第十四話:書庫探索

 大切な人を守れる大人になりたかったんだ。



第十四話:書庫探索



 座らされた赤いソファは、絢爛な装飾こそないもののその質感が高級なものであることを示していた。庶民である身には落ち着かず、気休め程度に身動ぎをする。詰まった息を、ひとつ、レオンは密かに落とした。

 朝を迎えたレオンとアカザがリックに連れてこられたのはリシュール王城の応接室である。白い部屋に机とそれを挟んで二対のソファが向かい合わせに備えられ、壁の四隅に花瓶が飾られているだけの簡素な部屋で、レオン達が入ってきた扉とは反対側の壁に穿たれた窓からは美しい庭が見えた。彼等の心境には不釣り合いなほど、空はよく晴れている。

 扉が開く音に、反射的に二人は姿勢を正した。カツカツと靴を鳴らし、入ってきたリックが「そんなに緊張しなくていい」と笑う。

「でも……」

「大丈夫、そんなに怖い相手じゃない。俺もいるしさ」

 レオンの頭を撫でて、リックはその隣に腰を下ろした。

 ――そして、リックの後ろから国王アーサーはゆっくりと部屋に足を踏み入れる。彼は、三人が座る、その向かいのソファに腰掛けた。

「急に呼び出してすまないな」

「……いえ」

 かけられた声に返したのはアカザである。声は緊張に強ばっているものの、真っ直ぐにアーサーの青い瞳を見据えていた。その様子に、ふ、とアーサーは厳格そうな真面目な表情を少し緩める。

「気を楽にしてくれ、アカザ・ジルアーク。君達を何か咎めるために呼んだ訳では無い。……レオン・アルフロッジ。君も」

「は、はい……あの、国王様、お体は大丈夫なんですか……?」

 レオンが恐る恐る問い掛ける。昨日、アーサーが顔を蒼白にして血を吐いたその光景は、二人の記憶によく焼き付いていた。

 そのアーサー・リシュールは、血色の良い顔で悠然と微笑んでいる。

「心配は要らないよ。この通り、私は平気だ」

 国王とは昨日のパーティで初めて目にし、話すことに関してはこれが初である。しかし、そう笑う彼に、レオンはどこか既視感を感じた。

「――それでは本題に入ろう。昨日消息がわからなくなった、君達の友人のことだが」

「!」

 アーサーのその言葉に、レオンとアカザは姿勢を正す。

「こちら側としては情報が無い。あの会場にいた兵士達にも、少女の行方に繋がるような目撃情報は無かった――勿論、魔物に攫われている姿、なんてものも」

 それを聞いて、レオンは静かに膝に置いた拳を握り締める。レオンとアカザが純から目を離していた時間も大した長さではなかった。つまり、一瞬の間に彼女は何者かに攫われたということだ。

「一瞬のうちに魔物がジュンちゃんを攫ったとしても……そもそも魔物が人を攫うなんて行為自体、これまでの行動からは考えられなかった事だってのに……、アークハット村の件といい、最近の魔物の行動は異常です」

 リックがそう顔を顰め、ぼすりと背もたれに身を沈める。そんな彼を見やって、「そうだな」とアーサーは腕を組む。

「これまで魔物は一定以上人の集まる町や村には現れないとされてきたのに――今回現れ、それも何処かから侵入した様子ではなく突然出現したこと。生き物に対する殺戮衝動しかないと言われていた魔物が、アークハット村ではその場で人間を殺すのではなく攫おうとしたこと……魔物の定義を根幹から見直すべきかもしれないな。全く、研究者達が喜びそうなことだ」

「そのことですが」

 そう前置きして、身を起こしたリックが口を開く。

「今回、会場で魔物と戦った際……普段外で出くわす魔物がするように、人間に率先的に襲ってくる様子とは少し違っていました。どちらかというと恐慌状態というか……パニックに陥っていたように思われました。これは、俺だけではなく他の兵士達も感じたらしいことです」

「パニックか……魔物達も自ら会場に飛び込んできたという訳では無いらしいな」

 応接室に再び沈黙が降りる。アカザが気まずげに「あの、」と声を上げた。

「結局、俺達はなんで呼ばれたんですか……?」

「ああすまない、話が逸れたな」

 アーサーが苦笑して、仕切り直しのようにアカザとレオンに向き直る。

「我々の側からは攫われた少女に繋がる情報はない。だから君達に協力を願いたい。友人なら、連絡手段があるのではないだろうか? ジュエルが一瞬でも繋がれば方法はある。波動を探知すれば居場所もわかるだろう」

「ジュエル? でも確かジュンちゃん持ってなかっ……」

「あっ」

 アカザの声を遮って、レオンが間の抜けた声を上げる。部屋の視線が集まって、レオンがハッとしたように顔を赤らめた。

 それでもと、首を振り、懐から自らのジュエルを取り出しながら口を開く。

「ジュエルのこと、忘れてた……ジュンに一昨日買ったんです、かけてみます……!」



「ということで探索をしましょう」

「どういうことなの」

 ――時は少し遡る。

 自ら作ったシリアスな空気を自らぶち壊し、ハザマは人差し指を立ててあっさりと言ってのけた。

「脱出ゲームの定番でしょう、探索は」

「脱出ゲームて」

 なんとも気の抜ける言葉に、純はがっくりと肩を落とす。その様子に、やれやれとばかりにハザマが溜息をつく。溜息をつきたいのはこちらだと言いたい、と、純はじっとりと彼を見上げた。

「……今ってかなりやばい状況なんじゃなかったっけ……」

「やばいです。やばいですが、焦っても仕方ありませんからね~。急いては事を仕損じると言いますし、のんびりいきましょう~。完全に安心出来る状況ではないことを心の隅に置いておいて頂ければ結構です」

 それから、とハザマは付け足して、純に向き直った。

「この空間の『核』を見つけ出す必要がありますし、そのためにも探索は有効です」

「核?」

「この空間は、ゼロから生み出された異空間、よりは実世界にあるものを起点として、歪めて生み出された実体のある幻術世界と見るべきでしょう。異空間を創り出すには手間も能力も必要ですが、この空間からはそこまでのものは感じられません」

 実世界にあるものを起点とした実体のある幻術世界。なんだかややこしい言い方だが、つまり現実世界の建物を元にした夢の中にいるということで良いのだろうか。純はそう頭の中で整理して、ハザマの言葉の続きを待つ。

「起点として実在の建物をベースにしているとはいえ、老朽の状態や屋敷の構造はかなり弄られているようですが……

……幻術世界において必要なのは起点となる建物あるいは土地と、空間を支える『核』です」

 話しながら、ハザマはコツコツと靴を鳴らして壁に並んだ扉のひとつ――純達がいる突き当たりから最も手近な、彼らから見て一番右端のそれである――に歩み寄る。そのノブを握り、捻って押し開けると、その奥には最初の部屋より広そうな、本棚が並んだ空間があった。

「書庫?」

「そのようですね~。この空間のベースの、建物内に実存する部屋の一つでしょう」

 言って、ハザマは部屋に足を踏み入れる。それに倣って純も中に入ってみると、古い紙の匂いがした。

「この空間を脱するには術を解除するのが一番です。解除方法としては二つ、一つは現実世界にある起点に現実世界の存在が触れることですが、この場合レオン・アルフロッジやアカザ・ジルアークに頼むのがいいんでしょう……が、それを彼らに伝える術がないですし、とりあえず保留です。そしてもう一つは核の破壊」

 本棚から一冊の本を抜いて、ハザマはそれを純の前に掲げてみせる。

「核は必ずこの空間のどこかにある。そうでなくては空間を維持出来ませんからね。ですが、核がどんな姿をしているのかは見つけてみなければわかりません。大体は本とか、術式を書き込んでいても不自然のないものが『そう』である場合が多いんですがね」

「核ってどう見分けるの?」

「持ってみればわかりますよ。明らかに、他とは質量が違いますから」

 それはつまり持ってみなければわからないということか。純は改めて書庫に複数並ぶ本棚を見上げてみる。数は五、六といったところだろうか。ただしその一つ一つに、ぎっしりと本が詰まっている。

「……え? この中から探すの?」

「この書庫にあるとは限りませんし、なんなら本であるとも限りません~。本である場合が多いというだけで」

「えぇ……」

 根気よくいきましょう。と、ハザマが珍しくにっこりと笑った。



 ――そうして探し始めてから、1時間ほどたったのだろうか。時計の類は見当たらず、時間感覚に自信はない。書庫の右半分を純が、左半分をハザマが、と手分けすることにして、純は任された右半分の約八割ほど手をつけたところだった。

 収穫はゼロ。

「……核ってホントに持ったらわかるものなの……?」

 はぁあ、と、溜息をついて純は地べたに座り込んだ。何百と本を持ち上げてみたが、どれもこれも同じように感じる。いっそゲシュタルト崩壊でも起こしそうだ。そもそも本ってどんな重さだったっけ、と考えてしまう自分に気付いて、純は自分の感覚に自信が無くなってきたことを自覚した。

 ハザマはそんな純を見下ろして、溜息をつく。

「わかりますよ。同じように感じるのならそれは核ではないんでしょう~。夢の中で何に触れても霞のような感触であるのと同じです」

「なるほど……?」

 わかったような、わからないような。確かになんとなく、この建物の中で触れるものは基本的にふわふわしている気がする、と、純は己の手をぼんやりと眺めた。先程までいくつも持ち上げては戻していた本達はぼんやりと、ふわふわとしていて、本の質感を掴めるような、掴めないような――そんな感触だ。しかし、ハザマに指摘されるまでは気付けないほど、その曖昧さはさり気ない。

 これらの本が幻であるならば、核はもっと確固とした存在であるのだろう。そう、それは例えばハザマや、純の人差し指に嵌ったシトリンの指輪のように――

 ――シトリンの指輪?

「……あっ」

 当然のように純の指に鎮座するそれを、今更に思い出した。ドレスにはジュエルを入れるほどの懐が無いからと、荷物を収納出来るシトリンを指輪として貸し出されたことを。

 ジュエルとは、純には耳慣れない言葉であるが、つまり通信機である。

「あああ!!!」

「何ですやかましい」

 純の背中側の本棚から、ひょこりと顰めた顔を出し、ハザマが吐き捨てる。酷い。とは思えど、とりあえず今はそんな話をしている場合ではない。

「ハザマ! レオン達に連絡つく! 通信機ある!」

「……」

 ハザマは眉間の皺を更に深めた。もっと早く言えや、という顔である。

 しかしその文句を口に出すことはなく――大方言っている時間を無駄だと判断したのだろう――はぁ、と溜息をついて、視線で通信を促す。背中にチクチクと棘ついた目を感じながら純は慌ててジュエルを取り出した。

 その瞬間、ヴン、と鈍い起動音が鳴り、ジュエル全体がぼんやりと光を帯びる。レオンに教わった通りなら、これは確か通信を受信した時の動作だ。

 ジュエルを開いて受信とスピーカーフォンをオンにするボタンを押すと、ヴッ、と一度純の手の内で震えた。

『――ジュン!?』

「レオン……!」

 通信越しによく知った声がして、純の顔が綻ぶ。安堵したのは向こう側も同じなようで、暖かなざわめきがジュエルから響いた。

『ジュンちゃん! 大丈夫か!? 怪我してないか!?』

『連絡がついてよかった、今何処にいるんだ? 今ジュエルの通信先探査をやってるが、なかなかヒットしない』

「アカザ、リックさん……」

 知った声が増えて、純の体から緊張が解ける。思っていたより自分は不安だったんだと、その時初めて自覚した。

 しかし連絡が取れたことを喜んでいるばかりではいけない。ともかく質問に応えようと、純はジュエルを握り直した。

「えっと、とりあえず怪我は無いよ。今何処にいるのかは……えっと、なんて言えばいいのか……」

「シュヴァルツです」

 予想外に口を挟まれて、え、と純は間抜けな声を漏らす。見ると、ハザマはこちらに目も向けずパラパラと本を捲っていた。

『……誰かいるのか?』

 予想外だったのは純だけではなく、ジュエルの向こうでリックが怪訝に唸った。

「あ、えっと、ハザマが一緒に……」

『ハザマ、さんってのは確か遺跡で会った……それより、シュヴァルツだって? 本当なのか?』

 そう聞かれても、純にはわからない。むしろハザマがそんなことを言い出したことからまず驚いているのだ。どうして地名がわかったのか、そもそもシュヴァルツとは何処なのか――しかし当のハザマはやはりこちらに目を向けずに「嘘はつきません」と簡潔に告げた。手に持っていた本を閉じて、彼はまた口を開く。

「純を助けたいのならシュヴァルツにある英雄の館へ向かい、館に触れなさい~。場所は考古学者ならわかるでしょう? ああただ、敵からの妨害を受けないわけがありませんから、お気を付けて~」

『ま、待ってくれ、敵って何だ? 何故英雄の館が――』

 ザザ、とノイズが混じって、後半の声はよく聞こえなかった。純が慌ててジュエルを握り直して声を張り上げる。

「リックさん、リックさん!?」

『……くそ、急に……が……とにか……、……』

 ノイズの音はどんどん大きくなり、やがてブツンと嫌な音が鳴ると共に、リックの声ごとノイズは消えた。また、部屋に静けさが戻る。純はジュエルを暫く操作してみたが、一向にレオンのそれと繋がる気配はなく、やがて溜息をついて、ジュエルを指輪に戻しながら「ハザマ」と一言静寂を破った。ハザマが漸く、純を見る。

「シュヴァルツって何なの。なんでそんなのわかったの。英雄の館って何」

 やや不貞腐れたような純に、ハザマは少しだけ笑った。そうして、先程まで弄んでいた本を片手に、純の傍に歩み寄る。

「先程も言ったように、この空間は現実世界のものを起点として展開しています~。ワタクシ、実を言うとこの屋敷の見た目に見覚えがありましてね。それが、この本を見て確信になっただけです~」

 ハザマは片手で本を掲げた。深緑のカバーの、古びた冊子だった。

「シュヴァルツは地名。レオンハルト・トラゲーディエの生誕地ですよ」

「レオンハルト……?」

「英雄伝説の五人の英雄達、その中でもリーダー的な立ち位置にいた男です。この空間の起点は彼の生家とみてまあ間違いないと思われますので~、現実世界にいる彼等が起点に触れてくれれば、核を虱潰しに探す必要もなくなります~」


 ――英雄のリーダーだって?


 その言葉に、純が反応しないわけがなかった。英雄伝説といえば、『空白の歴史』の手掛かりになるかもしれないものだ。自然と、純はハザマが手に持つ本を見やる。

「……その本は、何なの?」

 純の問いに、ハザマが少し笑った。

「レオンハルト・トラゲーディエの手記ですよ。とはいえこれそのものは、現実世界に実在するものの映しでしょうが」

 ――英雄の手記。

 思わず本を凝視する。『空白の歴史』を生きていたのかもしれない英雄が遺した、生の声が記された書。幻術世界での映しとはいえ、ハザマがそれを手記だと断じることが出来たということは、中身もしっかりと映されている可能性が高い。

 純の視線に気付いてか、ハザマが純の眼前に手記を差し出した。

「見ますか?」

「えっいいの!?」

 驚きに声を上げると、ハザマが「そんなに驚きますか」と溜息をつく。

「だって、ハザマは私に、色々……知ってほしくなさそうだったし」

「そんなことも言いましたね。まあ、有るものを見るくらい止めませんよ」

 あっさりとそんなことを言われ、戸惑いつつも差し出された本を受け取る。やはり、この書庫で手に持った他の本達と同様に、ぼんやりとしていた。感触も、重さも、そこにあるはずなのに手に持つと薄らいでよくわからなくなってしまう。

 そんなものでも、この中に手掛かりがあるかもしれないと思うと緊張で手が震える。乾いた指で、何度か紙を滑らせながら、その表紙を開いた。

 黄ばんだ紙に記された、文字の羅列。重要な手掛かりになるのかもしれない、その文字は――


「……読めない!!」

「でしょうね」


 ――その文字は、ただの記号にしか見えなかった。なんとなく、アークハット村で見た石板と、記号の親和性がある気もする、が、わかるのはそれだけだ。ハザマを見ると、いつも通りの無表情で肩をすくめた。

「貴女に言語翻訳の魔法はかけていますが、あくまで現在使われているオーリス語についてですから~、200年前のラステン文字、というかラステン語が読めないのはまあ当たり前だと言いますか~」

「それわかって差し出すの性格悪くない!?」

「今更ですね」

 ぐぬ、と口ごもる。そういえばなんだか最近優しくて忘れかけていたがハザマという男はこういう食えない奴だった。

「……内容、教えてくれたりは」

「却下」

 即答されて、純はもう一度ぐぬぅと唸る。

「遺跡で言った通り、ワタクシは貴女に知ってほしくないので貴女の知りたいことを教えません~。貴女のやることを止めないとは言いましたが協力することもございませんのであしからず~」

 ハザマがそう言って腕を組む。いっそ開き直りの気配さえ感じる堂々たる振る舞いに、純はがっくりと肩を落とした。

 肩を落としながら、もう一度本を見るがやはり内容は分からない。奇妙な記号が紙の上で踊っているようにしか見えない。

「いくら見たところで読めるようにはなりませんよ~。そもそもこの世界の考古学者が長年研究して解明された文字なのですから」

「ぐぅ……」

 そもそもなんで200年でこんなに文字が変わるんだと言いたい。日本では平安時代の文字だって今の文字と通じるところがあるというのに、オーリス語とラステン語と名前すら変わっている。『空白の歴史』によって字の文化も一度消えてしまったのだろうか。

「……現実世界に戻ったら本物の方の手記を探してレオンに見てもらうもん……」

 悔し気に呻いた純に、いつの間にやら核探しを再開していたハザマが目を向ける。純としては今手に持っているものは現実世界にあるものの映しなのだから現実世界に帰れば本物があるはずだ、という簡単な発想なのだが、ハザマの赤い瞳とかち合って少したじろいだ。

「え、何?」

「いえ。……あるといいですね」

 意味深長なことを言って、ハザマはまた本棚に顔を向けて作業を続けてしまう。どういう意味なのかは聞けなかった。

 とりあえずそろそろ作業に戻ろうかと本を本棚に直そうとして、ふと気付いたことを口にする。

「ハザマってさ、英雄と知り合いだったの?」

 ハザマが無言のまま目だけを純に向けた。純は本棚に本を戻しながら「この屋敷のこと知ってたり、レオンハルト・トラゲーディエについて詳しかったりするから」と付け加えて零す。

 赤の森で黒い化け物と戦ったあと見た、あの景色。刀に眠る、ハザマの記憶。少年の――今まさにそうなっている、15歳ほどの――ハザマと、一緒にいた二人の少年少女。もしかするとあの二人のうち少年の方がレオンハルトだったのではないだろうか。そう純が思っても、悪気があったわけではないにせよ記憶を盗み見たことを言うことは出来ず、そのことについては口を閉ざした。

「……そうですね」

 ハザマは少しの間黙っていた。しかし沈黙はそれほど長くはなく、ぽつりと彼は答えを落とす。

「彼とは、友人でした」

「友達?」

 純が顔を向けると、ハザマは既に本棚に視線を移して、本を出しては戻す核探しの作業を繰り返していた。

 肩を竦めて、純も自身に割り当てられた本棚に目を向けながら口を開く。

「……ハザマが私に知って欲しくないのって、友達のこととか……掘り下げられたくないから?」

 何となくこの質問はハザマの方を向いては出来なかった。彼の、踏み込んではいけない深いところに足を踏み入れているような気がした。

 また、少しの沈黙。書庫に、本と本が擦り合う乾いた音だけが響く。

「……あのさ! 答えたくなかったら、」

「違いますよ」

 沈黙に耐えきれず、答えなくていいから、と続けようとした言葉を遮って返答が帰ってきた。唐突で、え? と純は間抜けた声を出してしまう。ハザマの方を向くと、そんな純を揶揄することもなく、ハザマはやはり目は本に向けたまま口を開いた。

「貴女に何も知ってほしくないのはただのワタクシの我儘です~。その件に関して貴女が罪悪感を持つ必要はありません~。知ると決めたのなら迷わず進みなさい」

「そ、そっか……」

 表情を変えず淡々と言うハザマに少し気圧されつつも、頷いて純はまた本棚に目を向ける。

「……本当は、さっさと、全部明らかにすべきなんでしょうね」

 ぽつりとハザマが呟いた。どんな顔をしてそう言ったのか、純には見ることは出来なかった。



「シュヴァルツに行こう!」

「うん、まあ言うと思った。落ち着け」

 ソファから立ち上がって言うレオンに、リックが冷静に告げて座らせる。何度純に繋げようとしても沈黙を貫き続けるジュエルを机に置いて、「そんなすぐに結論は出せない」と溜息をついた。

「なあ、そもそもシュヴァルツってどこだ? 俺はそんな地名聞いたことないぞ」

「……アカザが知らないのは無理ないかも。シュヴァルツは、レオンハルト・トラゲーディエっていう名前の英雄の一人の出生地だよ」

 困惑の表情でそう言うアカザに、リックに諌められて渋顔をしていたレオンが俯いたまま答える。でも、と付け加えて、顔をさらに曇らせた。

「……トアロ村と同じで、謎の壊滅をしてて……地図から消されてる地名なんだ。だから、考古学者とかじゃないとあんまり知られてない。

英雄の出生地だから色々調査されたみたいだけど、全部壊れてて、めぼしい物は何も無かったって話だよ。さっきの通信の、英雄の館っていうのはレオンハルトの生家のことだと思うけど……」

「あそこは今やただの瓦礫の山だ。ハザマって人は『触れろ』とか言ってたけど……どういうことなのか分からねぇな」

 リックがレオンの言葉に補足を入れて、腕を組む。

「そもそも、俺はハザマって人のこともまだあんまり信用はできてない。こんな都合よく一緒に居るなんて、あの人、まさかジュンちゃんの拉致に関わってるんじゃ……」

「……それは、多分、違う」

 レオンに言葉を遮られ、リックは目を見開いて顔を向ける。俯いて垂れ下がった翠の前髪の奥、青の瞳に、迷いの揺らぎはなかった。

「何となく、ハザマさんは、大丈夫だと思う」

 それを聞いて、アカザがふっと笑う。力を抜いて、ソファの背もたれに身を沈めた。

「ヘタレオンがそう言うなら、ハザマさんは危険人物じゃねぇだろ。何たってこいつは危険には鋭いからな」

「ヘタレオンって言うなよ」

 むっと眉を寄せて、レオンが抗議する。それを軽く流して、「ハザマさんのことより今どうするかだろ」とアカザは視線を移した。

 その先にはアーサーが何か考えるように口元を指で弄っている。自然と、部屋の視線は彼に集まった。

「……ハザマなる人物のことは、ヤマダジュンの友人である君達の判断に従おう。彼の言葉が正しいならヤマダジュンはシュヴァルツにいることになるが、あそこは瓦礫の山。人を拉致する先に向いているような監禁場所は無かろう……

……ならば、何かの術を使ってそのような空間を作っている可能性が挙げられる。その空間、或いは結界の元地がシュヴァルツであるなら、矛盾は無いのではないか? 事実、高等魔術でそういうことは不可能ではない。

通信が可能だったということは、彼女をシュヴァルツに連れていった何者かは少なくとも常時は傍に居ないことになる。……だが大人数で出向いてその何者かを刺激しては厄介だろう」

 淡々と分析を口にして、最後まで言い切ってからアーサーは顔を上げる。彼の青い瞳がレオンとアカザを捉えていた。


「リシュール軍から二人、精鋭をつける。

レオン・アルフロッジ、アカザ・ジルアーク。その二人と共に、シュヴァルツに向かってくれ」


 その言葉に、レオンとアカザの顔が輝いた。実質的な行動の許可である。

 反対にリックは目を見開いて立ち上がった。

「ちょっと待ってくれ……いや、待ってください、子供達を行かせるのですか!? 俺は、」

「向かわせる二人は決めてある。リック、お前は留守番だ」

「なんで……!」

 アーサーは表情を変えずにリックを見る。やはり淡々と、「お前は国の重鎮だ」と告げた。

「向かわせる二人のうち一人はメイリーだ。彼女もまた国の重鎮だが、魔術が関わっている可能性があるのなら精鋭として外せない。そして、国を支える人間をそれ以上は減らせない。特に、魔物が城に出るような異常事態が起きた直後には」

「……っ」

 アーサーの言葉にリックは言い返せず、口篭り、やがて静かにソファに腰を下ろす。

 項垂れたリックに、アカザは「心配しすぎなんだっての」と溜息をついた。

「俺達三人で赤の森抜けてアークハット村まで行ったんだぜ。いつまでも子供だと思うなよ」

 リックは項垂れたまま、言葉を返さなかった。何と声を掛けるべきかと狼狽えるレオンの頭を軽く叩いて、「気にすんな」とアカザは肩を竦める。

「ジュンちゃんを俺達が助けに行くって決めて、それ曲げる気はお前だって無いだろ。これでいいんだよ」

「……うん」

 リックが心配してくれていることはわかる。だからこそ、心の中でごめんねと謝って、レオンはアーサーに向き直った。

 アーサーは立ち上がり、マントを翻して背を向ける。

「ロビーで待っていてくれ。軍の二人を寄越す。あとは彼等の指示に従ってほしい」

 そう告げて、彼は扉に向かって歩いていく。レオンとアカザは顔を見合わせて頷き、その後を追った。

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