第五章:シュヴァルツ

第十一話:パルオーロ

 ガタンゴトン、と、小気味のいい音と揺れが、ぼやける浮上しかけの意識の中で感じられる。

 ぼんやりと目を開いた純に、向かいの席に座っていたリックが、「まだ着いてないし、寝てていいんだぞ?」と優しく笑った。



第十一話:パルオーロ



「ラステン文字……」

 時はアークハット村だった広場にいた頃まで遡る。石版を受け取ったレオンの声を反芻するように、純は呟いた。

 200年前に使われていた文字。

 そんなものが刻まれているということは、この石版はつまり、『空白の歴史』の手掛かりになりうるということだ。そこまでは、純にも理解できた。

 レオンとリックの考古学者二人は真面目な顔で石版を眺めたり撫でてみたりと何やら試行錯誤しているようである。出来ることのない純とアカザは、邪魔にならないよう口を閉じて彼等を見守っていた。

「……駄目だ、劣化のせいですごく文が断片的で……文章まではわからないよ」

「そうだな、何かしらの軍隊について書いてある、ってことだけはわかるんだが」

 やがてレオンが溜息をつき、リックも困ったように頭をかく。リックはそれから、子供達に視線をやった。

「ここじゃ完全に解読はできないが、パルオーロにある国家考古学団の施設なら石版の復元が出来る。これは一旦俺が持ち帰っていいか?」

 リックに頷きを返す。自分達が持っていても今以上の解読は無理だということは明白で、リックの申し出を断る理由は無かった。レオンから石版を受け取り、リックは「サンキュな」と笑う。

「……さて、俺はこれからパルオーロに向かうんだが……お前達はどうするんだ?」

「俺達も同じだよ」

「そうか! それなら、」

 アカザの返答に嬉しそうに笑ったリックはそう一度言葉を切って、懐から紙を数枚――恐らくは電車の乗車券であろう――を取り出し、揺らした。

「電車代は奢ってやるよ。一緒に行こうぜ」



 ――斯くして。

 リックと共にサンザス駅へ向かい、電車に乗車することとなった。

 電車。その単語だけなら、純にも聞きなれた言葉だ。だがそれは、純のよく知る電車と同一ではない。

 見た目としては蒸気機関車のようだが、燃料はアングレサイト――即ち、雷属性の宝石が放つ電気らしい。ただ、アングレサイトという電気を放つ宝石で動くから電車、というだけで――曰くにはサンザス駅の出発地であり終点である地域ではアングレサイトが採れやすいから『電車』が用いられるのだそうだった――炎属性のルビーを用いた『火車』や水属性のサファイアを用いた『水車』も地域によっては存在するのだそうだ。

 宝石による魔力で、鉄の塊が動くその仕組みはリックも知るところではないらしい。純が聞いても「燃料庫に宝石を投げておけば動くらしい」くらいのことしかわからない。そのことに、若干の違和感を抱きつつも、純にその違和感を払拭する術はなかった。


 純が異世界に来たことは、道中にリックに話す流れとなった。リックはレオンよりは驚いて、アカザよりは冷静にそれを受け入れ、しかし元の世界に戻る手掛かりや他の異世界転移の事例については首を横に振った。

 役に立てなくてごめんな、という謝罪をして、でも、と彼は口を開く。

「それくらい分かってるだろうし大丈夫だとは思うが、誰彼構わず言いふらすなよ? 異世界転移なんて、変なのに目をつけられたら危ない」

 変なのには既に目をつけられてるっぽいんですけどね、とは言えず、純はジャパニーズ曖昧スマイルで返した。

 ――電車に乗車すると、案内されたのは三人がけのソファが二つ向かい合わせになった区切られた小部屋の席で、子供達三人と、リックが向かい合って座る。発車を告げる汽笛の音が聞こえた。

 いぬはレオンの抱える鞄の中で大人しく眠っている。生き物であるなら宝石には入れられないが、一見魔物にも見えるその子を外に出していると、特に人の多いパルオーロでは騒ぎになるだろう――というリックの提言であった。

「それにしても、レオンがトアロ村から出てくれてて良かったよ」

 ガタン、と、動き出した電車に揺られ、リックは笑った。それにレオンがそういえば、と切り出す。

「魔物は一定以上の生命力の集まる場所には近寄らないらしいって……」

「ああ。最近はっきりしてきたことだが、大分有力な説だ」

 リックが頷き、「だからレオンのことも心配で、アークハット村に避難勧告を出すついでにトアロ村に行くつもりだった」と付け加えて頭を掻いた。

 それらの会話を聞いて、純は送られる直前に言われたハザマの言葉を思い出す。


 “――廃村に、人間が一人で暮らしていて、魔物に襲われないなんてこと、絶対に、有り得ないんですよ。”


 純が、ハザマやライと話したことについては、リックやレオン、アカザには話していない。話せる内容でもないし、話すべきではないと思った。ただ、純の心に留めたまま、レオンを見る。リックと談笑する彼は、出会った時と何ら変わらない、優しげな少年だった。

「まあ実際あんなことになってたし、俺が伝えるまでもなくレオンは旅立ってたんだけどな」

「あはは、でもありがと」

「おう」

 リックとレオンは和やかに笑い合う。

 少なくとも、今は、考えるべきことではないだろう。そう、ハザマの言葉を一旦思考の隅にやって、純は柔らかなソファに背を預けた。

 穏やかな雰囲気と共に、時間は流れていく。ガタンゴトンと心地よい揺れに包まれ――やがて、三人を眠気が襲ってきた。

 思えば夜遺跡に突入し、出てきた時には朝だったのだから、一睡もしていないことになる。小部屋という、他の客の気配に気を遣う必要のない席だったことも眠気を誘う要因だったであろう。うとうとし始めた子供たちに、「着いたら起こしてやるから寝てていいぞ」とリックは笑った。その言葉に甘え、三人は寄りかかりあって眠りにつくことにして――


 ――そうして、どれほどの時間が経過したか。次に純の意識が浮上した時、窓から見える風景は、あたり一面の草原だったものから、ちらほらと畑らしきものや街を囲っているであろう石壁が見えるようになっていた。寝惚け眼でそれを眺めていると、リックが「首都が近いから街も増えてきたな」と笑う。

「パルオーロまであと50分くらいかな」

 そんなリックの声と、己の左右で寝息を立てるレオンとアカザの気配を感じながら、純の意識は再び闇に沈んだ。


 ――見覚えのある草原に、純は立っている。

 サンザス駅までの道中の草原ではない。ハザマの、刀の記憶で見たあの場所だと、何故か分かった。しかし、そこに、幼いハザマや少年はいない。代わりに、ただ一人、純に背を向けて黒髪の少女が立っていた。記憶で見たあの少女だと、ぼんやり思う。

「――だから、」

 少女が口を開いた。背を向けたまま、純にか、それとも別の誰かになのか、彼女は語りかける。

「だから、きっと、お願いね」

 彼女が振り返る。されど、逆光になったように、彼女の顔はよく見えなかった。ただ、彼女が泣いていることだけはわかる。

「貴女が、この世界に来た意味を」

 ――意味?

「私が、この世界に来た、意味……?」

 反復して、純は問わずには居られなかった。


 “――意味があるのだろうか。

 私が、この世界に来たことに、何の意味があるというのだろう。”

 “それならば。”


 “それならば、私は。”


「ごめんね」

 少女の声が、泣いていた。同時に、ばきり、と、ひび割れるような音とともに、ぐらりと視界が反転する。地面が割れて、落ちるのだ、と、理解した。

「――っ待って! 私は、」

 純の声は届かない。彼女はどんどん遠ざかる。いいや、遠ざかっているのは純だった。闇の中に、どんどん落ちていく。沈んでいく。それをぼんやりと自覚していた。

 声は届かないようだった。

「ッ私が、!」

 それでも、純は叫んでいた。

 教えてほしかった。

 “――私がこの世界に来たことに、何か意味があるのならば、”

「わたしは、私は! 何のために――」

 少女の顔が、一瞬だけ鮮明に見えた。

 黒い髪、黒い瞳。毎朝、顔を洗いながら、見ていたような顔。


「ごめんね、私の、 」


 少女はただ、涙を零して笑っていた。



「ジュン」

 肩を優しく揺さぶられて目を覚ました。純の左で眠っていたはずのレオンが優しく笑い、「パルオーロに着いたよ」と言う。窓の外の風景は止まっていた。

「……夢を見たよ」

「へえ、どんな?」

 レオンに手を引かれて席から立ち上がる。アカザとリックは部屋の扉の前で二人を待っていた。

「――わかんないや」

 純の返答に、そっかぁ、と言って、レオンは笑った。



 パルオーロはリシュール王国の首都であり、知の都の別名を持つ学問の地であり、リシュール王城が抱える城郭都市である――とは、電車から降りながらレオンに聞いた話である。

 城壁に囲まれ一つだけ門を開くそこに、リックの顔パスで入った子供達は、揃って感嘆の声を上げた。

 白く塗りあげられた美しい家々が立ち並び、人々は多く道を行き交い賑わいを見せる。大通りに沿うように並んだ店は多種多様で、目を楽しませた。どこもかしこも整備されて計算された美を宿し、それでいて、噴水や堀の流水、適度に植えられた木々とも相反することなく引き立て合う。日本の喧騒とも、この世界に来てから見てきた長閑な田舎町とも違う華やかな賑わいに純は目を輝かせて辺りを見渡した。レオンやアカザなどはそもそもこれほどの人の多い街は初めてなのだろう、圧倒されて、呆けた顔で街を眺めている。

「ここがパルオーロ……ついにやってきたんだ……!」

 レオンが弾んだ声を上げる。アカザもまたぼうっと街に魅入っていたが、ふと、自分達を見て微笑ましそうにくすくすと笑みを零す老夫婦に気付いて、気恥ずかしげに咳払いをした。

「んで、どうすんだよレオン、これから」

「あっそうだった。まず家を出す場所を探さなきゃ」

「それは多分もう無いんじゃねぇかな」

 リックの割って入った声に、純達三人は揃って首を傾げる。困ったように笑って、リックは肩を竦めた。

「明日はリシュール王国の建国記念日だ。それを祝って、リシュール祭が開かれるのさ。城で参加自由の舞踏会なんかも開かれるし、多分今はこの街に大量の観光客が来てる。もう一杯だと思うぜ」

 あ、と、思い出したようにレオンとアカザが声を上げた。

「そうか、もうそんな日だっけ……色々あって忘れてたや」

「ナイスタイミングというか、バッドタイミングというか、だな」

 そんな二人に、はははとリックが笑う。

「ま、俺んちに泊まっていけばいいさ。せっかくこの時期にパルオーロに来たんだから、舞踏会も参加していけばいい」

 そう言って、リックは「俺は国王に報告があるから、17時に城の門の前で待ち合わせしよう。パルオーロを楽しんで」と笑って大通りを歩いていった。

 その背中を見送ってから、三人は顔を見合わせる。

「……それじゃ、これからどうする?」

 最初に口を開いたのはアカザだった。うーん、とレオンが顎に手を添えて頭を捻る。

「……とりあえず、17時まで自由行動でいいんじゃないかな? オレは図書館に行きたいけど、アカザは興味無いでしょ」

「おう。俺はそれよかナンパがしたい」

「安定だなぁ……」

 レオンの呆れ声に、純も苦笑した。そういえば最近はそれどころではなかったが、アカザは女好きであった、と思い出す。レオンが純に振り向いて、「ジュンはどうする?」と問いかけた。

「私は……特に行きたい場所もないから、レオンについていくよ」

「わかった。じゃ、解散だね」

「おう。じゃあまた後でな」

 言い終えて、アカザは颯爽と街に繰り出していく。スキップでもしそうな足取りに、レオンと二人で苦笑した。

「相変わらずだなぁ、あいつは」

「あはは……まあ、アカザはあれでいいんじゃないかな」

 そうだね、と、レオンは肩を竦める。それから純に、そういえばと切り出した。

「図書館に行く前に、ジュンにもジュエルがあった方がいいよね」

「ジュエル……って、アカザがアークハットで子供達に貸してたやつだよね」

「そう。簡単に言えば通信機だよ」

 そう言って、レオンは懐から掌ほどの鈍い虹色の板を取り出す。開閉式のその板は、開くと中に携帯電話のようなボタンが並んでいることはアークハット村で遠目で見た通りであった。

「これで、通信先の番号を入力してスイッチを押したら通信ができるんだ。離れててもこれがあれば連絡できるし、便利だよ。パルオーロほどの大きい街なら売ってるだろうし、先に買いに行こう」

 わかった、と頷いて、レオンと純もまた歩き出す。

 ――彼等を、一匹の黒い蝙蝠が眺めていたことに、彼等が終ぞ気付くことは無かった。


「ジュエルも宝石なの?」

 歩きながら、純はレオンに問う。少なくとも純は、元いた界でジュエルのような宝石を見たことはなかった。レオンが「そうだよ」と笑う。

「といっても、人工だけどね」

「人工?」

「そう。宝石が色んな活用ができるって言っても、限界があるし永遠に採れるとも限らないから。人工的に、望ましい効力を持つ宝石を作ろうってプロジェクトが始まって、初の、そして今の所唯一の成功例がこれ」

 そう言いながら、レオンは懐から再びジュエルを取り出し、純の前に掲げる。

「漸くここ十年で普及しだしたばっかりなんだ」

「……それ大丈夫? 高価なんじゃない?」

 つまりジュエルはこの界の人間の叡智の結晶であるわけだ。あまり高価なものをレオンに買わせるのは申し訳ない、と、純が問うと、きょとんとした顔をした後、ああとレオンが笑う。

「大丈夫だよ。単価10リシューだから」

「安すぎない?」

 思わずつっこんだ。銅貨一枚で買えるなんて、それでいいのか叡智の結晶、と純は遠い目をせざるを得ない。元々安値で普及させるための発明だったにしても如何なものなのか、と。

 いやしかし、自分は別の世界の人間なんだから、と己に言い聞かせる。私にはわからない何か価値基準があるのだろう――そう、純は無理矢理納得しておくことにした。

「……宝石ってすごいね……」

 いろいろと言いたいことを飲み込んで、代わりにつくづく思っていた感想をこぼす。するとレオンは何故かどこか誇らしげに、そうだね、と頷いた。

「魔術の使用と宝石の効力の発見は史上最大級の二大革命って言われてるんだ。それが無ければ、きっとここまで人類は発展しなかったって」

「……そうなんだ」

 なんとなく、心からの同意は出来なくて、純は曖昧に笑う。

 ――この界は科学が発展していないように思う。機械はあるが、仕組みはよくわからないまま、そのすべての動力を宝石魔力に頼っているようだ。純の元居た界と比較して言うならば、科学の代わりに魔術という技術を得ることで利便性を高めていった時空なのではないか、と純は考えていた。

 魔術で科学が可能にする分野をカバーした――そして或いは科学では不可能なことでさえも叶えた――ことにより、科学を発展させる必要は失われた。否、そもそも、科学の存在自体を、思いつく機会すら無くなっているのかもしれない、と、純は思う。

 レオンの言葉に諸手を挙げて賛同出来なかったのは、純が科学の喪失を嘆いているからではない。遺跡で、ハザマと話した時、何処と無く感じ取った、彼が魔術に言及する際に僅かに滲ませる蔑視の念。おそらくハザマだけでなくライもまたそうなのだろう、彼等のその負の感情が、妙に引っかかっているのだ。

『もう救いようもなく歪んでいる』

 ハザマはそう言った。魔物について、この界について、語りながら。

 その歪みが、何のせいなのか、純は知らない。だが、魔術よりも幅の狭い科学でさえ、環境破壊や資源の枯渇という問題を抱えていることを知っている。創造は破壊を伴う。都合の良い、良き点しかないものはこの世に存在しないのだ、きっと。そうであるならば、科学よりももっと色んなことを可能にしてしまう魔術が抱えるリスクとは如何程のものなのだろうか。

 ――これらは、根拠のない純の想像でしかない。実際に、魔術による弊害をまだ純は知らない。そもそも本当に科学が発達していないのかも確信はない。杞憂だと、小説や漫画の読みすぎだと、しかしそう切り捨ててしまうには、ハザマの言葉は酷くこびりついて離れなかった。だからといって、旅を辞めるだとか、そういうものには繋がらないのは、彼に宣言した通りであるが。

「……レオン、魔術ってさ、いつからあるの?」

 そういった思考を留めながら、なんとなく気になっていたことを聞いてみた。レオンはぱちくりと目を瞬かせ、そういえば教えてなかったね、と笑う。

「実はあんまりそれも分かってないんだけど……3000年前、『賢者』がもたらした、っていうのが定説だよ」

「賢者?」

「そう。魔術がもたらされる3000年前より昔を原始時代って呼んでるんだけど……今は世界全体で見てもリシュール王国とガイア帝国とサイスト居住区くらいしかないけど、『空白の歴史』以前は沢山国があって、貿易をしてたり戦争をしてたりしてたみたいでね。今は砂漠しかない不毛の地な上に魔物が大量に蔓延ってて踏み込むのも危うくなってるんだけど、昔はラーフィット大陸にも国々が栄えてた。そのうちのラシュク王国跡地で賢者について伝える石碑が見付かってるんだ」

 ラーフィット大陸。そう言われて、純はいつぞやに見たこの界の地図を思い出す。確か、純のいた界でいう、アフリカ大陸に相当する地だった筈だ。レオンが言葉を続ける。

「なんでも、手足が無くて、代わりに煙のようなものを手足のように使う、長い黒髪の、赤い目の、女のような顔をした男が――隣国からの攻撃で滅びかけていたラシュク王国にどこからともなく現れて、魔術を伝えたんだって」

「……それホントに人間?」

 手足がないまではまだわかるとしても、煙のようなものを手足のように使うってなんだ。そんな純の困惑に、あははとレオンが苦笑した。

「昔のことだし、誇張して書かれてるとこはあるかもしれないね。まだこの頃伝わったばかりの魔術を見て、煙だとか思ったのかも」

「ふぅん……その賢者ってどこから来たの?」

「それがわからないんだよね。そのへんの記述はなくて……もしかしたら純みたいに異世界から来たのかな」

 なんてね、と冗談目化して笑ったレオンが、ふと真面目な顔になる。

「魔術のおかげで滅亡の危機を免れて栄えたラシュク王国はそれから、また一度衰退したけど、ある時一気に勢力を広げたんだ。でも、200年前前後の、『空白の歴史』で……その国も含めて、ほとんどすべての国が滅びてる。リシュール王国やガイア帝国は『空白の歴史』以後に興った国なんだよ。ラシュク王国は『空白の歴史』の手掛かりとして注目されてるんだけど……

……ラーフィット大陸って、凄く危ないんだよねぇ……」

 遠い目になったレオンは、だからなかなか調査が進んでなくて、と付け加える。魔物だらけの砂漠は、確かに聞くだけでも危険さがわかるものだ。

「……でも、それならいつか行けたらいいね」

 『空白の歴史』の手掛かりがあるのならば、自分達は行くべきだろう。そう思った純の言葉に、レオンが一瞬驚いたように目を丸くして、それから顔を綻ばせた。

「――うん、行こうね! オレ達なら危険でも大丈夫だよね、じいちゃんだって15年前行ったらしいし!」

 賢者の石碑を解読したのじいちゃんなんだよ、と、レオンは誇らしげに笑う。本当にレオンの祖父は凄い考古学者だったんだねなどと言って、純もつられて笑った。


「あ。ここジュエルショップだね」

 そんな話をしているうちに店につく。他の建物同様に白く塗りあげられた外装と、他の建物とは違う赤い屋根。そこには「ジュエルショップ」とカタカナで書かれている。

 ――当然、本当にカタカナで書いているはずはない。ハザマのかけた言語翻訳の魔法のお陰でカタカナに見えているだけだ。

 そういえば魔法と魔術は違うらしいと遺跡で聞いたが、どういうことなのだろうか。またハザマに聞こう、と純は心の中で決意した。

「えーと、ジュン、多分店員さんにジュエルを一つ下さい、ってしたら買えると思うんだけど」

「うん」

「……一人で、大丈夫?」

 純に所持金の入った袋を渡しながら、遠慮がちに聞くレオンの顔には明らかに『入りたくない』と書いていた。人見知りのヘタレな彼には知らない街で店員に話しかけるなんてことはハードルが高いらしい。

「大丈夫だよ、レオンは近くで待ってて」

 笑ってそう言うと、レオンは顔を輝かせて「ごめんね、あの人の少ない隅っこで待ってるから!」と人の賑わいから少し外れた道の隅を指し、そちらへ走っていく。

 ――レオン、もしかして買い物とかしたことないんじゃないだろうか。というか下手に店に行くと店員さんに押されて変なもの買わされそう、などと失礼な――しかし的を射てはいるとは思われる――ことを思いながら、純は店に足を踏み入れた。



 買い物はすんなり終わり、銅貨一枚と引き換えに手に入れたジュエルを懐に、レオンの姿を探す。

 と。

「よう兄ちゃん、見ない顔だが観光客か?」

「いい身なりしてんじゃねぇか、俺達、金に困っててよォ。ちょーっと貸してくれねぇ?」

「あ、ああああの、困ります……!!」

 身長は190はあるだろう、柄の悪そうな男二人に絡まれていた。

 壁に背をつけ、ガタガタと震えるレオンはまさに蛇に睨まれた蛙というか狼に捕まった子兎ちゃんというか、である。その垂れた大きな青い瞳には涙が溜まり、顔は真っ青だ。店に入るのも躊躇われるほどのヘタレが大男に凄まれればそうなるに決まっているが、道行く人々は無情なもので、哀れみの目を向けつつもそそくさと離れてしまうばかりだった。時折「またやってるよ」「あの子も可哀想に」などという声が聞こえるあたり、あの男達は有名人なのかもしれない。勿論、悪い意味で。

 ――レオンって、あの赤の森では立ち向かえたのに、なんであれより怖くないはずの不良には無理なんだろう。

 そう思いながらも無理なものは仕方ない。人には向き不向きというものがある。そう頷いて、純はレオンを助けようと歩を進めた。

「あの」

「アァン?」

「……なんだァ? お嬢ちゃん、こいつの彼女かァ?」

「彼女じゃなく友達ですね……」

 純の声に不機嫌に振り向いた男二人は相手が女、しかも子供だとわかると途端にニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。レオンはというと純の姿を確認して「ジュン!」と叫びぶわわと泣き出してしまった。緊張の糸が緩んだのだろうか。それにしても、純というよりはむしろレオンのほうが『彼女』に相応しい立ち振る舞いである。

「えっと、私達そんなにお金もってないですし、見逃してくれませんか」

「あ゛? ハハッ、連れないこと言うなよお嬢ちゃん」

「俺達困ってるんだって。人助けだろォ?」

 うーん面倒臭い。純は心の中で呟いた。

 心の中で呟いた、が、どうやら顔に出ていたらしい。男の一人が嫌らしい笑顔から顰めっ面に変わる。

「……おうおう、なんだ嬢ちゃんその顔は。まさか俺達に喧嘩売ってんのかァ?」

「生意気だなァ! 兄貴やっちまいましょうよ!」

 どうやら兄弟分の関係であるらしい男達は――とはいえどちらもスキンヘッドにサングラスで正直あんまり見分けはつかない――そうせせら笑って、兄貴分らしい方が純の胸倉を掴み上げた。

「ジュン!」

「兄ちゃんよォ、お前が悪いんだぜ? さっさと金を出さねぇからさァ」

 レオンが涙声で叫ぶ。兄貴分である男が腕を振り上げ、純を殴らんとする。しかし掴まれた側である純は冷静に、片手を後ろに、刀の準備を整えていた。

 峰打ちならいいだろう。どうやらテンプレのような悪い人達だし。そう思いながら、純は冷静に男の動きを観察する。殺気もなく、黒い化け物と比べれば全く怖くはなかった。

「――こうやって、ダチの顔が潰れるんだよ!!」

 男が拳を振り下ろす。純は刀を出現させようとして――


 背後に感じた人の気配で、瞬間的にそれを押しとどめた。


 響いたのは肉を殴る音ではなく、ぱしん、と、軽く拳が受け止められる音。驚いた男は純の胸倉を手放し、少しバランスを崩した純を、拳を受け止めた主が支えた。

 純の肩を優しく支える手は細長くしなやかで、しかし男性的な色気さえ湛えている。驚いた純が見上げた、その姿は、一言で言うならば端正だった。

 緩くウエーブの掛かった、ハーフバックの髪は質のいい蜂蜜を溶かしたようなハニーブロンド。それが太陽にキラキラと反射して、上品な輝きを宿している。吊目がちな瞳は、涼しい冬の海か晴れ渡った朝の空か、そういったものを宿した、ライトブルーだった。ストライプのシャツに灰の上着を重ね、赤い宝石のついたタイで首元を飾って、一番上に着た黒いケープが風に揺れる。純を支える彼の腕の中は、香水だろうか、深い甘さを潜めた香りがした。片手で純を受け止め、片手で男の拳を受け止めたその男は、にこりと、年齢や性別を問わず魅了しそうな美麗な笑みを浮かべ、純を見下ろす。

「大丈夫?」

 甘いテノールで囁かれ、純はハッとして頷いた。すると男は「それは良かった」と笑って、純と不良の拳を離す。

「――っな、何だてめぇ!?」

 不良の男が吠えるが、しかし純は見てしまった。不良が少しの間この美しい男に見惚れていたことを。それを誤魔化すように頬を赤らめて叫ぶのは厳つい見た目も相まって正直少々気持ち悪い。

 ――いや分かるよ、綺麗だもんねこの人。そんな謎のフォローを純は心の中で入れる。

「これは失礼。少々、見るに耐えなかったものでね」

 男はそう言って、くすりと笑った。少し首を傾げるその動作すら彼がやると何処までも優美で、人の目を奪う。

「ふ、ふざけやがって……!」

 不良がいきり立って、再び拳を振り翳すのを、彼はその静かなライトブルーで見やる。


「去れ」


 一言。

 その一言で、不良はぴたりと固まった。目を見開き、拳を下ろして、くるりと踵を返す。

「あ、兄貴!?」

 そのまますたすたと立ち去っていく不良に、もう一人が慌ててついて行った。それを見送ってから、男は純とレオンを見下ろして笑う。

「祭りが近くて、ああいう手合いも増えてるんだ。気をつけて」

「あ、ありがとうございます……」

 ぎごちなくも頭を下げた純に、男はその形のいい唇を綻ばせる。流石イケメン、一挙一動が様になるな、などと思っていると、ふと純の手が引かれた。

「レオン?」

「……ジュン、行こう」

「ちょっ、レオン?」

 純の返事をろくに待たず、青い顔をしたレオンは手を引いて歩いていく。


「レオン? どうしたの? 助けてくれたのにあれはちょっと……」

 すたすたと前を歩くレオンに必死で呼びかけていると、漸くレオンは立ち止まった。すっかり街の賑わいから外れた路地で、辺りには人の気配がない。振り向いたレオンは、酷く怯えた目をしていた。その様子は、不良に絡まれていた時の比ではなく、純の困惑は増す。

「……ジュン、あの人は、危険だ」

 その様子の意味を問う前に、レオンが口を開く。震えた声で、レオンは怯えて眉を寄せた。

「オレ、見ちゃったんだ。あの人が、怖い男の人に、使った術……


……あれは『操術』。人を意のままに操る……闇属性の、禁術だよ」



「バレてるよ、スペルビア」

 純とレオンが居る場所とはまた別の、人気のない――どころか、建物の影になって薄暗い路地裏で、這うような低音が響く。しかし、その声の主を知っており、尚且つ声が怒っている等はなくスタンダードでそうなのだと知っているために、話しかけられた側は特に動じることは無かった。

「そうだろうな。そうでなくては困る。あんなにもわかりやすくしてやったのだから」

 ふん、と、ハニーブロンドの髪を払い、鼻で笑う男――スペルビアは、先程純を助けた時の優しげな雰囲気が嘘のように、底意地の悪い笑みを湛えている。その様子に、低音の主である男は溜息をついた。長い黒髪と、数枚重ね着をした黒いローブに包まれた彼は、厚着でも分かるほどに筋肉をがっしりとつけた2mを少し超すようなかなりの巨躯を備えているものの、その真っ黒な服装のために路地裏の影と殆ど一体化している。しかし、不気味に光る、その隈のある気怠げな赤い瞳が、十分すぎるほど男の存在を主張していた。

「……楽しそうで何よりだよ……」

「何だ、嫉妬か? 可愛い奴め」

「ほざけ」

 スペルビアはその返答につれないなと肩を竦める。その所作も優雅にしてみせる彼に、男は舌打ちを一つ零した。

 ――ふと、その空間に部外者の気配を感じ、二人はやってきたその部外者を見やる。

「おう見つけたぞ野郎! おかしな真似をしやがって!」

 それは先程、操術で追いやった不良の男であった。似たような、スキンヘッドとサングラスの男達を五、六名ほど引き連れ、スペルビアに詰め寄る。彼等は路地裏の影に居るもう一人の存在には気付いていないらしく、スペルビアにしか意識を向けていない。

 不良の男は嫌らしく笑い、スペルビアを上から下まで、舐めるように眺める。その頬は――欲に、紅潮していた。

「へへ……見れば見るほど綺麗な顔じゃねぇか……恨むなら自分の顔と、こんな人気の無い所に来ちまったのを恨むんだな」

 ニヤニヤと、男達は欲を乗せて笑う。その悪辣な感情を向けられたスペルビアは――酷く、冷めた目をしていた。

「……君達こそ、何だ、折角見逃してやったのに、わざわざこんな人気のない所にまで来てしまったのか」

 180cm前半であるスペルビアは、その不良の男を見上げる形になる。しかし、その瞳はあまりに冷たく、見上げられている筈の男は何故か見下されているような気分になって、背筋に嫌な汗が伝った。

「わ、訳のわかんねぇこと言いやがって……助けは来ねぇぞ優男が!」

 その――恐怖心とも言うべき――感情を振り払うように、男がスペルビアに拳を振り下ろす。


 ――そうして、落ちたのは、男の首だった。

「え」

「あ、兄貴……?」

 スキンヘッドの男達がざわめく。自身の頭領の、首を失った胴体が崩れ落ちて、漸く、事態の把握に追い付いたようだった。

 悲鳴を上げて、男達は逃げ出さんとするももう遅い。地面から伸びた、幼子の手足を模した黒い影に捕まって、無様に転げ這いつくばる。コツ、と態とらしく音を立てて、スペルビアは男達に歩み寄った。

「や、闇属性……」

「悪魔の子……! 悪魔だ……!!」

「嫌だ! やめてくれ! 死にたくない!」

「助けて! ママぁ!!」

 男達の悲鳴と、罵りと、懇願と、祈りと。

 それらを浴びながら、ハニーブロンドの鬣の獅子は、恐ろしい程に美しくわらって見せた。


 再び路地裏に静寂が舞い戻る。

 返り血の一切を浴びずに、スペルビアはぴちゃりと粘ついた赤い池を踏み鳴らした。

「……」

 赤い瞳の男は黙って事の次第を眺めている。スペルビアはくつくつと喉を鳴らして、「少し派手にやりすぎたかな」と、目を眇めた。

「まあ、鬱憤晴らしには丁度良かった。ああアケディア、君、このまま帰るならアーリマンに伝えてくれよ」

 月明かりに背を向けたスペルビアの顔は見えない。ただ、笑っているのだろうとは、長い付き合いになる赤い瞳の男――アケディアには予想がついた。

「仕事は首尾よくこなしてやる。おしゃぶりでも咥えて待っていろ、と」

 アケディアは、溜息で了承を返す。この同性の恋人は、『アーリマン』と非常に仲が悪かった。だが、その言伝を聞いたアーリマンが怒り狂うのも、アケディアには興味がない。スペルビアがしたいように、してやるだけだった。

 ただ、ひとつ言うならば。

「……早く終わらせてよ、『傲慢』」

「ああ、寂しがり屋な君のためにも、迅速に。君は『怠惰』に待っていると良い」



 路地裏の奥で、黒猫が一つ鳴いた。

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