第二章:カント

第四話:金色

 石造りの門をくぐる。

 森を抜けてすぐそこに、石垣に囲まれたその町はあった。簡素にだが整備されたレンガの道と、あちこちに立ち並ぶ素朴な家々。人々は、或いは行き交い、或いは立ち止まって世間話に耽っている。田舎町らしく長閑な雰囲気に包まれていた。


「――ここが、カント……」


 純にとって、この世界に来て初めての町である。



第四話:金色



 カントは小さな町だ。

 リシュール王国領の辺境に位置するこの町は人口はさほど多くない。されど賑わう市場や整備されて建ち並ぶ家々はやはり村より町といって差し支えない。ぼんやりと見上げて、純はひとつ、息を吐いた。

「……まさにゲームでよくある最初の町って感じ……」

「ジュン、何か言った?」

「いや、なんでもないよ」

 いくら純にとってこの世界がゲーム的とはいえ、それをレオンに告げる必要はないだろう――そう思って首を振ると、レオンはそう? と首を傾げた。ただそれ以上追及はせず、彼もまた、街並みを眺める。

「それじゃ幼馴染みのところに行くけど……その前に、家を出す場所を探さなくちゃね。今日はここで一泊するから」

 レオンがそう提案したので、純は少し間を置いて頷いた。『家を出す』という単語はどうしても耳慣れず、多少戸惑ってしまう。

 ――この世界にホテルや宿といった物はない。旅をする時は皆、己の家をトパーズにしまい持ち歩き、街々には必ずどこかに旅人が泊まる際に家を出すためのスペースが設けられている、とは、カントへの道中でレオンに聞いた話であるが、やはりにわかには受け入れ難かった。これがカルチャーショックか……と、純は思わず遠い目をする。

 そんな純を見て、「まだ慣れない?」とレオンは苦笑した。彼は灰色のマントを羽織って、その顔の鼻まで隠す程度にフードを深く被っている。ちなみに、そのマントの下にいぬを抱えて。

 いぬは、実際には温厚な性格だとはいえ、魔物に似たこの子を衆目に晒せば騒ぎの種になってしまうだろう、ということでレオンがマントに隠している。いぬは静かに大人しく抱えられているようだ。寝ているのかもしれない。

 また、レオンが顔を隠すのも似たような理由であった。己が闇属性だとバレているこの町で、顔を晒すのはあまり宜しくない、一緒にいる純も変な目で見られてしまう――とは、レオン本人の言である。

「ハウススペースはこっちだよ、ジュン。ジュンの服とか買わないとだし、さっさと家を出してきちゃおう!」

 そう言って、レオンは朗らかに笑う。

 ――正直なところ、何も悪くないレオンがこうして顔を隠し、こそこそしなければならないことへの憤りはある。しかし、本人が気にしていないことを外から口出しする権利など、純は持ち合わせていなかった。


 ハウススペースの空きに家を出してから、再び家々の立ち並ぶ道に戻り、次に向かったのは服屋であった。無論、制服のシャツとベスト、膝丈スカートしか持ち合わせのない純の服を買うためである。

 服屋に並ぶ服達は――当然といえば当然だが――純には少し着るのが躊躇われるような、如何にもファンタジー世界の衣装、と、いったようなものばかりである。この世界ではこれが標準ファッションなのだろうが、純にはあまりにも馴染みがない。

「ジュン? どうしたの、気に入るもの無かった?」

 どこか遠い目で服を見る純を見かねたか、店を変えようか? と首をかしげたレオンがそう提案してくれる。しかし、金銭を持たない純の代わりにお金を負担してくれることになっているレオンにこれ以上手間をかけるのは憚られた。

「大丈夫、ここから選ぶよ」

「そう? 気なんか遣わなくていいからね」

 そうレオンが笑った。やっぱりレオンはいい人だなあ、と、純はしみじみ感じる。

 結局、幸いにも制服によく似たシンプルなシャツとベスト、スカートを見つけることが出来た。どうやら、数は少ないがこの世界にもこういう服はあるらしい。

 ――さて、服は見つけた。後は……と、心の中で呟いて、純は隣のレオンに声をかける。

「……レオン」

「ん? もういいの?」

「いや、えーと……下着も買おうと思うんだけど」

 その言葉で彼は意図を察したらしかった。見る見るうちに顔を赤く染め上げる。

「――っご、ごめん! お、オレ外で待ってるね!! お金は渡しておくから!!」

 慌てたせいであろう、やや粗雑に財布(というか紐で縛られた袋)を掌に押し付け、レオンは店の外へ走り去っていった。

「私はそんなに気にしないけどレオンが嫌かなって意味だったんだけど……」

 なので、純にとって別に謝る必要はないことであった。されどその声はあっという間に走り去ったレオンに届けることは出来ない。まあいいか、と、純は気を取り直して店内を歩きだした。

 狭い店内で下着のコーナーを探すのはさほど難儀なことではない。少し見て回ればすぐに見つけることが出来た。まあ、別にこだわりは無いし、適当でいいやと売り場を覗き込む。

 そして、目を疑った。

「Tバックしかないだと……」

 ――そう。売り場に陳列する下着(というかパンツ)はどれもTバックしか無かったのである。色だけは無駄に豊富なのだが驚くほどに形の種類がない。

 見たところここ以外に下着のコーナーは見受けられず、レオンがカントにある服屋はここが一番一般的なところだと言っていたのが脳裏に浮かぶ。つまりこの世界での標準はこれだということだろうかと、純は頭を抱えた。

 つまりあの子もその人もあのお方もこれなのか。異世界怖い――そう、流石に純とて口に出しはしないが、心で思うくらいは許してほしかった。

 カルチャーショックに打ちひしがれつつ、しかしいつまでも現実逃避をしているわけにもいかない。レオンが店先で待っているはずだ。日本の都会町ほどではないとはいえ賑やかな道にレオンを放置するのは忍びない。純は――やや光を失った目で――顔を上げた。

「……郷に入っては郷に従え、オーケー、理解した」

 呟いて、適当に(なるべく普通の形に近いものを)いくつか選んで買い物カゴに放り投げた。

 なお、レジに向かう途中で見えた男性用下着のコーナーに陳列していたのもやはりTバックでどうやら男女共通なようであったということと、ブラジャーは普通で心底安心したことは、余談である。


「合計で350リシューになります」

 緩くウエーブのかかった茶髪を首を傾げると共に揺らした、歳若い女性店員にそう告げられて純は新たな問題に直面した。

 ――金銭の数え方が分からない。

 袋の中には金銀銅と様々なコインがどっさり詰まっているが、どの色がどれくらいの価値なのか、純には分からない。コインに数字が刻まれていることもなく、国のシンボルなのかよくわからない紋印が刻まれているだけである。

 レオンに金銭の数え方を聞くのをすっかり忘れていた、と、純は若干の後悔に空を仰いだ。混んでいる時間帯ではないのか、純の後ろに人が並びに来る様子はないが、それでも何時までもぐずぐずしていたら実に迷惑だろう。しかし、分からないものは分からない。

「……お客様?」

 気の良さそうな女性は笑みは崩さないながらも困惑を滲ませた声で話しかける。

「す、すみません」

「お客様、お手持ちが足りないのでしたらまた次の機会でも」

「そ、そういうわけじゃないんですけど……」

 どうしようと、ぐるぐると純の思考が渦巻いた。やっぱり一旦全部戻してレオンに数え方を教わってからやり直そうか、とも思われる。それほど広くない店、店先で待っているであろうレオンは呼べば聞こえるだろうが彼の名前をこの町で呼ぶべきでない事は純にもわかる。

 致し方ない、と――出直しますとでも伝えようと口を開いたその時だった。


「金貨は1000リシュー、銀貨は100リシュー、銅貨は10リシュー、ついでに鉛玉が1リシュー」


 少年の声が、純にしか聞こえないように耳元で囁かれたと同時に、後ろから手が伸びて純の持っていた袋から数枚のコインを掴み上げた。

「350リシューなら銀貨3枚銅貨5枚で丁度……わかった?」

 歳の頃はレオンと同じくらいだろうか。セミロングの金髪に、ツリ目がちな青い瞳。その耳には薄い青色の石――水晶だろうか――のピアスを揺らし、程よく筋肉のついた腹が露出した変わったコートを着ている。

 コインをレジ台に金属音を響かせて置いて、やはり純にしか聞こえない程の小声で囁いた少年は、悪戯に成功した子供のように笑ってみせた。

「丁度頂きますねー」

 その声でハッと我に帰る。店員が手際よく衣服を纏めてこちらに手渡してくるので慌てて受け取り、一礼して少年と共にレジから離れた。

 そして、改めて少年に向き直る。

「あの、ありがとうございます」

「いいっていいって。その黒髪と黒目、見たところサイスト人だろ? サイストって他とは通貨が違うって聞くもんな。けど居住区から出てくるなんて珍しいね、観光か何か? 」

「……まあ……」

 どうやらサイスト居住区の人間だと勘違いしてくれたらしい。異世界から来たなどとそうそう言えるものではないし、だからといって金銭の数え方も分からない箱入りの世間知らずと思われるのも複雑なので好都合といえば好都合だったので、否定はせずに曖昧な返事を返す。秘技・ジャパニーズ曖昧スマイルはこういう時にも役に立つのであった。

 幸いにも少年は特に深くは掘り下げなかった。

「ところで」

 その代わりに、少年が懐っこく笑う。

「お姉さん美人だね。見たとこまだこの大陸に慣れてないんだろ、良かったら俺とお茶しない? 色々教えてあげるからさ、いい所知ってんだ」

 さり気なく純の手を握り、にこにこと笑ったまま顔を近付けてきた。

 ――もしかしてナンパか。私は今ナンパをされているのか? 流石に察して、純は背中に汗が伝うのを感じた。

 こんな典型的なナンパに遭遇するのは初めてで逆に対応に困る。少年は悪い人ではないのだろうが、レオンを待たせているしサイストについて聞かれても答えられない。先程助けられた恩もあり、どうやんわりと断ろうかと純はジャパニーズ曖昧スマイルの下でぐるぐると思考を巡らせる。

「……えーと、店先で友人を待たせてるので……」

「友人? 女の子? いいよ俺気にしないし、良ければその子も一緒にさ」

 少年は案外諦めが悪く、押しが強かった。

 さてどうしたものか。女ではなく男だと伝えれば諦めてくれるだろうか――と、口を開きかけた時だった。

「ジュン!」

 ――今日は尽く言葉を遮られる日のようだ。

 そうは思うもののその声は純にとっては助けであった。

「ジュン、ごめんね、そういえばお金の数え方教えるの忘れてて――」

 そう言いながら慌てた様子で駆け寄ってくるレオンは、純と彼女の手を握る少年を見て固まった。

 目を見開いて硬直したレオンに少し心配になる。ヘタレ……もとい、少々臆病で人見知りなレオンにはナンパ現場は刺激が強かったのかもしれないと、純は何か安心させるべく言葉を探した。

 ――しかし、驚いたのはレオンだけではなかったらしい。

「……お前……」

 純の手を握ったまま、少年が驚いたように呟いた。

 また、レオンも同様に、呆然と口をぱくぱくとさせていて、漸く声を零す。

「……アカザ?」

 レオンがそう、言葉を落とした。

 あかざ。藜。アカザ――純の脳は突然の耳慣れない言葉に混乱して、変換を探そうとする。藜、そんな名前の植物のことは知っているが、服屋で、この状況で植物名など言うとは思えない。となれば、それは。純は思考を巡らせた末に、一つの答えに達した。

 植物名でないならば、人物名。そして、人物名であるなら、相手の名前を知っているということは――そう、理解して、純は改めてレオンと少年を見比べる。

「……え? 知り合い?」

 そんな純の質問に、レオンが「知り合いっていうか……」と言いかけて、しかし、それを金髪少年が片手――純の手を握っていた手であった――を挙げて制した。

「店ん中じゃなんだ、俺ん家行こうぜ。えーと、ジュンちゃん? も一緒に」

「……うん、そうだね」

 レオンが同意したことで自然と少年の家に向かう流れになる。純としては正直なところまだ混乱しているのだが、とりあえず歩き出した二人を追った。



*

 金髪少年の家は少し離れた青い屋根の一軒家であった。

 レオンと純を先に中に入れ、自身も入ってから扉を閉めて鍵をかけた少年は――次の瞬間、ぱっと快活な笑みを浮かべて、レオンに突撃するように勢いよく肩を組んだ。

「よぉレオン! 何だよお前から来るなんて初めてじゃねぇか!? やっとトアロ村から出てきたのかお前!」

「うわっ!? あ、アカザ、頭揺れるってば!」

 レオンの髪をぐしゃぐしゃに掻き回す手のせいでそのフードが脱げるが二人とも気にした様子はない。

 しかしその揺れで起きたのだろう、いぬが慌ててマントの中から飛び出してくる。少年二人が「なんだこいつ」「いぬだよ」「いぬ……?」などと話しているのを後目にいぬは純に飛びついてその腕の中に納まった。

 親しげな様子から、どうやらアカザというらしい金髪少年はレオンの味方であるようだ――おそらく、闇属性のことを知った上で。

 それは察せられるものの、殆ど置いてけぼりの純はどうするべきか分からず混乱することしか出来ない。そんな様子に気が付いたのか、レオンが「えっとね、」と少年の手を退けながら口を開いた。

「紹介するねジュン。こいつはアカザ・ジルアーク。言ってた、オレの幼馴染みだよ」

 紹介を受けてアカザはどーも、と手をひらひらと振る。

「な、なるほど……初めまして、山田純です」

「よろしくな。名前は……ジュンちゃん? ヤマダちゃん?」

「……純の方が名前なので、そっちでいいですよ」

 これで間違えられるのは二回目だ。今後は純・山田と名乗った方がいいのだろうか、と、思わず純は遠い目をする。

「おう、ジュンちゃんな。あ、敬語なんか要らねぇから」

「わかった」

 純の返事に満足したように頷いて、アカザは今度はレオンにからかうような笑みを見せる。

「……で、なんだよレオンが女の子といるなんてさー。もしかして彼女? ヘタレなレオンが?」

「ち、違うよ! っていうかアカザさっきジュンのことナンパしてただろ、相変わらず女好きだなぁ!」

「紳士的と言えよ。キレーな女に声かけるのは礼儀だろ」

 どやぁ、という効果音でもつきそうな笑顔のアカザが「まあ入って、座れよ」と廊下の奥の扉を指した。


 扉の先はリビングルームであった。

 示されるままに木製の小さな4人がけのテーブルを囲んで、レオンと純が隣同士の二つの椅子に、示したアカザはレオンの向かいの椅子にそれぞれ座る。

「で、どうしたんだよレオン。引きこもりのお前がカントまで来るなんて……もしかして、やっと決意固めたのか?」

 アカザが乗り出して尋ねる。口振りからして、どうやらアカザはレオンの夢を知っているようだ、と純は内心で推測した。

「うん。……だから、アカザに会いにカントに来たんだ。暫く会えなくなるから、お別れの挨拶も兼ねてさ」

「……別れ?」

 アカザが反復して、眉をしかめる。

「何だよ、別れの挨拶って」

「いやだって、旅に出るから……暫く戻ってこないし、会えなくなるでしょ」

「言っとくけど俺もついていくぞ」

「「え」」

 予想外だったアカザの発言に思わずレオンだけでなく純もつい口をついて間抜けな声を出してしまい、そんな2人に、「何その顔」とアカザが呆れ目を向けた。

「つ、ついてくって、本気!? 危ないんだよ!?」

「だからだろ。レオンみたいなヘタレと女の子の二人旅とか不安でしかねぇ」

「ヘタレって言うな!」

 ガタンッと音を立てて椅子を揺らし、勢い良く立ち上がったレオンを「事実だろ」とアカザが指さす。

「昔から子犬1匹にぴーぴー泣いてたのはどこのどいつだよ。その度俺に泣きついてきやがって」

「む、昔の話だろ!? 今は魔術もちゃんと使えるし! だ、大体アカザは魔物と戦えるのかよ!」

「当たり前だろ」

 即答して、アカザは深い深い溜息をつく。呆れの感情がたっぷり込められた息を吐き終えて、大体よぉ、と自身の後頭部をぐしゃぐしゃと掻いた。

 そしてそのまま彼の指は自身の耳についた水晶のピアスに触れる。

「そもそも俺はそのつもりだったんだぜ、初めから……お前が旅に出たいって言い出した時から。だから、俺はずっと待ってたんだ。お前がトアロ村を出る決意を固めるのを」

 指でなぞられた水晶が光を放った。その光の粒はやがてアカザの手に集まって、形を成していく。細長くカーブしたそれが、弓だ、と純が察したのと、形成し終わって光が消えたのはほぼ同時であった。

 アカザの手には、エメラルドが嵌め込まれた緑の弓が握られている。

「弓の訓練だって、沢山積んで、さ」

 言って、アカザは得意げに口角を上げた。

 対して――レオンは未だ、納得していないような表情であった。何か言いたいが上手く言葉が出てこない、と言ったように口を何度か開けては閉じてを繰り返し、その後に漸く「……聞いてない、」と呻く。拗ねているようでもあった。

「そりゃな、言ってねーもん」

「もんとか言ったって可愛くない……だ、だってさ、アカザには旅に出る目的なんかないんじゃんか。何もオレの為に……」

「お前の為じゃねーよ気持ち悪い勘違いすんな」

「きも……っ!?」

 ガンッとショックを受けたようなレオンにびしりと指を突きつけて、アカザは「俺はキレーなお姉さんの為にしか動かん」といっそ清々しく言い切る。

「俺はなぁこんな小さな町で納まる器じゃねーの。リディア村からカントに出て来たけどまだまだ小せぇ世界しか知らねぇ。だから旅したい。レオンへの協力はオマケだオマケ」

「お、オマケって、お前なぁ……」

「それにジュンちゃんみたいな可愛い子と一緒だし? 役得っつーか? なぁジュンちゃん」

「ジュンを口説くな!!」

 さり気なく純の手を取って笑いかけるアカザの手をレオンがはたき、スパーンと小気味いい音が鳴る。

「……えーと」

 先程までの応酬に圧倒されて口を挟めずにいた純は、その流れで漸く口を開いた。

「まあ、良いんじゃないかな? 仲間は多い方が」

「ジュン!?」

「さっすがジュンちゃん話が早い! レオンとは違って」

 笑って、アカザは先程と同様にピアスの水晶を撫でる。すると、やはり緑の弓が光の粒と化し、今度は水晶に吸い込まれるように光の粒は消えていった。

 ――おそらくあの弓は水晶に収納されているのだろうと、純は察する。この世界の宝石は実に便利なものである。

「うし、無事話は纏まったな」

「オレはまだ納得してないんだけど……」

「1対2で多数決だ諦めろ」

 バッサリと切り捨てたアカザに、うぐ、とレオンが呻いた。しかしそれ以上は反論は出てこないらしく、「……仕方ないなぁ!」と半ばヤケ気味に答えて漸く椅子に座り直す。

 それを見て満足げに頷いたアカザは、「じゃ、纏まったところで、」と話を切り出し――真面目な表情で純を見た。


「そっちの事情も聞かせてほしい。あのレオンが自ら村を出るのは考えづらいから多分ジュンちゃんが連れ出してくれたんだろうとは思うし、ジュンちゃんが悪い奴じゃないのは分かってる。

……けど、トアロ村に――あの地図から消された廃村に、サイスト人がわざわざやって来るとは考えづらいし、レオンの旅に同行する理由もわからない。ジュンちゃん、君は何者だ?」


 ――来たか、と純は内心で呟いた。

 勿論、共に旅をする以上は隠す気はない。信じてもらえるかは別として、ではあるが。純は一つ深呼吸をして、アカザの目を真正面から見る。

「私は、この世界じゃない別の世界から来たんだ。辿りついたのがトアロ村のレオンの家で、最初に出会ったのがレオンだった。私がレオンと旅をするのは、元の世界に戻る手段を探すためだよ」

「……成程、別の世界から……」

腕を組み、アカザは椅子の背もたれに体重を掛けて息をつく。別の世界か、ともう一度呟いた。

「…………別の世界ぃ!?」

 次の瞬間、アカザの叫びが部屋に響いた。ワンテンポ遅れて、ガタァンッと音が鳴る。アカザが立ち上がった際、勢い余って揺らした椅子が倒れる音だった。

「えっ、はあぁあ!!??」

「アカザ驚きすぎでしょ」

「驚くわ!!!!」

 呑気に言うレオンにアカザが叫ぶ。しかし、告白した純としてはアカザの意見に同意であった。レオンの順応性が異常なのである――昨日レオンに告げた時は反応が薄すぎていっそトリップなんてあるあるなのかと疑うレベルであったので、アカザの反応に逆に安心した。

「いやまぁ、アカザの反応が正しいと思うよ、うん。でもまあ、事実なんだ、信じられないと思うけど」

「いや、まぁ、ジュンちゃん嘘ついてるようには見えないし、信じるけどさ……え? マジ? でもそれなら金の数え方わかんねーのも変わった服装も納得がいく……」

 アカザはまだ混乱した様子で頭を掻く。しかし一応は信じてもらえたようであった。レオンといいアカザといい、言葉を信じてくれるのはありがたい。もし自分がそんなことを言われる立場なら、まず相手の混乱、もしくは厨二病を疑うレベルの発言だろうということは純も自覚済みであった。

 レオンはぽりぽりと頬をかく。

「そんなに驚くことかなぁ……オレ、初め聞いた時そこまで驚かなかったけど」

「いや普通驚く。お前の許容度が異常」

「でも、なんかジュンのこと初めて会った気がしなかったっていうか……それに、英雄伝説の英雄の1人は別の世界から来たって話だよ?」

「待って」

 レオンの言葉は純にとっては聞き捨てならなかった。初めて会った気がしなかった、というのも新事実であるが、それよりも、後者が問題だ。

「……英雄?」

「うん、英雄。……あ、そういえば、もしかしてジュンは英雄伝説知らない?」

「えーと……書庫に『えいゆうたちのぼうけん』って絵本があったのは見たけど、中のページ破られてたし……」

「あ、あの破れた絵本か。レオンあれまだ取ってたのかよ」

 アカザが呆れたように言って「あんなの読めないんだから捨てろよ」と付け足す。レオンは困ったように「何となく捨てられなくて……」と眉を下げた。

 ふと、純の中で疑問が芽生えて、口を開く。

「というか、なんで破られてたのあの絵本」

「わからない」

「え」

 レオンの端的な返答に思わず間抜けな声が出た。しかしレオン本人は、ほんとにわかんないんだよ、と繰り返す。

「昔はちゃんと全部のページが揃ってたんだけど……いつの間にか破れてたんだよね」

「……あの破れ方、誰かに破られたみたいだったけど」

「や、やめてよ! 破れたの、じいちゃんが亡くなってからなんだよ! で、でもあの家にオレ以外いる訳ないし……きっと自然に破れちゃったんだよ! うん!」

 レオンが大袈裟なまでに震え上がって叫んだ。そして自分に言い聞かせるように「自然に破れたんだ、ほら、わりと傷んでたし、うん、きっと……ゆ、ゆうれいなんて、」だとか何とかブツブツ呟いている。触れてはいけないところを触れてしまったかもしれないと、純は内心で謝った。

 そんなレオンに呆れたように溜息をついて、アカザが口を開いた。

「つーか、英雄が別世界から来たなんて話、俺は聞いたことねぇぞ」

「うーん、でもじいちゃんが遺した研究資料にそう書いてあったよ」

「レオンのお祖父さん、絵本のことも調べてたの?」

「うん、重要な手掛かりなんだって。『空白の歴史』についての」

 英雄伝説なんて、作られたお伽話なんじゃないんだろうか、と思っていたのだがどうやら違うらしい。レオンが「英雄伝説はね」と語り始める。

「あの物語は、製作者不明なんだ。いつからか語られ始めて、だんだん有名になって、今じゃ皆が知ってる話なんだけど、調べていくと謎が多いんだよ。それで、英雄伝説に出てくる宝具が現実に存在してるとかで、もしかしてこの話はノンフィクション――現実にあった歴史譚なんじゃないか、って研究者達の間で話題になったんだ。

それで語られ始めた時期を追っていくと……ちょうどこの物語、今遺されてる話の中で、一番『空白の歴史』に近い時期に記述されたものなんだよね。だから、『空白の歴史』の研究者達に、『空白の歴史』についての重要な資料なんじゃないかって研究する人が多いんだよ」

 ――何だか、思っていたより凄いぞえいゆうたちのぼうけん。安直なネーミングに惑わされていたが、まさかこんなところにヒントがあるとは――

 そう、言葉を失った純を傍目に、アカザがふと「ジュンちゃんも内容くらい知ってた方がいいんじゃねぇの」と提案した。

「この世界では常識みたいなもんだろ? 英雄の1人が別世界から来たみたいな話はともかくとして」

「うーん、それもそうかぁ……アカザの家、あの絵本置いてる?」

「まーまー、こういうのはさ、やっぱ文面より人の口から聞くほうがいいだろ」

 言って、ニヤリ、とアカザが口角を上げる。悪戯っ子のような、あるいは、宝物を見つけた子供のような笑みだった。


「――実はさ、この町に『語り部さん』が来てるんだ! 探しに行こうぜ、きっとまだ町にいるはずだからよ!」



*

 穏やかな風が吹いて、青年の燃えるような赤い髪を揺らした。

「――こうして、平穏が訪れました。めでたしめでたし」

 その声で、彼の口から語られる物語を無言で――恍惚とその物語に没頭し――聞いていた子供達に、泡が弾けるように世界が戻る。

 瞬間、わっと子供らしい賑やかさが湧き上がった。

「語り部さん、もっと!」

「もっといろんな話して!」

「ふふ、喜んでいただけるのは語り部としては僥倖なのですが……申し訳ありません。時間が、そろそろ」

 えー! と不平を漏らす子供達を穏やかに宥め、「ごめんなさい」と困ったように笑う。

「もう、烏が鳴く頃ですから。皆さんも、帰らないとお母さんやお父さんが心配してしまいますよ」

「でも語り部さん明日にはもうカントにいないんでしょー?」

「パパが言ってたよ、語り部さんはしんしゅつきぼつ? なんだって」

「おやおや」

 語り部、と呼ばれた男はその瞳を細めた。眼帯によって隠されていない方の金の瞳は困った、しかし優しい色をたたえている。

「……仕方がありませんね、もう一つだけですよ?」

 白いマントから1冊の本を取り出し、男はパラパラとページを捲る。

 その動作から、既に、その場は不思議な空気に包まれていくようだった。


「それでは、皆さんもご存知――世界を救った、英雄の話を語りましょうか」

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