第二十三話:蝶の少女

 きっとあの時、貴方に出逢えたのは運命でした。

 きっとあの時、貴方を愛したのは運命でした。

 私は、貴方に出逢えて、本当に良かった。

 私は、貴方を愛せて、本当に良かった。

 きっと全ては、運命でした。

 だけど、だから、貴方が×××しまうのが、運命だというのなら。

 私は、


 私は。



第二十三話:蝶の少女



 地図上の『エリュファス村』は広い。

 リシュール王国領に分類されるエリュファス村は、位置としてはリシュール・ガイア国境線とパルオーロの中間にある。地図ではそのあたりにでかでかと緑で記されているのが、エリュファス村だ。

 とはいえ、これらの範囲全てに人間が住んでいる訳では無い、とは本の知識である。巨大な森に囲まれた、その中に小さな居住区があるのだ。地図上の緑が描かれている、その二割ほどにしか人は住んでいないのだという。

 巨大な森は、エリュファス村の民にとって、野生動物や果実などの供給源だ。それ故に、その森に魔物が住み着くことはあってはならない。魔物は、生きとし生けるものを殺し尽くす存在である。エリュファス村の住民は皆、一定水準以上の戦闘力を持つが、それは魔物を討伐しなければ生活が脅かされるからであろう――と、記されていたことを思い出し、純は溜息をついた。

 スルド駅から徒歩数分で、その森の入口に辿り着く。一行はその巨大な森を見上げ、いよいよ、踏み込もうとしていた。

「この森の中じゃ炎はあんま扱えないんだよな?」

 アカザが問うた。その質問にはレオンが頷き、息を吐く。

「松明とか料理に使えるくらいの火は使えるけど、一定以上は燃え上がらないように術式が組まれてるみたい。森火事防止だろうね、オレ達に炎メインの術者が居なくてよかったよ」

 そう言いながらも、レオンは腕を摩ったりきょろきょろと周りを見渡したりと忙しない。緊張しているのだと、純にも伝わった。同時に、それもそうだろう、と思う。

“エリュファス村の民は精霊術を――光属性の魔術を扱いマス”

 ――パルオーロを出る時、メイリーにかけられた言葉が脳裏に甦った。

“それ故か、闇属性を特に嫌う過激派が多いデス。どうかお気をつケテ、闇属性であると、バレないヨウ”

 レオンも、インウィディアも――闇属性を持つ二人は、エリュファス村に近付くにつれ、落ち着きを無くしていた。二人にとって、エリュファス村は迫害の地になり得る場所だった。特にインウィディアはずっと純の服の裾を握り、人より太く短い眉を八の字に顰めている。

「……ウィディ、大丈夫? なんなら暫くスルドで待っててくれてもいいよ?」

「……ううん、私も行く」

 スルド駅付近、エリュファス村とは反対方向にはスルドという小さな町がある。そこで暫く待っていてもいいという提案だったが、インウィディアはそっと首を横に振り、純に寄り添った。

「……そっか、無理はしないでね」

 その頭を撫でると、インウィディアは少しだけ顔を緩めた。

「じゃあ行くか。昼までに着きたいしな、ちゃちゃっといこうぜ!」

 アカザがあえて明るくしたような声で笑う。三人も頷いて、森に一歩踏み込んだ。



 通常の数倍の大きさを持つ木で構成された森の中は、赤の森のような鬱蒼とした雰囲気はなく、明るく清浄な空気がある。唯一光属性を扱うことの出来るエリュファス村の民――精霊に愛された、エルフの末裔。そういった存在が住まう森だからか、少し、息が詰まりそうなほど清らかだった。木々の合間で――とはいえその大きさのために、純達の目線にあるのは幹ではなく根っこなのだが――草を食んでいた鹿が一行に気付いてぴょんぴょんと跳ねていく。今まで純達が訪れた森よりも生態系が豊かであるらしく、小動物や鳥の親子を多く見かけた。エリュファス村の住人による魔物討伐の成果だろうかと、純は予想を立てる。

「あっ」

 インウィディアが声を漏らした。その方を振り向くと、彼女が少し顔を顰めて自らの背後の木を見上げている。よく見ると彼女の長い髪の細い一束が、根っこから小さく生えた棘のような突起に絡まったのか、それと繋がって彼女の頭からピンと張っていた。慌てて純は傍に駆け寄り、絡まった髪を解く。そこまで固い絡まり方はしておらず、簡単に解くことが出来た。彼女の柔らかい髪が重力に従ってぱらりと降りる。

「ありがとう、ジュン」

「ウィディの髪は長いもんね。髪まとめちゃう? お団子にしてみるとか」

 純にとって、それは何気ない提案だった。しかし、それを聞いたインウィディアの顔は瞬時に強ばる。

 その変化に気付けないほど純も鈍くは無かった。慌てて「お団子じゃなくてもいいんだけど、」と訂正を入れる。

「下の方で括るだけでも少しはマシだろうしさ!」

「……うん、そうするわ」

「お、俺の髪紐使うか?」

 純の提案に顔を緩めて、少し安堵したように、インウィディアは頷いた。そんな彼女にアカザが近付いて――アカザはセミロングの髪を時折括って作業をしたり涼を取ったりするためそういうものを所有していた――彼のシンプルな黒い髪紐を渡した。ありがとうと微笑んで、インウィディアはいつもの格好の上に羽織ったローブの、両サイドに開いた切れ目から腕を出す。そして紐を受け取って、髪を首より少し下の位置で緩く纏め始めた。


 ――インウィディアは首を晒したがらない。

 それは、ウルリでの公共の風呂場で察したことだった。

 インウィディアは、ガーネットの四角く加工された宝石が嵌め込まれたチョーカーを――否、チョーカーと言うよりは『首輪』と表現する方が良いようなものを身につけている。シュヴァルツで出会った時から、そうだ。

 首の殆どを隠してしまえるほど太いそれを、彼女は、風呂でさえ外すことは無かった。

 彼女が見せたくないと思うのなら、と、純は敢えて見ようとは思わない。ただ、彼女が隠していることよりも、彼女が、何かに怯えているような素振りをするのが気になった。

 首のことだけでなく、パルオーロに居た時も何度かあった、それ。

 ――いつか、話してくれたらいいな。

 そう、純は思う。まだインウィディアは純達を完全に信用していないのかもしれない。彼女を暴きたい訳では無い。ただ、彼女に安心してほしかった。

「――うん、これでもう大丈夫。ごめんなさい、行きましょう?」

 髪を纏めたインウィディアがそう声を上げる。了承を返して、一行はまた歩き出した。


 そうして、幾らか進んだ頃だろうか。列の先頭を歩いていたアカザが立ち止まった。

「……物音が聞こえないか?」

 アカザがそう呟いて、きょろきょろと辺りを見回す。その言葉に、純も目を瞑り、耳をすませてみた。

 ――遠く、どぉん、と、なにか響くような音がした。その後に、甲高い少女の、何かしらを叫ぶ声。

「……誰かが戦ってる?」

 その言葉で――目を見開いたのは、レオンとインウィディアだった。

「――こっちだ!」

 唐突に、レオンが駆け出す。突然の行動に困惑した純とアカザの裾を引き、インウィディアが声を張り上げた。

「闇の魔力の、気配がしたの! 多分、魔物、だわ……!」

 それで漸く純とアカザは事態を理解して、もう姿も見えなくなってしまったレオンを追うべく駆け出す。「こっち!」とインウィディアが先導に立ち、それに着いていく形で三人は走った。


 そして――レオンに追いついた時、三人は目を疑った。

 恐らくは、低ランクの魔物が多く居たのだろうか、既に魔物は影も形も無いが、レオンが広範囲に水属性の魔術を使ったであろう痕跡が――具体的に言うと濡れて抉れた地面が――ある。それそのものは、レオンの魔力はそこまで強いものだっただろうかという疑問はあれど、現場を見ていない以上そこまで言及出来ることではない。だから、三人が目を見開き、固まったのは、目の前の『二人』が繰り広げる光景故であった。


「ワタシ、助けてもラウなんて初めてヨ! アナタがワタシの王子様だったノネ!!」

「違います!!!」


 紫がかった薄青の髪はウェーブがかって、サイドテールに纏めている。桃色の丸い瞳はキラキラと輝いて、溌剌とした雰囲気を与える。耳に煌めく瞳と同色の花はピアスだろうか。メイリーと同じ、片言混じりの特徴的な訛りをしている。歳は、14か15といったところだろうか、純達と同じ年代に見えた。

 ――そんな、見知らぬ少女が、レオンに抱き着いて頬擦りしている。

「……え、誰?」

 純はそうとしか言えなかった。

「ジュン! アカザ! ウィディ! 助けて!!」

 到着した三人に気付いてレオンが叫ぶ。助けてと言いながら少女を突き飛ばさないのは優しさであろうか。だが、少女の服装は胸だけを隠すような黒い布を巻き付け、下半身はベリーショートパンツと何故か内股を隠さない足の装備、と、レオンにはあまりに刺激的なようで、そんな彼女に抱き着かれ胸を思い切り当てられているレオンは可哀想なくらいに真っ赤になっていた。

「え、えーっと……可愛いお嬢さん? レオンより俺の方が抱きつきがいあると思うぜ!」

 流石のアカザも混乱しているらしい。よく分からないことを言いながらとりあえずレオンを救出しようと――もとい、少女を離れさせようと声をかけた。

 少女はぱちくりとその瞳を瞬かせ、純、アカザ、インウィディアを見回す。そこで漸く、純は目の前の少女がメイリーと同じカラーリングをしていることに気が付いた。

「王子様のお友達? 王子様、レオンっていうのネ! 素敵な名前ダワ!」

「ひえっ!?」

 そんなことを言って、少女は再び抱き着く力を強めてしまう。むぎゅう、と胸が押し付けられたからか、レオンが素っ頓狂な声を上げた。そろそろ顔から煙を出してしまいそうである。

 何も解決していない。そう頭を抱えて、純は一歩、少女とレオンに歩み寄った。

「えーと、とりあえずレオンが死にそうだから離してあげてほしいな……」

「アラ、アナタ……もしかして、レオンの彼女……!? ライバルかシラ!?」

「いや違いますけど」

「ホント!? 良かっタ! 泥棒猫は良くないモノ!」

 ――何も解決していない。純が再び頭を抱えた、その時だった。

 少女がレオンからするりと離れ、四人の前に立ってくるりと軽やかに一回転してみせる。

「知ってるワ、メイリー叔母様から通信が届いたモノ。レオンってことハ、アナタ達、今日エリュファス村に来るってイウ旅人さんデショ?」

「!」

 目を見開いた四人を、一人ずつ指して、少女は笑う。

「レオン・アルフロッジ、アカザ・ジルアーク、ヤマダ・ジュン、インウィディア。聞いてた特徴通りダワ!」

 デモ、と、少女は付け加え――再び、飛び付くようにレオンに抱き着いた。

「レオン・アルフロッジがこんなにカッコよかったナンテ! メイリー叔母様ったら教えてくれればよかったノニ!!」

「か、かっこ……!?」

 抱き着かれて再び顔を赤くしたレオンを他所に少女は嬉しそうにレオンに擦り寄る。どうも、レオンは随分と少女に気に入られてしまったらしい。アカザと純とインウィディアで顔を見合わせ、やれやれと肩を竦めた。

 少女はといえばうっとりとレオンを見上げる。

「最近魔物が来る頻度が高くなって……さっきも連戦で大変だったノ、でもレオンのおかげで助かったワ……! とってもカッコよかった、アリガト!」

 少女が爪先立ちでレオンの頬に――ちゅ、と軽く口付けた。瞬時にぼふんと煙が上がるようにレオンの顔が赤く染まる。見ているだけのインウィディアも僅かに顔を赤くしていた。

 アカザがそれを見て「良いなぁ」などと零している。だがそんなことよりも、純は聞き捨てならない言葉を聞いた。


「……『魔物が来る頻度が高くなってる』?」


 純の言葉に、場の視線が集まる。少女が目を瞬かせ、レオンからするりと離れて頷いた。

「そうナノ! この森は昔から魔物が時々やってくるカラ、ワタシ達『精霊に愛された民』が魔物を討伐してるンだケド……最近やけに量が増えてるってイウカ、活発化しテルってイウカ……今は低ランクばっかりだケド、今後どうなるかわからナイシ……村の皆もピリピリしてるワ」

「……どうも、魔物の様子が変なのは一部だけじゃねーみたいだな」

 アカザがそう溜息をつく。レオンもまた、真面目な顔で何か考えている。インウィディアはおどおどと周りを見回していた。

「まあ、分かんないコトは考えてもわかんないワ!」

 ――そんな空気を断ち切ったのは、また、その少女だった。少女は快活に笑い、四人の前に再びくるくるとターンを決める。よく動く兎のようでもあり、自由な蝶のようでもある、そんな少女だと、純には感じられた。

「エリュファス村に用事があるんデショ? ワタシが案内してアゲる!

ワタシの名前はメルエージュ・エリトッド! メルって呼んで頂戴!」

 そう、少女――メルエージュは、明るく声を張り上げた。



 メルエージュに先導され、一行は昼前という予定より早い時間にエリュファス村に辿り着く。

 エリュファス村の住人は、この森の巨大な木に穴を開け、そこに家を作るらしい。居住区が森の中心付近にあるのもそこが一番家にするのに適した巨木が多いからなのだそうだ。

 故に、村はまさしく森の一部のようで、木々の下に家らしい扉や窓が無ければ、そこに人が住んでいるとは思えないほど、自然の中に溶け込んでいた。ただ、巨大な木で家が構成されているために、外観からは村の内部はよく見えない。

「タダイマ! 皆! お客さんヨ!」

 メルエージュが大きな声で呼びかけた。その声に反応し、村から飛び出してきたのは――薄い青紫や赤紫の髪をした、歳は一桁程度に見える、子供達であった。

 子供達はわらわらと一行を取り囲む。

「お帰リ、メル!」

「知らナイ人ダ! 鉄クサーイ!」

「コイツらダレ?」

 子供達は好き勝手に言い合い、純達をつついたり引っ張ったり、そうしてきゃらきゃらと笑う。エリュファス村は余所者に厳しい、そう覚悟していた対応とは正反対の、騒がしいが嫌味のない雰囲気に面食らい――そして、自然と純達には笑いが生まれた。

「戻レ、お前達」

 ――だが、その和やかな空気も、そんな声で断ち切られてしまう。大きな声ではないが、よく通る――圧のある、声だった。

 一行を取り囲んでいた子供達はびくりと肩を跳ねさせる。怯えたような顔の彼等は、お互いに顔を見合わせ、渋々、といった風に村の奥へ走っていった。また、村の入口には、純達四人とメルエージュしか居なくなってしまう。

 子供達と入れ違いでやってきた、薄青の髪の中年男性が、顰めた顔のまま純達の方へやって来る。メルエージュが彼を見て、むっすりと顔を膨らませた。

「皆楽しんでたノニ。野暮ヨ、パパ」

「……お前ハいつも軽率すギル」

 男は、その顰めた表情も相まって、厳格そうに――恐ろしそうに、見える。レオンやインウィディアは特に顔を強ばらせ、一歩後ずさった。

 彼自身はそれに気付いた様子はなく、純達に向き直る。

「アノ放蕩娘……メイリーからノ連絡ハ届いてイル。リシュール王の書があるのダロウ」

「あ、はい、こちらに……」

 どうにも、男はメイリーに良い感情ではないらしい。それを察して純は少々気分を害しつつ、それを表に出さないように、男の問いに頷いた。

 純が懐から取り出した封筒を受け取った男が、その封をびりりと破る。中から紙の束を取り出し、暫く黙って目だけを動かしていた。

「……確かに本物ダ。エリュファス村は形式上リシュール王国領、リシュール王を無碍ニする訳にはいくマイ。貴様等の入村を許可しヨウ」

 男はそう言って、手紙を乱雑に懐にしまい、一行に向き直る。

「私はエリュファス村の長を務める、メイズラド・エリトッド。入村は許可するガ、村の中で粗相ハしないヨウ」

 ――メイズラドのことを、メルエージュはパパと言った。そして、メルエージュはメイリーを『叔母様』と呼んだ。

 メイズラドはメルエージュの父親であり、メイリーの、おそらくは兄なのだろう。だが、冷たく見下ろす桃色の瞳は、メルエージュともメイリーとも似ていない。そう、純は密かに溜息をついた。


 村に入ると、窓や家の影から一行を観察するような視線に晒される。その殆どが、大人や老人であるように思われた。成程確かに、幼い子供達以外は、余所者に厳しい村なのだろう、と純は察する。

 村の中は、外から見たよりも、人が暮らすために整備した跡があった。人々が生活するためのスペースは広げられ、道中、恐らく人々の憩いの場であろう広場も発見する。先程追い返された子供達が遊んでいるのが遠目で見えた。

「……そういエバ、大婆様に会いタイそうダナ」

 そう言って、先頭を歩いていたメイズラドは振り返る。その言葉に反応したのは、純よりもメルエージュが早かった。

「そうナノ? じゃ先にそっち行きまショ! ワタシが案内スルワ! パパは家で待っててチョウダイ!」

 メルエージュはそう明るく言って、しっしと犬を追い払うようにメイズラドに手を払い、純達の背を押して方向転換させる。メイズラドは溜息を吐くも、特に何も言わずに背を向けて歩き出した。好きにしろ、ということなのだろうかと、純は首を傾げる。

 父親を追い払ったメルエージュは気にした様子もなく、「早く行きまショ!」と笑顔で急かしてくる。純にはメイズラドのことは好きにはなれそうにないが、少々の憐憫は感じた。父親とは、多くの場合娘の尻に敷かれるものであるのかもしれない。

 ――メイズラドの背中も見えなくなった時、メルエージュが四人に向き直った。

「ごめんナサいね。パパも村の大人達も、頭固いノヨ」

 眉を下げて、ぺこりと頭を下げる。それには四人が慌てることとなった。

「いや、気にすんなよ! エリュファス村の住民は外の奴に厳しいとは聞いてたし!」

「そレガ駄目なのヨ」

 アカザの言葉を、顔を上げたメルエージュがばっさりと否定する。

「最近色々物騒ダシ……大人達は自分の力を過信し過ぎナノよね! 精霊術だッテ万能じゃないんダモの。もっト寛容になるべきナンだわ」

 やれやれといった具合に、メルエージュは首を横に振る。その姿は、初対面の時の快活さはなりを潜め、どこか見た目にそぐわない大人びた雰囲気を与える。

「デモ、子供達はだんだん外への興味も持ってキテるのよ。メイリー叔母様みたイニ外に出た人も居るし、希望が無いワケじゃなイワね」

 そう微笑んで、メルエージュは「大婆様の家ハこっチヨ」と指し示し、歩き始めた。


 そうして幾らか歩いた時、先導していたメルエージュが、そういえば、といったふうに、純達に振り返る。

「でも大婆様、すっかりボケちゃっテテ……まともにはお話できないカモ。皆はどうして大婆様ニ?」

「えっと……私達、『空白の歴史』について調べてるんだ」

 純のその返答で、メルエージュにも察しがついたらしい。アア、と頷いて、その顔が輝く。

「そうナノ! 大婆様は英雄の一人のメルオディア・エルスワース様なのヨ! 昔はとっても凄かったんダッテ!」

 誇らしげに話すメルエージュからは『大婆様』への尊敬が良く見える。今はすっかりボケてしまったということだが、今なお彼女は愛されているらしい。

 そして、純は、ふと気が付いた。

 エリュファス村の住人は寿命が普通の人間より長い。大体は二倍程度。それ故に、御歳200を超えるメルオディアが今も生きており、どう見ても20代であるメイリーが47歳であるのだから。それは、即ち、今目の前にいるメルエージュは見た目は純達と同じくらいに見えても、実際は歳上であるかもしれないということを意味する。

「……あの、メルエージュ……さん」

 それに気が付いて、純は、恐る恐る尋ねた。

「メルって呼んでほシイわ!」

「……メル。失礼だけど……お幾つ?」

「ワタシ? ワタシはピチピチの30歳ヨ!」

 その回答は予想通り、ではある。しかし、どう見ても同年代の少女から飛び出した年齢は、予想通りであっても衝撃的であった。

 メルエージュは固まった四人の反応の理由が分からなかったらしく、首を傾げる。しかし何かを思い出したように、ア、と声を上げた。

「そうイエば、外の人って歳をトルの早いノヨね?」

「俺とレオンは15だし、まあ、ジュンちゃんもそのくらいだよな」

 アカザに聞かれて、純は頷く。インウィディアは身を縮こまらせて、純の背後に隠れたが、その事には気にした様子はなく――というよりは年齢の衝撃の方が強かったのだろう――メルエージュは目を丸くした。

「15!? それジャさっきの子達と同じくライなの!?」

 さっきの子達、とは、エリュファス村の入口で四人を取り囲んだ子供達のことだろう、と純はあたりをつける。どう見ても一桁程度であったが、実年齢がおおよそ見た目年齢の二倍であるなら、15歳という年齢であってもおかしくはなかった。とはいえ、やはり幼い子供達にしか見えなかった彼等が自分達と同年代なのだと知ると衝撃は少なくない。

 ――多分、精神年齢は見た目年齢の方に寄るんだろうな。

 そう、純は心の中で整理をつける。メルエージュはといえば、ひゃー、だとかえぇー、だとか言いながらくるくると行ったり来たりを繰り返していた。

「レオンも15歳……歳の差になっチャウのかシラ……でも見た目は同じクライだし、精神的にも同じくライヨね? 平気かシラ?」

「え、えーと?」

 メルエージュの独り言に名前を出されたレオンが困惑の声を上げるが、それに気付いているのかいないのか、ハッとしたようにメルエージュが顔を上げる。

「じゃナクて、大婆様だったワネ! パパのお小言は長いシ、早く行っちゃいマショ!」

「え、あ、うん」

「あとワタシ、禁断の恋ダッテ二人の愛があればアリだと思うワ!」

「うん?」

 レオンの困惑の声は届いていないようで、メルエージュは再び元気に歩き出してしまう。アカザが、呆然とするレオンの脇を軽く小突いた。

 ――そして、それからそう時間はかからずに、他より巨大な木の前まで辿り着く。

 他と同じように木の下部に扉と窓が付けられ、しかし他とは違って何やら草で作られているらしい飾りがあった。

「ここが大婆様の家ヨ! おボケになられてて、最近は体の調子も悪いカラ、皆で交代でお世話しテルの。今日はマイルだっタカしら」

 メルエージュはそう告げて、扉に手をかける。鍵、という概念はこの村にはないのか、扉にはそういった仕掛けは無さそうで、メルエージュは押しただけでその扉を開けた。その中に、短い通路の先に大部屋に繋がっているらしい入口が見えたが、その部屋の内部は入口にかかっている暖簾のような布で見えない。ただ、部屋の方から何かを煮込んでいるような美味しそうな匂いが漂ってくる。

「マイル! 大婆様にお客サンよ!」

 すたすたと通路を通り奥の部屋に入るメルエージュに、ついて入っていいものかと四人は開けっ放しの扉の前で顔を見合わせた。中からは「客ダぁ? 余所者ってコトか」「そうイウ言い方駄目よ! 話にアッタでしょ、外から人ガ来るって!」などと、青年とメルエージュが言い合う声が聞こえた。

 とりあえず扉が開けっ放しであるのは入れということなのだろう、と四人は解釈を纏め、中に足を踏み入れる。一番最後に入ったアカザが扉を閉めたのを確認し、四人は歩を進めた。

 先頭の純がまず最初に、暖簾を潜って部屋に入る。恐る恐るながらも足を踏み入れると、思っていたよりも広々とした、丸い部屋が見えた。どうやら木の中で、幹全体のスペースを使って奥行きを確保しているらしい。外から見ても木は小さな一軒家くらいなら包み込めそうなほどの太さであったことを思い出して、この広さも納得した。

 天井の高さは2mほどで、部屋をぐるりと囲むように、階段がゆるく螺旋を描いている。一階分に一部屋、それらを二階、三階と縦に積み上げることで居住空間を確保する仕組みなのだろうと、純は理解した。

 中に居たのは、メルエージュと、赤紫の髪をした厳つい顔の青年である。メルエージュは四人が入ってきたのを見て、ぱっと笑ってレオンに駆け寄って飛び付いた。

「皆良い人ヨ! レオンなンテこんなにカッコ良いの!」

「カッコイイかぁ? 気弱ソウな餓鬼じゃネーカ」

「失礼ダワ!」

 マイル、というらしい青年が呆れ顔で溜息をつくのを、メルエージュが憤慨して頬を膨らませる。純の後ろで、アカザが小声で「まあレオンは別にイケメンではないよな」と呟いていた。

「……マー、村長が村に入れタンなら俺にどうシヨうもネーよ。大婆様は二階ダ。行くならサッサと行きナ」

 マイルはそう素っ気なく言って、部屋の奥へと行ってしまう。どうやら昼食の用意をしていたようで、先程の匂いは奥に設置されたキッチンの鍋からなのだろうと、四人は理解する。

 マイルの背中に向かって舌を出していたメルエージュが、ぱっとレオンから離れて階段の始まりを指差す。

「それじゃ行きマショ! 足元気を付けテネ!」

 頷いて、先導するメルエージュについて階段に足をかけた。

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