第二十五話:精霊獣の洞窟
きっと本当は、あの時、とっくにあなたに恋をしていたのでしょう。
第二十五話:精霊獣の洞窟
「昔はね、エリュファス村は海の民ダッたのヨ」
巨大な木々の根を登り降り、軽やかに飛び越えながら、メルエージュは言う。根を避け、なんとか追いつく純達には真似の出来ない身軽さで、メルエージュは根の上から追い縋る三人を見下ろした。
――村を出て、どれほどの時間が経ったのだろうか。奥まった森は木々の密度を高め、足場は悪くなっていく。息を吐いた純の目の前に、先程まで離れて先を行っていたメルエージュがぴょんぴょんと飛び跳ねて現れた。
「大丈夫?」
「う、うん……メル凄い身軽だね……」
「ワタシは慣れてるカラ! でも疲れすギルのは良くナイわ、ペースを落としマショうか!」
そう笑って、メルエージュは先を指さす。
「見えるカシら? あそこに小さくあるノガ例の洞窟。今は精霊獣のせいで危なクテ入れないケド、元々はあそこで成人の儀式トカ、生まれた赤ん坊の洗礼式ヲしたリしてたノよ」
そう言われて、彼女の指差す方に目を凝らす。確かに、青々とした緑ばかりの木の隙間に、苔の生えた洞窟らしいものが見えた。
「あの……メル。『エリュファス村は元々は海の民だった』って……?」
純が洞窟を確認していると、後ろからやってきたレオンがおずおずと問い掛けた。メルエージュは――想い人に話しかけられたのが嬉しいのか――ぱっと顔を輝かせ、「ソウソウ!」とにこやかに返答する。
「蒼の鏡とか、珊瑚が使わレテたりシタでしょう? でも今のエリュファス村の近くに海は無いの!」
「ああ、それはちょっと疑問だった」
アカザが頷くと、メルエージュはにっこり笑って肯定を返す。
「そうデショ? あのネ、エリュファス村は、元々はラーフィット大陸の海沿いにアッタのよ。そウね、大体……250年前くらいは、まだそこにあった記録があルワ」
「250年前……『空白の歴史』に近いね」
そう、独り言のように呟いたレオンの声を聞きながら、純は、パルオーロにて調べた本の一節を思い出していた。
――『空白の歴史』とは、厳密に言うと、『伝後2755年から伝後2815年の間』を指す――
純にとっては異世界であるここでは、当然今の年号もその数え方も違うのだ。そう、パルオーロでの勉強で知ることが出来た。
この世界の暦は『原始時代』における魔術の伝来を境に数えられている。賢者が魔術を伝えてから3004年――すなわち伝後3004年。それが、今の年代だ。つまり、いつもざっくりと約200年前と称される『空白の歴史』は、今から249年前から189年前のことである。
――エリュファス村は少なくとも『空白の歴史』が始まる直前まで、『空白の歴史』によって荒土となったラーフィット大陸にあった。そういう事を、今、メルエージュは言った。
「レオン達は『空白の歴史』を調べてルノよね」
三人の空気が変わったことを察したか、メルエージュはそう問い掛ける。それにレオンが頷くと、困ったように眉を下げた。
「ごめんナサいね、『空白の歴史』の中期にエリュファス村の民がラーフィット大陸から逃れてきたコトは確かなの。でもその頃の詳しい事情は記録が無いノよ」
ただ、と付け加えて、メルエージュは言葉を続ける。
「何かの――危機から逃れるために、故郷を捨テタらしいワ。ラーフィット大陸の海沿いの村だッタって言ったデショ? エリュファス村の民は海と共に育って、珊瑚を使った魔道具を作るのが伝統だッタの。でも海を失って、その伝統も無くナッテしまったワ」
――千年前の制作物だと、メイズラドは蒼の鏡を指して言った。『失われた伝統』、『遺物』――そういう言葉が彼の口から出てきたことを、純はぼんやりと思い出す。
伝統、故郷――そういったものを捨ててまで逃れなければならないほどの危機とは、何だったのか。
「あの洞窟」
メルエージュがそう、指さした。
「あの洞窟だけは、エリュファス村がラーフィット大陸から持ってきたノヨ。たった一つだけ、ワタシ達が守れた証ナノ」
「そっか……」
しんみりとした空気のまま、純は頷いて――
「いやちょっと待って」
――思わず突っ込んでいた。
「大陸から持ってきた? 洞窟を?」
有り得ない、そう、純は反射的に考えていた。なにせ、洞窟とは普通は地形の中にあるものだ。その土地に根付いたものだ。それを、そんな、引越しで家具を持っていくように移動させることなど出来るはずがない。
出来るはずがない――と考えて、そういえばここはトパーズに家が収納される世界だったと思い出した。ならば洞窟を持っていくことも容易なのかと考え直し、レオン達の様子を見ようと首を捻る。
――レオンとアカザも、呆然と目を見開いていた。
「ど、洞窟を持っていく……!? どうやって……!?」
――そのレオンの叫びを聞いて、純は密かに安心した。良かった洞窟の移動がこの世界の常識ではなくて、と。
そして、メルエージュの様子を見れば――彼女はきょとんと目を瞬かせ、笑った。
「どうやって、って。トパーズに入れたラシイわ。ラーフィット大陸に居た頃は宝石も使えたノヨ、ワタシ達。今は入手も出来ないケド」
「トパーズ!?」
アカザが素っ頓狂な声を上げる。レオンもまた、目を瞬かせていた。
「……確かに、原理上不可能じゃない……けど、トパーズに入れられる容量はトパーズ自体の体積と質による……洞窟なんて……地形の一部を運んじゃうようなトパーズ、どんだけでっかくて高純度のものなんだ……?」
頭を抱え、レオンはブツブツと呟いている。原理上は不可能ではないということにも純は突っ込みたかったが、とてもそんな空気ではなかった。
「そのトパーズ自体は今はもう何処に有るのかわカンないんだけドネ。とっても大っキイ、大人の男の人が三人でヤっと運べるものダッタらしいわ」
そう、思い出すように言っていたメルエージュはそこで言葉を区切り、にっこりと笑う。
「とりあエズ、そろそろ歩きマショうか!」
――あらゆる突っ込みを飲み込んで、純はただ、そうだねと返した。
そして、再び歩き出して――空のてっぺんにいた太陽が少し傾いた頃。
純達は、洞窟の前に辿り着いた。
「ワタシ達、エリュファス村の住人じゃここの精霊獣は御せなイノ。でもソレは、大婆様の精霊獣がとっテモ強いだけジャなくて――相性の問題モあるノヨ」
そうメルエージュは語る。
「精霊獣は精霊術で出来てルから……精霊術にはとっても耐性がアルの。だからワタシ達みたいな精霊術使いジャ、決定打はどうシテも与えラレないのよネ。
でも、外から来た皆は違ウ。だから勝てない相手ジャないワ。皆で頑張りマショ!」
にこやかに、そう笑った。
「……う、うん……」
それに――レオンは、曖昧に答える。
「どうカシた? 何か不安カシら」
「えーと……メルも、一緒に戦うんだよね?」
「そのツモリよ? 大丈夫! サポートなら精霊獣との相性は関係無いワ!」
純がおずおずと問うと、そう、輝かしい笑顔を見せる。それは、普通なら頼もしく感じるものである。
だが――三人には、メルエージュが居ることによる問題があった。
「……『
ぼそりと、レオンが――隣にいる純とアカザにしか聞こえないほどの声量で呟いた。
――メルエージュの目の前で、闇の魔術を使う訳にはいかない。
そんなことは、三人とも、お互いに確認せずともわかっている事だった。メルエージュがいくらレオンに好意的に接してくれていても、彼女は事実、まだレオンが闇属性であることを知らない。
メルエージュはエリュファス村の住人にしては余所者にも懐っこい性質であることは確かだ。だが光属性を持つ彼女が、闇属性を――悪魔の子、と忌避されるそれへの偏見を、持っていないとは言い切れない。
彼女を疑いたい訳ではなくとも――易々と闇の魔術を使うことは、あまりに危険であるのだ。
「……うし」
アカザが気を引き締めるように、息を漏らす。それから、メルエージュに声をかけた。
「メルちゃん、レオンもサポート側だから。攻撃は俺とジュンちゃんに任せてくれ」
その言葉は、レオンへの言外の指示でもあった。出来る限り動くな、ボロを出さないよう最低限に――と。
「アラ、レオンと一緒なの? 張り切っちゃうワ! よろシクね、レオン!」
無邪気に喜ぶメルエージュに一抹の罪悪感を抱きつつも――三人は頷き合い、洞窟へ足を踏み入れた。
――洞窟の内部は、蝋燭などという人工的な灯りは存在しない。だが洞窟の天井付近には常に何匹もの蝶が舞い、それが光となって純達を照らす。いっそアークハット遺跡の内部よりも明るく、優しい光に包まれていた。
入口から奥まで、それ程距離は無い。一本道を進んでいくと――やがて、大きな部屋に行き当たった。
通路よりも遥かに多くの蝶が舞い、部屋全体を明るく照らす。何故か壁や床に溶けたような穴がぼこぼこと空いているその部屋の中心に、3メートルはあろうか――巨大な、青白く輝く鹿が身を伏せ、目を瞑っていた。鹿、だがその角は珊瑚で出来ている。水が鹿の体を形作っていて、何匹かの蝶が、その体にちゃぷんと入り込んでは反対方向から抜けていく。透明に揺らめく海の体――その中央、丁度鹿の胸のあたりに、ぼんやりと、小さな光の球が浮かんでいた。
その鹿の奥――守られるように、泉がある。光を放つ蝶が舞い踊り、泉はその光を反射してゆらゆらと煌めく。
まるで夢の中のような、光景だった。
「あれが精霊獣。ワタシ達が部屋に入るまでは、あの子も起動しナイわ」
純達が部屋に足を踏み入れるのを、直前で留め、メルエージュは言う。
「胸の光が見えるデショ? あレが力の源。あそこ以外は水だカラ、切り付けても意味は無いシ、蒸発させようトシテも後ろの泉の水でマタ復活しチャウのよ」
「成程……矢は通るのか?」
「それは……どうデショ、村の人は弓矢使ワナいから……」
「例がないと。なら試してみるか」
アカザはそう頷いて、耳のピアスに触れてその手に弓矢を取り出した。それをくるりと軽やかに一回転させて、構え、弓を番える。
弓に嵌め込まれたエメラルドが輝いて、アカザの弓に青緑の風が渦を巻く。
「――
青緑の疾風となって放たれた矢は、真っ直ぐに精霊獣の胸の光に向かって飛んでいき――
――それは、水で出来た体に飲まれて減速し、光球に届く前に、風属性の魔力も失って止まってしまった。止まって、そして、重力に従って水の中でゆっくり地面へと落ちていく。うぐ、とアカザが悔しそうに呻いた。
「やっぱそう簡単にいかねぇか……畜生、呑気に寝やがって」
矢を飛ばされた精霊獣は相変わらず目を瞑って微動だにしない。起動していないだけとも言えるだろうが、起動するほどの脅威にアカザの矢は成り得なかったとも言える。
「矢が通らねぇとなると、今回もトドメはジュンちゃんに任せることになりそうだな」
「そうだね……刀が通ればいいけど……」
ううんと唸って、純は精霊獣を改めて観察する。遠くて分かりにくいが、体躯の大きさを踏まえると、コアたる光球を包む水の体積は相当に分厚い。刃渡りは、恐らくその厚さに届かない。
「あの水にジュンが入っテ、無害かドウかはちょット保証できなイワ」
そう、困ったようにメルエージュは言う。それを聞き届けて、ふむ、と純は首を捻った。
「となると……あの水を――後ろの泉から復活するなら一時的にってことになるが、飛ばす必要があるか」
純の考えと同じことをアカザが口に出す。皆考えたことは同じなようで、レオンとメルエージュも否を唱えることは無い。
「俺の弓、突風で飛ばすことは難しいだろうな、さっきも飲み込まれたし」
「水……水かぁ……」
唸るアカザの隣でレオンは呟いて、暫し何かを考えるように首を捻っていた。だがやがて決心をつけたような目で、三人の目を見つめる。
「……オレの
「……! 『干渉』スルつもりなノ? 大婆様の精霊獣ニ?」
「だ、だめかな?」
「ダメじゃないけど……」
メルエージュは困惑の顔で、その言葉の続きを――「出来るの?」という問い掛けを、出さずに飲み込んだようだった。
『干渉』――それは魔術における技術の一つであると、純はパルオーロで学んだ。
魔術については、それを使うこの世界の人々にもわかっていないことが多い。魔術の源とされる魔力というものが一体どういうものなのかもわからない。知られているのは『賢者』によってかつてもたらされたということ、人が生まれた時から扱える属性が決まっているということ、扱われる魔力には元素として七種類の属性があり組み合わせによってさらに種類を変えること、属性は主に自然界の現象に基づいており、同種のもの――例えば水属性なら川や海の水――を、魔力を元に『生成』することや、魔力を使って『干渉』し操ることが出来るということ、だ。
魔術としてレオンが繰り出す水の魔術やアカザの風の矢は魔力を元に『生成』された水や風に『干渉』して術と為す。それが一般的な魔術であり、最も簡単な方法であると言う。何故なら――『生成』された自然物は、初めから術者のものだからだ。
自然界に初めから存在する自然物に『干渉』することは『生成』したものに『干渉』することよりも難しい。そして――既に誰かの『干渉』を受けるものを『干渉』することは、そのどれよりも難しい。
「『干渉』についてはパルオーロでメイリーさんに教わったし、訓練もしたよ。だから――それが精霊獣を倒す方法になりうるなら、試してみたい」
水の魔術を、レオンがパルオーロで学んでいたのは純も知っている。闇の魔力の扱い方をジュメレに教わりながらも、生来のものである闇と同等に、彼は水を操れるようになろうとしていた。
――それは、恐らくは、闇属性に頼らないように。水こそが生来の属性だと、カモフラージュできるように。
「……『印』はどうやってあいつに刻む?」
暫し考えていたアカザが、そうレオンに問い掛ける。
「えっと、オレが作った水球をあの体に飲み込ませればいいんだけど……多分普通にやっても弾かれるから、あの子の気を引く必要があるかな」
「わかった。作戦変更だ」
レオンの答えに頷いて、アカザは純、メルエージュに目を向ける。
「まず俺とジュンちゃんであのデカブツの気を引いて、レオンの『干渉』を成功させる。メルちゃんはレオンの傍でこいつを攻撃から守りつつ魔力強化をかけてやっててくれ。『干渉』が成功したら、一撃の威力が一番強いジュンちゃんに光球の破壊を任せる。俺はデカブツの動きに注意しつつ、ジュンちゃんのサポートに回る」
アカザの言葉に異議を唱える者は無い。場の空気が一体になったのを確認して、アカザが一言、「行くぞ」と告げた。
じゃり、と砂を踏む音が響く。鹿の長い睫毛が震えた。開かれたその瞳は、体を構成するものよりも深い色をした水球で出来ている。
鹿の形をした精霊獣の前に、純は、真っ直ぐに立っていた。精霊獣がゆらり、立ち上がる。身を起こすと、その巨体は足の長さだけで純の二倍はあることを理解させた。
「――っふ」
短く息を吐き、身を屈め、純はそのまま、大地を蹴る。地と水平に。メルエージュによる身体強化の蝶を纏った足は、人を弾丸へと変える。
「っやぁッ!」
弾丸は横に刀を構え、鹿の足元を通り抜けると同時に、前と後ろ、それぞれ左側の二本の足を横一閃に裂いた。ずぱん、水が一瞬切り裂かれた。だがそれはすぐさま、重力に従って切り口は一体化し、何事も無かったように戻ってしまう。
《……オ――ォォ――》
精霊獣が歌う様に吼える。その顔が純に向けられるより先に、純はまた大地を蹴って、精霊獣の後ろから斜め前、弾丸のように翔けると共に、後ろの右足を切り落とした。
《オ――ォ――》
精霊獣の目が光り、薄青の熱線を放った。それは純が先程まで立っていた場所を焦がす。精霊獣の動きは遅いが、その巨躯が繰り出す技の範囲は広く、威力も高い。身体強化によって一瞬の動きが可能になった足で精霊獣の背後に回り、純は短く息を吐いた。あんなビーム、モロに食らったら一溜りもない。証拠に、それを食らった大地は溶けている。きっと壁と床の穴はこれによるものだったのだろう。
《……オ――》
精霊獣はまた、己の背後に回った純に顔を向けようと、身を翻そうとした。その時、精霊獣の頭を一本の矢が通る。
――『通った』。先程眠る精霊獣の胸に放たれた矢は、途中で威力をそがれてしまったにも関わらず、頭に放たれた矢は突き通り、向こうの壁へと突き刺さったのだ。
「――メルちゃんの言う通りだな! 光球周り以外は脆い!」
背に蝶の羽を生やした――これもメルエージュによる精霊術である――アカザが弓を構えたままガッツポーズをする。そのまま、流れる動作でもう一本の矢をつがえる。
《……ォ――オ――》
精霊獣がゆるり、顔を上げ、アカザをその熱線の軌道上に捉えようとする。させるものかと、純は大地を駆けた。
「……このまま光球も破壊できないかなッ!」
大地を蹴って、精霊獣の腹部、その真下でブレーキをかける。その勢いを殺さずに、純は真上に飛び上がった。狙うは胸部、その中心に光る、コア。
「――っ!!」
だが、足のようには刀は通らない。ガキンッ! と水でできているとは思えない反響音を鳴らし、純を大地に叩き戻す。寸でで身を翻し、純は足から着地した。強化された足は少々響いたものの怪我には至らず、そのまま飛び去って精霊獣の腹部から避難する。
避難したすぐ後、精霊獣は己の腹部下を蹴りつけた。少しでも判断が遅れれば、その蹄に蹴り飛ばされていただろうか。
「上見ろデカブツ!」
その声に、精霊獣は再びゆるりと顔を上げた。今度は精霊獣の真上を飛び、アカザが弓を引いていた。
「
矢が放たれ、高密度の風を纏ったそれはまるで上空から投げ降ろされた槍のように精霊獣の脳天を貫く。穿いて――だがやはり、胸部の光球に届く前に勢いを殺されてしまった。
だが――それで、構わない。
「――地上に在する水の霊子よ水の精よ、そして天に御座す水の神スイよ、我が業をここに示す。我は悪辣なる支配者也や。その一歩はこの烙印に」
純とアカザが気を引いている間に部屋に入り、メルエージュの強化を受けていた、レオンの準備が整った。
「『
レオンの持つ
そして――ぽちゃん、と、呆気なく、精霊獣の背に落ちた。水は一体化して、だが、精霊獣の体の水が透明なエメラルドへと変色していく。
《ォ……オ、ォオ――……》
「……ぐ、ぅう……ッ」
精霊獣がゆっくり、ゆっくりと、震えながらもその場に膝をつく。震えているのは、膝をつかされることへの抵抗か。レオンは精霊獣に両手を向けて、『干渉』を続けていた。その顔は必死で、額に汗が流れ、歯を擦り減らすほどに噛み締めている。
「す――すごいワ! レオン! レオンの支配権が優勢ヨ! もう少し、頑張ッテ!」
レオンの隣に居たメルエージュがレオンに強化の精霊術をかけながら声を張り上げた。強化のおかげか、レオンの顔が少し和らぐ。だが緊張は保ったまま、精霊獣を睨みつけていた。
精霊獣が、ぐぐ、と震えながら顔を上げ、レオンを見る。
《ォ――……!》
その目が光った。熱線の合図だ。軌道の先は、レオンとメルエージュ。
「させるか!」
アカザが矢を放つ。風を纏った矢は熱線とぶち当たり、焼かれて炭となってしまう。だが、無意味ではない。
「アリガト、アカザ! 威力が削げタワ!」
メルエージュが、アカザの矢と同時に形成していた蝶の障壁が熱線を完全に弾き飛ばす。誰もいない壁に弾かれた熱線が岩を壊す音。その音が響き渡ると共に、レオンが叫んだ。
「――開けッ!!」
とうとう、精霊獣の体が完全に地に伏した。同時に、水が割れる。否、レオンに支配され、胸部を守る水を『避けさせられる』。精霊獣、鹿のような体には、光球を残して、胸にぽっかりと穴が空いた。
――そのタイミングを、純は待っていた。
「緋炎一刀流、一の型」
一筋の光となって、開いた穴へと、駆ける。
「『光戯』――!」
ずぱん。
そんな呆気ない音で、光球――精霊獣の力の源は真っ二つになった。
《ォ――……》
ぴちゃん、と、一滴の水が滴り落ちる。それを皮切りにして、精霊獣が鹿の形を保っていられなくなり――どぱんっ、と、ただの水になる。今まで巨大な鹿を形成していた水の量は生半可ではなく、その場所を水浸しにしてしまった。
「うへ、びちょびちょ」
破裂した水をモロにかかってしまった純は、身震いして水を払う。
「大丈夫かよジュンちゃん、俺の上着使うか?」
アカザが苦笑する。彼は飛んでいたことにより水の被害は足下だけで済んだらしい。今は大地に降りたって、精霊術による蝶の羽は消えていた。
「アラ大変! 女の子が体を冷やしちゃいけナイわ!」
魔力と精神力を使い果たしたらしい、ぐったりとしたレオンを支えて彼の体に数匹の白い蝶を纏わせていたメルエージュが純を手招く。彼女に従って傍へと歩み寄ると、メルエージュは今度は赤い蝶を一匹、純の周囲に飛び回らせた。
「……おお、すごい……」
それにより、一瞬で純の身はさっぱりと乾いていた。下着までずぶ濡れだったというのに、太陽に干した洗いたての服を着ているような気持ちよさである。
「ありがと、メル。精霊術って凄いね」
――今回、実際に動いたのは主に純達であるが、動くことが出来たのはメルエージュの強化やサポートが大きい。精霊術の幅広さに感嘆しつつ、素直に礼を言うと、レオンを壁に寄りかからせていたメルエージュが振り向いて、にっこりと笑ってみせる。
「ウフフ、ワタシこそお礼を言わなくチャ! 皆強くッテ、とっても頼モシかったワ!」
メルエージュはそう言って立ち上がり、ふと、水浸しの床に転がった光球の欠片を見る。
「これでこの洞窟も、泉も、使えるよウニなるワ。役目を失った精霊獣も、やっと休むコトが出来ル」
慈しむように目を細め、メルエージュはぼんやりと光る欠片に歩み寄って、その前に膝をついた。
そして、それに触れようと、手を伸ばし――
「――っきゃ……」
その瞬間、欠片が瞬いた。ぼんやりと光るだけだったそれが、目を貫くような鋭い光を放つ。チカッ、チカッ、と、一定の感覚で。
――破裂する。
本能的に、そう察した。そしてそのことで誰よりも、一番近くにいるメルエージュが危ない。
「メル!!!」
叫んだのは、純でもアカザでもなかった。
黒い、触手のようなそれが幾本も伸びて、欠片を貫く。数本は、メルエージュの胴体に巻きついて、引き寄せるように欠片からの距離を離させる。
――チカッ、と最後に弱く瞬いたのを最後に、いくつもの闇に貫かれた欠片は、光ることも破裂することも無く、動きを止めた。
闇は、ずるり、欠片を離す。メルエージュを離す。ずるずる、と、『主』の元へと帰っていく。
ずるり、と、最後のそれが――レオンの影の中に、収まった。
「……レオン?」
メルエージュが、呆然と声を落とす。
精霊獣を倒した時の喜びの雰囲気はもう無い。アカザも純も、固唾を飲んで見守るしか無かった。
――バレてしまった。まさか、こんなところで。
「……メ、ル……ちが、ちがうんだ、オレ……」
へたりこんだレオンは、それ以上の言葉を続けられずに、下を向く。
真っ青というよりも、さらに血の引けた――真っ白な顔をしていた。
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