第七章:エリュファス村

第二十二話:エリュファス村道中

 かつて――『空白の歴史』以前は、今よりも人の住まう土地は広く、人の数も多かったとされている。国の領地とは今のように村や町が草原に点在しているのではなく、領地の中心にある首都を囲み、いくつもの町や村が国と国の境界線ギリギリにまで密集して広がっていたのだ。当然それは中心から離れるほど人は減り自然は増えていったが、国同士は戦争を繰り返していたために、国境付近には城塞都市が並んでいたという。

 この大地の殆どに人間が住んでいた光景は今では想像だにし難いものである。


 ――そこまで読んで、純は息を吐いて本から顔を上げた。向かいの席ではアカザが治療中リハビリとして課されていたらしい手遊びを手持ち無沙汰に繰り返し、その隣のレオンは難しい顔をして資料を読み耽っている。純の隣からはインウィディアの寝息が聞こえる。自身にもたれかかる重さを起こさないよう気遣いながら、純は一つ欠伸をした。

 窓の外から見える空は綺麗な夕焼けで、草原がその赤に照らされている。遠くに見える幾つかの町や村は、すぐに純の視界から過ぎ去っていってしまう。


 サファイアが放つ水の魔力を動力として動く列車――『水車』は、純達を乗せて順調にエリュファス村へと走っていた。



第二十二話:エリュファス村道中



 パルオーロを発ったのは、アーサーから蒼の鏡を譲り受けた日の翌日、その昼過ぎであった。

 というのも、パルオーロからエリュファス村には相当の距離がある。この世界での最速の移動手段は陸においては宝石を原動力とした列車であるが、それでもほぼ半日以上かかるのだ。距離もあるが、この世界の列車が純のよく知る方の『電車』や新幹線などよりも遅いことも時間がかかる要因ではある。この世界の列車ではパルオーロを朝に発ってもエリュファス村に着くのは日暮れ、ならばパルオーロを昼過ぎに出て、夜を列車で過ごして朝にエリュファス村に着くべきだろうという話になったのだ。

 エリュファス村――正確に言うとエリュファス村付近にあるスルド駅行きの『水車』は、途中幾つかの町や村に停車しつつ、時にサファイアを補給しつつ進む。

 今回はパルオーロ行き列車の時のような個室ではなく、三人掛けの椅子二つずつが向かい合うように連ねられ、真ん中の通路を挟み両側の窓に沿って二列に置かれている車内で、出入口に近い向かい合わせの二席を取っていた。少々開放的ではあるがプライベートには気を遣われているようで、向かい合わせの二席ごとに防音性を持つ宝石が埋め込まれたカーテンが設置されている、純にとっては物珍しい仕掛けがされている。そんな席で、四人は時に話に花を咲かせながらも各々好きなことをして時間を潰すこととなった。

 純はといえば、少しでもこの世界についての理解を深めようと、レオンの家の書庫から借りたりパルオーロで購入したりした本を読み耽っていた。今読んでいる文化と歴史についての本はなかなか興味深く、長い移動の暇潰しには丁度良い。

 文化について、様々なことを本を通して知ることが出来た。リシュール王国だけでなく、その他の国についてもだ。

 例えば下着。この世界の標準のパンツはTバックなのだとカント以降思っていたのだが、どうやらそれはリシュール王国に限ったことのようであった。即ち、ガイア帝国などではもっと布面積の多い下着が主流であるらしいのだ。それを読んだ時、純は少々ガイア帝国への恐怖が薄れた、というのは余談である。

 他にもいろいろな事が書いてあったが、中でも純の興味を引いたのは、この世界での『旅人』の扱いについてであった。

 純とレオンが初めて出会った時、レオンは「人の家に入るなんて当たり前」だと言った。その時は異世界故のカルチャーショックだとしてそういうものなのだと自らを納得させたが、調べてみるときちんと理由があったのだ。

 『空白の歴史』以前はそのような風習は無かった、と考古学は明らかにしているらしい。人の家は所有者のパーソナルスペースであり、そこに人が入るなどということは言語道断であった。たとえ鍵が開けっ放しになっていたとしてもだ。勿論、勝手に入れば法による処罰の対象となる。

 しかし現在、人々は基本的には玄関には鍵をかけない。なおかつ、「鍵のかかっていない空間には入って良い」とリシュール王国でもガイア帝国でも法で定められている。入って欲しくない個人スペースにのみ鍵をかけ、リビングなどを旅人のためのもてなしのスペースとして解放するという風習が『空白の歴史』以降生まれているのだ。

 それは『空白の歴史』以降現れた魔物という危険のために、逆に旅人を大事にする風習が生まれたのだろう――とレオンの祖父を含め多くの考古学者や文化学者は推測していた。

 固定の町や村に永住するということは、魔物から身を守る術を持たない人間であるということと同義である場合も多い。町や村が点在する現在、町村間の移動はそういった人間達には難しく、だからこそ様々な地を渡り歩く旅人は貴重な物資、情報の提供者となりうる。そういった事情から、旅人に己の住処の一部をもてなしのために解放するような風習が生まれたのだろう、と。

 ――ただし、当然例外もある。そのような風習が存在しない地域は、二つ存在するようだった。

 一つはサイスト居住区。海に囲まれ独自の風習を形作ってきたそこは、そもそも旅人というものがほぼ存在しない。人の居住地が大きく固まって、大陸の一部を占めている。町村という形で点在していないのだ。故に閉鎖的な風習を形作ったとしても何ら問題は生じない。

 そしてもう一つは――エリュファス村だ。純は息を吐いて、本を閉じた。


 エリュファス村。

 『エルフの末裔が息づく村』とも呼ばれている、リシュール王国の領地という扱いではあるが、実際には小さな独立国家と化している村だ。かつてはラーフィット大陸に住んでいた一族が『空白の歴史』の最中にこのフロリダ大陸に移住したとも言われているが、如何せん閉鎖的な村であるが故にそのあたりはエリュファス村の外の人間にとっては定かでない話であるらしい。

 彼等は外からの移住者を受け入れず、村の中だけで人間関係を構築しており、独自の術形態――『精霊術』を守っている。


 純は車内の暇潰しとしての読書でエリュファス村についての本も読み漁ってみたのだが、大体の本でエリュファス村はそう説明されている。

 『エルフの末裔』、というのは、村民の祖先が己の種族を人間ではなく『エルフ』だと名乗ったことから、エリュファス村の民は自分達をそう呼ぶのだという。『精霊術』もエルフから受け継いだ術であり、大気中の『霊子』と呼ばれる力の粒を『精霊』という塊――大体は蝶のような形態をしている――にして扱うものだと、本には記載されていた。それを読んで、純はメイリーの周囲に飛んでいた蝶が精霊なのだと理解することとなる。

 自分の魔力ではなく、大気中に存在する『力』を使う――即ち、精霊術は、あらゆる属性の術を扱えるということだ。魔術属性において非常に珍しい属性、光属性――それは実際にはある一つの一族のみ扱える属性であるらしい。そして、その一族こそがエリュファス村の人々なのだ。

 しかし、そんなエリュファス村の人々にも、闇属性の術は扱えないらしい。その一文を読んだ時は、純も肩を落とさずにはいられなかった――闇属性の謎は一向に深まるばかりで、解明の目処も手掛かりもなかなか見つからないことに。

 ――そんなエリュファス村が旅人に閉鎖的であるのは、精霊術の保持の他にも、村の人々が皆戦闘能力を有することも理由にあった。それはつまり、旅人に頼らずとも、物資も情報も、それらを手に入れるための術もあるという事だ。むしろ粗相をするかもしれない旅人は入れない方が良い――という、旅人に優しくない村なのである。


 正直に言おう。不安であると。


 そう、純は何度目かの溜息を吐いた。エリュファス村について知ればこの不安も薄まるかと思ったが、むしろ濃くなったように思える。メイリーとアーサーから書を預かっているのだから大丈夫なはずだと言い聞かせても、妙に胸に残る靄は晴れない。

 本は確かに興味深く、良い暇潰しになった。だが募る不安からはいい加減目を逸らせなくなってきたのである。


 ――ガタン、と列車が揺れた。途中停車の町に着いたのだと、窓の外の光景を見て気付く。パルオーロよりはずっと田舎だが、カントよりも賑わった町のようだった。遠くに山の影が見える。

「……ここどこ?」

 純の肩にかかっていた重みが無くなって、そちらを見ると、インウィディアが寝惚け眼を擦って顔を上げていた。

「途中停車のウルリだよ」

「うるり……」

 資料から顔を上げたレオンの答えを、インウィディアは首を傾げて反復する。それに噴き出して、レオンは「サファイアの産地で有名なんだ」と続けた。

「暫く燃料補給のために列車は動かないから、ここで晩御飯食べちゃおうか」

 ちょっと早いけどね、と笑って、レオンはいつの間にか寝入ってしまっていたアカザを起こした。



 ウルリでの腹拵えや簡単な風呂を済ませ、諸々の支度を整えて列車に戻ると、恐らく純達と同じようなことを考えたのであろう乗客達も車内に戻り始めていた。勿論ウルリで降りたり新たに乗ったりする人も居たのだろう、何人か席に座る顔が変わっていたりした。純達は再び席に座り、出発を待つ。

 出発予定時刻が残り数分となった頃、もう車内の席は一杯になっていた。

「もし、そこのお客さん方」

 声をかけられて、純達は顔を向ける。そこに居たのは中年の、青い制服を着た運転手だった。

「すみません、水車に乗りたいってお客さんが居るんですが、席が無くて……相席よろしいですかね?」

「え? ええ、まあ、はい」

 純が一応レオン達にアイコンタクトで確認を取ってから頷くと、運転手は満足そうに頷く。

「助かります。それじゃ、その人を連れてきますね」

 そう言って運転手は出入口へと歩いていき、外へと何やら声を掛けていた。数分の後、再び運転手が――今度はフードを深く被って白いローブを着た人物を連れて――やって来る。

「じゃあ、お願いします」

 そう言って、運転手は列車の奥、運転席へと通じる扉へと歩いていった。運転手が連れてきたローブの人物はその後ろ姿に一礼し、純達に向き直る。

「いやぁ、助かりました、ありがとうございます……おや、」

 聞き覚えのある声だった。純がその記憶を辿るより先に、彼がフードを少し浮かせてみせる。

 その下に覗いた顔に、純、レオン、アカザは目を見開いた。レオンなどはぱくぱくを口を開閉し、思わずと言ったようにその人物に指を指す。

「か、か、か……!?」

 叫びそうになったレオンを押し留めたのは、驚かせた本人である、彼だった。彼はフードの下で微笑んで、口元で人差し指を立ててみせる。

 彼は通路側――レオンの隣に座り、防音性カーテンを閉めてから、己のフードを完全に脱ぎ去った。


「奇遇ですね、皆さん」

 目を見開いた三人と、疑問符を浮かべるインウィディアの視線の先で、彼――語り部は、相変わらず穏やかな笑顔を浮かべている。


「知り合いがいて助かりました。こういう狭い場所で、無闇に目立ちたくないもので」

「いや、いやいやいや」

 純が声を絞り出す。しかし繋げる言葉は思い浮かばず、沈黙し、やがて油の枯れた機械のように、ぎぎぎ、と顔を上げた。

「…………こんばんは……?」

「はい、こんばんは」

 相変わらずにこにこと笑っている語り部を見て、純はがっくりと項垂れた。脱力した、とも言える。

「……そういえば、語り部さんって神出鬼没なんだっけ……」

「そ、そう言われてるね……」

 純の零した声に、レオンがそう空笑いをする。語り部はといえばにこにこと微笑んだまま、視線をインウィディアに向けていた。

「お友達が増えたのですか?」

「あっ、えっとこの子は新しい仲間で……」

「……インウィディア」

 純が答える声の途中で、インウィディアが自ら口を開いた。彼女はその葡萄色の瞳でぱちくりと語り部を見ている。

「貴方は、だぁれ?」

「語り部さん、聞いたことないか? 色んな場所で物語を語ってくれる……」

「知らない」

 アカザの説明にばっさりと首を横に振り、インウィディアは語り部をまじまじと見る。

「……私、今まで、あんまり外に出られなかったから。物語を語ってくれる語り部さん……そんな人が居るのね」

「ふふ、大したものではありませんけどね」

 まじまじと、不躾とも取られそうな視線を受けながらも気を悪くした様子もなく、語り部は微笑んだ。

「そういえば、アークハット村は如何でしたか?」

「あっ」

 語り部のその言葉に、インウィディアを除く三人は揃って声を上げた。アークハット村に行くことをカントで進言したのは語り部である。それを思い出して、しかし、レオンが言いづらそうに頬をかいた。

「実は……アークハット村が魔物に襲われてて……えっと、魔物が村を襲わないのって生命力が一定以上沢山あるからなんだそうです。でもアークハット村は人口が減ってて元々危険だったみたいで……村の人は皆無事だったんですけど、結局、一つを除いて資料は全部燃えちゃったみたいです。残った資料も劣化が凄くて、今はパルオーロで解析してもらってて」

「おや」

「あ、でも無駄足なんかじゃなかったですよ! アークハット村に行ったおかげで、リック……お兄ちゃんみたいな人を助けることが出来たから!」

「……そうですか」

 レオンの言葉を聞いて、語り部は微笑んでいた。

「お兄さんは、皆さんの成長が喜ばしかったでしょうね」

「あー……ちょっと怒られちゃいました、無茶するなって……お礼も言って貰えたけど」

「おやおや」

 頬をかくレオンにくすくすと笑って、語り部は目を細める。どこか、懐かしむような目だった。

「心配性は、年長者の性かもしれませんね」

 その目に、純は見覚えがあった。記憶を辿って、そして、ハザマがライを見る目に似ているのだと気付く。

「語り部さんって、弟とか妹とか、居るんですか?」

 ――そんな疑問が、口をついて出ていた。語り部は目をぱちくりと瞬かせたが、やがて微笑みを返す。

 少し悲しい笑みだった。

「居る、というか、居た、と言うのが正しいですね」

「えっ……、ご、ごめんなさい……!」

「いえいえ、気にしないでください」

 語り部はなおも笑んでいたが、純はほぼ反射的に頭を下げる。語り部の「顔を上げてください」と困ったような声が聞こえた。

 恐る恐る顔を上げると、語り部が、悲しげではなく懐かしむ目をして笑っている。

「純さんは優しい子ですね」

「……そんな、」

 純が否定しようとしたのを、語り部はにっこりと笑って言外に押し留めた。

 ――それで、この話は終わりであったようだった。語り部はレオン達にも向けて口を開く。

「そういえば、皆さんはこれからどちらに?」

「あ……えっと、エリュファス村に行くんです。語り部さんは?」

「僕は聖セリアへ。エリュファス村から駅二つ分ですね」

 聖セリア、という地名は純も知っていた。


 聖セリアはリシュール王国とガイア帝国の国境付近に位置する、リシュール王国の城塞都市だ。国境を守る要塞としての役目を持ちながら、キリュート教の聖地でもあるらしい。

 キリュート教とは、キリュートという唯一神を祀っている十字架をシンボルとする宗教だ。十字架の宗教といえば純はキリスト教を思いつくものだが、キリュート教は単にキリストをキリュートと置き換えたというようなものではなく、違う宗教だった。『味方に優しく、敵は塵も残さず殺せ』『権力を求めるな』という独自の戒律があり、十字架をシンボルとする由来も、なんでもキリュート神が罪人を罰する時巨大な十字架で殴るからなのだそうだ。

 そして、そのキリュート教の聖地として大きな教会を有し、その教会が有するキリュート教の軍隊が国境の要塞を守っている――宗教と軍力が合わさった、パルオーロに次いで巨大な町、それが聖セリアなのである。

 ここまでの知識は純が自ら本で調べたということもあるが――パルオーロでの療養中、アイクが教えてくれた。

 アイクは孤児だったそうだ。聖セリアにあるキリュート教の孤児院に引き取られ、アーサーの計らいで軍に入った。故に彼はキリュート教を信奉し、アーサーを慕っているのだという。また、曰くには聖セリアの教会に剣の師匠がいるとの事だ。

 ――そして、その聖セリアに行くという語り部は、いつの間にやら懐から――前も思ったがそのマントの何処にしまっているのか――分厚い本を取り出した。

「それでは、相席のお礼と言ってはなんですが――エリュファス村に伝わる、創世神話を語りましょうか」

「エリュファス村に?」

 心做しか目を輝かせたレオンが問い返すのに笑って頷いて、語り部はページをパラパラと捲る。


「『空白の歴史』より前。彼等の祖先、エルフが彼等に伝えた物語。エルフは言いました。『界』とは幾つもあるのだと。天国界、地獄界、神界――そういったものを全て合わせて、『世界』と呼ぶのだと。中でも人間や動物が支配する小さな界は幾つも存在し、それらの総称を、人間界と呼ぶのだと」

 ――既に、語り部の物語は始まっていた。空気が遮断され、音は消え、語り部の作る空間が四人を惹き込んだ。


「その全ての『界』を――『世界』を創り出した存在。それを、エルフを含む、人間界の外の種族達は『王』と呼ぶ」


 語り部は静かにページを捲る。その音は、空間を壊すに至らないほど控えめだった。

「『王』はまず、二つの生命をお創りになった。破壊を司る神と存在を司る神。『王』を含めたそれらを、我等は『原初の三神』と呼んだ。

『王』はその後に、『世界』をお創りになり、生命をお創りになった。お創りなさった生命のうちの『神族』に、『世界』を維持するための『神力』をお与えになった。

――『神力』とは概念を定義する力。炎の神力の存在で、『それ』は『炎』になる。そういう力。存在するだけで、神力は効力を発揮する。神族とは、神力の器として、神力を維持させるための装置。そして、『王』は神族がその役目を果たすまで、首輪として『真名』をお与えになった。神力の名をそのままその神族の名付けとして、ラベルを付けること。神族が役目を果たし終えるまで――彼等が、その役目を後代へと継がせるまで、彼等は本当の名前を得られない」

 ――無情にも思えた。

「また、『王』は破壊神の目玉から、一匹の竜を創られた。その竜の血を媒介として、さらに生き物をお創りになった。竜にその生き物を率いさせ、『王』は、『世界』に仇なす者を殺す『裁判者機関』を創られた。

――『王』は仰った。“これは罪人の末路である”と」

 ――理不尽にも思えた。

「『王』は全てをお創りになった。そして、それら全て、『王』がお創りになった『世界』を維持させるための機構」

 ――独裁とも思えた。

「故に、故に。我等は全て『王』のもの。『王』の所有物。『王』のための歯車のひとつ。『王』が死ねと言えば死に、『王』が全てを差し出せと言えば差し出す。それこそが、『世界』に生きる者達の最大の歓びであると――」


 ――それなのに、『そう』することは、疑う余地のない当然であるように思えた。


「……と、エリュファス村には代々伝わっています」

 ぱたむ。と本が閉じられて、シャボン玉が弾けるように、四人は現実に引き戻された。

 語り部はやはり、なんてことのない、穏やかな笑みを浮かべている。

「……す、すごい話ですね……」

 レオンが絞り出すように出した声に、語り部はにこりと微笑みかけた。

「まあ、ある種の信仰のようなものです。エリュファス村以外には広まっていませんけどね」

「なんで語り部さんそんな話知ってるんすか……」

「それはまあ、秘密ということで」

 アカザの問いに語り部はそうにっこりと微笑みを返す。それを受けて、アカザは乾いた笑いを零した。インウィディアといえば話の内容より語り部の語りに魅了されたようで、きらきらと目を輝かせている。


 ――そして、純はといえば、先程の物語に引っ掛かりを覚えていた。

 エルフという、その存在を、純には夢物語の存在だと一蹴できない。何故なら、ハザマがいる。

 ハザマは自らのことを『神族』と言った。その呼び方は、先程の創世神話にも出てきたものだ。まるで、『神』というものが、所謂神話的な神様ではなく、あるひとつの種族でしかないような呼び方だ。そのことは、シュヴァルツの一件でとうに確信していた。

 ――人間界は幾つもある。そして、人間界の『外』にも『界』はある、という。

 『エルフを含む、人間界の外の種族達』というものが、ハザマの言う神族を含むのだとすれば。世界、という呼び方は、純達がいるこのひとつの人間界を指すものではなく、もっと広くの――幾つもの『界』を引っ括めた呼び方としての――『世界』を指すのだと理解出来た。純達人間にとっての世界と、エルフ――そして恐らくハザマのような『神族』にとっての『世界』は違うのだ、と。

 純にとって、世界――否、『界』が幾つもあるという話は突拍子もない話ではない。彼女自身が、別の――語り部の言葉を借りれば、人間界のうちの一つからやってきたのだから。


 ――仮に。

 エルフが伝えたその創世神話が、ハザマにとっても真実のものだとすれば。

 そう考えて、純は語り部の言葉を思い出す。

 “『王』は神族がその役目を果たすまで、首輪として『真名』をお与えになった。神力の名をそのままその神族の名付けとして、ラベルを付けること。神族が役目を果たし終えるまで――彼等が、その役目を後代へと継がせるまで、彼等は本当の名前を得られない”

 同時に思い出すのは、ハザマの、先日の言葉だ。

 “『レイ』は『本名』で、『ハザマ』は『真名』です”

 そうハザマは言った。もし真名が語り部の言う『真名』と同じなら、順番がおかしい。200年前にハザマが本名を名乗り、今『真名』を名乗っているということになるが、語り部の話では最初に『真名』を与えられて、役目を終えた段階で『本名』は与えられるはずだ。

 考えても、純に答えは与えられない。それはそれで、今手掛かりは創世神話しかなく、それは人伝に語られたものであり、それを伝えたというエルフも、関わりがあるかもしれないハザマも居なかった。

 心の中でハザマに呼びかけてみても、返事はない。まるでアークハット村に向かう時のように、彼に声が届いていないようだった。

 現実に意識を戻す。目の前では、レオンやアカザ、インウィディアが語り部に新たな話を強請っている。

 彼等は、ハザマのことを知らない。だからこそ、この神話は彼等にとって、どこか遠い、無関係な宗教の物語に過ぎない。

 だが、純にとってはそうではなかった。真名や神族、『世界』のことだけではない。『王』のこと、創世神話で語られる全てのことを、覚えていなければならない気がしてならなかった。

 ――しかし、今、純にそれ以上のことを知る術はない。だから、心の片隅に確かに書き記して、語り部が新たに語り出す物語の世界に身を沈めた。

 外は夜の帳が落ち切って、星空が見えている。


 彼等は眠りに誘われるまで、静かな物語の空間に浸っていた。



 明るい日差しが目に当たって、意識が浮上する。夢も見ずに深く眠っていたのだと気付いた。

 目が覚めるとほぼ同時に、ガタン、と電車が揺れる。運転手が張り上げた声でスルド駅に着いたのだと知った。レオンとアカザが音で目を覚ましたのを確認して、純は隣のインウィディアを揺り起こす。

「……着いたの?」

「そう。降りる準備をしよう」

 インウィディアは――夜遅く物語に耽っていたためにまだ眠いのだろう――寝惚け眼を擦りながら、ゆっくりと身にかけていた毛布を畳み始める。

 寝起きの気だるさを持ちつつも身支度を整えていく四人を、純が起きる前には既に起きていたらしい語り部はにこやかに眺めていた。

「それでは、これでお別れですね」

「あの、昨日はありがとうございました。たくさんお話を聞かせてもらって……ほらウィディもお礼」

「……ありがとう……」

 純に促されて照れながらも頭を下げたインウィディアに、語り部は「いいえ」と微笑む。

 四人全員の支度が終わり、席を立つ。語り部も立ち上がって四人を席から出し、手を軽く振ってみせた。レオンが語り部に向かって頭を下げる。

「ありがとうございます、語り部さん」

「こちらこそありがとうございました。楽しかったですよ」

 皆さんの旅路に幸運がありますように。そう付け加えて、語り部はまた微笑んだ。



 水車を降りて、数分の後、扉は閉まり次の目的地へと走っていく。それを見送り、純達はエリュファス村に向かおうと歩き出した。

 ――その時だった。


『――純!』


「えっ!?」

「え、何、どうしたの?」

「ジュンちゃん?」

 突然大声を出した純に、レオン達が不思議そうな顔をする。それに「何でもない」と返しつつ、純は心の中で返事をした。

 勿論、先程脳内に語りかけてきた――ハザマにである。

「(何急に!? びっくりした!! 昨日は呼びかけても返事無かったくせにいきなり声掛けるのやめてよ! 精神世界でもないのに!)」

『昨日? 昨日ワタクシに呼び掛けたと?』

「(そうだよ!)」

『……』

 レオン達に軽く返事をしつつハザマに文句をつけると、今度はハザマが黙りこくった。いきなり話しかけてきておいてなんなんだ、と文句を言おうとしたその時、再び脳内に声が響く。

『……昨日の夜から、貴女の様子がワタクシの方で認識出来なくなりました。何かに阻害されて、コンタクトがとれなくなっていたのです。シュヴァルツの時のような嫌な感じではなかったのですが……』

「(え?)」

『実を言うと、カントの夕方から夜の数時間でも似たようなことがあったのです。その時はたまたまパスの調子が悪いのかと思いましたが……、……まあ、何も無かったなら良いんです。今後もお気を付けて~』

 ぷつん、と何かが切れるような音がして、ハザマの声が消えた。彼の用件はこれで終わりなのだろう。

 ――しかし、純にとってはそれで終わりにできることではなかった。ハザマに真名の話を聞こうと思っていたことを忘れていたが、それは今は良い。

 カントの数時間。昨日の夜。全て、語り部と居た時間帯である。たまたまと、言い切ることは出来ない。

 純は水車の行った方を見たが、もう影も形も無くなっていた。

「ジュン、どうしたの? 行くよ?」

 レオンが首を傾げて問い掛ける。暫く純は水車の消えた方向を眺めていたが、やがて首を振ってレオン達についていった。


 ――またひとつ、疑問が増えた。そう、頭を抱えながら。

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