第十話:神の兄妹

 誰かが呼んでいる。

 酷く悲しく、笑っている。



第十話:神の兄妹



 雷だ。

 そう、閃光と熱の正体をレオンやアカザ、リックが理解したのは、自分達の左右に逸れた――正確に言うならば、すんでのところで三人の前に立ったモノによって、彼等を真っ直ぐ襲うはずだった閃光の軌道を逸らすように裂かれた――高電圧が、彼等の左右、すぐ真横の石畳に描いた黒の線を見てのことだった。

 描かれた黒の線とは即ち、雷撃によって石畳が黒く溶かされた跡である。その焼き目からはぶすぶすと黒い煙が上がっていて、三人の血の気を引かせた。目の前の、その雷撃を裂いたらしい灰の髪を三つ編みにした男が居なければ、三人は炭でも残ればいい方だっただろう。その男はしかし、後ろからは顔を確認することは出来ず、もっと言えばそれほどの雷を、己の身を少しも焦がすことなく捌ききったその手腕も三人の理解の及ぶ範囲ではなかった。

「レオン! アカザ! 大丈夫!?」

「――! ジュン!?」

 聞こえたその純の声に、いち早く反応したのはレオンだった。しかし肝心の純の姿を捉えられず、きょろきょろと周りを見渡す。

「あ、待って待って、今降りるから」

「……降りる?」

 聞き返したアカザへの返答は言葉では返されず、文字通り、純は三人と灰の髪の男の丁度間に降りてきた。

 ――そう、上から。

「…………え!?」

「あ、うん、やっぱ驚くよね」

 叫んだレオンや目を見開くアカザとリックを――とはいえ純はリックを知らず、なんか人が増えてる、といった感想を抱いたのだがそれはともかく――見て、純はあははと乾いた笑みを浮かべる。リックが純の降ってきたらしい上を見上げると、何かの紋様が刻まれている石ばかりが広がっていたはずの天井には、いつの間にかぽっかりと穴が開いていた。しかもそこから一羽、金の鳥がバサバサと出てきたのを最後に、その穴はしゅるしゅると風のような音を立てて小さくなっていき、やがて完全に消えてまたただの天井に戻ってしまう。理解を超えた現実に、リックはあぁと呻いた。

「……うーん、頭おかしくなりそう……、とりあえず君がジュンちゃん……で、いいのかな」

「あ、はい。貴方はリックさん……ですか?」

「そう。アカザとレオンが世話になってるな」

 ややぎごちなくも初対面の二人は挨拶を交わす。その横から、レオンが純に駆け寄って泣きそうにしがみついた。

「ジュン! 無事でよかった! 怪我は!? てか今の何!? どこから来たの!?」

「お、落ち着いてレオン、えーとあれはなんというかこの遺跡はカモフラで別空間がライ様の本拠でそこに連れてかれて雷でえーと」

「ジュンちゃんが落ち着いてくれ。レオンも詰め寄るな」

 アカザが冷静なツッコミを入れて二人を宥める。緊張感の欠片もないそれらのやり取りに、ふと純とレオンとアカザの目が合って、三人は誰からともなく噴き出した。

「――何故、」

 和やかな雰囲気は、しかし、鈴を転がしたような――されど、張り詰めた苛立ちの篭ったような、幼い声音には似つかわしくない威圧感と共に発せられた言葉に壊される。

 その言葉を発した、白銀の髪を持つ幼い少女は、その金の瞳を不機嫌に歪ませて、己と純達の間に立つ灰の髪の男――ハザマを見た。

 形のいい、ふっくらとした桃色の唇が再び開かれる。


「何故邪魔をするのです、ハザマ兄様」

「まぁ少し落ち着きなさい、ライ」


 ――そのやり取りに、二つ、純とアカザから、驚きの声が上がった。

「ハザマ『兄様』!? 兄妹!?」

「このガキが『ライ様』かよ!?」

 ――驚きの方向性は違ったが。

 声を上げたのは二人だが、レオンとリックもまた目を丸くしている。声に反応し、少女――ライはそのまま、ハザマは振り返って、前者は不機嫌に、後者は呆れたように彼等を見た。

「騒がしいですよ~」

「いやいやいや、ハザマ!? 聞いてないんだけど!」

「言ってませんからね~」

 ハザマがやれやれと肩を竦めながらも、ライに視線をやって手招きをする。ライは、未だ不満げに眉を寄せながらも、てこてこと彼に歩み寄り、ぽすりとその腹部に顔を埋めるように抱きついた。ハザマもまた己の腕の中に収まったその白い髪を撫でる。その姿は兄妹というには歳が離れすぎている気もするが、実に仲睦まじく映った。

「まあ、疑問は一つずつ解消することにしましょう~。男性陣は、ワタクシと純の関係にも興味があるでしょうから」

 その言葉で、漸く純はレオンとアカザの物言いたげな目に気が付く。あー、と、純がなんと説明すべきか言い淀んでいると、元々純に説明を期待していなかったらしいハザマがまた口を開いた。

「まあワタクシと純の関係については、知り合いだと言っておきましょう~。ライとはそうですね……兄妹、のようなもの、です~」

 血の繋がりはありませんがね、と付け加えて、ハザマはライの艶やかな髪を撫でる。心地良さそうに目を閉じてハザマの手に擦り寄るライは、すっかり機嫌を直したようであった。そうやって甘える姿は、可憐な美少女と表現するに相応しい。が、彼女は先程レオン達に殺気を向け彼等を丸焦げにしようとした人物と、紛うことなく同一なのだ。ギャップがすごいな、とは、ハザマや雷鳥、ライ本人を除く全員の心の声だろう。

「さてもう一つの疑問としては村人の安否でしょうが、それもご安心ください~。救出して、今は聖域の方で仲良く雑魚寝です~」

「……聖域……っていうと、ここじゃないんだよな。ジュンちゃんが降りてきた、あの穴の向こうか?」

 リックの問いに頷いて、「察しがいいのが居ると楽で結構です~」などと一部の『察しの悪いの』を馬鹿にしているようなことを言い、ハザマは肩を竦めた。

「この遺跡は人間が聖域に入れないようにするための防波堤。ここに出口はなく、また入口にも、普通ならば帰れない。まあつまり、ワタクシがこうして現れなければ、リックとやら、貴方も此処で餓死するはずだったんですから、己の幸運に感謝することです~」

 物騒なことをサラリと言って、ハザマは笑う。リックの笑顔が引き攣る横で、純がはい、と手を挙げた。

「聖域に人間が入れないようにって、私入ったけど、いいの? あと村人さん達もそこにいるんでしょ?」

「貴女はまあ、雷鳥が入れてしまったんだから仕方ありません~。村人は気絶してるのでノーカンです……ああライ、雷鳥を睨んではいけませんよ~この子はこの子でワタクシのためにやったことでしたから~」

 純が聖域、もとい、かの青く光る雷を内に秘めた石で出来た洞窟に入ったことが不愉快だったのか、雷鳥を睨むライをハザマは片手間に宥める。雷鳥は完全に萎縮して羽毛を逆立て震えており、彼(彼女?)に怖い思いをさせられたとはいえ、純は流石に哀れに思った。

「……村人は既に使い魔共に運び出させておる。今頃は遺跡の前で山積みであろう。誰かに話しかけられなければ目覚めない術を掛けておるから、汝らが回収せよ」

 ハザマに宥められ、チッ、とその可憐な見た目に似合わない舌打ちを零してライは不機嫌なまま言う。

「……つまり、土地神の裁きとやらじゃなかったってことだな?」

 アカザが――彼もまた顔を顰め、良い機嫌、とは言い難いようであった――言うことに、ライはふんと小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「妾がわざわざ人間などに干渉するわけが無かろう。このような面倒事を持ってくるのならば村など畳んでさっさと何処ぞへと行くが良い」

 聞きようによっては所謂照れ隠しにも思えるそのセリフは、しかしそうではなく、ライの表情に宿る本気の嫌悪から、本心で人間を煙たがっているのだとわかる。あー、と、リックが言いづらそうに頬を掻いた。

「それは悪かった、でも、彼等は本当に貴女を信仰して――」

「知ったことか」

 リックの弁護を最後まで聞くことなく切り捨てる。ライは実に不愉快そうに顔を顰め、見下した目で純達を見た。

「妾が今回村人を助けてやったのは、襲ってきたモノの方に用があったからじゃ。抑、『我等』は人間の為の土地神ではない。信仰は勝手じゃが、見返りを求められる覚えはない」

 冷たい目に、誰ともなく息を呑んだ。神の怒り、とも言えるその空気に、しかし、呑み込まれまいとするように、アカザが乱暴に一歩踏み出す。

「そうかよ、そんなのは俺達に関係ねぇし知らねぇよ。だがな、レオンを汚物って言ったのだけは訂正しやがれ!」

 アカザが吼える。彼と、その後ろでびくつくように肩を揺らしたレオンを見やって、ライの金の瞳は冷たく細められた。

「汚物を汚物と呼んで何が悪い。なんなら今すぐにでも消してやりたいくらいじゃ」

「ッテメエ!」

「アカザ、落ち着け」

 ガッ、とライに掴みかかりかけたアカザを止めたのはリックだった。彼はアカザよりは冷静にライを見る。

「聞かせてほしい。貴女がレオンをそんな風に呼ぶのは、レオンが闇属性だからなのか?」

 怒りを抑えた、静かな、真面目な青の瞳――それを受けて、しかし、ライは酷く、見下した顔をしていた。


「……誠に、何も知らんのだな」


 怒るでもなく、嘆くでもなく。ただ、アスファルトの上でもがく死にかけた蝉を見るように、静かにライは人間達を見下す。それに動揺したのは、質問を投げかけたリックだった。

「……それは、どういう……」

「はい、そこまで」

 ぱちん、と気の抜けた一拍手が遺跡に響く。その音の主であるハザマは、相変わらず己の腰に抱きついたライをそのままに、相変わらずやる気のなさそうな無表情であった。

「疑問には大方答えたと思いますので、皆さんを遺跡の前にワープさせてもらいます~。あ、純にはまだ少し用事があるので少々お借りしますね~数分で彼女も送りますから~」

「え、いや待ってくれまだ、」

「では」

 リックの言葉をまたもや遮って、ハザマはついと指を動かす。彼のストールに埋め込まれているらしい、内に十字が刻まれた赤い石が同時に光る。

「『空間転位ワープ』」

 その声と同時に、レオン、アカザ、リックの真下に光り輝く魔法陣が現れたかと思うと、一瞬のうちに彼等の姿は消えてしまった。

 遺跡には、純とハザマ、ライ、雷鳥だけになる。とはいえ、雷鳥は主の手前、縮こまって沈黙を貫いているために、殆ど三人だけのようなものであった。

 消えた彼等の、先程まで立っていたはずの場所を純は呆然と眺める。魔方陣も消え失せて、何の変哲もない遺跡の床に戻っていた。

「……今のは……」

「魔法ですよ~、下級ですがね」

「魔法って、魔術とは違うの……?」

「まあ違いますね~、色々と」

 ハザマは笑っていて、彼に抱きついているライは睨んでいる。消えた三人の居た方を見ていた純はため息をついて、彼等に向き直った。

「で、用ってなんなの、ハザマ」

「おや、意外と冷静ですね~」

「まぁ、もう驚き慣れたというか……」

 ハザマなら何しでかしてもおかしくない気がする、と言うと、ハザマはハハッと声を上げて笑った。

「……では、用を済ませてしまいましょうか」

 ひとしきり笑って、すうっと、彼は真面目な顔になる。


「これは最終確認です。純、貴女はやはり、旅を続けるつもりですか」


 彼の赤い瞳は、いつもの気怠さも、不真面目さもなく、真っ直ぐに純を見ている。その瞳で、思い出すのは赤の森の黒い化け物やアークハット村の惨状だ。

「この界は言うならば、見棄てられた界です。見棄てられ、滅びに向かう界。緩やかに、着実に、狂いは広がっていく」

「……それは、私を狙う、誰かのせい?」

 ハザマに問う。

 純にも分かっている。赤の森の黒い化け物が、純を見て笑った意味くらいは。

 ここには、意図的に、純を狙う『誰か』がいる。

「この界で魔物と呼ばれているものを、『我々』は、パラドックス、と呼んでいます」

 ――ハザマは答えなかった。代わりに、また言葉を紡いだ。

「200年前に、この界に現れた『矛盾パラドックス』。――あれはね、本来、世界にあってはならないものなんですよ。

それが蔓延る此処は、もう救いようもなく歪んでいる」

 ハザマはそう言って、それでも、と、純に問う。

 純はハザマから目を逸らさなかった。逸らしてはいけない気がした。そのままで、口を開いた。

「私は旅を続けるよ」

「……それは、レオン・アルフロッジとの、約束の為ですか?」

 ハザマの問い掛けに、首を横に振る。

「最初はそうだったけど、今は、自分のためにが、大きいかな」

 片手を腰までの高さに持ち上げ、握ったり開いたり、してみる。純はこの世界に来て、何度も怖い思いをした。手には小さな傷や、マメが出来ていた。日本にいた頃は、こんなに怖い思いをすることは無かった。

 ――それでも。そう、純は拳を握り、やがて顔を上げ、ハザマを見た。

「私は、私が知らないことを、知りたいと思う。そこに私が関わってるのなら、尚更」

 ハザマは静かに純を見ていた。自身を見上げるライの頭を、おもむろに撫でて、彼はまた口を開く。

「ワタクシは、貴女が知りたいことを知っています」

「……うん」

「ですが、ワタクシは、貴女に知ってほしくないので、教えません」

「うん」

「真実が優しいとは限りません。貴女はこの界で命を落とすかもしれません。貴女は実に残酷な方法で、それを知るかもしれません」

「うん」

「……貴女が、決めた道ならば。それは貴女の責任であり、貴女は、たとえどんな道になろうとも、誰のせいにもできない。後戻りはできない。それでも」

「うん、」

 分かってるよ、と。

 純が笑うのを見て、ハザマは眉を下げて、目を伏せた。笑っているのに、何か、悲しかった。

「――それならば、進みなさい。己の目で、己の耳で、全てを知りなさい。ワタクシにもう、止める権利もない」

 そうとだけ、ハザマは言って、ただ笑っている。

 ハザマの傍で、ただ聞いていたライは、ふとハザマから離れ、純に歩み寄った。その小さな歩幅で数歩、純に近付き、その顔を見上げる。

「小娘。妾は貴様が嫌いじゃ」

「……あ、はい」

 開口一番の嫌い発言に思わず苦笑いが零れる。そんな純に、しかし、ライは鋭く――或いは、涙を堪える幼子のような目で――純を睨み上げていた。

「――貴様は、あいつに似ている。あの女、


……サーシャに、」


 吐き捨てるような声が、その形のいい唇から漏れる。

「ライ」

 それを、諌めるような声音で止めたのはハザマだった。ライは弾かれたようにハザマの方へ振り向き、――純からは見えなかったが、くしゃりと顔を歪めて、「すまぬ」とハザマに駆け寄って抱き着いた。

 ハザマは軽くその身体を受け止めて、頭を撫でる。そして顔を上げて純を見た。その顔は、平素通り、に見える。

「これで話は終わりです~。それでは、先に送った三人の元へ送らせて頂きますね~」

「! あ、うん」

 頷いた純の真下に、先程と同じ魔方陣が浮かび上がる。おお、と感嘆の声を漏らして見下ろしていると、ふと、ハザマが口を開いた。

「最後に一つ」

「ん?」

 顔を上げると、ハザマの顔が見える。真面目な顔をしたハザマは、やはり真っ直ぐに純を見ていた。

「リシュール王国とやらが調べたらしいパラドックス――魔物の生態は正しいものです」

「魔物の生態……生命力が集まる場所には近寄らないってやつ?」

「そう。ですが、生命力が規定量を下回って集まっている場所には、むしろ引き寄せられる」

 そして、と、ハザマは付け加えて、純を見る。

「ライが、レオン・アルフロッジを『汚物』と呼んだことですが」

「……らしいね」

「ワタクシは、そこまで言うつもりはありませんが」

 一旦区切って、少し言葉を探すように、ハザマは少し視線を逸らした。しかしまたすぐに、純の目を見直す。

「それでも、彼には、気を付けなさい。いいですか、純。

廃村に、『人間』が一人で暮らしていて、


――魔物に襲われないなんてこと、絶対に、有り得ないんですよ」


 魔法陣が輝く。ハザマのその声を皮切りに、純は景色が変わる瞬間を見た。



 遺跡にはハザマとライだけが残される。雷鳥は、己の成すべき役割は無いと察し、いつの間にか聖域に戻ったようだった。

 ふぅ、と、ハザマが息を吐く――と、ぽすんと腹部に軽い衝撃を感じる。見下げると、ライが腰に腕を回したまま、ハザマの腹部に顔を埋めていた。

「……兄様……サーシャのこと、出過ぎた真似をした」

 許して、と、いつも人間に向けるような不遜な態度が嘘のように弱々しい声で零す。ふ、と微笑んで、ハザマはその頭を撫でた。

「別に怒っていませんよ。顔を上げなさい、ライ」

 声に従い、ライは顔を上げる。その白磁の頬を撫で、そのまま長い髪に指を通して梳いてやると、絡まりもせずにさらりと落ちる。ライは兄の指に、猫のように目を細めて擦り寄った。

 土地神は、『土地神』に就任すると同時にその身体の成長を止める。幼くして土地神になってしまった妹は、見た目こそあの日のまま幼いが、ハザマと同様、200年以上を生きる神族である。それでも、やはり身体の年齢に中身も引き摺られる部分があるのか、ライには未だ、少し幼い部分があった。

 ――きっと、あの悲劇がなければ、ライはもっと成長出来ていたはずだった。

 そう思うと、ハザマの胸に棘が刺さったような痛みが走る。しかしそれを口にするでもなく、彼はただ黙って小さな妹を抱き締めた。

「ハザマ兄様?」

「……いいえ、何でもありませんよ」

 自身を見上げ、不思議そうな顔をする妹から腕を解く。微笑んで、ハザマは「行きましょうか」と声を掛けた。ライは頷き、ぱちん、とそのしなやかな指を鳴らす。


 移動は一瞬である。遺跡も聖域も、ライの所有物であるのだから、彼女の意のままに動くことが出来るのは当然のことであった。

 ライとハザマが立っているのは、遺跡ではなく、聖域――その洞窟の脇に作ってある小部屋である。ハザマは一歩踏み出して、部屋の中央を、正確には、中央に鎖で繋がれ倒れ伏す傷だらけのソレを冷たい目で見下した。

 全長十メートルほどであろうか。鷲の頭と羽根、獅子の身体――その造りはグリフォンに酷似してはいるが、まるで継ぎ接ぎしたように歪で、醜悪である。傷だらけ、とはいえ、血はない。インフェルグリフと名付けられ、Aクラスの魔物としてこの界の人間には位置づけられているらしいが、そんなことはハザマには興味のないことだった。

 村人を攫おうとしたコレをライと共に討ち落とし、拘束していたために、昨晩はハザマは純の精神世界に赴くことは無かったのだ。動けないほどに痛めつけ、自由を奪いはしたものの、刻印はまだ壊していない。故にソレはまだ意識があるのか、時折ガシャリと鎖を鳴らして藻掻いた。

「知能はそう高くはないようですね~。あの男の命令を受け取り、その通りに動くだけ、のようです」

「村人を殺すのではなく攫おうとしたのは……」

「我々の想像の通りの理由、が一番濃厚な線ですけどね」

 そう言いながら、ハザマはその羽根を踏みつける。ウゥ、と呻く声を聞き流し、彼はライに向き直った。

「何にせよ、あの男の息のかかったパラドックスが現れだしたのは、良い兆候とは言えませんね。本格始動はまだのようですが……

……全く、実に、腹立たしい」

 踏みつけたままだった羽根を、体重を込めて踏み躙る。ヒギ、と悲鳴のような声が下から聞こえ、玩具のくせに痛みを感じる機能はあるのだと、小さく嗤った。

「……ライ、これはもう壊して構いません~。解放して差し上げましょう」

「分かった」

 頷いて、ライは片手を掲げる。同時に雷がインフェルグリフの頭部に輝く刻印を貫いた。ギ、と短い断末魔を最後に、その巨体は光の粒となり、やがて消えていく。

 ハザマはそれを見届けて、ぎり、とその拳を握りしめる。

「……ああ、本当に、忌々しい。今更何をしでかそうと言うのか……」

 眉を顰め、先程まで魔物が居た場所を睨みつけるハザマの目には、憎悪が満ち満ちている。


「今度こそ。今度こそ、貴様の好きにはさせない。

貴様だけは、俺が――必ず、殺してやる」


 低く唸るハザマの拳からは、赤い血が滴っていた。



「本当に申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます」

 深々と、村長らしい初老の男はリックに向けて頭を下げた。

「いや、いいですって。皆無事だったんだし、顔を上げてください」

「しかし……」

「いいんですよ、ほんとに」

 困り顔で言うリックの言葉に、村長は納得いかない顔ながらも分かりましたと頷く。そんなやり取りを少し離れたところで見ていた純に、レオンが「リック微妙そうだねぇ」と話しかけた。

「……まあ微妙でしょ。別の人の手柄で、救世主扱いされるなんて」

「それもそっかぁ」

 レオンが笑って、純に湯気を立てるコーンスープを差し出す。そして、純の座る瓦礫に隣り合って腰掛けた。


 ――純が遺跡の前に戻った時、時刻としては太陽が登りかけた早朝だった。

 待ってくれていたらしい三人と協力して、遺跡の前で転がっていた村人達を起こしていくと、ライの言っていた通り話しかければ簡単に目覚め、後遺症や酷い怪我も見当たらず、一安心した――まではいいものの、四人はどうやら村人が記憶操作を受けていることに気付くことになる。

 村人の記憶では、魔物に攫われそうになったところを、リックが純達を率いて魔物を討伐し助けてくれたということになっていたのだった。「多少の記憶操作はさせてもらった」というハザマの言葉を思い出し、純は溜息をつく。どの辺が『多少』なのだろう、結構根本から改変されている気がする――と。

 代表格にリックが選ばれたのは、恐らく年齢や立場による説得力の問題だろう。それに子供達三人は文句は無かったのだが、リックは不満そうに「俺も助けられた側なのになぁ」などと零していた。

 が、村人の記憶操作は根強く、訂正は効きそうになかったため、もう受け入れることにしたのだった。ただしリックは村人に自分達のことは他言しないようにと頼んでいた。虚偽の功績で評判が上がることは避けたかったのだろう。


 ――そして今は、助けた村人と共に、すっかり高らかに登った朝日に照らされて、廃村と化した村の広場で、ほとんどパーティのような朝食会を開いていた。純は瓦礫に腰掛けたまま、レオンのくれた暖かいコーンスープを啜りながら、わいわいと賑やかな光景を眺める。純達が助けたかの幼い兄妹も両親と再会し、今は疲れが溜まっていたのか母親の膝を枕に仲良く眠りこけていた。

 村はボロボロになってしまったが、村人は明るく笑い合っている。きっと彼等はこの先を強く生きていけるだろうと、安心させてくれる光景であった。

「貴方の言った通り、我々は大きな町に移住することにします。村もこんな状態ですし」

 村長が苦笑する。自虐混じりではあるが、絶望した様子はなかった。リックが街に行くまでの護衛について聞けば、既にリシュール軍に手配を頼んでいると言う。

「きっともう数刻で来てくれると思います」

「そうですか……なら俺はさっさとお暇しないとなぁ、知り合いに会ったら気まずい」

 リックが冗談目化して笑い、村長もまた、はははと笑い声をあげた。

 そんなやり取りを眺めていたレオンが、あ、と何かを思い出したように呟く。

「そういえば、語り部さんが言ってた資料」

「あ」

 その言葉で純も思い出した。そういえば、元々三人がアークハット村に向かっていたのは、ここに『空白の歴史』の手掛かりがあるかもしれないという、語り部の弁によるものであった。

「つっても、残ってんのか? 炭になってる可能性は高いぜ」

 片手に珈琲で満たされたマグカップを持ち、アカザが歩み寄る。それだよねぇ、と、レオンが頭を抱える。

 と。

「資料をお望みかな」

「ひえっ!?」

 突然背後から聞こえた声に、三人の心臓が跳ね上がる。レオンに至っては情けない悲鳴を漏らし、座っていた瓦礫から転げ落ちた。ふおっふおっ、と、犯人である声の主、長く白い髭を蓄えた老人が皺くちゃの顔をさらに皺だらけにして愉快そうに笑う。

「親父! 若い人をからかっちゃ駄目だって!」

「うんにゃあ、すまんすまん」

 村長が叫ぶのを軽く受け流し、老人――村長の父親らしい――が三人に歩み寄る。その手には、一枚の石版が握られていた。

「実ァの、儂も多くあった歴史資料がどうなったのか探していてのぉ……多くは燃えつきてしまっておったが、これだけは無事だった。んだが、この村に歴史に明るいものはおらんでのぉ。欲しいなら持ってけばええて」

 そう言って手渡された石版を、レオンが受け取る。両脇からアカザと純が覗き込むが、謎の文字が連なったそれの価値はよくわからない。しかも所々が禿げて、文が途切れ途切れになっているようだった。村長と向かい合わせで座っていたリックが駆け寄ってくるのが横目で見える。

 純とアカザにはわからなかったが、レオンには違ったらしい。石版を持つ手がわなわなと震えて、その青の瞳を大きく見開いた。リックもまた覗き込み、「これは……!」と、感嘆の声を上げる。

 レオンが弾かれたように顔を上げ、目を合わせたリックと頷きあって、興奮を抑えきれない声で叫んだ。


「これ、間違いない……! 200年前に使われてたって言われる、ラステン文字だよ……!」

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