この時代は男色も珍しくなかったんだろうね。

『母上もあんなに気を張ることはないのに。父上はきっとあの悪魔を王にする気は無い。自分の愛玩動物にしたいだけだ』『悪魔は最近、忌み子と仲良くしているらしい。不吉な組み合わせだ。両方死んでしまえばいいのに』……この頃は、多分十代前半」

 純もアカザもメルエージュも、口を挟むことは無かった。口を挟むことはできなかった。レオンは、また、ページを捲る。

「『悪魔がどんどん力をつけている。俺にも危険な状況なことはわかった。母上が昔やっていたように、何度も刺客を送り付けたが、全部あの忌み子に殺されているらしい』『兄上がまた痩せてしまった。父上は数日前から一気に生気を失っている。あの悪魔になにかされたのだろうか。昔はあの悪魔をよく部屋に呼び付けようとしていたのに、今では父上が悪魔から逃げているように見える』『大臣が、次の王はあの悪魔だろうと話していた。勝手なことを。王に相応しいのは兄上のはずだ』『やはり幼いうちに殺しておくべきだった。あの忌み子が邪魔だ』」

 そこまで、ページを捲りながら読み上げて――レオンは一度動きを止めた。だが、少しの後、また喉を震わせる。


「『兄上が自殺した』。


……ここまでが、十代後半か二十代前半、だと思う。ここからは暫く、日記自体書いてないみたいだね。でも、まだ続きがある」

 そう告げて、ページを捲る。

「……『国から逃げて、数ヶ月になった。この日記を開くのも久しぶりだ。読み返すと、あの悪魔のことが多くてなんだか腹が立つ』『王位継承権は結局あいつが奪い取った。兄上や母上が死んでしまうほど苦しんだのはあいつのせいだ。今でも思い返すと憎くて仕方が無い』『悪魔が統べる国などきっと悲惨な滅びを迎えるだろうと言い捨てたが、あの悪魔は負け犬の遠吠えだと嗤っているのだろうか』

『わからない』

『あの日、廊下でそう言い捨てた時、あいつはどんな顔をしていただろうか』」

 レオンはまた動きを止めて、顔を上げた。

「……権力を強めた弟さんに、ファレルさんは国を追い出された。そして放浪して……ある村で暮らし始めたみたい。多分それが、昔のエリュファス村なんだと思う。

……続きを読むね。『今日村の子供に無理矢理連れ出されて遊びに付き合わされた』『とても疲れた』『だが、昔兄上と遊んだ時のようで、悪くはなかった』」

 ぱらり、ページが捲られる。

「『庶民の生活も悪くないと思えるようになった。王家の時より貧相な日々だが、ずっと気楽だ。だが、最近物騒な噂も耳にする。どこぞの国が、死なない軍隊を創り出したとか。もう争いは十分だ』『メアリとマークが明日結婚する。祝いの品を喜んでもらえるといいのだが』」

 レオンがひとつ、息を吐いた。

「……『あの国が滅びた』『例の、死なない軍隊に滅ぼされたらしい』『あいつも死んだのだろうか。腹違いの弟。そういえば、弟と呼んだことは一度もなかった』『あいつはやはり悪魔だったのだろうか』『だが、何故だか、国が滅びてもざまあみろとは思えなかった。あんなに憎かったはずなのに、何故だろう』

……『庭で、美しい碧い石を見つけた。宝石のようだが、サファイアでもアクアマリンでも無さそうだし、力も感じられない。綺麗なだけで何の役にもたたないだろうと、マイルドは言っていた』

『弟の目の色のようだと思ってしまって、俺はそれを捨てられなかった』『石のままでは扱いにくかろうと、メラリアがネックレスにしてくれた』」

 ぱらり、もう、ページを捲る音も気にならなくなっていた。

 純は手元の木箱を手に取って、蓋を開けてみる。

 ――碧い石が、紐を付けられてそこに収められていた。大事に保存されていたのであろう、傷も、くすみもない。

 成程、美しい石だった。冬の晴れ渡る蒼空にも、薄氷にも、透き通る海にも喩えられそうな。

「『魔王によって、どんどん、いろんな国が滅ぼされていく。この村も危ないだろうと、皆怯えている。死なない軍隊を持っていた例の国は魔王に滅ぼされたようだ』

『やはり、弟は悪魔ではなかったのだろう。むしろ、悪魔は、俺だっただろうか。1歳しか違わないとはいえ、幼い子供を、執拗に傷つけた』『歳をとったからか、昔の自分を思い返すと、罪ばかり数えてしまう。あいつは俺を憎んでいただろうか』『兄上より、あいつより、全て失った負け犬の俺の方が長く生きているとは皮肉なものだ』

『魔王は随分多くの国や村を滅ぼした。最近村長になったメルビードが、村を捨てて移住しようと決めた』

『俺はこの村に残ることにした。年老いて、足腰が弱った。移動に耐えられるとは思えない。皆、手伝うと言ってくれたが、俺は辞退した。国から逃れた俺を受け入れてくれた村だ。余所者を嫌う性分だと言うのに、哀れんで受け入れてくれた。大事な村だ。老い先短い命なら、ここで死んでしまってもいいだろう。俺と同じように、数人の老人が村に残った』『俺と同じくらいの歳に見えるのに、実際は俺の二倍であるのは笑える話だが』

『久しぶりに家を掃除した。腰が痛くなったが、なかなかに綺麗になった。隅にしまっていた箱からあのネックレスが出てきて、移住する若い者にくれてやればよかったと後悔した』『弟の瞳によく似たこの石に、世界を見せてやればよかった。弟は、結局あの国に縛られたまま死んだのだろう。縛ったのは、父であり、俺だったのだろう』」

 ぱらり、ぱらり、ページはもう、残り僅かになっていた。

「……『きっともう長くはないと、自分の体のことは自分が良くわかる。こうして机に向かい、ものを書くのも億劫だ』『この日記を遺書替わりにするのは、過去のページを見られることを思うと恥ずかしいが、他に使えそうな紙が無いから仕方が無い』」


「――『もしもこの先、誰か、若い人間がいいが、この世界を旅するような人間に、この文が読まれたなら。どうか、あのネックレスを首に下げ、旅をしてほしい。あのネックレスに世界を見せてやってほしい』」


「『国に縛られたまま死んだ弟が、こんなことで救われるとは思わない。俺が許されることもないだろう。あの子を、弟と呼ぶことも烏滸がましい。それでもいい。俺の自己満足だ』

『俺はこの村に逃れて、伴侶はいなかったが、それなりに幸福だった。身に余る幸福だ。こんな俺が幸福になったのだから、兄上や、弟は、もっと幸福になるべきだった。彼等の魂が、救われることを祈る』」

 ――それが、最後のページだった。

 レオンは丁寧に、冊子を閉じる。誰かが息を吐いた。

「……魔王、に、死なない軍隊……気になるワードも出てきたな。英雄伝説で語られてるように、魔王は実際に色んな国を滅ぼしてた……エリュファス村が移動したのも、魔王から逃れるため、か?」

「うん、この日記は重要な資料だよ。読めない部分も解読出来れば、また一歩『空白の歴史』に近付くかもしれない」

 アカザの言葉に頷いて、しかし、レオンは「でも」と加える。

 その先の言葉は、純もアカザもメルエージュも分かっていた。


「これは、『空白の歴史』の資料ってだけじゃない。空白になった歴史でも確かに生きていた、ひとりの人の生きた証だ。過ちもして、後悔もした、ひとりの人の人生だ」


 それだけの重みがあった。

 紙でどれだけ数字を連ねても伝わらない、にんげんの重みだった。

「……歴史が、消えるって、さぁ」

 膝に抱えた木箱。その中のネックレスを見つめながら、純は呟く。

「皆の人生が、消されちゃうってことなんだね」

 全員が、無言のうちに同意していた。

 ――簡単に、消されていいものでは無い。だからこそ、解明しなければならないのだ、と。

「……皆が、鏡を持って、村に来てくレテ良かったって、ワタシ思うの」

 メルエージュが笑う。

「ファレルさんの言葉は、やっと届いタノね。消されタリされなかっタノね。それってとっテモ、素敵なコトだわ」



 ――話し合って、冊子はこの場所に、ネックレスに関しては、代表して純が身に付けることになった。冊子を残すのは後に来るであろうリックに、そして考古学団に託すため。ネックレスを持ち出すのは、ファレル・リアム・ベルヴィッチの願いを叶えるために。

 家は劣化を防ぐ為、なるべく元の状態で考古学団に託すためにトパーズに戻した。


 空はすっかり日が沈み、暗くなってしまっていた。純はそんな空を見上げて、うわぁ、と声を零す。

「暗……今何時だろ」

「深夜ってほどではナイと思うワヨ! この辺りは日が沈むのが早いカラ」

 そんな話をしながら、メルエージュが操る光の蝶を頼りに暗い森を歩く。いい加減純達も歩き慣れてきて、行きほど時間はかからなかった。少し歩いて、洞窟の辺りまで戻ってくる。

 ――その時、レオンがびくりと震えて、足を止めた。

「どうした? レオン」

 アカザが首を傾げる。純、メルエージュもレオンを見るが、レオンは目を見開いて、真っ直ぐにエリュファス村の方を見ていた。

「……闇の魔力を感じる。それも、複数……凄く嫌な感じだ、友好的とは言えないような……」

「なんだって!?」

「村には村の人も、ウィディも……! それにウィディも闇属性なんだよメル! もし村で闇の魔力を使うようなことがあったら……!」

 アカザと純がそれぞれ叫んだ。メルエージュは目を見開いて、少し、考えるように口元に手を当てる。だが逡巡はそう長くはなく、ばっと顔を上げる。

「……ウィディが闇の魔力を村で使ったりしたら、最悪、村の大人に殺されかネナいわ。そうじゃなくても、村が危ないコトに変わりはない」

 呟いて、メルエージュは幾匹もの蝶を出現させる。それらはそれぞれ同じ数だけ、純達三人の背にも飛び回った。やがて、蝶の群れは巨大な――洞窟にてアカザの背に生えたものと同じ――蝶の羽に成る。

「コレ、複数人にやるとスッゴくバテるんだけド! 温存とか言ってらんないワ! 急いで村に戻るワヨ!」

 叫んで、メルエージュは羽をはためかせて飛んでいく。それを追って、純達も村の方へと急いで飛び立った。

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