第十二話:リシュール祭
じいちゃん。
ねえ、じいちゃん。
あの時、泣いてたの?
第十二話:リシュール祭
「禁術を堂々と使う闇属性の男、ねぇ」
アカザが一つ溜息をついた。
――日はすっかり沈み、夜の帳がパルオーロに落ちる。純、レオン、アカザの三人は、リックの住居である国家考古学団宿舎105号室にて食卓を囲んでいた。ちなみにリック本人は(アークハット遺跡でさまよっていた期間の始末書も含め)まだまだ忙しいらしく、今日は城に泊まり込みだと三人を案内するなり鍵を預けて出ていってしまった。
「それはまあ確かに気になるが……他に何かそいつについてわかることは無いんだろ?」
「うん……あ、凄いイケメンだったよ! 怖い男の人達も見惚れてた!」
「んなことはどうでもいいんだよ」
アカザの軽いチョップを受け、あだっ、とレオンが呻く。頭を抑えるレオンを横目に、アカザは「で?」と椅子の背もたれに体重を預けた。ぎ、と、木の軋む小さな音が鳴る。
「図書館にも行ったんだろ? どうだったんだよリシュール王国最大の蔵書を誇る国立図書館は」
「それが……」
アカザの言葉で、純は頬をかく。
――知の国が擁する最大の図書館は成程圧巻だった。円柱形の建物の内壁に沿い長く本棚が連なる塔と、それを内側から眺め、手に取れるよう、螺旋状に伸びた段のある廊下。純の知る市立図書館や学内の図書室とは全く違う景色に、間抜けにも口を開いたままぽかんと見上げてしまった。隣にいたレオンもまた、先程の――不良に絡まれ、闇属性の禁術を目の当たりにした時の――怯えようがすっかり消え、呆然と高く聳える知の集積を眺めていた。
そこまでは良かったのだが。
「……『空白の歴史』について、目新しいことは見つからなかったね……」
レオンが唸り、食卓に突っ伏した。
図書館で実際に本を読み漁っていたのは、『空白の歴史』、そしてこの界のことについて、純より確実に詳しいレオンである。純は――時々興味をそそられた本を手に取ってパラパラと捲りはしたが――基本的にはレオンに頼まれた本を持ってくる補助に徹していた。彼は、少なくとも純から見てかなりの集中力で、山のように積まれた歴史書に手早く目を通していたが、やがて最後の一冊を閉じ、「だめだ」と呟いたのだった。
「まあでもそうだよね、図書館で調べて何かわかるようなことなら、とっくに考古学団の人達が『空白の歴史』なんて解明してるよ……」
突っ伏したままのレオンがそう呻いて、深い溜息をつく。そりゃそーだな、とアカザが肩を竦めた。
「一応、あの図書館はそれだけじゃなくて、地下にもっと蔵書があるらしいんだけどね」
純の補足に、「それなんだよ」とレオンが顔を上げる。
「地下になら、もっと有意義な情報があるかもしれない……ん、だけど、そこは国王様の許可がないと入れないみたい。リックに頼もうと思ったけど忙しそうだし……リシュール祭が終わってからになるかな」
そう締め括ったレオンに、成程な、とアカザが頷き、にやっと口角を上げた。
「そんじゃあ次は俺の成果報告だな!」
「え、要らないよナンパの報告なんか」
「即座にぶった切んな!」
ドヤァ、と効果音がつきそうなほど堂々と胸を張り、高らかに宣言したアカザをレオンは冷たく切り捨てる。明らかに呆れた顔で、ねーいぬ、などと言いながら足元で寛いでいたいぬを抱え上げたレオンに、アカザは「話を終わらせる体勢になるんじゃねぇ」と唸った。
「いいから聞けよ、なかなかやべぇ話聞いちまったんだよ」
「……ナンパで?」
「ナンパから離れろ。確かにナンパに行ったけどな俺は、女性と話すと噂話なんかの情報はよく入ってくるもんなんだぜ」
「まあまあ、ともかく、アカザの成果っていうのはなんなの?」
怪訝な顔をしているレオンを宥め、純が続きを促すと、アカザは1つ咳払いをしてから、口を開く。
「――最近、パルオーロの周りで魔物の被害が増えてるらしい」
笑みを消して、低めた声で、そう告げた。
誰かが息を飲んだ音が、静かになったリビングに響く。その緊張を孕んだ沈黙を破ったのは、怪訝だった顔を神妙にした、レオンだった。
「……それは、どうして……」
「さぁな、だが穏やかじゃねぇ話だ。リシュール祭はパルオーロの中でやるわけだし、魔物が街中に現れたなんて話はねぇけど……」
アカザが口を噤む。恐らくこの場にいる三人は皆同じことを考えていた。
崩壊した家々に、あちこちに深く刻まれた爪痕。アークハット村の惨状をつい最近見たばかりの脳は、自然と暗い思考へと誘導されていく。
「……でも、あれは……人口が少ないから、魔物が寄ってきたんでしょ? パルオーロはリシュール王国で1番の大都市だし、何よりリシュール祭で沢山の人が来てるはずだもん、大丈夫だよ!」
「……そうだな、」
そう、レオンが無理矢理明るくした声で言った。それに頷きつつも、アカザの顔は顰められたままだ。
「……、まあ、その話は当然リシュール軍部にも行ってるはずだ。リックが忙しくしてんのはそれだろうよ、あいつはリシュール軍の人間でもあるからな。俺達が心配するような事じゃねぇか」
そう零して、アカザは背もたれに体重を預ける。眉間を指で揉み解し、無理矢理、思考を変えたようだった。
「……リックさんってなんか、凄いんだねぇ……」
ぽつりと零した純の言葉に、「そうだね」とレオンが頷く。
「国家考古学団に、最年少で入団して、今や副団長。故郷の村でも天才って讃えられてたらしいし、それにリシュール軍でも重要なポストを貰ってるし……」
「……格好良いよなぁ、リック」
レオンの説明をぼんやり聞いていたアカザが落とした、聞き逃しそうなほどささやかな呟きに、純とレオンは揃って目を丸くしてアカザを見た。
「……、なんだよ」
集まった視線にアカザがたじろぐ。いやぁ、とレオンが頬をかいた。
「アカザが素直にリック褒めるの珍しいなぁって……最近反抗期なのに」
「別に反抗期じゃねぇし、俺はいつも素直だし」
拗ねたように顔を顰め、アカザは頬杖をついて目を逸らす。「ただ、」と言葉を続ける彼の瞳は、どこか翳っていた。
「ただ……悔しいと、思っただけだ」
ぽつりと、言葉を落とす。
きょとんと、純とレオンは目を丸くして顔を見合わせた。そうして、お互い何か言うでもなく、席を立ち、机を挟んだ先のアカザの頭を撫でる。
「なんだよ!? やめろよ!!」
「いやぁ……なんか……」
「アカザも可愛いとこあるなぁって……」
「はぁ!?」
可愛くねぇよ!! とアカザが吠える。次いで、二人分の笑い声がリビングに響いた。
誰かが、「そろそろ寝ようか」と声を上げ、夜は終わりを迎える。明日はリシュール祭を楽しもうと、笑い合った。
*
祭りは、さすが一国をあげてのものと言うべきか、凄まじい賑わいである。
舞踏会は18時から城内で、ということで、日中は屋台を回ることとなった。ちなみに、悪目立ちするであろういぬはリックの家に留守番である。
凄まじい賑わい、とは言うものの、人酔いを起こすような気分の悪い賑わいではない。道自体広く、整備も行き届いているからか、混乱などは起きる様子もなく、人々の楽しげな笑い声が街には満ちていた。
「すごい……昨日より人が沢山だぁ……!」
レオンが弾んだ声を上げる。あんまりはしゃぐなよ、とアカザが声を掛けた。
「アカザは今日はナンパしなくていいの?」
「まあ祭りくらいダチと楽しむのも悪くないだろ」
純が少し意地悪く問うと、アカザもまた悪戯っぽく笑う。それに、と二人より先を歩くレオンの背中を見た。
「あいつ、多分こういう祭りなんて初めてだろうしな。……おいレオン! あんま先に行くなよ!」
「わかってるよ! あ、見て二人とも、りんご飴!」
言ったそばからレオンはりんご飴の旗を立てた屋台に向かっていく。いつものヘタレとコミュ障からは考えられない積極性に、やれやれとアカザが肩を落として追っていった。純もまた笑みを零して、その背を追う。いぬも来たかったかもしれないなと、心の隅で思った。祭りとは楽しいものだから。
追いつくと、りんご飴を三つ手にしたレオンが笑っていた。
「オレ、こういうの憧れてたんだ! ほら二人も!」
「お前なぁ、先に聞いてから買えよ……貰うけどさ」
はしゃぐレオンの姿は、昨日店に入るのにも怯えていた彼からは想像出来ない。昨日は街に来たばかりで緊張もあったのだろうと、笑ってりんご飴を受け取った。赤く艶々としたそれを齧ると、懐かしい甘さが舌で溶ける。
「オレ、カントとトアロ村以外知らなかったから」
ぽつりと、その青の瞳にりんご飴を映してレオンが零した。
「凄いね、こんなに人が居るのに、皆オレのこと知らないんだ。石とか投げられなくて、買い物をしても、普通に売ってくれる」
心底嬉しそうに笑う彼の言葉に、純は咄嗟には返せなかった。代わりに、アカザがレオンの頭を鷲掴み、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫ぜる。
「あったりまえだろバーカ、お前を知ってる奴なんかトアロ村とカント以外で居るもんか。自惚れてんなよ」
言葉は冷たいが、その声音は暖かい。レオンは嬉しそうに笑って、そうだねと頷いた。
「昨日は怖い目にもあったけどさ……オレ、ここまで来れて、良かったなぁ」
「馬鹿か、ここで終わりじゃねぇだろ」
「そうだよ、まだ沢山、いろんな街に行くんだから」
だから知らない店に入れるようになんないとね、と純が笑うと、レオンはうっと唸って誤魔化すようにりんご飴に齧り付く。屋台には突撃できても、店という建物は微妙にハードルが高いらしかった。
――暫く屋台を回り、太陽が西に傾き始めた頃、そろそろ城に向かった方がいいだろう、と誰ともなく話に上がった。
「あ、じゃあ城に行く前にゴミを捨ててくるよ」
レオンがそう、手に持ったゴミ袋を揺らして言う。一人で大丈夫だと純やアカザの同伴を断り、少し離れた広場に走っていく。人混みに紛れ、その姿はすぐに見えなくなった。
「……どうしたんだろ、レオン」
「さぁ……ま、あいつもカッコつけたかったんじゃねぇの?」
アカザはそう首を傾げる。屋台にはしゃぐレオンといい、今日は彼の珍しい姿をよく見ると、純は頬をかいた。
人も疎らになった広場のゴミ箱に袋を突っ込んで、はぁ、とレオンは息を吐く。
心臓がどくどくといつもより早いスピードで脈打っている。それは、走ったせいだけではなかった。
妙に高揚している。
レオンはそれを、自覚しつつあった。
それは初めての屋台や、人混みの中にいても「悪魔の子」と謗られない安堵のせいだけではないと、どこかで分かっている。
ならば何のせいか、それは分からない。理解ができない。ただ、理性よりずっと深いところにある何かが、祭りで賑わう沢山の人々を見た時から、ずっと騒がしく何かを訴えている。
「……オレは……」
自分のことがこうも分からないのは初めてだ。ぼんやりと、袋を突っ込んだゴミ箱の前で、その穴を眺める。
――いや、初めて、ではない。
アークハット遺跡で、純が目の前から消えた時。
アカザの、何かを隠すような言葉。アカザに手首を掴まれて意識が明確になるまでの、はっきりしない記憶。
土地神であるライに睨まれ、「汚物」と告げられた際の、その、明らかな侮蔑の目線。
――アークハット遺跡の出来事から、レオンは『違和感』を抱き続けていた。
何かが変だ。何か、認識から滑り落ちている。だが、それを直視してはいけない気がする。
「……オレは……何を……」
「ゴミ箱の前で自分探しとは青春だねぇ」
「――っ!?」
突如後ろからかけられた声に、大袈裟に肩を跳ねさせてレオンは勢いよく振り返る。
そこにいたのは――紙袋だった。
「……、えっ」
レオンの間抜けな声が響く。
紙袋、というと語弊があろう。しかし、最も目に付くのがそれだったのだ。
身長は、180に達するか否かといったところだろうか。体格と声が、男である事を示している。服装は上物らしい素材で、彼がそれなりの立場にいることが察せられた。しかし、それらを打ち消す衝撃が、頭部にあった。
紙袋を被っている。
比喩でも何でもなく、物理的に、紙袋を被っている。恐らく目があるであろう場所に穴が空いてあるその茶色の安っぽい紙袋で頭を覆い、男は笑い声を上げた。
「人の顔をみて固まるなんて失礼だぞ~?」
「……え、いや、顔……え?」
顔というか紙袋に固まったんです。とは言えず、レオンはたじろぐ。どうしよう変な人に絡まれた。助けてアカザ、ジュン……と、心の中で助けを求める。が、当然道でレオンの帰りを待っているであろう二人がやって来ることはない。
失礼だ、と言いつつも、その男は気分を害した様子も特になく、馴れ馴れしくレオンの肩を抱いてけたけた笑った。
「それにしてもこんな祭りで溜息なんか湿っぽいなぁ! どうした? 思春期か~?」
「え、いや、あの、誰ですか……?」
体をさりげなく離しつつ問うと、紙袋の男がまた笑い声をあげて、そういや自己紹介してねぇなぁ、と肩を竦める。
「俺は、そうだな、紙袋お兄さんと呼んでくれ」
――やっぱ紙袋なんだ。
そんなツッコミは口からは出なかった。いつもツッコミを入れられるジュンは凄いなぁ、と、現実逃避気味にレオンはぼんやりと思うも、目の前の紙袋お兄さんと名乗った男は意に介した様子もなく、1人でツボに入ったのかまたけたけたと笑っている。
なんだろう酔っ払いなんだろうか。どうしよう。助けて――そんなレオンの声が天に届いたのか、遠くから人が走ってくる気配がした。
「こんなところにいたんですか!」
そう叫び、やって来たのはやはり知らない人間だったが、リシュール軍の軍服を身にまとっていたことで幾らかレオンは安堵する。
癖のある黒髪は、後ろは項までの長さだが、前髪もまた鼻先ほどまであり、顔半分を覆っている。さらに瓶底眼鏡のせいで彼の顔はよくわからない。よく見ると、成人男性ではあるものの童顔気味だとわかった。体格に似つかわしくない大きめの軍服は袖が余っている。ストールと、宝石をつけたブローチ――彼の場合はサファイアだった――はリシュール軍人によく見られる姿であるが、その上を通り、首にかけた十字架がレオンの目をひく。
たしかあれは、キリュート教のシンボルだったはずだと思考を巡らせた時、軍服の男が泣きそうに声を上げた。
「もう! 祭りの度に酔っ払って! お酒も飲んでないのに! メイリーさんに怒られるの僕なんですよ!」
「うはは、酔っ払い、酔っ払いねぇ、まあ間違っちゃねぇな」
怒られているというのに紙袋の男は相変わらず上機嫌に笑う。
「しょうがねぇよ、人が多いとなんか、昂るんだよな。まさしく『人に酔う』、ってか? はは、気持ち悪くなるとかじゃないんだけどなぁ、ただ高揚するんだ、いてもたってもいられなくなる。体質なんだ、悪いなぁ」
「……人に酔う……?」
その言葉に、レオンはぴくりと肩を揺らがせた。
昂り、高揚――それは、今まさに、レオンがなっていることだったからだ。
そんなレオンには気付かず、紙袋の男は軍人に引き摺られて歩いていく。途中、紙袋が振り返り、「悩めよ少年、案外ちっぽけなことかもしれねーぜ」と笑った。
「レオン!」
嵐が過ぎ去ったようだ。暫く立ち尽くしていたレオンの耳に、名前を呼ぶ、聞き慣れた声が聞こえる。振り向くと、純とアカザがこちらへ駆け寄ってきていた。
「ジュン、アカザ」
「遅かったから来ちゃったよ、また変な人に絡まれてるんじゃないかって」
「うん、まぁ、変な人には絡まれてたんだけど……」
「えっ」
顔を曇らせる純に、「別に何もされてないから大丈夫だよ」と笑いかけると、首を傾げつつも納得したようだった。
「まあ、城に向かおうぜ。どうせなら国王様の挨拶も聞いとかねーとな」
アカザの言葉に二人頷き、彼等は城へと歩き出した。
*
城に着いたのは丁度18時になった頃だった。昨日は閉まっていた城の門は大きく開き、既に中からは賑わいが聞こえてくる。純達もまた簡単な身分証明を行い――とはいえ純には証明できる身分は無かったが、アカザが代表しリックの名前を出せば簡単に通してもらうことができた。案内の軍人に、まずは衣服をお貸しします、と専用のスペースに誘導され、彼等は人生で着ることがないような礼服を着ることとなった。レオンはクロムグリーン、アカザはネイビーを基調としたタキシード、そして純は真紅のドレスを着飾る。慣れない衣服に、三人は変な感じだと笑いあった。
その後、案内に連れられ、三人は城の廊下を歩いてダンスホールへと向かう。廊下から見る城の内観は、持ち主が贅沢を好む性格ではないのだろう、飾りや調度品はそう多くは見られない。ただ、石造りの白く疵のない廊下と、廊下に面した中庭――廊下は四方が囲まれているのではなく内側の側面は柱を残して開かれており庭と繋がっているのである――の過度に飾らないながらも整えられた美に、持ち主たる、リシュール国王の趣味の良さが現れている。庭や建物の美には純は詳しくないが、国王様の挨拶が終わったら庭を見に行っていいかななどと思案するほどに、惹き付けられる美しさであった。
案内してくれた軍人が、目の前の扉を開く。中からの灯りが純達を照らした。
広々としたスペースに、沢山の、着飾った人々が笑い合っている。複数置かれた白いテーブルクロスを纏った円形テーブルには煌びやかな花が飾られていて、食欲をそそる料理の品々が品良く盛り付けられていた。ホールの奥はダンススペースなのだろう、それらのテーブルは見当たらない。代わりに人々が流れる音楽に合わせてクルクルと踊り、楽しげに笑い合っている。一番奥には短い階段を上った位置、ちょうど踊り場に値する場所があり、そのままホールを一望するための壇になっているようだった。そこにはさらに両横へと二階へ続く階段が伸びているのが見える。灯りの元は壁にいくつもついた燭台と、天井から吊り下がる数多のシャンデリアのようだ。ダイヤモンドをふんだんに使っているらしいそれは、流石は王城だと圧倒された。
「まだ国王様の挨拶は始まってないみたいだね」
間に合ってよかった、とレオンが笑った。
「お、来たか! 三人とも」
かけられた声の方を向くと、オレンジレッドの礼服――レオンやアカザのレンタル用のものよりも装飾が凝られており、立場のあるものに与えられるもののようだった――を慣れた風に着こなしたリックがこちらへ歩み寄っている。「馬子にも衣装ってやつだな」とアカザが呟いたのは、きっと照れ隠しだろうと純は察した。
「よく似合ってるぞ、その服」
「ありがとうございます」
「リックもすごいかっこいいよ!」
「ありがとう」
レオンの純粋な褒め言葉に照れたように笑ってリックは頬をかく。その表情は、これまで見慣れたリックそのものであった。
「アルバーン殿、ご家族の方ですか? お飲み物は如何でしょう」
燕尾服を纏った給仕の男が声をかける。それに、「こいつらはまだ酒が飲めないんだ、ジュースか何かを」とリックが指示を出すと、畏まりましたと一礼し、男は足早に去っていった。
「俺は色々仕事があってな、その前に会えて良かった。それじゃあ、舞踏会を楽しんでくれ」
そう、別れもそこそこにリックはどこかへと歩いていった。
その少し後、先程の給仕の男がやって来て、三人分の飲み物をワイングラスに注いで手渡す。その味に舌鼓を打ち、またテーブルの料理に手をつけた。十代半ばの彼等は、やはり花よりも団子にそそられるものである。それに自分達でも恥じらいを覚えつつ、「美味しい」と笑い合った。
流れていた音楽が終わりを迎え、踊っていた人々は緩やかに動きを終え、各々、パートナーとの区切りをつける。しかし、次の音楽は流れなかった。その代わりに――コツコツと靴音を鳴らし、二階から三人、厳かに降りてきて、壇上の中心からホールを見下ろす。
「……リック?」
アカザが零す。三人のうち一人は確かにリック・アルバーンその人だった。その隣、真ん中に立って、リックともう一人よりも一歩前に踏み出した男がいる。彼に従うように、リックは口を引き結び真剣な顔で立っていた。
あとの二人――真ん中の男と、リックとは反対側、右側に立つ薄い紫がかった青の髪を短くした女性は、純には見覚えがない。しかしレオンとアカザは真ん中の男のことは知っているようで、ぽつりと、国王様、と零す。
あれが国王、と、純はもう一度見上げた。真ん中の男――成程国王に相応しく、両脇の二人より凝った装飾を身に纏っている――は、真ん中分けの長い赤毛を後ろでひとつに括り、その吊目がちな瞳はリシュール人に特有らしい、青である。生真面目そうな表情を崩さずに、リシュール国王はついと片手を掲げた。
「リシュール王国の記念日に、こうして集まってくれたことに感謝を。今日この日までの王国の平和と繁栄を、そしてこれから未来永劫続く事を祈り――どうか、リシュール祭を楽しんでほしい」
言い終えた国王が一礼すると、ホールの人々から拍手が巻き起こり、純達三人もまた手を叩く。国王はもう一度ホール全体を見下ろした。僅かに、口元には笑みが浮かんでいる。
「……あれが、リシュール王国の現国王……アーサー・リシュール様だよ」
アカザが純にそっと教えてくれた。アーサー・リシュール、と心の中で反芻して、壇上の彼を見上げる。
ふと、レオンが何かを考え込んでいることに気が付いた。
「レオン?」
「……っ、あ、ごめん、何?」
「いや、何ってわけじゃないけど……どうしたの? 考え事?」
純の問いに、えーっと、とレオンは言いづらそうに頬をかく。
「オレ、国王様の顔とかは知ってたけど、声は今日初めて聞いたんだ。初めて、だと、思うんだ」
「……思う?」
「うーん、なんか、聞き覚えがあるような……それも結構……ついさっきくらいに……」
いやでもなぁ、まさかなぁ、とレオンはひたすら首を傾げる。
純もまた首を傾げるが、わからないものはわからない。気のせいじゃないの、と言うと、そうかなぁとレオンはまた首を傾げた。
――その時、ホールが闇に包まれる。
「――っ何よこれ!?」
「燭台の火が……っ!? いやそうでも、シャンデリアもあるのに!」
一瞬でホールに混乱が巻き起こる。人々のざわめき、人同士、人とテーブルがぶつかる音、テーブルの上の食器や花瓶が落ちて割れる音。光がなく、音だけで判断せざるを得ない状況下で、それらの音はさらに混乱を招いた。
「皆落ち着け!! ……っメイリー!」
「はっ」
国王の声と、女性の声。その応酬の後に、白色の光る蝶が数匹、何処からともなく現れて、天井――シャンデリアがあったであろう場所を舞った。
ふっと、灯りが戻る。すると、ホールの中の様子が良く見えるようになった。
倒れたテーブル、割れた花瓶に食器、そして。
《ガルルルル……》
ホールのあちこちに現れた、沢山の、
「――魔物!?」
叫んだのは誰だったのか。悲鳴がホールを劈いて、人々は逃げ道を探し、混乱に陥る。
「いやぁああっ」
一人の女性がホールの出口に走った時、その目の前にライオンのような姿の魔物が降り立ち、女性に牙を剥く。
――その牙が、女性の長いドレスにさえ届くことは無かった。女性の前に立ちはだかった軍人が、魔術による結界で防いだからである。
「惑うな! 此処はこのアーサーの膝の下! 我が民には傷一つ付けさせはしない!!」
ホールに響き渡るその凛とした声に、混乱のどよめきは絶たれる。代わりに落ちたのは安堵の声と吐息。
それを確認し、国王はまた声を張り上げた――ぞろぞろと扉からホールに入ってきた軍に向けて、民の安全な避難と魔物の速やかな討伐を。統率の取れた軍人達は、無駄もなく、人々を守りながら魔物を撃退していく。
「ジュン! アカザ! オレ達も……!」
「うん!」
それを見てレオンは
「駄目だ!!」
それを押しとどめたのはリックの声である。
振り向くと、リックがこちらへ走り寄ってきていた。
「他の人達と一緒に避難してくれ、危険だ」
「ッ俺達だって戦える! 今は緊急事態だろ!?」
「緊急事態だから言ってるんだ!!」
アカザの反論を、リックは怒号で切り捨てた。その気迫に、びくりとアカザの肩が跳ねる。
「いいか、避難しろ。軍を知らないお前達が居ても邪魔なだけだ」
そう言って、リックは軍人の一人を呼び寄せる。何かしらを伝えて、彼自身は戦場となったホールの中心へ戻っていった。
「……ックソ、」
「アカザ……」
拳を握りしめるアカザに、純もレオンもかける言葉を見つけられない。
「……行こう、二人とも」
レオンの声に、純とアカザは頷く。
アカザとレオンが軍人に連れられて出口に向かうのを、純も従おうと足を向けた、その時。ホールの端、魔物も軍人もいない所で、光るものを見た。
「っ、あれは……落とし物?」
――落とし物ならきっと持ち主は困るはず、あれだけ拾っていっても怒られないよね?
純はそう考えて、そちらに駆け寄る。
しかし、駆け寄った先には何も無かった。確かに、光を見たはずなのに。その場に膝をついて手で探っても、何も見当たらない。
「……あれ?」
見間違いだったのだろうか。そう思い、早くレオン達の所へ行こうと立ち上がって振り向いた。
ぽすん、と何か柔らかいものに顔が埋まる。深い甘さを潜めたマリンの香水の匂いに、純は覚えがあった。
顔を埋めたのは人の胸であった。見上げると、ハニーブロンドをハーフバックにした、実に端正な顔が笑んでいる。
「貴方は、」
「……
純が言い終える前に、男の形のいい唇が呪文を形作る。
甘いテノールを聞き終えるか否かで、純の意識は闇に沈んだ。
「――ジュン?」
声のない彼女に気付いて、レオンは後ろを振り向く。
そこに、純の姿は、無かった。
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