第五話:英雄伝説

 拳闘士の少年は安寧を望んでいた。

 巫女の少女は幸福を願った。

 神族の少年は彼等に笑っていてほしかった。

 訪問者の少女はハッピーエンドを切望した。

 英雄の少年は、魔王を××していたかった。

 そうして、ただ、痛かった。



第五話:英雄伝説



「語り部さんが!?」

 アカザの発言に勢いよく食いついたのはレオンだった。見るからに興奮気味にその頬を上気させて立ち上がる。椅子がまたがたりと揺れた。

 しかし、『語り部さん』と言われても純に分かるわけがない。

「えーと、ごめん、水さして悪いんだけど……語り部さん、って? 語り部、って職種じゃないの? 二人の興奮具合を見るに有名人みたいだけど」

 控えめに挙手しながらそう尋ねた純に、レオンがああと眉を下げた。

「ごめん、ジュンは知らないよね。語り部さんって言うのは、色んな町や村を巡っていろんな話をして回ってる、一人の男の人のことなんだ。その人がしてくれる話は普通に聞くより……こう、なんていうか、臨場感っていうか……凄いんだよ! 一つの所に留まることはあんまりないから会えるのなんて凄く貴重なんだ!」

「へ、へえ……」

 いつになく熱く語るレオンは相当その語り部さんとやらに憧れていたらしい。まさか生きてる間に会えるなんて……! などと呟いている。そんなに凄い人なんだろうか、と人物像を想像してみるものの、当然ながら純には全くもってわからない。

「つーわけでよ、居なくなっちまう前に探しに行こうぜ、ほら早く!」

 そう、アカザの弾んだ声が響いた。



 空は、沈みつつある夕日の赤と訪れる夜の黒がグラデーションのように交わっていた。

 町に引かれた水路の上を横断する、古びた石橋。その低い――真っ直ぐに立った大人の腰程度までしかない――手摺に腰掛けた、右目に眼帯を着けた赤毛の青年の細長い指がぱらりと膝の分厚い本のページを捲る。時間もあってか、周りには彼以外に人が居る様子はない。

「ほ、本物だ……!」

 純の隣にいるレオンが声を潜めて、しかし興奮を抑えきれないといったように漏らした。被ったフードの下の青い瞳は明らかに輝いている。

 ――純とレオンとアカザが石橋に腰掛けた、『語り部さん』らしき男を見つけてから数分間、彼等は隠れるように石橋から少し離れた路地の壁沿いに並んでいた。ちなみに、話の最中にすっかりソファで寝入っていたいぬはレオンの家で留守番である。

 見つけたのだからさっさと話しかけに行けばいいのだが、曰くレオンとアカザは心の準備が整っていないらしい。言い出しっぺのアカザでさえ、こんなに早く見つかると思ってなかった、等とブツブツ言いながら路地の壁に頭を押し付けている。二人共瞳にはありありと興奮と歓喜の色が宿っており、もうどうしたらいいかわからない、という状態であった。

 ――はっきり言って傍から見たらかなり不審者だ。

 一方の純はといえばそんなことを思いながら挙動不審な男二人を眺める。彼女としては『語り部さん』とはこの世界に来て初めて聞く名であり(当たり前だが)、凄い人だと聞いても正直実感が無いためそこまで興奮はできない。そもそも彼女はあまり有名人に興味を持つタイプではなかった。

 石橋に腰掛ける男を再び覗き見てみるが、正直綺麗な赤髪だなぁ、くらいしか思うところがない。純にはこの二人のように過剰反応はできなさそうだ。

 ――いや、しかし、あの青年にどこか既視感を感じるような、感じないような――

 そう、疑問に思って、純がじっと観察していると――ふと、本を読んでいた青年が顔を上げる。

「……そこの御三方、もしかして僕に何かご用事でしょうか?」

 苦笑混じりに声を掛けられて、大袈裟なまでにビクウッと肩を跳ねさせた男共とは対照的に純は冷静であった。そら見つかるよな、と。

「ほら、見付かったし早く行こう」

「ででででも心の準備が」

「心の準備長すぎ。ほら語り部さんにも失礼だから、ね」

「お、おう……」

 あわあわしだす二人を立ち上がらせて、純は路地を出て真っ直ぐに石橋に向かう。二人も慌てて着いていった。


「えっと、覗き見しててすみません」

 石橋に腰掛けた青年の前まで来た純は、まずそう謝って一礼する。青年は大丈夫ですよ、と優しく微笑んで、気にしてませんから、と付け加えた。

「時々あるので」

「時々あるんですか……」

 有名人って大変だなぁと、思わず遠い目をした純の後ろから恐る恐るレオンが顔を出した。

「あ、あの! お会い出来て光栄です……! か、語り部さん、ですよね?」

「はい、語り部です。ふふ、光栄と言ってもらえるほど、大したものではありませんけどね」

「そんなこと無いっすよ! 語り部さんに直に会いたい人がどれだけ居るか!」

 熱く語るレオンとアカザに、青年――語り部はおやおやと笑んだ。

「ありがとうございます。……皆さんの名前をお伺いしても?」

 その言葉でそういえば自己紹介がまだだったと思い至る。最初に口を開いたのはアカザだった。

「俺はアカザ・ジルアークっす」

「お、オレ、レオン・アルフロッジっていいます……」

「私は山田純です」

「成程、アカザさんとレオンさんと純さんですね」

 アカザに次いでレオン、純と自己紹介を終えると、語り部がそう確認して、「素敵な名前ですね」と微笑む。

 ――初めて『純』の方が名前だと最初から気付いてもらえたかもしれない。そう、純は心の中で感慨にも似たなんとも言えない感情が湧き上がるのを感じた。しかも、なんとなく、純、の発音がちゃんと漢字だった気がする。

 そんな純の感動を知ってか知らずか、語り部は笑顔を変えないまま三人に向き直った。

「さて、御三方は僕に何か、語ってほしい物語でもおありでしょうか」

 そう言われて、やっと二人は本題を思い出したようであった。レオンがそうなんです、と声を上げる。

「あの、オレ達に、英雄伝説を語ってくれませんか!?」

「英雄伝説、ですか」

 反復して、青年は優しく微笑む。

「そのリクエストは嬉しいですね。最近はメジャーすぎて、わざわざ乞うてまで聞きたがる人は居ないものですから」

「じゃあ……」

「勿論、構いませんよ。僕は語り部ですから」

 その返事を聞いてぱあっと顔を輝かせた三人に、語り部さんはくすりと笑って腰を上げる。読んでいた本を懐――羽織っている白いマントの中に入れたようだが、あの分厚い本が入る容量があるようには見えなかった――にしまい、「ここではなんですから、少し移動しましょうか」とまた笑いかけた。


 語り部についてやって来たのは先程の石橋から更に町から離れた、人気のない広場――というよりもむしろ空き地と言うべき草原だった。ちらほらと大きな岩が転がる他には何も無く、風にそよそよと草木が揺れるだけだ。その草原を横切って、町の、外と内とを石垣が遮断する。恐らくここは町の端の端なのだろう。

 語り部は暫く歩いて、石垣の傍にあった岩に腰掛ける。純達もまた、手頃な距離にあった岩々に腰を下ろした。

「さて、此処ならいいでしょうか」

「結構移動しましたね」

「あまり人に見られたくはないのでは、と思ったもので。お節介なら申し訳ありません」

 そう答えた語り部の、眼帯で隠されていない左側の金の瞳はフードを深く被ったレオンに向けられている。レオンがその視線に気がついて、気恥ずかしげに俯いた。

「あ、あの、すみません。ありがとうございます……」

「いいえ。……ですが、代わりという訳ではありませんが、良ければそのフードを取って頂けますか?」

「え」

 思わぬ言葉にレオンが硬直する。その反応に、「無理にとは言いませんが」と語り部は付け加えた。

「折角ですから、お話をする相手とは目を合わせていたいのです。此処には、僕達しかいません。人も来ないでしょう。……如何ですか?」

「……わかり、ました」

 恐る恐る、レオンの手が自身のフードに伸びた。そっと、やはり遠慮がちにそのフードを握り締め、――ぱさりと布擦れの音がする。

 語り部は少しの間、レオンを見つめていた。そして、ふわりと微笑む。

「綺麗な翠の髪ですね」

 そう言って、彼は再び懐からあの分厚い本を取り出しぱらぱらと捲りだした。強ばった顔をしていたレオンは、その反応に少しの間目を見開いて呆ける。しかし、やがて一つ息を吐いて、少し照れたように笑った。

「――さて、英雄伝説、でしたか」

「! は、はい、そうです」

 ふと語り部が純の方を向いて問うた。突然話しかけられて少し声が上擦ってしまった純を特につつくことはなく、語り部は穏やかに微笑んで「では」と本を開いた。


「人々を救った、英雄の話を語りましょうか」


 語り部がそう、唄うように言の葉を紡ぐと同時に、辺りが不思議なベールに包まれるような錯覚を覚えた。風に草の揺れる音も、鳥の声も聞こえなくなり、まるでその空間に、純達と語り部しかいないような、錯覚。

 語り部の、少し低い、落ち着いた声が物語を紡ぎだす。しかし、その語り部さえ目の前には居ないような、不思議な感覚だった。純達の精神はただ、物語に呑まれていく。


 ――それは、ある一つの、ありふれた英雄譚であった。

 闇の者達の侵攻を受け、人々は恐れ惑いながら生きていた世界。

 主人公は何の変哲もない村の少年。彼は、一人の少女と、一人の少年と出会い、剣を携えて旅に出る。

 彼等は旅の道中、災難に見舞われ、何度も危機に陥りながらも、二人の新たな仲間とも出会い、成長していく。

 そして、闇の者達を従える――『魔王』との決戦。

 ――ありふれた、英雄譚だった。しかし、その最後の戦いにおいては違っていた。セオリー通りなら、主人公は意気揚々と魔王を打ち倒し、その歓喜に打ち震えるだろう。

 だが、違った。その、主人公の少年は、涙を流して『魔王』の心臓を貫いたのだ。

 少年はなぜ、泣いたのだろうか。その理由は語られない。聞き手である純達に、一つの靄を残したまま、物語は進んでいく。

 『魔王』を彼等が打ち倒したことで、長を失った闇の者達は統率を無くす。

 世に平穏を取り戻した五人は、英雄、と呼ばれ人々から賞賛と感謝を捧げられた。

 しかし、彼等はその誉れを受けることなく、消息を絶ったのだった――


 「……英雄達のその後を知る者はいません。中心である少年は、魔王を殺した決戦の丘で、己の胸に剣を突き立てた――とも、ありますが、さても、さても……

……これにて、物語は、御終い」

 語り部がそう言い、本を閉じる。その分厚い紙が合わさる音と同時に、ぱちん、とシャボン玉が弾けるように、辺りの音が舞い戻った。風が吹き、草が揺れている。烏の鳴き声が、殆ど黒に覆われた空に響いている。

「……なん、だか……悲しい、話ですね」

 物語の世界から、現実に引き戻され、純の口から漸く出てきた言葉はそれだけだった。そんな純に、語り部は優しく微笑んだまま、「悲しい、ですか?」と問うた。

「そうですね、悲しい物語です」

 純が答えるより先に、語り部は自らそう頷く。そして、何処か懐かしむように――寂しげに、その金の瞳を細めた。

「……でも、感激です! 語り部さんの英雄伝説を聴けるなんて……!」

「やっぱ、本で読むのとは違うっすね!」

 ワンテンポ遅れて、そう、歓喜と興奮に満ちたレオンとアカザの声が跳ねる。それを聞いて、語り部はにこりと笑う。もうその瞳に寂しげな色はなかった。

「そう言っていただけると光栄ですね」

「えへへ……でも、確かに、昔小さい頃本で読んだ時はあんまりわからなかったけど……悲しい話ですね、これ」

 レオンが控えめに呟いた。それにアカザが頷く。

「なんで泣いたんだろなぁ、英雄」

 語り部はただ微笑んでいるだけだった。本を懐に仕舞い、彼は「そういえば」と口を開く。

「皆さんは、旅のお方ですか?」

「あ、はい、そうです。……といっても、旅立ったのは昨日からなんですけど」

「そうですか」

 頷いたレオンに、語り部はふわりと笑んで、「それなら旅人仲間なんですね」と優しく言う。その、仲間、という言葉に、レオンとアカザの瞳に喜色が宿った。

 和やかな雰囲気になった、それを邪魔するようで少し気が引けたが、純は意を決して口を開く。

「……あの、語り部さんは、英雄伝説について詳しいんですか?」

「? ええ、まあ、それなりには」

「じゃあ、あの……英雄の一人が別の世界から来たって、話、……聞いたことあります?」

 語り部がその金の瞳を見開いた。しかし、すぐにそれを細めて、純の瞳を見つめる。

「……どうして、それを? 公には知られていない筈ですが……」

「あ、あの! オレのじいちゃん、考古学者なんです! それで、研究データに、そんなことが……」

 語り部の問いに答えたのはレオンだった。語り部はレオンの方に視線をやって、「そうですか、君のお祖父さんが……」と、何か納得したように頷いた。

「……成程、そう、なったんですね。確かに、おかしいことではない……成程、運命とは、こうも……」

 語り部のその小さな呟きは、純にしか聞こえなかったらしい。レオンが、「語り部さんが知ってるなんて思いませんでした」と口を挟んだ。

「このこと、じいちゃんは何処にも発表してなかったみたいだから」

「え、そうなの?」

「うん。だからジュンがいきなり言い出してびっくりしちゃった」

 それは、私は――幸い語り部さんは元々知っていたとはいえ――迂闊に口に出すべきではなかったのではないだろうか。そう純が内心焦ったのを察したのか、レオンが慌てて「大丈夫だよ」と声をかけた。

「別に機密ってわけじゃないし、じいちゃんも単に発表する機会が無かっただけみたいだったし……ただ、あんまり人に信じてもらえる話じゃないかな、ってくらいで。

……でも語り部さんは知ってたんですね」

 レオンがそう言って語り部に向き直る。語り部は困ったように笑って、「僕は考古学者でも君のお祖父さんの知り合いでもありませんけれどね」と頬をかいた。

「この物語には詳しいのです。『語り部』、ですから」

 その言葉には、穏やかながら、それ以上何も聞かせない何かがあった。語り部が静かにレオンに視線を投げる。

「……お祖父さんが考古学者、もしかして、レオンさん達が旅をするのはそれに何か関係が?」

 笑みを消し、真剣な顔で彼は唐突に問いかけた。問を投げられたレオンは一瞬言葉に詰まり、言うべきことを探しているように一度二度口を開いては閉じる。しかし、やがて語り部の瞳を真っ直ぐに見て、「はい」と頷いた。

「オレ、じいちゃんが亡くなるまで研究してた、『空白の歴史』を、解き明かしたいんです。その、今までどの考古学者も、リシュールの国家考古学団でさえ、まだわかってないようなことを、その、身の程知らずかもしれないけど……

……でも、オレは、じいちゃんの孫だから」

 言葉に迷いながらも、レオンは語り部から目をそらすことなく言い切る。そんな彼を暫くじっと見ていた語り部は――やがて、ふわりと微笑んだ。

「……いいえ、きっと、貴方達ならば」

 それは純達に語りかけているようにも、独り言のようにも聞こえた。

 そして、今度は純に向かって口を開く。

「……純さん、貴女が僕にそんなことを聞いたのは、何か聞きたいことでもあったのでは?」

「あ、えっと……語り部さんは、この英雄伝説に詳しいなら……別世界から、とか、詳しいこと知ってるんじゃないかなって……」

 唐突に話を戻されてしどろもどろながら答えた純に、語り部は困ったように笑んだ。

「……申し訳ありませんが、僕の口からは、何も」

「そうですか……」

「ですが……そうですね、カントの次に行く場所は決まっているのですか?」

「あ、まあ、一応」

 純の返答に、語り部は成程、と呟いて、少し考えるように顎に長くすらりとした指を添えた。

「……それならば、強制はしませんしすぐにとも言いませんが……アークハット村、という場所をご存知ですか?」

 語り部のその言葉に、純、レオン、アカザは揃って顔を見合わせる。意図せず息がぴったりな行動に少しおかしそうに笑って、語り部は「土地神を祀る村なんですよ」と付け加えた。

「カントから、赤の森を抜けた先にあるんです。そこは信心深く、かつ歴史の深い村でして、色々と興味深い資料が残っていたりするんですよ。もしかしたら、貴方達の助けになるものもあるかもしれません。別世界か、もしくは、『空白の歴史』か……」

「アークハット村……」

「ああ、でも一つ」

 反復したレオンに対し、人差し指を立てて語り部は困ったように笑った。

「その村の傍にある、アークハット遺跡に入るのはお勧めしません」

「遺跡……ですか?」

「はい。祀られている、土地神が住まう遺跡なのですが……かなり入り組んでいて、まあ、端的に言えば入れば出てきた者は居ないほどの迷宮なんですよ」

 困ったような、しかしそれほど重大そうでもないような笑みを崩さないままに語り部はとんでもないことを言い放つ。思わず硬直した純達をさして気にしない様子で、「ですから、お勧めしません」と彼は再度繰り返した。

「……わ、わかりました」

 引き攣る頬を抑えて、純は何とか答える。それを確認して、語り部はにこりと笑んだ。

「皆さんの旅路に、幸多からんことを」



「アークハット遺跡、か……」


 語り部と別れ、アカザの家に戻ってきた三人は、再び机を囲んで座っていた。出る前と違うのは、三人が囲む机の真ん中に、地図が敷いてある事くらいだろう。いぬは部屋の隅のソファーでクッションに埋もれてすぴすぴ寝息を立てていた。

「どうするの? レオン。えーと、パルオーロに行きたいんだっけ」

「うん。パルオーロに行くには電車に乗るのが一番手っ取り早いから、ここから一番近場のサンザス駅って所に向かうつもりだったんだ。けど、地図によると、丁度カントからサンザス駅までに行く途中にアークハット村はあるみたい。だから、寄ってもいいんじゃないかなって」

「電車があるんだ……」

 レオンの口からあっさりと出てきた言葉に純はわずかに面食らう。本当に、この世界の文明の発展はよくわからないものだった。電化製品の概念はないが、機械の概念はある。電車――というものが真に純の知る『電車』かは分からないが――もある。何があって、何がないのか。恐らくは発展させた人物なども純の世界とは異なっているのだろうから、異なる発展をするのも当たり前ではある。しかし、それにしても、発展段階が飛び飛びなような、奇妙な感覚を覚えてしまう。

 純とレオンがそんなことを話している中、アカザは終始無言で、俯き加減で何かを考えているようであった。

「……アカザ、どうかした?」

 見かねたレオンが声をかけると、漸くアカザは二人に視線を向け、口を開く。

「……アークハット村、なんか聞いたことあると思ったらよ……思い出した、前に通信機で知らされたんだが……

今、リックが居るはずなんだよな」

「え、リックが?」

 レオンが目を丸くする、が、純としては知らない名前であった。

 どうやらレオンも知っているようではあるが、とどう口を挟むべきか迷っていると、そんな純に気が付いたアカザが「リックってのは俺の従兄だよ」と説明してくれた。

「フルネームはリック・アルバーン。考古学者なんだ」

「オレのじいちゃんの弟子だったから、オレとも知り合いなんだよ。リックは凄いんだ! 最年少でリシュールの国家考古学団の副団長に選ばれるくらいの天才なんだよ!」

「考古学バカなだけだっつの、アイツは」

 輝く顔で説明してくれるレオンとは対照的に、アカザの顔は浮かない。

「……アカザはなんか嫌そうな顔だね?」

 純がそう言うと、アカザはフッと笑った。乾いた笑みだった。

「…………うっ、とう、しいんだよ!!! あいつ!!! 年上だからって兄貴面してきやがって!!!!!」

「リックは世話焼きだからなぁ」

「限度があるだろ!!! 風邪引いてないかとか栄養あるもん食ってるかとか!!! 母親か!!!!!」

 ダンッと机を思い切り叩いてアカザがシャウトする。その音で目覚めたのか、いぬがギャピッと鳴いて飛び上がった。

「ちょっとアカザ、いぬが可哀想でしょ、起きちゃったじゃん」

「あ、悪い……」

 冷静に諌めるレオンと、謝るアカザ。そこには長年の付き合いからの慣れが見える。

 ――その一方で、純はそのやり取りをどこか遠くから見ているような、そんな感覚を感じていた。

 レオンの知り合いでもある、アカザの従兄。その存在に、純は何か、頭を殴られるような衝撃を覚える。だが、考えれば当たり前のことだった。純の知らない親戚や家族、友人が、彼等にも普通にいるに違いない。それは、そうだ。当たり前だ。彼等はずっと、この世界で生まれ育ったのだから。

 当たり前だ、と、純は心の中で、自分に言い聞かせた。

 だって、と、心の中で、呟いた。


 ――だって、イレギュラーは、私なんだから――


「……ジュン?」

 異変に気が付いたのだろう、レオンが声をかけてくれる。その声で意識を現実に引き戻して、純は笑った。いつも通りの笑顔、になるように。

「大丈夫、ちょっと疲れたから、ぼーっとしちゃっただけだよ」

「そう? ……まあ、疲れたよね。魔物とも戦ってきたし……もう夜だし、晩御飯にして、早めに寝ようか。明日の出発にも備えないといけないもんね」

「飯は俺ん家で食ってけよ。人数は多いほうがいいだろ?」

 アカザの提案に頷いて、三人で食事の支度を始めることにした。


 ――夕食を終え、アカザと別れてレオンの家に帰ってきた時、時計の針は既に9の字を指していた。

 風呂などを済ませて、レオンと夜の挨拶をし、布団に入る。存外、体はしっかり疲れていたらしい。蝋燭の火を消して、すぐに、純の意識は闇に落ちた。



 そこは真っ白な空間だった。見覚えのある白である。

「……ハザマ、居るの?」

「おや、よく分かりましたね~」

「まぁ、そりゃあ……」

 精神世界も二度目だし。

 という言葉は飲み込んで、いつの間にか背後に現れていたハザマの方に振り向く。そこには、相変わらずやる気の無さそうなハザマがだるんと立っていた。

 ――なんとなく、その姿に安堵を覚えてしまった自分が悔しい。その思いを振り払うように首を振って、純はハザマを見上げた。

「……で、どうしたのハザマ、何か用?」

「用があるのは其方かと思いますが~?」

 ハザマが一歩純の方に長い足を踏み込む。それだけで、簡単に距離は詰められた。

「……脚長族め」

「羨ましいですか~?」

「うっさい」

 ふふん、と小馬鹿にしたように笑うハザマを殴りたい思いを抑えながらもつい拳を握ってしまう。しかし次の瞬間、ぽふり、と頭の上に感じた重みに目を見開いて思わず純は握った拳を解いた。

「……何してんの?」

 わしわしと無表情のまま頭を撫でるハザマの意図が読めず、困惑を顕にした顔で見上げると、ハザマはあっさりと「してほしそうに見えたので」と答えた。

「……別にしてほしくないし……」

「そうですか~」

 ――多分、ハザマにはお見通しなのだろう。純にも、それはよく分かった。してほしくないと言いながらも、頭を撫でる手を、払い除けないことに言及しない時点で。

 ああ、嫌だ。そう思って、純は歯を食いしばる。目頭が熱くなってきたのは自分が一番よくわかっていた。どうしてこの男は、嫌味で腹が立つくせに、こういう時に限って、こんなに優しいんだ。そんな文句だって、言葉にすれば堪えるべきものも堪えられなくなりそうだった。

 ハザマの手が軽く頭を引き寄せて、ぽふ、と軽い音を立てて純の体はハザマの腕の中に収まる。細く見えた彼の体は、案外逞しくて、顔の目の前にある胸板は硬く、暖かかった。

 せっかく必死に堪えていたのに、その温度がとどめを刺した。

 精神世界はどうやら涙を流せるらしい。ハザマの服が濡れて冷たくなっていくが、彼は特に気にしていないようだった。その指が優しく純の髪を撫でる。父の撫で方とはあまり似ていないのに、何故か懐かしく思えた。


 ――寂しかったんだ。

 私の知らない町、私の知らない文化、私の知らない人達。レオンにも、アカザにも、私の知らない沢山の絆がある。彼等には、この世界で培った沢山のものがある。

 私は、違う。私には何も無い。この世界には何も無い。

 だって私は、この世界の人間じゃない。

 異端なのは、はみ出し者なのは、私なんだ。

 なんだか、それって、私自身を否定されてるみたいで。

 レオンやアカザが悪いわけじゃない。きっと誰も悪くない。

 ただ、寂しかった。

 ただ、母さんや父さん、恋人、友達……『私』を知る人達に、無性に会いたくなったんだ。

 それだけだったんだ。

 だけど、それだけが、叶わないんだ。


 言葉にすることは出来ない。なんとなく、してはいけない気がした。したところで、意味がないことも分かっていた。

 ――ハザマは、純が泣き止むまで、そうやって黙って抱き締めて、頭を撫でていた。


「……ありがと、ハザマ」

 暫くして、涙が落ち着いてくると、気恥ずかしさが純を襲う。ハザマの胸板を押し返すと、彼はあっさりと腕を解いた。

「落ち着きましたか~?」

「……お陰様で」

「それは何より」

 からかわれるかと思っていたのだが、ハザマはそうする素振りはなく、少し口角を上げて純を見下ろすだけである。その笑みは、全然似ていないのに、何故か語り部を思い出させた。

「……からかったり、しないんだね」

 なんとなく拍子抜けしてつい口に出してしまう。すると、ハザマは少し不満げに眉を顰めた。

「ワタクシを何だと思ってるんですか~」

「ごめんごめん、脳内イメージを修正しとく。ハザマって、結構優しいね」

「別に優しくありません」

 バッサリと否定され、純は少し驚く。てっきりハザマは「ワタクシは元々優しいですよ」などと答えると思っていたのだ。そんな純に気付いているのかいないのか、ハザマは「そんなことより」と話を変えた。

「貴女も、ここが別世界だという自覚は持っていただけたようですが、……旅はまだ続けるおつもりですか~?」

「それは、勿論……」

 何でそんなことを聞くのか、という思いでハザマを見上げる。確かに、自分の異端さに少しは打ちのめされた。だが、それは旅を辞める理由にはならない。この世界に来てしまった原因を探したい気持ちも、レオンとの約束も、無くなってなどいないのだから。

 ハザマは暫く黙って純を見下ろしていた。やがて、徐に口を開く。

「それならば、まだ自覚しなければならないことがありますね~」

「……自覚?」

「いいですか、純。この世界は現実です」

 ハザマが真面目に告げる。そんな当たり前のことをそんな風に言うハザマの意図が読めず、純は首を傾げた。

「そんなことわかってるけど……」

「いいえ、貴女はまだ、知りません」

 ハザマが言い終えると同時に、ぐらりと純の視界が歪んだ。抗い難い眠気にも似た、この感覚を知っている。


「時間ですね」


 ハザマの声が、遠かった。

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