第四章:アークハット遺跡

第八話:アークハット

「貴女が刀を手放すことを望んでいました」「それを望みながらも、貴女がそうしない事を知っていました」

「――ええ、だって、貴女は本当に彼女に似ている。哀しいくらいに、愛しいくらいに」



第八話:アークハット



 目を開き、純の目に最初に入ったのは見覚えのある――レオンの家の、純に宛てがわれた部屋の天井、と、ドアップのいぬの顔だった。

「……あれ?」

 赤の森を抜けた道、即ち外にいたはずなのに何故家なんだ、と、思わず困惑の声を漏らす。しかし部屋にはいぬ以外は純しか居らず、その疑問に答えてくれる人は居ない。そしてその彼女の胸のあたりに乗っていたいぬは、ぴょこんと軽く飛び降りぴぎゃーなどと鳴きながら飛び跳ねていく。そのまま、僅かに開いていた扉の、そのギリギリ通れるだけの隙間から部屋を出ていった背中(?)を見送って、純は寝かされていたらしいベッドの上で体を起こした。

 付近の窓から外の様子を伺うと、すっかり日は落ち、夜の帳で雰囲気は変わっているが、どうやら場所は赤の森を出たばかりの草場のままなようだ。そこに家を出しているのだろう、部分的に見える家の外壁と、それから、どうやら家を囲むように等間隔で置かれているらしい白の発光体が見える。

 あれはなんだろう、と、見下げるため身を乗り出そうとした時、下からばたばたと駆け上がる音が聞こえた。

「ジュン!!」

 バタン! と勢いよく扉が開き、その勢いのまま飛び込んできたのはレオンである。

「大丈夫? どこか痛いとこない? ジュン、黒いの倒してからいきなり気絶して、オレ心配で……!」

「落ち着けバカ」

 純に詰め寄るレオンを、後からやってきたらしいアカザが軽く小突く。そしてレオンよりは冷静に、しかし青い目に心配の色を乗せ、アカザが口を開いた。

「顔色は悪くないが、どこか異常は無いか?」

「あ、うん、大丈夫」

「そっか、なら良いんだけど……緊張の糸が緩んだのかもな」

 純の返答に頷いて、アカザは窓に向かって一、二歩進み、窓のすぐ側の壁に寄り掛かって外へと視線を向けた。

「この通り、今日はここで野宿だ。アークハット村に向かっても良かったんだけど……眠ってるジュンちゃんを抱えて魔物の出る草原に出るのはリスクが高いからさ。夜が更けると魔物の活動も活発になるし。ああ、ホワイトオニキスで結界を張ってるから、キャンプ中は安全と思ってくれていいぜ」

「わかった……なんかごめんね、私が気絶したせいで……」

「いいってことよ。元々アークハット村に夜が更ける前に着くとは思ってなかったからな。どっかで野宿するつもりだった」

 野宿というとテントでも張ってキャンプをするようなイメージだったが、家を持ち運べるこの世界では道端に家を出すことを野宿というらしい。この世界に来てから最早幾度目か分からないカルチャーショックだが、慣れてきたのか純はそういうものかとあっさり受け入れてしまった。そして、どうやらかの白い発光体はホワイトオニキス――毎度お馴染み便利な宝石であるようである。

「あ、ジュン、お腹すいてる? シチュー食べれそうかな」

 小突かれた頭を抑えていたレオンがふと問うた。それに頷きを返すと、ぱぁっと顔を輝かせて「じゃあ温めてくるね!」と駆けて部屋を飛び出して行ってしまう。

「忙しねぇなぁ」

 呆れたようなアカザが純の思ったことを代弁してくれたので、純はただ苦笑を漏らす他ない。

「飯食ったら風呂入って、早めに寝ろよジュンちゃん。明日の朝、アークハット村に向かうからさ」

「そうだね、ありがとう」

 純が笑うと、アカザは茶目っぽくウインクをして窓のカーテンを閉めてから部屋を出ていった。

 至れり尽くせりだな、と、純はベッドの上で膝を抱える。

 ――レオンにもありがとうを言わないといけない。それから、ハザマにもお礼を言わないと。そう、ぼんやりと考えていた。ハザマがあの時声をかけてくれなければ、自分は蹲ったままだったかもしれないと、そう思う。今夜、あの精神世界で会えるだろうか、会えたらちゃんと礼を言おう。そう考えて、純は目を伏せた。

 そのうちに湯気と良い匂いを漂わせ、鍋と食器一式を持ってレオンが部屋に戻ってくる。その姿に純は顔を綻ばせて、彼を迎え入れた。時刻は21時を回っている、遅い夕飯である。


 ――そして、しかしその夜は、夢も見ず、ハザマの精神世界に行くことも無く、朝を迎えた。


 朝日が家と草木を明るく照らす。小鳥の囀りも手伝って、昨日の不気味さが嘘のような晴れ晴れとした陽気であった。

「さぁ、出発しよっか!」

 レオンがトパーズに家を戻しながら元気よく言う。それにしても、宝石の中に吸い込まれる家という光景は、純には何度見ても慣れないものである。物理法則どうなっているんだ、と。しかし当然レオンとアカザは慣れたものであり、戸惑いの素振りは見られない。遠い目をする純の肩で、いぬがぴぎゃーと鳴いた。慰めだろうか。

「あっ、バカ」

 トパーズを懐に入れながら結界の外へ足を踏み出さんと動いたレオンに、アカザが待て、と言いかける。しかし言い終える前にレオンの足は結界の外を踏み――

 ――バチンッと、電気が弾けるような音と共に一瞬の閃光が走り、レオンを結界の内側に飛ばした。

「――あだっ!」

「レオン!?」

 弾き飛ばされて数十センチほど後ろに尻餅を着いたレオンに、純が慌てて傍に寄って状態を確認する。派手な音だった割に少々土が服についているが特に大きな怪我はなく、レオンはけろっとした顔で「忘れてたや」と笑った。

「ばっかだなぁ、結界解くまで待てよ」

 アカザが呆れ顔で言いながら結界の外へ――光に弾かれることもなく――出て、半分ほど埋められているホワイトオニキスを一つ抜き取った。家があったところを円周上にまわって計十個のそれを回収すると、アカザはそれらを上着の内側についているシトリンのブローチに収納してから、レオンに向き直る。

「気を付けろよな、お前にはあんま良くねぇんだから」

「うん、ごめんね」

 アカザとレオンのやりとりの意味がわからず困惑していると、純の様子に気付いたアカザがああと笑った。

「ホワイトオニキスは魔除けだって言ったろ? これは光属性の宝石でさ、魔物は他の属性を兼ねてる場合もあるけど、絶対闇の属性は持ってるからこれで張った光属性の結界には寄り付かないんだ」

「オレは闇属性だから、魔物じゃないけど弾かれちゃうんだよね」

 レオンが補足して、困ったように頬をかく。

 成程、と純が納得したところで、三人はアークハット村に向けて出発することとなった。



「妙だな」

 暫し歩いて、登った太陽が真上を少し過ぎた頃。踊りかかってきたスライムの刻印を撃ち抜いて、消滅を確認したアカザがぽつりと呟いた。

「何が?」

「……まあレオンはひきこもりだから分かんねぇだろうけど」

「何でオレいきなり貶されたの!?」

 質問しただけじゃん! と喚くレオンを押さえつけて、アカザは相変わらず神妙な顔のまま遠く――アークハット村のある、純達の進行方向を眺める。

「村や街が近付くほど、普通は魔物との遭遇率は減っていく筈なんだが……昔この辺りまで来た時よりやけに多い。赤の森といい、気になるな」

 そう眉を寄せるアカザに倣って、純もアークハット村の方角を見た。地図によると、そろそろ村の家屋が見え始めてもいい頃だ。事実、目を凝らすとそれらしき影が純の視界に入り――しかし、それは純に一つの違和感を与えた。

「……あの影、形が変じゃない?」

「ん?」

 純が指した方向をアカザもまた目を細めて凝視する。レオンも同様にするが、アカザの方が目が良いのか、先に気付いたのはアカザだった。

「……あれは……家……、いや……まさか、」

 純の視覚以上のものを確認したのか、アカザは顔を顰めて、妙に焦った様子でピアスの水晶に触れ、光とともにその手に小型の片目用望遠鏡を握り、右目でそれを覗く。そして、そこから見えたものに息を飲んだ。

「アカザ? 何が見えたの?」

 水晶に望遠鏡を収納すると同時に弓矢一式を取り出したアカザにレオンが怪訝な顔で問い掛けても、アカザは厳しい顔を崩さず、口を開く。

「レオン、ジュンちゃん、急ぐぞ。そんで、いつでも戦えるように構えとけ。

……アークハット村の家がいくつも倒壊して、瓦礫と炭になってる。あれは、魔物に襲われた傷だ」


 三人がアークハット村の入口――だったであろう場所、としか言えない状態だが――に辿り着くと、その場所からは、村の状態がよく分かった。

 元々村を囲っていたであろう木製の柵は炭になり、石造りらしい家々は上から何か大きなものでも降ってきたかのように崩れている。村の内部は勿論、その周囲さえも、その大地を元々覆っていたであろう草は燃え尽き焦げた土が露出して、さらには地面や家だったものを抉るようについた巨大な爪痕が、その場にかなりの大きさのバケモノが暴れたであろうことを示していた。焦げ臭さが鼻をつき、それ以上に、その村の惨状に、純は口を抑える。レオンやアカザもまた目を見開いて顔を強ばらせ、レオンに至っては今にも泣きそうに目を揺らがせてしまっていた。

「これは……」

「……どういうこと? なんで魔物が村を襲うの……!?」

 純が呟き、レオンが震えた声で零す。辛うじて一番冷静なアカザが、「わかるわけねぇだろ」と吐き捨てた。

「……見たとこ、死体は無いな……村人は逃げたのか? それとも形も残さず食われたか……魔物の気配は無いが……」

 アカザの呟きに純もまた冷静さを取り戻し、震える足を叱咤して顔を上げる。

「……そう広い村じゃないし、手分けして村の様子を見てみよう。もしかしたら、どこかに村の人がいるかもしれない。何かあったら大声で知らせること」

 二人も頷いて、それを合図として、それぞれ三方向を探しに行くことになった。


「誰か、居ませんかー!」

 呼びかけても返事はない。中を歩けば歩くほど村の惨事は酷くなっていき、純は顔を顰める。鼻をつく焦げた臭いは、起こってからそう時間が経っていないことを表していた。もし自分が昨日眠ってしまわなければ、もっと早くアークハット村に着けたのだろうか、と、後悔が胸を締め付ける。早く村に着いたからと言って何ができたかはわからない。それも分かっているが、悔やむ思いは純の心に黒くまとわりついた。

「……後悔してばっかじゃだめだ、今出来ることをしないと」

 呟いて、頭を振って考えを打ち切り、もう一度「誰かいませんか!」と声を上げる。歩きながら何度か呼びかけていると、肩に乗っていたいぬが唐突に飛び降りた。ぎゃーなどと鳴きながらぴょんぴょんと跳ねていく方を見ると、純はひとつ、瓦礫の山に、屈めば大人なら一人、子供なら二人は入れそうな小さな穴を見つけた。

「……誰か、居ますか?」

 呼び掛ける。すると、穴の奥、日の届かない暗闇で影が二つ動いて、じゃりりと土を踏む音がした。

「……ひとだ」

 まだ幼い少年の声だった。向こう側からは純の顔が見えるようで、少年の声は弾んでもう一つの影に呼び掛ける。

「人だ、人が来たぞ!」

「……ほんと? 魔物、いない? 私達助かったの……?」

 穴から這い出てきた、茶髪に青い瞳をした幼い兄妹は、煤に汚れた顔を喜色に色づかせた。


 崩壊した村が夕日に赤く染まり始める。村の、広場だったであろう場所に集まった純達三人、そして純が見付けた兄妹は、適当な場所に腰を下ろした。

「……結局、見付かったのはこいつらだけか」

 アカザが兄妹に視線を投げる。兄妹は寄り添って俯き、その小さな体は僅かに震えていて、純がそっとその肩に触れてやると、ほんの少しだけ力を抜いた。

「えっと……何があったのか、教えてくれる?」

 純の問い掛けに、弾かれたように少年が顔を上げる。

「魔物が! でっかい、体が馬で、頭が鳥の、魔物が、いきなり襲ってきたんだ! でっかくて強くて、村を沢山壊して、火も吹いて、皆、みんな連れてかれちゃって……」

 少年の言葉尻が段々と小さくなって、上がった顔が俯いていく。しかし、その揺らいだ瞳から涙が零れることは無かった。その代わりに、妹の繋いだ手を強く握り締める。妹の方はぐすぐすと泣きながら、兄である少年に縋るように寄り添った。

「連れて行かれた……か、魔物らしくない行動だな……」

 アカザが首を捻った。それに気付いていないらしい少年が、「あいつのせいだ」と、俯いたまま吐き捨てるように零した。

「……あいつ?」

 兄妹から一番離れた場所に座っていた――子供相手にも人見知りを発動したらしい――レオンが、いぬを抱えたまま首を傾げる。と、少年がまた勢いよく顔を上げた。その顔は先程のような悲痛より、怒りの色が勝っていた。

「あいつが遺跡に入ったからだ! 土足で踏み荒らしたから、ライ様がお怒りになって、災厄を呼び寄せたんだ!」

 その叫びを聞いて、少女が顔を上げる。

「ちがうよ、やっぱりあのおじさんの言うことは正しかったんだよ!」

「そんなのわかんないじゃないか!」

「待って、整理して?」

 言い合う兄妹には何か知るところがあるらしいが、三人には『あいつ』もしくは『おじさん』と呼ばれる存在のことも流れも分からない。純が兄妹を押し留めてそう問うと、少年が不満げに眉を寄せて、渋々口を開いた。

「四日前にリックっていうリシュール国の考古学者だって奴がこの村に来たんだ」

 リック、という名前にアカザとレオンが僅かに体を揺らす。その名前には純にも覚えがあった。そう、カントで聞いたアカザの従兄の名前である。

 下を向いたまま話す少年は三人の様子には気付かず、言葉を続けた。

「確か、最新の研究で、魔物が街や村を襲わないのはテリトリー外だからだけじゃなくて、魔物は若い生命力が苦手だからなんだってことが分かったんだって。生命力がすこしなら気にしないんだけど、あんまり多いと弱るんだって。だから、人が集まる街や村には近寄らないんだって。

それで、なんか、この村はコウレイカ? ってのが進んでて、若い人が少なくて、魔物が寄ってこない生命力のキテイリョウを下回ってるって。最近は魔物が活発になってて危ないし、大きな街に引っ越すようにって言ってきたんだ」

 言葉を、涙は止まったらしい少女が引き継ぐ。

「でも、村長は『この村は土地神様が守ってくださるから必要ない』っておじさんを追い出そうとして、ケンカになっちゃったの。おじさん怒って、神の加護なんかあるかって言って、じゃあ遺跡に行って神がいないことを証明してやる! って、行っちゃった。

あの遺跡は神様が住んでるから、人間が入ったら二度と出られないって言われてて……おじさん、三日経っても出てこなくて、村長はそら見たことかって言ってたんだけど……その夜……」

「魔物に襲われちまったんだな。それで、村人もリックも生死不明、と」

 アカザの言葉に、兄妹がぐっと顔を曇らせて、頷いた。「笑えねぇ話だな」とアカザが腕を組んで、それきり彼は口を噤んでしまう。

 暫し沈黙が流れる。眉を顰め、厳しい顔のまま黙りこくって何か逡巡している様子のアカザと、雰囲気の変わったアカザに戸惑い口を閉ざす兄妹と、同様、何を言えばいいのか検討もつかず黙るしかできない純と――

「遺跡に行こう」

 その沈黙を破ったのは、意外にもレオンであった。

「遺跡……神が居るってとこか?」

「うん。リックが心配だ。アカザもそうでしょ?」

「……」

 アカザはレオンの問いに答えなかったが、眉を寄せて少し俯いて組んだ腕の上で手を握り締めたことが肯定を示していた。しかし彼はその意を言葉にしないままちらりと幼い兄妹に視線を向ける。

「こいつらはどうする? 村人は?」

「ホワイトオニキスで結界でも張って、暫く待っててもらおう。村人さん達のことは……もし本当に遺跡の神様が起こした災厄なら、神様に聞けばわかると思う。話せるのかわかんないけど、それくらいしか手掛かりもないし」

「……まぁ、単純にリックの言ってたらしい事の通り、ここの生命力が少なくて魔物が襲ってきたんだとしても……リックがいればリシュール国軍に要請を頼めるしな。まずあいつを見付けるのが先か」

 少しだけアカザの顔が緩む。

 ――従兄のことは、心配だったに違いない。しかし生死不明の住人と、無力な兄妹のことがある手前、感情的になれなかったのだろう、と、純は推測した。従兄を助けに行ける理由ができたアカザは、少し安心したように肩の力を抜く。

 同時に、純は、遺跡に行く――ある種、アークハット村の事を一旦置いておくという行為を、レオンが提案したのがなんとなく意外だった。しかし、違和感という程でもない微妙な思いを言う宛もなく、アカザが「じゃあ」と切り出して顔を上げる。アカザは幼い兄妹に歩み寄り、その手に掌ほどの鈍い虹色の板のような物を渡した。どうやらその板は開閉式らしく、少年が手帳のように開くと中にはいくつかボタンが並んでいて、携帯電話を思い起こさせる。

「ジュエルの使い方は分かるな? 通信先の番号を入れて起動したら通信ができる。お前らはレオンの家の中で待ってろ。そんで、俺達が朝日が昇っても帰って来なかったら、これでリシュール国軍に通報するんだ。ホワイトオニキスで結界張っといてやるから、魔物は来ないはずだ。いいな?」

「う、うん」

「よし。レオンもジュンちゃんもそれでいいな」

 少年が頷いたのを確認して、アカザが問い掛ける。それに二人が頷いて、レオンはトパーズから適当な広い場所に己の家を出した。同時に、いぬがレオンの腕から飛び出して兄妹の元にぴょんぴょんと跳ねていく。レオンが首を傾げた。

「いぬ? どうしたの?」

『ぴぎゃ』

 いぬは兄妹の間に落ち着いて、満足気にひとつ鳴く。少女が恐る恐る、その白い体を抱き上げた。

「毛玉ちゃん……一緒に居てくれるの?」

『ぎゃっぴ』

「……ありがとう」

 もふ、と少女がいぬを抱き締める。それを見て、アカザが少し笑った。

「いぬが守ってくれるみたいだし、こいつらは心配ないな。まあ、通報よろしく頼むぜ」

「ま、任せろ! おれだって妹を守ってやるんだからな!」

 少年が少し拗ねた様子で宣言する。その頭を撫でて、アカザはホワイトオニキスの準備に取りかかった。純も手伝い、家の周りに埋めていく。


 ――半分ほど埋めたところで、アカザはふと、遺跡のある方向に顔を向けた。

「……死んだりなんか、してねぇよな。そんなの承知しねぇぞ、バカリック」

 掌を強く握り締める。宝石が、アカザの手に痛みを感じさせた。



 村から、アークハット遺跡まではそう遠くはない。沈みかけた夕日に赤く照らされた石造りの遺跡は、どこか荘厳さをもって聳えていて、三人の誰か――あるいは全員が――息を飲んだ。

「……ここがアークハット遺跡……」

 レオンが零す。「語り部さんが言ってたとこだよね」と純が呟くと、両隣の二人がほぼ同時に頷いた。

「迷宮だって言ってたし、きっとリックも迷っちゃったんだよ」

「……ったく、人騒がせな奴」

 アカザが顔を顰めて舌打ちするのに苦笑を返し、レオンは出る際に家から持ってきた赤い毛糸玉を掲げた。

「この糸を垂らしていこう。そしたら、ちゃんと帰れる筈だよ」

 糸を緩め、地面につける。三人は頷いて、遺跡の入口へと歩を進めた。


 遺跡の中は外よりも妙にひんやりとしている。壁に等間隔で取り付けられた燭台が唯一の灯りで、少し薄暗い。神の住む遺跡、というだけあって、魔物の気配は無かった。

「結構広そうだね……」

 毛糸を垂らしながら、レオンは一つ身震いをする。

「寒い?」

「いや、寒くはないけど……ちょっと怖くて」

「お前さっきキリッと提案した時の雰囲気どこやったんだよ」

 アカザが呆れたように溜息を吐くので、レオンの頬が少し赤く染まり、う、と拗ねたように口を尖らせた。

「な、なんかさっきはいけたんだよ! てか、怖いっていうかなんか……いつものとは、違くて」

「何が違うんだよ」

「わかんないけど……」

 うう、と吃るレオンに、はいはいと軽く流しながらアカザは先を歩く。二人もすっかりいつもの調子になったようで、純は密かに安堵していた。同時に、考え事をする余裕もできる。

 ――ここに住んでる『土地神』がハザマの仲間なら、ハザマに聞けばわかるかもしれないのに。

 内心で呟いて、息を吐いた。そう、今朝からハザマと全くコンタクトが取れないのである。ほとんど毎日の夢であの精神世界に行けたというのに、今回に限って行くことが出来なかった。その上心の中で呼びかけてもうんともすんとも言わない。いつも呼んでもないのに出てくるのに――と、純は頭を掻いた。

 そもそも、ハザマからは精神世界に好きに行けるらしいのに、私からは行けないってずるくない? などという抗議も、当然ハザマに届けることは出来ない。届かない不満は積もり積もって、ただ純に溜息を一つ零させた。

 ふと、前を歩くアカザの足が止まる。レオンが訝しげに「どうしたの」と前を覗き込んだ。それに倣って純も歩み寄る。

 ――三人の目の前に現れたのは十字路だ。

 ただし、三人を横切る道には、赤い毛糸が引かれている。

「……十字路だね」

「十字路だな」

 レオンとアカザが呟く。純は二人の前に出て、毛糸を摘み上げた。

「……これ、レオンの毛糸?」

「……そうじゃ、ないかなぁ……でも、今まで歩いてて、十字路なんて無かったよね……?」

「見落とした……わけねぇよな、こんなの」

「じゃあ、リック、さんの……?」

 純の言葉に、アカザがううんと考え込む。そして一歩踏み出して、左右――赤い紐が垂れている道を見やった。

「……リックのだとすれば……どっちに行くか、だなぁ」

 今度は純とレオンが頭を捻った。

 リックが下ろした毛糸だとすると、正しく進めばリックの居る場所まで進めるが、下手したら入口に逆戻りである。しかし、レオンがあれ、と首を捻った。

「でもオレ達、さっきまでずっと一本道を歩いてきたけど……毛糸なんてなかったよね?」

 そういえば、と純とアカザも首を捻ることになる。

 リックが同様に毛糸を垂らしてきたなら、今までの一本道、先に一本毛糸がある筈である。しかし、遺跡の床は古びた石畳が広がるばかりで、そんなものは見当たらなかった。

「……どうなってんだこの遺跡は?」

 アカザが頭を掻いて、懐に手を突っ込んだ。そこから取り出したのは懐中時計で、どうやら今の時刻を確認しようとしたらしい。

 しかし、片手で懐中時計の蓋を開いた彼は、目を見開いて固まった。

「どうしたの? アカザ」

「……見ろ」

 レオンの問い掛けに答える代わりに一言返して、彼はレオンと純に懐中時計の中身を見せる。

 その、正しい時間を指すはずの針は、ありえない速さでぐるぐるとひたすらに回っていた。

「……こ、壊れた?」

「んな短時間で壊れるか馬鹿。これ新品だぞ」

 レオンの言葉に呆れ顔で溜息をつく。それから、すぐに真面目な顔になって、アカザは唸った。


「……もしかすると、この遺跡、時間や空間が――」


 アカザの声の先を、純は聞き取ることが出来なかった。

 それは、純の耳に嫌に高い耳鳴りのような音が響いたからであった。

「――、――――」

「――――? ――――!」

 アカザとレオンが何かを話している。それはやはり、キィイと鳴り響く音に遮られて聞こえない。むしろ、先程まで聞こえていた遺跡に響く空洞音も、何もかも、純の耳に届かなくなっていた。聞こえるのはその、やけに甲高い耳障りな音だけ。

 思わず耳を塞ぐ。それでも音は止まず、純の様子に気付いた二人が顔を向けて純を呼び掛けるも、その声は純の鼓膜を震わせない。

 “――ダレヲ、サガシテル?”

 代わりに、その甲高い音とは別に、声が頭に響いた。

「(……誰?)」

 甲高い音が止んでいく。いや、正確には、甲高い音が次第に、鳥の羽ばたきの音に変わっていく、というべきである。

 “――コッチヘ、コイヨ”

 男の声とも、女の声ともとれるほどの高さ。それが純に呼びかけている。

「(誰なの?)」

 純の内心の声は向こうに届いているらしい。けたけたと笑うような音と、鳥の羽ばたきが、無音の――いや、レオンとアカザはずっと呼びかけている、純が聞こえないだけであって――空間に響いた。

 “――コッチヘ、コイ”

 “――キタラ、オシエテヤルヨ”

 声が笑っている。嘲笑うように、嫌悪するように。

 純の視界が黄金に染まる。

 純の目を黄金の羽根が覆ったのだと、純が気付くのは少し遅く、響いていた声が、真後ろで囁いた時だった。

『さあ来いよ』

 どちらかと言うと、男の声か。

 そんな、今の状況には不釣り合いな考えが一瞬頭を過ぎって、それから、純の視界は黒に塗り潰される。


『神に触れた、不届き者め』

 最後の視界の端で、純は金色の――雷を纏う、鳥を見た。

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