第二十四話:大婆様

 殺した人が加害者。殺された人が被害者。

 殺した人が罪人。

 ならば、掌で踊らされ、罪無き彼女を殺した私達は。

 きっと、酷い酷い、罪人なのでしょう。



第二十四話:大婆様



『ぴぎゃ』

「わっ」

 二階に上がる階段を半ばまで登ったところで、突然、可愛くはない鳴き声が響いた。慌ててインウィディアは、いつもの格好の上から羽織ったローブを握り締め――中に居る生き物を撫でる。

「何か言ったカシら?」

「あ、いやなんでもないよ!」

 先導していたメルエージュが振り向いて首を傾げるのを、咄嗟に純は誤魔化した。上手い誤魔化しとは言い難いやり方ではあったが、メルエージュは首を傾げるだけで、特に追求せずにまた階段を登っていく。

 息を吐いて、インウィディアは己のローブに隠したその生き物を見下ろした。そうして、小さく声をかける。

「……どうしたの? いぬ……」

 ローブの下、内側に縫い付けられたポケットに収まるいぬは、もぞりと動いてインウィディアを見上げた。


 いぬの扱いは難しい。

 一見魔物と思われてもおかしくない、通常の動物のどれにも該当しない姿形は、公共の場に出すのにはあまりに不向きである。さらに生き物であるが故に宝石に入れることもできない。だから、いぬについては、水車に乗った時も森を歩いてエリュファス村にやってきた時も、立候補したインウィディアによって――インウィディアはいぬを気に入ったようで、パルオーロにいた時もよく触れ合っていた――ローブの下に隠すように『入れて』進んできていたのである。

 このローブはいぬをこれからも連れて歩くということで、リックに与えられたものだ。腹側の内にいぬがちょうど収まる程度のポケットが縫い付けられており、両手が塞がることなくいぬを運ぶことが出来る、という仕組みになっている。

 とはいえ外から見ても膨らみはわかるのだが、羽織っているのがインウィディアという幼い少女ということもあり、ぬいぐるみか何かを抱えていると思われるだろう、というのはリックの弁であった。それは正しく、水車もエリュファス村の入口も特に突っ込まれることなくいぬを運ぶことが出来たのである。

 いぬ自身が己の扱いに気を揉まれていることを理解しているかは定かではないが、いぬはこれまで動きも鳴きもせずに大人しくしていた。抱き抱えていない三人がいぬの存在を忘れるほどだ。それが、大婆様に近付くにつれ、妙に落ち着かなくなってきたのだった。

「ちょっとだけ……大人しくして、ね?」

 インウィディアが俯いて、いぬに小声で語りかける。いぬは無言のまま、インウィディアを見上げていた。



 階段を上がりきり、仕切りとしてぶら下げられた暖簾のような布を潜って――純達はその大部屋に足を踏み入れる。

 広々としたそこは、一階よりも明るい。それは高い――ツーフロア程度の高さがあるだろうか――天井からぶら下がる、籠のおかげであるようだった。人ひとり入れそうな、遠目で見ても大きいとわかるそれが光っている。正確には、その籠に大量に入った光る蝶が、その部屋に光を与えていた。

 それらの蝶には見覚えがある。メイリーが扱っていたものと同じだ。あれが精霊術なのだろうかと、純は首を傾げる。そういえば、一階の天井にも――もう少し小ぶりではあったが――同じような籠がぶら下がっていたことを思い出した。

 それらが照らす部屋の中、家具はそう多くない。小棚や椅子が備えられているが、部屋のメインの家具は、部屋の奥にある大きな天蓋付きのベッドであるように見えた。天蓋は閉まっていて、中は見えない。ただ、その中に、小さな人影があった。

「大婆様! お客さンヨ!」

 メルエージュは軽い足取りでそのベッドに駆け寄り、天蓋のカーテンを捲って中を覗き込む。嗄れた声が中から聞こえた。

「どなた、でひょ」

 歯が抜けたような、少々呂律の不確かな声だった。その声に、メルエージュはにぱっと笑って、返事を返す。

「ワタシはメル! それカラお客さんはレオンとジュンとアカザとインウィディア! アナタと楽しくお話に来タノ!」

 純達はともかく、メルエージュは大婆様とは昔馴染みのはずであるが、まるで初めて会うような自己紹介をしてみせた。それを聞いて、純は、メイリーが「大婆様は随分とボケていらっしゃる」と言った言葉を思い出す。

「開けるワネ!」

 メルエージュがそう声を掛けて、カーテンをシャアアッと勢いよく開けた。そうして、漸く純達に中の様子が見えるようになる。

 ――中に居たのは、小さな老婆だった。

 皺だらけの顔は皮が垂れている。その皮によって半分ほど隠れてしまっている目はかつては美しいピンクオパールだったのだろうが、今はすっかり濁ってしまっていて、純達の顔が見えているかも怪しかった。真っ白な髪は長さはあれど量はなく、薄く頭皮を覆っている。

 だが、そのような姿になってなお――彼女からは、清浄な、心の優しさを感じた。彼女の前に立つと、今日この場で初めて出会ったはずなのに、どこか懐かしいような安らぎがある。

 皺だらけの顔をもごもごと動かして、彼女は確かに微笑んだ。

「かわいらし、い、ひとたち」

 大婆様――メルオディア・エルスワースは、そう言って純達に手招いた。

 その微笑みは、全てを許された心地がする。全てを包み込むような、そんな、優しさを秘めていた。

 純はまず彼女に歩み寄り、ベッドの前で跪いて、メルオディアを見上げる。

「……貴女が、メルオディア、さんですか?」

「めるおでぃあ……そう、そうね、わたしは、めるおでぃあ、えるすわーす」

 想定よりもハッキリとした答えが返ってきて、純は安堵と、少しの期待を抱く。即ち――メイリーにはろくな話ができないかもしれないと言われはしたが――実のあることが聞けるかもしれない、という期待である。

 その期待のまま、純は口を開いた。

「貴女に、聞きたいことがあるんです。――『空白の歴史』、そして、英雄について」

 その言葉を聞いたメルオディアは、僅かに目を見開いた。


 ――そして、はらはらと、その瞳から涙が溢れる。


「――!? え、ご、ごめんなさい!?」

 それには部屋の全員が驚いたが、一番驚いたのは――ある種泣かせてしまった本人とも言える――純であった。思わず謝るが、メルオディアは泣き続ける。その瞳に、純は映っていないようだった。

「ああ、ああ……かなしい、かなしい、たびだった」

 メルオディアはそう呟いて、顔を両手で覆う。


「ゆるして……すくいたかった、の。すくえなかったの……あのかたを、ころしたくなど……ああ、ゆるして……、ゆるして、あのひとを、ゆるして……」


 メルエージュは困った顔をして、メルオディアに歩み寄った。

「大婆様、どうしたノ? 誰も責めてナイわ、大丈夫ヨ、大婆様」

「ごめんなさい、無理に話さなくていいんです……!」

 メルエージュと、立ち上がった純がメルオディアの肩や背を摩りなんとか正気を取り戻させようとする。だがメルオディアは顔を覆って、ゆるして、と繰り返すのみであった。

「あの……大丈夫、ですか?」

 少し遠くでアカザやインウィディアと共に困惑するばかりであったレオンが困った顔をして歩み寄り、声を掛ける。そこで漸く、メルオディアは顔を上げた。

 彼女の桃色の瞳が――僅かに濁りを薄めて、レオンを見る。

「……れおんはると?」

 そう、レオンを見て呟いた。

 その言葉の意味を飲み込む前に、彼女は純を見る。そうして、また、口を開いた。

「さー、しゃ」

 ――レオンハルト、サーシャ。二人の英雄の名前を呟いて、彼女はさらに涙を零れさせた。

「ああ……ああ……むかえに、きてくれたの?ばっして、くれるの? れおんはると、さーしゃ、ああ……れいと、やひこにも、あいたいわ……」

 メルオディアの震える手が、困惑するばかりのレオンと純に伸ばされる。

「もう、もう……おわりにしたいの、」

 指が、二人に触れかけた、その時だった。


『ぴぎゃー!』


 突如インウィディアのローブから塊が飛び出して、メルオディアの指を遮るように間に落ちてきた。

「いぬ!?」

「何!? 魔物!?」

 純が叫び、メルエージュは突然現れた謎の生き物に慌ててメルオディアを守ろうとする。

 だが、その喧騒の中で、メルオディアは目を見開いて、小さなそれを――己の膝に乗り、己を見上げる、いぬを見下ろしていた。

 彼女の指はいぬに触れる。そうして――そっと、抱き締めた。

「ああ、ああ……」

 メルオディアの涙はさらに溢れ出し、ぼたぼたといぬの白い毛皮を濡らす。だが濡らされる側のいぬは、何も言わずに、振り払いもせずに、メルオディアにされるがままになっている。

 その様は、メルオディアを慰めているようでもあった。

「おわっていない……おわりではない……なんてこと、なんてことなの……」

 泣き続け、そのまま、メルオディアは何も言わなくなった。ただ、いぬを抱き締めたまま、その体勢で、ずっと嘆き続けていた。

 ――中途半端に停止した臨戦態勢をゆっくりと解いて、メルエージュは困った顔を純に向ける。

「……暫く、大婆様とは会話にならナイわ。一旦外に出まショ? あの子は必ず返すカラ」

 あの子、と言いながらメルエージュは一瞬視線をいぬに向ける。その言葉に反対する理由も無く、純達は頷いた。



「それにシテもびっくりしちゃッタワ! 大婆様が泣き出シテ、見たことない子が飛びツイて」

 メルオディアの家を出て、メルエージュは晴れた空に向けて手を伸ばし、欠伸をひとつする。そんなメルエージュに――想定外にいぬを見られてしまった純達はバツが悪い思いで各々頬をかいたり目を逸らしたりする。最初に口を開いたのはレオンだった。

「あの……あの子はいぬっていうんだけど……魔物とかじゃないんだ、多分、魔物みたいだけど凶暴じゃないし……」

「心配しナイで、あの子を隠そウトした気持ちは分カルし……大婆様の様子からシテも危険な子じゃナサそうだし、追い出したり責めたりシナイわ」

 メルエージュはそう微笑んでみせる。どこかリックやメイリーを思い出すような、安心させるような微笑みだった。

 その言葉に偽りは無く、四人はほっと息を吐く。和やかな空気が流れた、その時だった。

「ヨソモノ!」

「ヨソモノ、出てキタ!」

 甲高い声がいくつか響いて、小さな影が木々の合間から飛び出してくる。あっという間に純達を囲んだ彼等は――村に到着した時に出会った、幼い子供達であった。

「ヨソモノ! 遊ぼ!」

「外の話聞かセテ!」

 ヨソモノ、という言い方とは裏腹に、子供達に四人への悪意や敵意は無く、興味深そうに服を引っ張ったり装飾の金物をつついたりする。メルエージュが「コラ!」と困った声を上げた。

「ヨソモノって言い方は良くナイわ! 黒髪の子はジュン! 金髪の子はアカザ! 翠髪の素敵な人はレオン! 紫の瞳の子はインウィディア! ちゃんと名前で呼びナサイ!」

 メルエージュの声に、子供達は「レオンってステキか?」とも言いつつも概ね素直にはぁいと返事をする。そして――何故か、インウィディアの周りに集まった。

「ホントだ、目が紫ダ!」

「ブドウの色! キレイ!」

「えっ、えっ」

 子供達に囲まれて、慣れないインウィディアが困惑の声を上げる。囲まれているので純達の後ろに隠れることも出来ず、されど敵意のない子供達には怯えると言うより混乱の様相で、インウィディアは助けを求めるように純を見た。

 メルエージュが苦笑する。

「インウィディア、綺麗な紫の瞳だカラ……エリュファス村の民にとって先祖にあたるエルフは紫の瞳と髪の色をしてイタソうなの。だからワタシ達にとって紫色は素敵な色ナノよ。森に自生してる葡萄は子供達のオヤツだから、それもあって身近でもアルし……」

 なるほど、と納得して、純はインウィディアを見やった。思えばパルオーロでも基本的に純達の側にいて、こうして沢山の子供に囲まれる経験は無いのではないかと思う。インウィディアは困惑しながらも――何だか嬉しそうに、ふんにゃりと笑顔になっていく。

 それにメルエージュも気付いたのだろう、微笑ましそうに――しかし困ったように、ぱん、と手を叩いた。

「楽しそウナところゴメンなさいネ、そろそろパパの所に行かないと怒られチャウわ! インウィディア、後で子供達と遊んであげてくれナいカシラ?」

 インウィディアを囲んでいた子供達を手で宥めつつ、メルエージュはインウィディアに近付き、身を屈めてそう笑う。自然と目線を合わせる動作に、インウィディアはぱちくりと目を瞬かせるも、また、へにゃりと笑った。

「うん、私も、そうしたい……あのね、私の事、ウィディって呼んでほしいの……め、メル」

「……勿論ヨ! 嬉しイワ、ウィディ!」

 メルエージュが輝く笑顔でインウィディアの手を握る。インウィディアもまた微笑んで、嬉しそうに握り返した。その光景を見る純達もまた暖かい気持ちになって、自然と笑いが零れる。

「さ、パパの所に行きまショ! パパは冷たいケド、ワタシがついテルわ!」

 メルエージュはそう、明るく笑ってみせた。



 ――案内された町長の家は、メルオディアの家よりは小ぶりであるものの他の家よりは大きい木で出来ていた。

 メルオディアの家と同じく、ワンフロアを大きな一つの部屋で占めている。案内されたのは一階を丸ごと使った応接間らしい板張りの空間だった。植物を編まれて作られているらしい座椅子に座るメイズラドの前に、純達は同様な作りの座布団に座って横一列に並ぶ。メルエージュはメイズラドの隣に、純達と同じ座布団に座っていた。

「……して、蒼の鏡を持ってキタのだっタナ」

 メイズラドはそう言って、視線を純達に向ける。レオンの肩がびくりと震えて、少々どもり気味に「はい」と頷いた。

 レオンは懐からシトリンの指輪を探り当て、メイズラドに掲げる。そして、指輪から一つの宝箱を取り出した。

 その宝箱を開け、その中に収まる、うつくしい――海を一つの道具にしたような、そんな――鏡を掲げた。

 メイズラドがレオンからその鏡を受け取り、裏表、手触り、それらを確認していく。そして、一つ、息を吐いた。

「……確かに、我等『精霊に愛された民』特有の装飾デアる。大婆様がかつて使っテイた、蒼の鏡で間違い無いダロう」

「そ、そうですか……」

「……コレを、余所者が、譲り受ケタい……と、言うノダな? 我等一族の私物を、二百年余り、くすネテいた、貴様等、余所者が」

 再びメイズラドの目が純達を射抜いた。その目と言葉には確かに非難の色があり、居心地の悪さを与える。正確にはアーサーが蒼の鏡を手に入れたのは十数年前であり、それ以前の――百何十年は、アーサーではなく別のところで様々な人間の手に渡り、研究所に辿り着いたのであろうが――エリュファス村の人間以外は全員等しく余所者なのだろう、と、純は密かに溜息をついた。

 蒼の鏡を持ってきた代表者であるレオンはといえば、メイズラドの目を受けてたじろぎ、「えっと」と居心地悪そうに目を泳がせる。


「……いいダロう」


 その、厭な沈黙を壊したのは、メイズラドのその言葉だった。

「え?」

「くれテヤる、と、言っタノだ」

 思わず聞き返したレオンに、メイズラドは淡々と答える。

 その言葉に、純達が何か反応を返す前に、メイズラドは「ただし」と口を開いた。

「条件がアル」

「条件……?」

 アカザが首を傾げるのを、メイズラドは鏡を隣のメルエージュに手渡してから「ソウだ」と答えた。また、言葉を続ける。

「この蒼の鏡は、我等の――『失われた伝統』ニヨって造られた、千年前の作成物ダ。二百年前まで、コレは力有る者に受け継がれ、使われテキた。大婆様が今のトコろ最後の後継者でアリ……今はもう、跡継ぎはイナい。基本的に血縁者に受け継がれるモノダが、大婆様は子を成サズ、近い血縁者が居ラヌ。……仮に居たトシても、『この鏡は使えナイ』」

 最後の一言を強調し、メイズラドはまた言葉を続けた。

「蒼の鏡は――今のこれは、二百年もの間に力を失っテイる」

「……!」

 純達は目を見開く。その中で、口を開いたのはアカザだった。

「じゃあ、これは今はただ綺麗なだけの鏡ってことですか?」

「……今は、ダ」

 アカザの問いにそう答えて、メイズラドは言葉を続ける。

「失ワレた力は取り戻すコトが出来る。

……この森の北部、我等の、『遺物』たる洞窟がアル。そこの泉に鏡を浸せば、コレは本来の力を取り戻す筈ダ」

 だが、と区切って、メイズラドは視線を純達に――試すように、向ける。

「その泉ニハ『精霊獣』が居る。かつて大婆様が使役してイタ、精霊術にて創られた使い魔ダガ――おボケになった大婆様には最早制御でキズ、最高の術者でアッタ大婆様の精霊獣を御すことの出来る術者はこの村にはイナい。しカシ……あの泉は、村とシテも必要なモノだ。


――よって、洞窟に赴き、精霊獣を倒し消滅さセヨ。ソレを成せば、その鏡は譲り渡ソウ」


 そうとだけ言って、メイズラドは口を閉ざす。それ以上話すことは無いと態度と空気で示す様に、純は息を吐いて、姿勢を正した。

「……よく、わかりました」

 そう、純が答えるのを、メイズラドは鼻を鳴らして聞き届ける。

 部屋を満たす、心地良いとは言い難い空気――それを打ち破ったのは、明るいメルエージュの声だった。

「ハイハーイ! ワタシ! ワタシもレオン達を手伝うワ!」

 メイズラドは隣で綺麗に挙手をする己の娘を見遣り、溜息をつく。何も言ってはいないが、呆れた空気は伝わったのだろう、メルエージュがムッと膨れた。

「何ヨ! 洞窟への案内役も必要デショ!」

「お前は本当ニ……モウいい、好きニシろ」

 はぁあ、とメイズラドは先程より深く溜息をついた。何処と無く哀愁漂うその姿を意に介した様子もなく、ワーイ! とメルエージュは無邪気に喜ぶ。

「それじゃお昼を食ベタら洞窟に行きまショ! 皆ソレでイイかしら?」

「うん、大丈夫」

 早いところ済ませた方がいいだろうし、という言葉は飲み込んで、純は頷く。周りを見れば、レオン達も同意見のようで、頷いて意志を示した。

「決まりネ! ご飯はワタシが腕によりをカケて作るワ! 楽しみにシテて!」

「オイ、メル、まさか余所者と同じ食卓を囲むツモリか」

「なぁにパパ、文句アル? 文句あるナラ他所で食ベテ頂戴!」

 キッチンの類は二階にあるのだろう、立ち上がって階段に向かうメルエージュにつれなく返されたメイズラドは、それ以上は反論せず肩を落として頭を抱えた。そんな父親には目もくれず、メルエージュはレオンにウインクする。

「未来のお嫁サンとしてバッチリ胃袋掴んでミセるわ! 安心シテ、ワタシお料理得意ナノよ!」

「お、およめさ……っ!? ……ひっ!?」

 顔を赤くして困惑の声を上げたレオンは、メイズラドの目に気付いて今度は青くなって悲鳴をあげた。それらの元凶であるメルエージュは鼻歌を歌いながら階段を上がっていく。

「……どういうコトだ?」

「……え、えっと……オレにもよく……」

 何とも言えない空気が流れる。それを外から眺める純達も、何と言えばいいのか分からず、乾いた笑いを上げることしかできなかった。



 メルエージュの作ったカレーを食べて――因みにレオンの舌に無事しっかり合ったようである――純達は村長の家を後にする。

 そして、家の前で――さて洞窟へと向かおうかとした時だった。

「お話終ワッた!?」

「遊ボー!!」

 再び走ってやって来た子供達に、あっという間に囲まれてしまう。メルエージュが困った顔をして、声を上げた。

「悪いケド、今からワタシ達洞窟に行くノヨ」

「えー! 後で遊ぶッテ言っタじゃん!」

「ヤダー! あそこ危ないデショ? 遊ボウよー!」

 メルエージュの答えに、子供達は口々に文句をつける。困った、とメルエージュが眉を下げた時、インウィディアが控えめに「あの、」と口を開いた。

「私、お留守番して、この子達と一緒に待ってるわ。私は、戦いは得意じゃないし……ね、皆も、それでどうかしら」

 皆、と語りかけられた子供達が、わっと沸き立つ。メルエージュがぱちくりと目を瞬かせた。

「イイの? ウィディ」

「うん、大変な仕事を押し付けちゃうけど……ごめんね」

「全然いイノよ! 子供達の相手をしてクレるのは助カルもの!」

 にっこり笑ったメルエージュに、インウィディアは少し安心したように微笑む。そうして、そろそろと純達に視線を向けた。

「いいと思うよ。ありがとね、ウィディ」

 純はそう笑って、頷いてみせる。レオンやアカザも口々に同意を示し、インウィディアはそれに安堵したように息を吐いた。

「ヤッター! 遊ぼ!」

「何して遊ブ!?」

 子供達も歓喜の声を上げ、はしゃぎまわる。

 ――純達の背後で、扉が開く音がした。

「藍色ノ余所者」

 びくり、とインウィディアの肩が揺れる。余所者、即ち純達一行の中で、深い青――藍色の髪をしているのはインウィディアだけだ。

 振り返ると、扉を開けて、メイズラドが立っていた。純は村の入口のことを――子供達を散らし、帰らせた、先程のことを思い出して、思わず構えていた。

 その緊張が伝わったのか否かは不明だが――メイズラドは溜息をつき、体を寄せて扉の向こうの内部を示す。

「……遊ぶナラ中で遊べ。外で余所者と村の子供が遊ぶト、周りの大人が気を揉ム。

……私は暫し出ル」

 そうとだけ言って、扉を開けたまま、メイズラドは何処かへ歩いていってしまう。

 予想外の言葉に、純達は顔を見合わせた。ただ、子供達はきゃらきゃらと笑って、インウィディアの手を引いて家の中へと入っていく。インウィディアは驚いた顔のまま、一度純達の方を振り向いて、そのまま家の中に入っていく。

 扉が閉まる。

 取り残された純、レオン、アカザ――彼等がぽかんと目を見開いていると、その様子を見てメルエージュが笑った。

「皆にとっテハそうは思えないカモしれないけド……パパ、悪い人、ってワケじゃなイノよ。パパのこと、好きにナッテ、とは言わないケド」

 メルエージュはそう言って、肩を竦める。

「不器用ナノ。『村長』とシテしか在れナイ人。馬鹿みたいヨネ」

「……そっか」

 純はそう、微笑んで、呟くように答えた。



 隣に、白い肢体を晒して女が眠っている。

 この前閨を共にしたのは黒い肌の男だったように思う。まあ、そんなことはどうでもいいかと、男はくぁあと欠伸を零した。

 乱れたシーツは乾いた液体でカピカピになっている。洗濯か、捨てるか、まあ、そんなことはこの家の持ち主である隣の女がどうにかするだろう。だから、男には興味も、関係もないことだった。

 ただ昨日の夜はキモチヨかった。それだけで、十分な話であるのだ。

 ――ベッド脇に放り投げていたジュエルが鳴る。女は寝ているからいいかと、男は、『闇の魔力』を操って、それを触手のようにして、ベッドに横たわった状態から動かずにジュエルを手に取る。

「はぁいもすもす? ジャッキーか? ボブか? それともエリーゼ?」

『……アンタのセフレになった覚えは無いんだけど』

 目を瞑ったままジュエルを起動させてそう軽口を叩けば、聞き覚えのある声がする。相手が誰かを理解して、男は笑った。

「よぉグラ、何の用だよ」

 グラ、と呼ばれた相手は、ジュエルの通信越しに溜息をつく。その溜息は、彼が普段身に付けている口元だけのガスマスクに遮られて、くぐもって聞こえた。

 ただそれ以上文句をつけることも無く――正確には文句をつけることを諦めて――グラは淡々と、用件を告げる。

『……仕事の連絡。エリュファス村にある――ファレルって男の、ネックレスを奪って来いってさ』

「ネックレスゥ? 何でまた」

『知らないよ』

 ふぅん、と男は鼻を鳴らして――にたぁ、と嫌らしく笑った。

 それを通信越しでも感じ取ったのだろう、グラはまた溜息をついて、嫌そうな声を出す。

『どうでもいいけど、アジトに戻る時にはイカ臭いのどうにかしてきてよ。鼻が曲がる』

「努力しまぁすっ」

 語尾にハートマークでもつきそうな声で答える男に、グラはまた息を吐く。

『……お前と同僚なの、すっげーやなんだよね。ルクスリア』

「やぁんひどぉい、俺達悪友じゃん?」

 ハハッと笑って、男――ルクスリアは、長い長い、伸ばせば顎の下も舐められるような、舌を出した。

 ルクスリアがベッドから起き上がる。彼の、左側だけ長いアシンメトリーな黒髪には少々寝癖がついていた。それを手で整えながら、ルクスリアはジュエルを片手で弄ぶ。

「でもまぁ……仕方ねぇじゃん? だって俺、」

 にまぁ、と笑って、細められた瞳は新緑の色。

 だが、目つきのせいか、中身のせいか――その色に爽やかさなどは欠片もなく、ただ、蛇か狐か、そういった類の、誠実とはかけ離れたものがある。


「『色欲』なんだから、さぁ」


 ルクスリアは笑って、放り投げていた上着を手に取り、羽織る。

 にんまりと笑んだ彼は――エリュファス村のある方角を見て、舌舐めずりを一つした。

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