第十五話:檻の中
羨ましい。妬ましい。恨めしい。
妬ましい。妬ましい。妬ましい。
自由に生きる全てが妬ましい。
あいつもこいつもそいつも全部。
何もかもが妬ましい。
第十五話:檻の中
「リシュール国軍中将及び魔術団団長、メイリー・アラントン」
「リ、リシュール国軍大尉及び歩兵部隊員、アイク・アルノルト」
「国王陛下の命におイテ、少女の救出・奪還を主たる目的に、お二人に同行しマス」
メイリーと名乗った女性が片言混じりにそう言い切ったのを皮切りに、二人は揃って顔の前で指を組む。リシュール軍における敬礼を前にして、レオンとアカザは面食らった。
城のロビーにやってきた軍人二人組は敬礼を解き、レオン達に向き直る。身長は、瓶底眼鏡と髪で全体的にもっさりとした印象を受ける男、アイクは、アカザと肩を並べるだろうか。メイリーはそれよりも低く、150後半といったところである。彼女の、肩につかない程度に短く切りそろえられた薄い紫がかった青の髪も、アイクの、後ろはメイリーと同じ長さだがやけに前髪が長い黒髪も、リシュール王国ではあまり見られない髪色で、目を引いた。
しかし、メイリー、という名とその顔立ちには覚えがある。昨日のパーティでリックと共に国王の側にいた女性だと、真っ直ぐに自分達を見る彼女の薄桃の瞳で思い出した。
その瞳は逸らされることなく見つめ続ける。心做しか険を帯びているようにも見え――
「……あっ、れ、レオン・アルフロッジです!」
「アカザ・ジルアークです! どもっす!」
「よろシイ」
ふい、と目を逸らされて、レオンとアカザは安堵のため息をついた。
「……女の人にナンパしないの珍しいね、アカザ」
「こんな緊急時にできるかよ……あとあの人ちょっと怖い、美人だけどさ」
声を潜めて少年二人は囁き合う。メイリーはそんなレオン達には我関せずと言った具合でコツコツとヒールを鳴らして歩き出してしまった。「行けますか?」と遠慮がちに聞いてきたアイクに頷き、三人はその後を追う。レオンとアカザに並んだアイクが、「アラントン中将はちょっと毒舌で厳しい方ですが、魔術については軍で随一なので……」と、頼りなさげな笑顔を浮かべた。
「だ、大丈夫です、ボーッとしてたオレ達が悪いし……」
「い、いえいえ! 呆けるのは仕方ないです、いきなりですし……」
レオンの言葉に、アイクが慌てて首を降る。その勢いで、首から下げた十字架――キリュート教のシンボルが揺れた。近くまで来て、レオンは、彼にも見覚えがあることを思い出す。パーティ会場に行く前に出会った紙袋お兄さんを名乗る謎の男――彼を回収していった軍人であった。
近くまで来て、その瓶底眼鏡の奥の瞳が――見えたのは髪に隠れていない右目のみであるが――青色であることが漸くわかる。髪の色は珍しいけどリシュール人なのかな、と、レオンはぼんやりと思っていた。
なお、アカザがレオンとアイクに似た――端的に言えばヘタレビビリの――波長を感じ取っていたことは余談である。
そうして、辿り着いたのは裏口らしい場所であった。軍人らしい男が四人、馬の手綱を引いて待っている。
「乗馬の経験ハ?」
メイリーに尋ねられ、レオンとアカザは首を横に振る。そうデスか、と溜息をついて、彼女は馬を見やった。
「……馬車を使いまショウ。一人ずつ馬を走らせるより時間はかかりマスが、二人乗りより良イ。御者はワタシとアルノルト大尉が引き受けマスので、アルフロッジ殿とジルアーク殿は車内にドウゾ」
「えっ」
メイリーが、思わずといったように声を上げたアイクをじとりと睨む。アイクは悲鳴をあげ、御意! と慌てて敬礼した。
「……道中には魔物も出ますカラ、量によっては馬車内の御二方にも協力していただきマス。おわかりかと思いマスガ、これは遊びでも観光でもなく作戦行動。隊長であるワタシの指示に従って頂きマス。よろしいデスネ?」
「は、はい!」
レオンとアカザが頷いたのを確認し、メイリーは軍人が持ってきた馬車に向かって歩いていく。アイクを含めた三人もまた、その後を追った。
*
「……つ、疲れた……」
がっくりと純は床に膝をつく。書庫の端から端まで核を探す作業は、本を手に取ってみては戻すだけの単純作業であれども疲労感が強かった。
なおその結果は。
「この書庫は外れでしたね~」
「……」
がっくりと純は項垂れる。予め書庫に核があるとは限らないとは言われていたが、実際に徒労に終わるとやはり少し落ち込んだ。落ち込みついでに、ばたり、と純は床に寝そべってみる。書庫の床は木製だ。ひんやりとした、しかし石よりは温みのある木の温度が気持ちよくて、作業の集中から覚めて火照った体を自覚した。ハザマがはしたないと顔を顰めたが、それ以上は言ってこなかったのでそれに甘えて寝転び続けることにする。第一、一番最初に眠らされて床に転がされていたのだから汚れは今更だった。
――レオンやアカザがシュヴァルツにやって来る目処がたった今、虱潰しに核を探す必要は、無いといえば無い。二人が来て術を解除できればそれでいいが、敵からの妨害がないとは思えないので自分達でも動いた方が良い、とは、ハザマの弁であった。そういうわけで、純は彼と共に核探しを続行していたのである。
「……そういえば、あれ以来魔物出ないね」
あれ、とはスペルビアによって一番最初に魔物を仕向けられた時である。あの時のように、突然魔物が現れ核探しを妨害される――などということはなく、平穏無事に黙々と作業することが出来たのが、冷静に考えてみると静かすぎやしないだろうかと首を傾げる。
「この空間にスペルビアとやらが居ないからでしょう。パラドックス……魔物とて転移魔術なしに物理法則を無視はできません。あの優男がワタクシ達に核は見つけられないと見なしているのなら、わざわざどうせ倒される魔物を送り付けることはしないでしょうね。魔物だって無限にいるわけじゃないでしょうから」
最後の言葉に僅かに引っ掛かりを覚えつつも、それを言葉に出来ずに純は寝返りを打って空を仰いだ。
「……じゃあスペルビアは今何処にいるんだろ?」
引っ掛かりを口に出来ないまま、純は別の疑問を零す。ハザマはさぁねと肩を竦めて、書庫の隅にあった小さな踏み台に腰掛けた。
「あの口振りからして、貴女をここに連れてきたのは彼自身の意図と言うよりは別の人物の命令かと思われます。ですから、この空間の外でその人物と落ち合っている可能性は否めません」
「……それってつまり、そろそろ時間が無いってこと?」
顔を引き攣らせた純とは対照的に、ハザマは相変わらずの無表情である。
「その人物がここにやって来るのがタイムリミットとは限りませんが、まあ、ある程度の緊張感は持っていて頂きたいですね~」
うぐ、と純が呻く。緊張感を持てというハザマの喋り方が緊張感のない間延び口調ではあるが、言っていることは全くの正論で言い返せない。純は身じろぎ、起き上がろうと、した。
そこで動きが止まる。起き上がるために体を横に向けた中途半端な体勢で固まった純がそのまま耳を床につけたのを見て、ハザマが怪訝な顔をした。
「何をしているんです~?」
「……声が聞こえた」
「は?」
「女の子が泣いてる声。下に誰かいる。おまけに魔物の唸り声も」
珍しく間抜けな声を上げたハザマに構わず、純は素早く起き上がってその手に刀を握る。その意図を察知して、ハザマが顔を顰めた。
「……この空間で普通に下に繋がるとは限りませんよ? 第一、その声だって現実のものか怪しいですが。罠なんじゃないですか?」
「罠じゃなかったら私は後悔する」
下に繋がる道を探す時間は無い、そう呟いて純は刀を床に突き立てようとして、
――その手をハザマに掴まれた。
「っハザマ! 止めないで……っ」
「貴女の細腕で床を開けられるとは思いませんね」
え、と純は目を瞬かせた。純のやろうとしたことを静止させたハザマの片腕は、彼女を離して空に掲げられる。もう片方の腕は、純の腰に回された。
「しっかり捕まっていなさい。下に何があるか分かりませんから、床を砕くのではなく適当に『移し』ます。落ちますよ」
そう言われて慌ててハザマにしがみつく。ハザマがくちを動かして、音を紡いだ。
「
空気中で形作られたいくつもの氷の角柱が純達の周囲に突き刺さる。二人の体重を支えて繋がっていられなくなった床は、ばきん、と音を立てて正方形のくり抜きとして外れた。同時に純に浮遊感が伝わる。
「
ハザマのその声と共に、床の一部だったものは二人の足元から消えた。そのすぐ後、どしゃりと落下音が鳴る。音の方を向くと、本棚の側に、先程まで足元にあった板が崩れているのが見えた。それが見えたのは一瞬で、落下と共に、すぐに視界は黒になる。屋敷にあるべき骨組みは見えない。まるで設定されていないゲームマップのような黒に包まれて、下へ下へと落ちていく。落ちているのだが、風はなく、どこかふわふわと感覚が覚束無い。ゆっくりとしていて、夢見心地であるような。
「本当、何だってアンタ達は自分より他人を優先するのだか」
そんなことを吐き捨てて、ハザマは笑う。仕方が無いなと、諦めたような、呆れたような、優しい声だった。
再び、先程の呪文を二つ唱え、ハザマは下にある天井をくり抜く。そうしてそこから、二人は部屋に入り込んだ。
天井の穴から足を入れた瞬間、純の体に重力のようなものがかかる。風が通る。落下スピードを実感する。夢の中で、現実的な落下を味わうような。息を呑んで、ハザマに捕まる力を強める。ハザマは涼しい顔をしていた。上から見た部屋は、最初の部屋のような石造りで、しかし最初の部屋の数倍の広さを持ち、魔物がその床にひしめいている。
「舌を噛まないように」
ハザマがそう言った。彼は片腕に抱えた純を肩に担ぎなおして、刀を握り魔物の群れを睨んだ。一番大きな体躯の、カマキリのような魔物の額、そこに浮かぶ刻印にまず最初に刀を突き立てる。上からの奇襲に反応出来なかった巨体は無防備にその刀を受けて、悲鳴もあげずに光の粒と化した。その前にハザマは消えかけたその頭を蹴って、次の魔物に飛びかかる。
二、三の魔物を屠りながら、その体をクッションにして、ハザマは魔物が居ない地点に降り立った。そこに純を降ろす。優しい動作は、先程魔物を荒っぽく消し去った手とは思えない。
「やれますね?」
端的にそれだけを聞く。純は頷きで返して、自身も刀を構えた。惚けている暇はない。部屋中の魔物は、二人に気づいて数多の目をこちらに向けているのだから。
最初の部屋で戦った数の、数倍はありそうな量である。思わず息を呑むと、ハザマが鼻で笑った。
「怖ければ後ろで見ていてもいいですよ~」
「……はっ、冗談!」
その応酬を皮切りに、どちらともなく地を蹴る。赤い刃が、黒の群れを割いた。
――暫くの後、部屋に静寂が舞い降りる。魔物が残らず光の粒になって消えた部屋は、広々としていた。家具らしい家具はなく、明かりは一つ、部屋の片隅に蝋燭があるだけだ。全体的に薄暗くてよく見えないが、所々にヒビが入った冷ややかな石の壁で囲われているようである。
「……さて、それで? 声の主は何だったんですか」
「えっと……」
ハザマに言われ、純は部屋を見渡した。蝋燭が無い側に至っては真っ暗で奥が見えない。しかし、真っ暗な闇の中に、鈍く光るものが見えた。首を傾げ、純はそれに歩み寄る。一応刀は携えたまま、歩いていくと、それが鉄格子であることに気が付いた。
その中に、誰かが居た。目を凝らしても、暗くてよく見えない。少しばかり闇に慣れた視界が、ただ、それが小柄な人物であることだけを教えた。
背後から足音が鳴って、視界が少し明るくなる。振り向くと、ハザマが部屋の隅にあった蝋燭をその手に取って、純の方へ歩み寄っていた。
彼と共に、鉄格子の方へ歩を進める。近づく度に蝋燭がその姿を明るみに出していく。
――果たして。
鉄格子の奥にいたのは、膝を立てて座り込んだ、少女であった。
歳の頃は、純よりも一か二ほど下だろう。青薔薇を模した飾りをつけた、腰までありそうな長い髪は上品に切りそろえられ和式のお姫様のようなかたちをしていた。その色は深い深い青である。その髪と同色の睫毛が縁取る瞳は、熟れた葡萄のようだった。その紫が瞬いて、彼女は純を真っ直ぐに見ていた。すん、と鼻を鳴らす。その垂れ目がちな大きい瞳の下には、涙の痕があった。可愛らしいその風貌に似つかわしくない、大きく太いがっしりとした、首輪、のようなものが彼女の首には収まっている。それが一つの違和感として、純の視界に留まる。
「……あなたたち、誰? 私のことも殺すの?」
彼女の震えたか細い声が聞こえて、純は自分が未だにその手に刀を携えていることを思い出した。
「っ殺さない! 大丈夫! 私が倒すのは魔物とか、悪い奴だけだから!」
純が大声を出したからか、それとも別の理由か、彼女はビクリと肩を跳ねさせた。なんとか安心してもらいたいと、ともかく刀を消して、純は鉄格子越しの彼女にまた一歩近付く。
――しかし、その一歩は、ハザマに首根っこを掴まれて引き戻されたことで無となった。
「……ハザマ?」
ハザマは純ではなく檻の中の少女をじっと――その瞳に警戒の色を乗せて――睨んだ。
「貴女は誰です? 何故こんな所に? スペルビアとどういう関係ですか」
「……スペルビア?」
ハザマの言葉に、少女がぴくりと反応した。
彼女は顔を己の膝に埋める。その人より太く短い眉が顰められ、彼女は唸った。
「スペルビアなんか嫌いよ。私だってジュンに会いたいって言ったら跳ね除けて、それでもこっそり着いてきたけど、私のこと見つけた瞬間この檻に閉じ込めたのよ。私が出ていけないように魔物まで放って。スペルビアは意地悪だから嫌い。アケディアやアーリマンは怖いから嫌い。イラもグラもアワリティアもルクスリアも、皆、皆嫌い」
だいきらい、と、そう零して、彼女は完全に顔を埋めてしまって、表情を伺うことは出来なくなった。
純は、はてと首を傾げる。何故彼女は純のことを知っているのか。しかし会いたいと言ったわりには、今目の前にいるとは気が付いていないようだった。
「……私に会いたかったの?」
純は疑問はすぐに口に出す人間だった。隣でハザマが顔を顰めるが、少女を注視していた純は気付かない。
檻の中の彼女が、ぱっ、と顔を上げた。
「あなたが、ジュンなの?」
「えっと、純って名前ではあるけど……」
そう答えた瞬間、彼女の顔がぱあっと綻ぶ。立ち上がり、彼女はととと、と軽快な音を立て、檻の中からこちらに歩み寄ってきた。それにハザマは刀を構え直すが彼女は意に介さず――と言うよりはむしろ純にしか意識を向けていないように――檻の前までやって来て、格子の二つをそれぞれ両手で握った。
「わたし、私ね、インウィディアっていうのよ! ねぇ、私、ジュンとお友達になりたいの!」
「純、下がりなさい」
ハザマが一歩前に出て少女――インウィディアから純を庇うように立った。それを見て、インウィディアは悲しげに眉を下げる。
「違うわ、違うの、私、何も企んでなんかないのよ。本当に私はジュンとお友達になりたいの、私、お友達がほしいの」
「……何故純のことを知っているんです?」
「お父様が言っていたのよ」
――お父様?
純が首を傾げ、ハザマはさらに顔を厳しくする。ハザマに怯えたのか、インウィディアは檻から手を離して一歩下がった。
「お父様が、ジュンは、『英雄の再来』になれるって……ううん、ジュンにしか、なれないって。私が聞いたのはそれだけよ。でも、英雄って、優しい人のことでしょう? だから、ジュンなら、私ともお友達になってくれると思ったの」
怯えた顔のインウィディアは、やがて酷く悲しい顔をした。その大きな瞳は潤み、目尻にじわりと雫が浮かぶ。
「私はあの人達とは違うわ。私、普通の人間だもの。戦いなんか嫌いだし、血も嫌い。普通に生きたいだけなの。私だって、お友達と一緒に笑ったり、買い物したり、遊んだりしたい。お父様は私を道具としてしか見てないし、いつも出来損ないって言うのよ。私、もうあんな所に居たくない。普通になりたい」
とうとうインウィディアはその場に座り込み、ぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。それには流石のハザマも戸惑ったのか、構えられた刀の先が揺らぐ。インウィディアの涙に演技の色は無く、ただ、彼女は嗚咽を漏らす。縋るような紫の瞳が、純を見た。
「……ジュンは、嫌? 私のこと、得体の知れない化け物だって、思う? お友達にはなれない……?」
純は黙って、一歩足を踏み出す。掌に刀を握って、その赤い一閃で檻を切った。もう一度刀を振るって、檻に穴を開ける。
びくりと震えて後ずさったインウィディアの前で、純は刀を消し、跪いた。
「私でよければ、いいよ、友達になろう」
ぱちくりとインウィディアの紫が瞬き、目尻の涙が跳ねた。
「レオンとアカザっていう、仲間が居るんだ。英雄の再来とかは分からないけど、二人とも優しい人だから、きっとあなたのことも受け入れてくれる。二人とも、友達になったらいい」
「……ほんとう?」
インウィディアが恐る恐る、といったように、期待と不安が綯い交ぜになったような声を落とす。
なるべく安心させられるように、純は柔らかく笑った。
「あなたのこと、ウィディ、って呼んでいいかな?」
その言葉に、インウィディアもまた、花が綻ぶように笑う。かわいいなぁ、と純は素直に思った。ライのような触れるのもはばかられるような美ではなく、スペルビアのような全てを魅了するような魔性でもない、年相応にあどけなく可愛らしい笑顔。小さなパンジーが咲いたようだ。
「あだ名っていうものね? 私、ずっと憧れてたの!」
インウィディアが手を純が差し出した手に添える。その小さな手を握って、彼女を起こした。
そのまま彼女を檻の外に連れ出すと、微妙な顔をしたハザマと目が合う。インウィディアがぴゃっと飛び上がって、純の後ろに隠れた。純は平然と、ハザマに笑う。
「ハザマ、友達になったよ」
「見てましたよ……本当、貴女はそういうとこがね」
はぁあと深く溜息をつく。またインウィディアはびくりと震え、さらに小さくなってしまった。それを見て、ハザマがもう一度溜息をつく。
「まあ、彼女から害意は感じませんし、先程の言葉は全て本心のようですし……お好きにすればいいと思います~。怯えさせてしまいましたし、ワタクシはあまり近付きませんよ」
その言葉に、インウィディアは純の肩から少しだけ顔を出した。
「……貴方は、ジュンが大切なのね。大切だから、心配なんだって、ちゃんと分かってるわ。だから、私、怯えてないわ」
「隠れながら言うことではないと思いますが」
「ひぅ」
即座に入れられたハザマの指摘にインウィディアが間の抜けた声を上げて純の背に顔を埋めた。純には見えないが、涙目になっているだろう予測は簡単につく。
「ちょっと、ウィディ頑張ったのに」
「……すみません」
純が非難がましくハザマをじっとりと見ると、彼は気まずげに目を逸らす。そうして暫しあー、と言葉を探すように唸っていたが、やがてハザマは一歩だけ距離を詰め、膝をついてインウィディアを見上げた。
「ワタクシも、もう貴女を脅すつもりはありませんよ。先程は怖がらせて申し訳ありませんでした」
それを聞いたインウィディアは、少し逡巡して、やがて恐る恐る純の後ろから出る。そうして、てこてこと歩み寄ってハザマの前にしゃがみこんだ。
「……それじゃ、貴方もお友達になってくれる?」
ハザマは目を丸くして、純は思わず噴き出した。困ったように頬をかきながら、ハザマは呟く。
「……お友達というには歳が離れすぎていませんか? この姿は幼いですが、本来は大人ですよ~」
「っいいんじゃない、? 友達に歳は関係ない、って……」
「下手に堪えるくらいならいっそ笑いなさい~」
ハザマに睨まれて純は降参といったように両手を上げる。そんな二人のやり取りを首を傾げて見ていたインウィディアが、首を傾げたまま、口を開いた。
「なら、お兄ちゃん?」
お兄ちゃん。
その響きは妹がいる兄であるハザマには中々に刺さったらしい。暫く黙り込んで、やがて、絞り出すように「好きにしなさい」と返した。
「うん、わかったわ! ハザマお兄ちゃん!」
「…………楽しそうで何よりです」
平静を装っているが、純はハザマが結構キていることを察知する。兄心を擽る少女のお兄ちゃん呼びはすごいなと純が生暖かく見ていると、ハザマに「その目を今すぐやめないと潰しますよ」と冷たく言われた。
「ハザマおにーちゃん、私にも優しくしてほしいなー」
「いいでしょう、愛の拳を食らわせてやります」
「優しくない!!」
そんな応酬を始めると、インウィディアがむっと膨れて二人に飛びついた。
「ずるい! 私も混ぜて!」
「混ぜてって、拳だよ?」
純が笑い、インウィディアの頭を撫でる。それでもインウィディアの膨れっ面は戻らず、純とハザマに抱きついた力を少し強める。ハザマもまた溜息混じりの笑みを浮かべ、その髪を撫でようとした。
――瞬間、ハザマの纏う空気が変わる。
「……ハザマ?」
困惑した純の声に返事もせず、ハザマは優しくも有無を言わせずインウィディアの腕を剥がした。そうしてその手に刀を構え、純とインウィディアを何かから守るように立つ。
「いいなぁ、オレも混ぜてほしいなぁ」
突如降った声に、純はとても聞き覚えがあった。
純がトリップしてから初めて出会った、綺麗な翠の髪をした少年。臆病で人見知りで、少し分からないこともあるけれど、とても優しい少年。
――レオンと同じ声。だが、その声がレオンのものでないことが、痛いほど分かった。
レオンはこんな冷たい声をしていない。
レオンはこんな重たい空気を纏わせない。
レオンはもっと、優しくて、柔らかい喋り方をする少年だ。
コツンコツンと、部屋の奥、ハザマが蝋燭を持ってきたことで闇に塗りつぶされたそこから、足音が聞こえた。最初から居た訳では無いことは純だって良く理解している。突然現れたのだ。音も、前兆も無く。
――そんなことが出来るのは、この空間をつくったであろうスペルビアか、スペルビアに与する者だろう。
蝋燭が照らす範囲に、声の主は足を踏み入れた。その姿が顕になる。
翠の髪。その頂点にぴょこりと立った、触覚のように跳ねた一房。顔の造形は、恐ろしい程にレオンと酷似している。歳の程も、身長も、レオンと同じであるように見える。ただ、その瞳は金色で、白目であるはずの場所は黒く塗り潰されていた。その目の下には刺青なのか、黒い模様が刻まれている。黒いローブのような服に、銀で縁取られた赤い宝石がはめられたブローチを付け、それが闇の中、怪しく光る。
口が、歪に吊り上げられていた。禍々しく、その少年は笑んでいる。
その目がついと上げられて、三人を見た。からん、と音が鳴る。インウィディアが後ずさって、切り取られて床に落ちた鉄格子に足を当て、転がした音だった。純がそちらを見ると、インウィディアは、酷く顔を青くしてガタガタと震えている。尋常ではない怯え様に、慌てて純は彼女を抱き締めた。それでも彼女の震えは止まずに、その恐怖に見開かれた瞳は先の少年から離れない。
「ずるいじゃない、インウィディア」
名指しで呼ばれ、インウィディアは一際大きく体を跳ねさせた。ぱっ、と下を向いて、彼女はガクガクと身を震わせる。純が抱き締めていなければ、その場に崩れ落ちてしまいそうだった。だが一向に構わずに、少年は言葉を続ける。
「雑魚の癖に、オレより先にジュンに会うなんてさ。お前じゃないけど、『嫉妬』しちゃうな」
ハハッと笑って、彼は小首を傾げる。それそのものは、レオンもよくする動作である。だが目の前の少年のそれは、レオンのような小動物らしい可愛らしさは欠片もなく、ただただ、不気味でしかない。
インウィディアが震える口を開いた。
「アー、リ、……マ、ン」
その声は酷く引き攣って、震えて、掠れている。その体の震えが止まる様子はない。彼女の小さな体を抱き締める力を強め、純は少年を睨んだ。
「貴方も、私の名前を知ってるの?」
少年は一つ目を瞬かせ、次に、にぱっと無邪気に笑ってみせる。一般的に見て可愛らしい顔の造形をしている少年のそれは可愛らしくあるはずだが、その異様なオーラのために、ただただ警戒を煽るだけだった。
「そうだよジュン。オレは君に会いたかった! お父様には止められてしまったけど、会いたくて会いたくて……スペルビアも使ってさ、君を連れてこさせたんだ! まあ『この空間のどこかにいるだろう』なんて放られた時は殺してやろうかと思ったけど、こうして見つけられたから結果オーライだよね」
くすくす、けらけら、少年は笑う。
「会いたかったよジュン。だって、君がいれば、オレは『彼』になれるはずなんだ。そうすれば、お父様もきっと喜んでくれる」
「……何を、言ってるの?」
「そうだ、自己紹介をしよう! 大事なことだよね!」
少年の異様な空気に圧されて、後ずさりたくなる。だが腕の中の震える少女の存在のために、踏みとどまった。
少年は、ただ笑う。
「オレの名前はアーリマン。よろしくね、ジュン」
初めて会った日のレオンのようなことを言いながら、レオンとは全く違う笑みで、アーリマンはその手を差し伸べた。
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