第九話:遺跡にて

 姉様、姉様。

 ずっとずっと、貴女のようになりたかったのです。



第九話:遺跡にて



「……ジュン?」

 レオンの、呆然とした声が虚しく響く。

 それは突然だった。純の様子がおかしくなったと思うと、その周囲を、大量の金色の羽根が舞った。そして、それが消えた時、その羽根の渦の中に居たはずの純の姿も忽然と消えてしまったのである。

「……っくそ! どうなってやがんだよ!?」

 アカザが吐き捨て、純が先程まで居たはずの場所に駆けた。しかしそこには最早何も無く、膝をついたアカザはその冷たい石畳を殴りつける。なんだって言うんだ、と喚く彼の声さえどこか遠く、レオンはぼんやりとそれを見ていた。

「……探さ、ないと」

「っおう、そうだな、喚いてても仕方ねぇ」

「ダメだ、だって、オレは、」

「……レオン?」

 アカザはそこで漸く親友の異変に気付いて、振り向いた。呆然と、光の宿らない青い瞳で純の居た場所を眺めるレオンは、しかし、何も見ていないようにも見える。

「ダメだ、ダメだよ、誰も、もう二度と、いかないで、ねぇ、守るから。守るよ、今度こそ、だから、『俺』は、」

 ブツブツと脈絡のない言葉を呟いて、レオンは頭を抱えた。目を見開き、よろめいて、ごつんと壁に頭をぶつける。異常な様子に、アカザはぞくりと背筋が凍るのを感じた。

「オレは、『俺』は――」

「レオン!!」

 ――ガッ、と、アカザがレオンの手首を掴んで引き寄せる。殆ど反射で動いていた。そうでもしないと、この目の前の、ヘタレでビビりで優しい幼馴染みが、無二の親友が、何処か手の届かない場所に連れていかれる気がしたのだ。異常な様への恐怖よりも、それが怖かった。

 手首を掴まれたレオンはそこでやっと顔を上げ、アカザを見る。その垂れた青い瞳はいつも通りの、頼りないが優しい光を宿していた。

「……アカザ? どうしたの?」

「……、……それはこっちのセリフなんだけど」

「? ……って、違うよ! アカザどうしよう! ジュンが居なくなっちゃったよ!」

 レオンが動転する。しかしそれはあくまでいつものレオンで、先程までの雰囲気は見当たらない。しかし、それが逆に奇妙だった。

「それは分かって……なぁレオン、お前、」


 大丈夫か?


 ――と、そう言いかけたのを、アカザは息と共に飲み込む。首を傾げ、アカザを見るレオンは、先程の自分の様子を覚えていないらしかった。そんなレオンに問うたとして、混乱を招くだけだろう。何よりも、なぜかアカザはその異常だった様子を、レオン本人に知らせたくない気がしたのだ。だからその代わりに、また口を開いた。

「……大丈夫だ。ジュンちゃんは、お前より頼りになるぜ。何処に行っちまったのかわかんねぇけど、きっとあっちでも何とかやって、俺達を探してる。俺達も探しに行こうぜ、まだリックだって見つかってないんだからな」

 口角を吊り上げて笑う。いつも通りの笑みになっていればいいと、アカザは努めた。

「……うん、そうだね、そうだよね」

 目を見開いて聞いていたレオンは、へなっと眉を下げて、情けない顔で泣きそうに笑う。いつもの、ヘタレたレオンだった。

 掴んでいた手首を離して、アカザも笑ってみせる。今度は努力しなくとも、いつも通りに笑えた。

「――おし! 行くか、早く見付けてやんねぇと、軍に通報されちまうぜ」

 そうなったらリックの奴、きっと説教されるからな、と笑って、アカザは地面に落ちた毛糸玉を拾い上げて歩き出す。レオンもまた、それに続いて歩いていった。



 ――痛い。そう考えて、純は重い瞼をそのままに、眉を寄せた。

 深刻な痛み、ではない。ただ物理的に、背中が痛い。そう、それは言うなら、硬くてゴツゴツした場所に寝かされているような――

 ……寝かされている?

 ばちっ、と、目を開く。純の視界に飛び込んだのは、鍾乳石がいくつも垂れ下がる、黒い岩の天井であった。どうやら洞窟の中であるようで、背中を痛めていたのはその硬い岩で出来た地面のいくつもの出っ張りがその存在を主張していたせいだ、と、上半身を起き上がらせた純は背中を擦りながら察した。

「……ここは……」

『やぁ、やっと起きたね』

 純の呟きに答えるような、突然の第三者の声が聞こえて思わず飛び跳ねる。その聞き覚えのある――というよりはむしろ気絶する直前に聞いたような――声の方を向くと、そこには一羽の、大体鷲ほどの大きさをした、眩い金色の鳥がいた。純の、ちょうど背後にいたらしいその鳥は、立っている床をこつこつと己の足の爪で軽くたたき、鳥らしい動きで首を傾ける。

「…………鳥?」

『うわぁ、間抜け面』

「鳥が喋った……!?」

 失礼なことを言われた気がするがそんなことよりも純には目の前の、明らかに人語を操る声帯など有していなさそうな鳥が流暢に喋ったことに愕然とする。

『煩いなぁ、鳥が喋ったくらいで騒ぐなよ』

 やれやれ、と言った風に鳥は肩(?)を竦める。そんな無茶な、と思うが、それを口にする前に鳥が一歩前に出て、純に近付いた。

『まあいい、人間って奴は愚かだからね、高望みしても可哀想か。

まあ、先に自己紹介をしよう。僕は雷鳥ラウ、土地神であらせられるライ様の忠実な下僕だよ』

 雷鳥と名乗った鳥は、悠々と純に歩み寄る。そういえば、自分をこの謎の洞窟に連れてきたのはこの鳥なんじゃないのか、と、純が遅まきながらに気付いた時には既に目の前まで近付いていて、その右の羽根の先を純の顔の真横に指し――

 ――バチィッ、と、激しく鋭い一瞬の音と閃光が、純の知覚を貫いた。

「……え?」

 ブスブスと、純のすぐ後ろから焦げたような音が聞こえる。恐る恐る振り向くと、純から数十センチほど離れた岩の壁に一点、小さい円状の焦げが見え、そこから黒い煙が燻っていた。まるで、局所的に雷でも落ちたかのように。

 サァッと血の気が引く音がする。同時にいつの間にか、おそらくはその雷を引き起こしたであろう羽根が、今度は両方、純の頭の左右の側面にそれぞれ沿うように触れていた。羽毛がふわふわとした感触を伝えるが、状況を鑑みれば全く癒されない。

「…………え?」

『余計なことは言わず、ただ質問に答えろ』

 雷鳥の、底冷えするような声が顔の後ろから聞こえて、ほぼ反射的に口を引き結んで何度も頷いた。岩壁を見るために腰を捻って背後を振り向いた微妙な体勢が辛いが、そんなことより明らかに感じる生命の危機が辛い。完全にマウントは雷鳥に取られており、ろくな抵抗手段は残されていないことは明確だった。下手に動けば、その左右に添えられた羽根に頭を黒焦げにされてしまうだろう。頭に雷を落とされて無事でいられるのはギャグ漫画の世界であって、現実では死しか待っていない。

 雷鳥がその、どちらかというと男寄りの、中性的な声で囁く。

『お前、その刀、何処で手に入れた?』

「……刀……?」

 それは、純にはあまりにも唐突な質問に思えた。しかし思っていたよりもずっと短気であるらしい雷鳥はその戸惑いも苛立たしかったようだ。バチッと純の顔のすぐ側で電気が弾ける音が鳴り、純はびくりと反射的に背筋を伸ばした。

『余計なことは言うなって言ったよね?』

 ――そんな横暴な。

 そう思っても、口に出すほど純は命知らずではなかった。しかし質問に答えろと言われても、なんと答えれば良いのか分からない。刀とはおそらくはハザマに与えられた日本刀の事だろうが、と、必死に恐怖に強ばった脳を回転させるが、相手の琴線に触れない言い方は思いつかなかった。

 やがて焦れたのか、雷鳥が舌打ちを一つ零す。情けなくもびくりと肩を跳ねさせる純に、雷鳥は苛立ちを込めた声をかけた。

『質問を変えようか。お前、『武力』の欠片をどうやって掠めとった?』

「掠めとった、って、これはハザマから……」

『……「ハザマ」?』

 雷鳥の声がワンオクターブ低くなると同時に、閃光が瞬き、純の耳を轟音が劈く。横を見ずとも、己の真横に雷が落とされたのだと察するのは純には難しいことではなかった。

『様を付けろよ卑しい人間め』

 地を這うような雷鳥の声に、引き攣った悲鳴が喉から漏れる。よくわからないが物凄くやばい。そう、純は真っ青になりながらも確信した。どうやらこの鳥、ハザマを敬愛し、なおかつ純のことをハザマから武力の欠片を取った盗人だと思っているようである。とりあえず誤解を解かねばと思っても、下手に喋れば一瞬で黒焦げにされてしまいそうだ。

『早く答えろよ。答えによっては今ここで――』


「その必要はありません~」


 雷鳥の声を遮ったのは、聞き覚えのある間延びした声だった。

『ハザマ様!?』

 雷鳥の羽根は相変わらず純の顔の左右に添えられているので、雷鳥の後ろから来たらしいハザマの方を振り向くことは出来ない。しかし、その慣れ親しんだ存在が現れたというだけで、純の強ばった体は安堵に緩んだ。こんなにもハザマの存在に感謝したことがあっただろうか、いや無い。

「彼女はワタクシの知人です~。その羽根を退けなさい~」

『しかし……』

 渋る雷鳥は、しかし、ハザマが「退けろ」ともう一度、今度は少し低めた声で繰り返したことで、漸く純を解放し一歩下がる。拘束が無くなって、純は瞬発的に振り返った。

「ハザマ……!!」

「情けない顔ですね~」

 思わず駆け寄って勢いよく抱き着く。ハザマは馬鹿にしたようなことを言いながらもよろめきもせず受け止めて、純の頭を撫でた。一日しか開けていないのにやけに懐かしく感じ、純はハザマに抱き着いた腕の力を強める。雷鳥の驚愕と怒りが混ざったような視線を感じるがそれよりも恐怖から解放された安堵の方が強いのだ。

 ――雷怖い。屋内から眺めるものとは比べ物にならない。日本人四大恐怖に数えられるのは伊達じゃない――そう、純は内心で慄いた。

『ハザマ様、そいつは……』

「彼女にはワタクシが自ら、武力の欠片を分け与えました~。それでいいですね~?」

『……は。失礼致しました』

 食い下がるも、ハザマにそう返されて雷鳥は渋々と言ったように頭を垂れた。

 そんな雷鳥を尻目に、さて、とハザマは純の背をポンポンと軽く叩き離れるように促す。それに従ってハザマの腰に巻きついた腕を離すと、彼は一度純の頭を撫でてから口を開いた。

「さて、貴女は大方ライに会いに来たのでしょう~? わざわざこの遺跡にやって来るということは」

「! そうだ」

 そう言われて、先程まで恐怖によって頭からすっぽ抜けていた目的を思い出す。

「ハザマ! アークハット村が! 村人が! ライ様!」

「述語を付けて喋って頂けますか~」

「あだっ」

 ハザマに詰め寄って言い募る純に軽いチョップをかまして黙らせ、痛みと衝撃に頭を抱えて唸る純に、ハザマは一つわざとらしく溜息をついた。

「貴女の下手糞な説明が無くとも何があったかは知っていますし、村人は無事ですから安心なさい」

「えっ」

「ライが助けました。今は意識の無い状態でこの空間の奥で雑魚寝状態ですので、丁度いいから連れて帰ってください~。ライを見た以上多少の記憶操作はさせてもらっていますが、基本的に異常はないはずです~」

 あっけらかんと言うハザマに、純は暫し、ぽかんと間抜けな顔をしてしまう。そのまま、つい、口が滑った。

「……良かった……ライ様が送り込んだんじゃなかったんだ……」

『は? ライ様のせいだと思ってたの? 処す?』

「ひえっ」

 背後から感じた殺気と電気の弾ける音に先程植え付けられた恐怖が蘇って慌ててハザマの後ろに隠れる。苛立ちを隠しもせずに鳥の口で器用に舌打ちする雷鳥と、ごめんなさいと繰り返しつつハザマにしがみついて震える純に挟まれて、もう一度ハザマは深く溜息をついた。

「兎も角、ライの所に行きましょうか~」

『……ハザマ様、そいつを連れていくのですか?』

 あからさまに嫌そうな雷鳥に、ハザマは少し笑って「正直者で何より」と、己にしがみつく純の頭を軽く撫でる。

「問題ありませんよ~。神族の存在についてはワタクシと知り合った時点で今更ですし。ライにはワタクシから言いましょう~」

『……は、』

 まだ不満げではあるが、雷鳥はそれ以上の言葉は飲み込んで恭しく頭を垂れる。それを一瞥し、ハザマは「行きましょうか」と純と雷鳥を促した。



 真っ黒で無骨な岩ばかりだった洞窟の壁や床や天井は、歩みを進めるうちに電気を中に潜めたような青白い光を放つものに変わっていく。その光で、幻想的な明るさを湛える洞窟の、最奥は一等美しかった。

 そこは、通路の幅は先程まで純達が歩いてきたそのままに、しかし、壁は開けて道の左右に青く透き通る湖がある。部屋の真ん中を突っ切って通った道と、その先にある一際大きな円状の広場以外は、その湖に満たされて丸く広がっているようだった。部屋を、湖を包む岩壁は全て電気の冷たさを内に秘め、神秘的な光のベールを纏っている。個々の岩の放つ光は一定ではなく、バラバラに強弱を繰り返すので、まるで揺らぐ深海に居るようだ。それでも遠く聞こえるパチパチと弾ける音が、それが水ではなく雷であることを主張する。

 湖には雷鳥と同じ姿をした鳥たちが――もしかすると雷鳥とは個体の名前ではなく種族名なのかもしれない、と純は推測した――水音を立てて飛び回っていて、一匹、ハザマの来訪に気が付いて、客人の待つ入口近くに降り立った。

『ハザマ様! ろくな迎えも無く申し訳ありません』

 雷鳥に良く似た声だった。しかし、やはり中性的であるその声は、雷鳥よりは女性寄りに思える。

「構いません~。しかし、ライが見当たりませんが~? ワタクシは今日、来ると約束していたと思うのですが~」

 ハザマが問う。その幻想的な広場に居るのは純達を除けば多くの金色の鳥ばかりで、成程『ライ様』らしい者は見当たらない。問われた金の鳥は、困ったように頭を下げ、くるると唸った。

『はい……ライ様もとても心待ちにしておりました』

「ライは今何処に?」

『実は……』

 言い淀んでいるのか、くるるる、と喉を鳴らす。しかしハザマに視線で促され、鳥はやがて口――嘴というべきか――を開いた。

『……「嫌な気配がする。妾の領域に汚らわしいモノが入り込んだ」と仰って、出て行かれてしまったのです』

「……、ふむ、もしかすると、先程感じたアレですかね~」

 純にはわからないが、ハザマには心当たりがあるらしい。もういい、とその鳥を下がらせて、ハザマは純に向き直った。

「行きますよ」

「え、行くって何処に」

「ライの所です~」

 決まっているでしょう、と呆れたように言われ、ぐっと言葉を詰まらせる。そんな呆れられても、わからないものは仕方ないじゃん――という言葉は、放つ前にハザマの次の言葉に飲み込まれた。

「急がなければ、ヤバいかもしれませんよ~?


貴女の友達、殺されてしまいます」


とんでもない発言をさらりと放って、ハザマは肩を竦めた。



 純達が洞窟の最奥へと歩みを進めている頃、アカザとレオンもまた、遺跡を歩んでいた。

 しかし、決して順調とは言えず。

「……二本目、だな」

「二本目だね……」

 二人の目の前にあるのは、道に通った赤い糸だ。彼等に対面して横切る通路には既に赤い糸が垂らされており、その道はT字路の上の横線に当たる。つまり、T字路の下の縦線に当たる道に居る二人はどう足掻いても、今来た道を戻るか、既に赤い毛糸が垂らされた道――つまり一度二人が通ったはずの道である――を、歩まなければならないということである。

「間違いねぇな、この遺跡、空間がおかしいぞ」

 毛糸を落として、アカザは低く唸った。それはもう、レオンもよく分かっている。空間がおかしい。来たはずの道がなくなっていたり、無かったはずの道が増えていたり、それを何度も繰り返せば、流石に察しがついてしまう。

「ど、どうしよう、オレ達ほんとに二人を見つけて出られるのかな……!?」

「出られるのかなぁ、じゃねぇ、出るんだよ!」

 涙目で泣きつくレオンの頭を叩いて叱咤する。が、そんなアカザとて、じわじわと心を不安が侵食していた。歩むうちにちらほらと見るようになった、道の端に転がる人骨もまたその不安を助長させるものだろう。おそらくこの遺跡に挑戦し、そして迷って餓死したであろう人間達の骨を初めて発見した時は、レオンが腰を抜かした。今は、必死に見ないようにしているらしい。

「うう……どうなってるんだろう……魔術の気配なんかないのに……」

「知るかよ……」

 震える足を叱咤しながら、彼等は進む他に道はない。抱える毛糸玉は随分小さくなっていて、しかし、その糸に意味などほとんど無いのだろうと、二人共もうわかっていた。それでも抱えて、歩みをただただ進める。


 歩いて、歩いて。毛糸玉がとうとう尽きようとしていた時、二人は遠くに、壁の燭台以外の光を見た。

 同時に向こうから足音が聞こえて、二人は歩みを止める。アカザは己の耳に手を翳して、レオンの前に腕を伸ばして庇うように立った。

「アカザ……? どうしたの、人じゃないの……?」

「……人だとは、思うが。もし餓死寸前で正気を失った人間だったらどうする? 襲われないとは限らないぞ」

 その言葉にレオンの体も強ばって、小声で呪文を唱え魔術書グリムワールを片手に現す。

 コツ、コツン、と、足音はどんどん近づいてきた。やがてその主の姿が、燭台の明かりで見えるほど近くなる。

 ――歳は二十代半ばだろうか。つんつんとした短な、向日葵のような明るい、アカザと同じバターブロンドの髪は、遺跡の探索のせいか常より少し薄汚れている。首に巻いたスカーフに付けられたサンストーンのブローチの放つ光が、二人が見た燭台でない明かりの正体だった。その、血縁を感じさせるつり目がちな青い瞳は、レオンとアカザの姿を確認し、ぱちくりと瞬いた後、ぱっと輝く。


「お? アカザにレオン! 久しぶりだなぁ! なんでこんな所にいるんだ?」

「――リック!?」

二人に駆け寄って親しく肩を抱いた男――リック・アルバーンは、汚れてはいるものの健康そうな様子で、からからと笑った。


 彼に抱き寄せられ、目を見開いていた二人は――アカザの方が先にハッとして、リックを引き剥がして掴みかかる。

「……お、まえ!! お前なぁ!!! 心配かけやがって!!!」

「おお、なんだアカザ心配してくれたのか?」

「っ!! お、俺は心配してねぇよ!! レオンとかだよ!!」

 呑気なリックにアカザがやや顔を赤くして叫ぶ。そんなアカザと、どうしたらいいのかわからずおろおろするレオンとを見て、リックは相変わらず「心配かけて悪かったなぁ」と呑気に――心做しか嬉しそうに――二人の頭を撫でた。ただし、アカザには即座に叩き落とされ、リックは笑いながら手を引っ込めることになる。

 しかし、リックはふとその笑みを消して、真面目な顔で二人を見た。

「でも、お前らにここには来てほしくはなかったな」

「……!」

「っ……」

 真面目な――僅かに怒りを込めた――その目に、レオンとアカザは息を呑む。しかし、それを振り払ってアカザはまたリックの胸倉を掴んだ。

「……お前! お前が、こんな所来るからだろ! こんな所、村長との喧嘩だとかなんだか知らねぇけど、のこのこ入りやがって! 三日も戻れねぇで!」

「あー、うん、それは悪かった、そうかもう三日も経ってたか」

「もうすぐ四日だ馬鹿!」

 悪かった、ともう一度繰り返して、リックはアカザを宥めるように肩を軽く叩く。そして、真面目な目で見下ろした。

「俺がこんなことになったのは俺の落ち度だ。魔術の気配も感じ取れなかったし、ただの遺跡だと思っちまった。俺の未熟だ。

でもな、お前らは俺が帰れないほど危険な場所だと分かってたはずだ。だから、来ないでほしかった。それも子供だけで」

 その言葉に、二人は黙りこくって俯く。それを暫し見下ろして、リックは眉を下げて「でも」と付け加えて、二人の頭を撫でた。

「心配してくれてありがとうな」

 優しい声と笑顔に、二人の鼻がつんと熱くなる。いや、レオンは既に涙目であったが、アカザはプライドで押し込めたらしく、すんと鼻を一度啜って、「うるせぇバカ」とリックの手を叩いた。それにリックは苦笑を零し、しかし特に何も言わずに手を引っ込める。

「さて、俺だけならまだしもお前らまで来ちまったからには、なんとかここを脱出しないといけないな」

「……それだけじゃねぇよ。もう一人、ここで行方不明になった仲間がいるし、お前にはしっかりリシュール国軍に話通してもらわねぇといけないんだ。お前が言ったらしい通りに、アークハット村が魔物に襲われちまった。村人は、ちっさい兄妹を除いて全員攫われたらしい」

「ジュンっていう友達が居なくなっちゃったんだ、まずは探さないと……それから、ライ様が本当にいるなら、聞けば村の人達の行方が分かるんじゃないかって」

 アカザとレオンの言葉に、ふむとリックは顎に手を添えて首を捻った。

「……色々奇妙なことも問題もあるが、まずは二人の友達と、村人の安否だな。しかしこの空間をどうにかしなきゃなんねぇが……いったい何なんだろうなぁ」

「リックも魔術の気配を感じ取れなかったんだよね?」

 レオンの問いに頷き、リックは辺りを見渡す。無機質な石畳の遺跡は、相変わらず荘厳な、冷えた空気を纏って、三人を囲んでいた。

 天井を見上げ、頭をかいて、リックの顔が顰められる。

「もしこれが魔術を巧妙に隠してるんなら、相手はかなりの――」


 ばちん、と、電気が弾ける音を聞いた。

「――『魔術』だと?」

 高らかな、鈴を転がしたような声。それでいて、内には荘厳を秘め、何もかもを見下した、冷めた蔑みを滲ませている。

「妾の『魔法』が、そのような偽物と同等であるものか、無礼者」

 何処から現れたのか、三人の背後、電気の弾けたその場所に、その声の主はいた。

 透き通る白磁の肌は、幼気にふっくらとしていて、年相応――見た目では、十に至るか至らないかというほどだ――に、輪郭は丸みを帯びているものの、無駄な肉はなくすっきりとしていて、人形のように滑らかである。額には内に十字が刻まれた青い宝石を金が縁取る飾りを付けているからか、緩くウェーブのかかった髪は真ん中分けにして、腰まで伸びていた。質のいい糸のように細く艶やかなその色は、早朝の、誰にも踏み荒らされていない雪を思わせる白銀である。その色は長い睫毛にも塗られていて、吊り目がちにその白に囲われた瞳は金色だ。一見して、白い綿に包まれた上品な輝きを湛えるゴールドを思わせる。

 幼くともよくわかる、美少女である。しかしその実その瞳は、他者の上に立つ王者のものだった。纏うオーラは人ならざるものだった。荘厳と、威圧と、矜持を添え、その瞳は三人を、そして、レオンを捉える。

 少女の形の良い、薄く桃色に色付いた唇が開かれた。

「道を開けよ。妾はそこなる汚物の掃除に来たのじゃ」

 鈴を転がしたような声で、その幼い見た目に似合わぬ尊大で、婆臭いような口調を放つ。

 その異様なまでのオーラに、アカザとリックは殆ど反射的に従ってしまいそうになる。しかしそれを踏み止まり、ガクガクと震えるレオンの前、少女から庇うように立った。その様に、少女の麗しい顔が僅かに顰められる。

「道を開けよ、と言った。低俗な人間は、言葉の意味も理解出来ぬか」

「……汚物って、レオンのことかよ」

 アカザが強く睨みつけ、低く唸る。それに全く堪えた様子もなく、少女は至極当然のことを語るように、こてりと小首を傾げた。

「左様。それ以外に何が居る? 早う退け、人間に興味はない」

「……流石に、お嬢ちゃんでも、俺の弟みたいな子を、汚物扱いは看過できないなぁ」

 リックは、言葉は優しいながらも、その瞳は少女の動きの一切を逃さぬよう、ぎりりと見下ろしている。

 その二人の対応が癪に障ったのだろう、少女は更に眉を寄せ――それでもなお彼女の美麗な顔立ちが崩れることはなく、むしろ威圧を増すようである――ひとつ、橙の、ロングスカートのような裾をはためかせて、三人に歩み寄った。

「……人間の分際で、妾に逆らうか」

 コツン、コツンと、ヒールを鳴らし、少女は距離を詰めていく。酷い威圧感に、三人の頬に嫌な汗が伝った。アカザは弓を構え、リックは己の炎の魔力を腕に纏わせ、レオンは魔導書グリムワールを腕に抱える。しかし、こうして武器を構えても、丸腰であるはずの少女へ、本能が警笛を鳴らしている。

「生意気な。愚かな。嗚呼、これだから、人間は嫌いなのじゃ」

「……、……まるで、自分が人間じゃないみたいな言い方だな」

 リックのその言葉には答えず、少女はこてりと首を傾げる。それが人形のようでもあり、獲物を視る肉食獣のようでもあった。

 ぱちり、と、少女の周囲に光が爆ぜる。それが電気であると、三人が認識したのは少し後だった。

「……愚かしい。見るに堪えぬ。そこの汚物諸共、妾が炭にしてくれるわ――!」


 ドッ、と、轟音が響く。

 三人が認識できたのは、光と、熱、それだけだった。

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