第三話:魔物
「何だろうこれは」
「……うーん……」
尋ねた純に、レオンは首を傾げて、苦笑した。
トアロ村を出て数分歩いた野原で、純は屈み、レオンは立ったまま、目の前の白い物体を眺める。
白い物体――もとい、謎の生き物。丸い体、白いふわふわとした毛並みに、犬のような耳があり、耳のすぐ下からは一際長い毛が生えている。つぶらな瞳は可愛らしいと言って差し支えないが、純の知るどの生物にも該当しない姿形である。レオンの反応を見る限り、この世界での一般的な動物というわけでもなさそうだ。
その生き物は小さな口を大きく、小さな体躯に相当するであろう一般的な骨格では有り得ないほど大きく開いて、一言。
『ぴぎゃー』
鳴き声は可愛くなかった。
第三話:魔物
「魔物、かなぁ? 多分……」
レオンが苦笑い気味に言って、「こんな魔物見たことないけどね」と加える。
目の前の魔物と思われる生物はごろごろと丸い体を転がし始め、無防備に腹(?)を晒した。実に警戒心が皆無である。つついてみると特に抵抗もせず力の加わった方向に一つ転がった。ふわふわした体を両手で抱えあげてみた。それはされるがままに持ち上げられる。
実に警戒心が皆無である。
「……私、魔物ってもう少し凶暴なのを想像してたよ」
「普通はそうだよ。その子があんまりにもかけ離れてるだけで」
「あー、あんな風に?」
「そうそうあんな風に……
……ん?」
純がふと指した先には歯を剥き出して唸る、くすんだ茶色の小さな生き物。全体的な体躯は兎に酷似しているが、口の端からは草食動物にあるまじき牙が覗き、長い耳であろうそれは刃物のように鋭く、太陽光を反射して煌めいた。額には赤くぼんやりと光る紋様が刻まれ――それは明らかに一般的な兎とはかけ離れていた。
レオンが叫ぶ。
「キラーラビット!」
「……魔物?」
「そうだよ、この草原をテリトリーにしてるんだ……Eランクの弱い魔物だけどすばしっこいのが厄介なやつ」
魔物にランク付けとかあったのか。純は心の中で新情報に驚いた。
兎、もといキラーラビットは唸りを上げて頭を下げる。完全に臨戦態勢を取り、純達を標的に定めたらしい。成程、いかにも魔物らしい敵感で、今自分が抱えている白い生き物とは大違いだ。
キラーラビットが高く飛び上がった。空中で身体をひねり、その刃物のような耳を構えて純を切り裂かんと飛び込んでくる。純は反射的に白い生き物を左脇に抱え、空いた右手に刀を具現した。
キラーラビットの耳と刀がぶつかり合って、ガキィン、と大きく金属音が鳴り響く。凡そ、生き物の耳と刀がぶつかった音ではない。刀を振るって魔物を弾き返すと、魔物は空中でまた一回転して軽やかに地面に降り立った。
――動物とこんなふうに戦う経験はなかったけど、案外反応できるもんだな。そんな感想を抱きつつ、純は刀を構えなおす。
「ジュン! そいつの弱点は額だよ!」
「弱点? ……っと!」
レオンの声に応えたのと同じタイミングで再びキラーラビットは地を蹴り、今度は純に突撃してきた。咄嗟に体を捻って魔物の直線上を避け、代わりに刀を残すように下に構える。進行方向を変えられないキラーラビットをその勢いのまま切り裂かんと足を踏み出した。
「ギャッ」
短い悲鳴に似た鳴き声が耳に届く。刀はキラーラビットの胴体を確かに裂き、その体は地面に滑り込むように倒れた――のだが。
「……血が出ない?」
倒れたキラーラビットの腹は確かに深く切り込まれている。本来ならばその傷から流れる血が体を赤く染めるはずだ。しかし、そんな様子は微塵もなく、茶色い毛皮のままであった。
切れているのに血が出ない。ゲームではよくある描写だが、実際に起こるとリアリティが無さ過ぎて逆にグロテスクだ。思わず純は眉を顰める。魔物に血液は通っていないとでも言うのだろうか? そう、純は昨夜にレオンから聞いた魔物の話を思い出していた。
――魔物、っていうのは、普通の動物とは違うんだ。まず、感情がない。生殖機能もない。人間や動物――つまり、生命体を主に襲って、殺すんだけど、それを捕食することもない。学者の人とかは、『魔物は生物ではなく生物を殺すための機械だ』って言う人もいるくらい――
成程、いかにもメカニックな姿ではなく、見た目上は――純の知る普通の動物とは異なっているとはいえ――生命体に見える。だが噴出しない血液が、確かに『魔物』というものの異常性を示していた。
純は息を吐いて、刀を下ろした。
「……とりあえず、やったのかな……?」
「ジュン、まだだ!」
「……え」
次の瞬間、純は自分の目を疑った。腹を深く切られて倒れたキラーラビットが、何事も無かったように起き上がったからだ。腹は、切れたままで。
「ギシャア!」
その驚愕に囚われて、キラーラビットが再び飛びかかってきたのに反応が遅れる。もう目の前に迫っていて、刀で受けることも避けることも――
「『
「ギアッ!?」
しかし刃物を頭部に携えた兎の凶刃が純に届く前に、その体は横からぶつかってきた黒い風に弾き飛ばされた。呆けた純にレオンが駆け寄ってくる。
「ジュン、大丈夫?」
「……レオン、ありがと。ねぇ、あいつどうなってるの? 腹がずっぷり切れてるのに平気なんて……不死身?」
「不死身じゃないよ。ただ……魔物は『刻印』を潰さないと永遠に動き続けるんだ。キラーラビットの場合は額」
成程、『弱点』とはそういうことかと、先程レオンが叫んだ「弱点は額だ」という言葉の意味が飲み込めた。
弾き飛ばされたキラーラビットは再び立ち上がってこちらに襲いかからんと構えている。
「……OK、頭を狙えばいいんだね。レオン、この子よろしく」
「え、わっ」
脇に抱えていた白い生き物をレオンに押し付ける。困惑しながらも受け取ったレオンの腕で、されるがままに受け渡された白い生き物は『ぎゃぴー』と鳴いた。
「あいつ、私に任せてくれる?」
「ジュン、一人でやる気?」
「魔物との戦いに、どれくらい通用するか試してみたいんだ」
レオンから離れて、刀を構えた。動物とこうやって戦う経験はなかったが、案外反応できるものだ。魔物はこちらを襲ってくるが、その体の小ささや外見もあってかほとんど恐ろしさも感じない。それなら数年前にチンピラに絡まれた時の方が怖かった。
――この世界に、現実味がないこともそう感じさせる要因の一つなのかもしれない。本当に、リアルなアクションゲームでもやっているかのような感覚だ。今だって、チュートリアルをこなしているような――
「ギシャアッ」
キラーラビットが飛びかかる。素早い、が、単調な動きは読み取るのもそう難しいことではない。
動きがわかれば、避けるのも、攻撃するのも容易い。
「――っは!」
迫る小さな体を身を翻して避け、面の要領で刀を振り上げる。狙いは勿論、その額に灯る赤い刻印。
「ギィヤアア――ッ!」
瞬間、魔物の劈くような悲鳴が草原を揺らした。思わず片手で耳を抑え、魔物の脳天に刻印を裂いて切り込まれた刀を抜き取る。キラーラビットはやはり血は出さないままぐらりと傾き――
しかし倒れ込む前に、その体は砂が舞い上がるように光の粒子に変わり、風に煽られて消えてしまった。
「……消えた?」
「すごいやジュン! あっさり倒しちゃった」
白い生き物を抱えたままレオンが駆け寄る。刀を消して彼の方に向き直ると、彼は心から感心したような笑みを浮かべていた。
「ジュンって強いんだね」
「あはは、案外動けた。一応剣の扱いなら段持ちなんだー。
……でも驚いたよ、血は出ないし刻印を潰さなきゃ動き続けるし、本当、魔物って機械みたいだね……」
とはいえ、生き物だとは思えないからこそ、遠慮なく戦える部分はある。平和な日本で育った純に命を奪った経験などはなかった。
そこまで考えて、ふと思い出した。
「そういえば、Eランクって?」
「ああ、魔物のランク付けだよ」
尋ねると、レオンはあっさりと答える。
「要は危険度の度合いだね。SからA、BときてEまであって、Sが一番危険なんだ。まあAまでは兎も角、Sランクなんて魔物は滅多にいない……っていうか伝説レベルにしか記録されてないけどね。
さっきのキラーラビットはEランクだけど……戦闘慣れしてない人ならEランクでも十分危険だし、やっぱりジュンは凄いよ」
「ありがと」
倒せた相手が最弱のEランク、というのは純としては微妙なところではあるが褒められて悪い気はしない。はにかんで礼を言う。
『っぴぎー!』
突然、白い生き物が焦ったように鳴いた。
「わっ!? びっくりした……何だろ、離せって言ってるのかな?」
レオンが白い生き物に問いかけるが、それは首(?)をブンブンと振ってもう一度『ぴぎゃっ!』と鳴いた。
――ふと、遠くで地響きのような音が鳴るのが、純の耳に届く。
「……レオン、なんか音聞こえない?」
「音?」
「地響き、っていうか、なんか集団が一斉に移動してるみたいな……」
レオンもまた耳をすませる。音はどんどん近づいてきていて、レオンも聞こえたようだった。同時に、彼の顔が見る見る青くなる。
「……しまった、ジュンごめん、走ろう。今すぐここを離れよう」
「え?」
音はどんどん近づいてくる。その方向に目をやると、なんだか砂煙が立ち上る様子さえ見えた。
「ごめん、ほんとごめんジュン。忘れてた」
こちらに向かってくる煙の発信源がぼんやりと見える。どうやら何かが集団で走っているらしい。
――だんだんと、その『何か』が明らかになる。それを視認すると同時に、純もまた血の気が引く音を聞いた。
その、『何か』、は。
「…………キラーラビットの断末魔は、仲間を呼ぶサイレンでもあるんだ……」
優に千は超えそうな、キラーラビットの大群である。
純は油の足りない機械のように、ぎぎぎ、とぎこちなく振り返ってレオンに笑いかけた。
「……逃げようか!!!」
「異議無し!!!」
走った。
後ろを振り向かずに走った。
「――っ振り切った、かな……?」
ぜえぜえと荒い呼吸を吐き出しながらレオンが呟く。周りを見渡しても、もうキラーラビットの大群はどこにも見えなかった。
「あ゛ー……びっくりした……」
へたりこんで、純はぐったりと項垂れる。全力疾走したせいで心臓がばくばくとうるさい。苦しい喉に手を添えて、なんとか呼吸を整えようと深く息を吐いた。
「ごめんねジュン……キラーラビットは断末魔が厄介だから先に喉を潰すのが最善なんだよ、すっかり忘れてた……」
「いや、仕方ないよ……」
『ぴぎゃー』
「ほらこの子もこう言って……ん?」
微妙に可愛くない鳴き声に思わず顔を上げる。レオンの腕に抱えられた白い生き物が、視線を受けてもう一度『ぎゃぴー』と鳴いた。
「……あっ」
レオンが思わずと言ったように零す。己の腕に抱えた白い生き物と純の顔を、交互に見て、困ったように眉を下げた。
「……ジュン、どうしよ、つれてきちゃった……」
「あー……」
『ぴぎゃ?』
白い生き物は大して意に介していないように脳天気に鳴く。
「うーん、元の場所に返しにいく……?」
『ぴぎっ!?』
しかし、純のその言葉を聞いた途端、白い生き物が慌ててレオンの腕にしがみついた。そして、ふるふると必死に首を振って否定の意を示す。レオンが困ったような目を純に向けた。
「ジュン……」
「すっかり懐かれてるしね……それに結構離れちゃったし戻ったらまたキラーラビットがいるかもしれないし、返すのは難しいかも」
「……だねぇ。……あれ? この子怪我してる」
「怪我?」
レオンがもふもふとその生き物の白く長い毛を掻き分けて覗かせた黒い肌には確かにいくつもの怪我の痕が残っている。既に塞がっているものの、数多くの痕は見るも痛々しい。思わず顔を顰めた。
「……魔物にやられたのかな」
「そうかも。……この子魔物じゃなくて新種の生き物なのかもしれないね。刻印もないし、感情豊かだし。そうだとしたら、生命体を襲う魔物の、標的になってもおかしくない」
『ぴぎゃ』
レオンが白い生き物の頭を撫でると、それは嬉しそうにひとつ鳴く。
「…………ジュン、この子連れてっていいかな?」
捨て猫を拾ってきた子供のように恐る恐る、レオンが問うた。小首を傾げて上目遣いでこちらを見てくる姿は控えめに言って可愛らしい。主に女子としての何かが色々と負けた気がして、若干純は遠い目をしたくなった。
いや、そうじゃなくて。自分で自分に突っ込んで、レオンに向き直る。
「私に聞かなくても、家主はレオンなんだからレオンがいいならいいんじゃない?」
「そ、そっか! そうだね!」
ぱあっと顔を輝かせたレオンが白い生き物を抱え上げて「それじゃ名前をつけなくちゃ」と弾んだ声で言った。
「どんながいいかな」
「うーん……そういえば、この子の耳って犬みたいだよね」
『ぴぎゃー』
純が言いながら頭を撫でてやると、白い生き物はそう鳴いた。レオンが成程、という顔をする。
「犬かぁ」
『ぴぎゃ』
「うーん、ポチとか……」
『……』
「白いからシロとか……」
『……』
「……えっと、やっぱ安直すぎるかな?」
無言で見上げてくる視線にレオンが眉を下げてごめんねと謝る。そして助けを求めるような顔を純に向けた。
「うーん、言い出したのは私だけど、一旦『犬』から――」
『ぴぎゃー!』
離れてみたら、と続けようとしたのを遮って、白い生き物は元気よく鳴く。こころなしか、誇らしげな顔で。
――まさか。いや、そんなまさか。脳裏に浮かんだ予感を否定したい気持ちで、純は恐る恐る、口を開いた。
「…………いぬ?」
『ぴぎゃ!』
OK、把握した。そう、純は空を仰ぐ。
どうやら、この白い生き物は、『いぬ』が自分の名前だとインプットしたようだ。
――理解して、純はがばっと勢いよく白い生き物につかみかかった。
「いいの!? それでいいの!? 安直通り越して最早種族名なんだけど!?」
『ぴぎゃー』
「ま、まあまあ、ジュン落ち着いて。この子がいいならいいんじゃないかな」
ねぇ、と語りかけながらレオンが白い生き物――もとい、いぬの頭を撫でる。いぬは丸い体を揺らして嬉しそうだ。実に。
……うん、まあ、いいか。純は己の諦めが早くなってきたことを自覚しつつ、話を変えるべく口を開いた。
「と、ところで、カントまでどのくらい? 走ってきちゃったけど……道逸れてないかな」
「あ、えーと……うん、大丈夫!」
レオンが周りを見渡して何かを確認してから頷く。そして、離れたところにある森を指差した。
「あの森を抜ければカントはすぐそこだよ! 日が暮れる前に着きたいし、急ごう。森では魔物が増えるから、気を付けて」
森をよく見れば、看板と入口らしき道があった。その方角に向かって歩き出したレオンの肩に、いぬがぽえんと飛び乗って尻尾を振る。純もまた、念のために刀は出したままで、その後を追った。
*
森は案外明るい。ちゅんちゅんと何処からか鳥の囀りが聞こえ、陽の光が葉の間に差し込んで純達を照らしてくれる。なんとも長閑な森だ。魔物がいる危険な場所とは到底思えない。
「……穏やかな森だね」
「まあ、ここにいる魔物はEランクの魔物ばかりだからね」
思わず呟いた純にレオンが答える。なるほど、つまりここはそんなに危険な場所ではないのかと納得した。寧ろなんだか癒される心地がする。
森林浴というやつだろうか、と、想像した。都会で生まれ都会で育った純には緑で囲まれるという経験は多くはなく、こんなのもありだなと思いながら、ひとつ伸びをする。
――その時だ。
森の空気が変わった。一斉に小鳥が羽ばたいて、いっそ耳障りな羽音が響く。それから小動物が逃げて草葉を揺らす音が森をざわつかせる。
ばきり、と木を折って、その元凶が純達の目の前に姿を見せた。
『ギシィイ……』
一言で言うなら、巨大な――それこそ全長4メートルはありそうな――トンボ。
ただし黒い体は金属のような光沢があり、羽はギラギラと銀色に煌めく刃物である。複眼は赤色で、口から覗く牙は鋭く、異様なまでに長かった。
「――っギリオンフライ……!」
レオンが驚愕の叫びを上げる。ギリオンフライと呼ばれたその魔物は、雄叫びを上げて羽を振り上げた。
『ギシャアアアア――――――!!!!』
森を揺らすような爆音に思わず耳を抑えた。瞬間、振り下ろされた羽をギリギリ避ける。レオンと純を分断するように落とされた羽は地面を割り裂いた。
――明らかにキラーラビットとはレベルが違う!
ひしひしと感じる格の差に、純は心で叫ぶ。
ギリオンフライがもう一つの羽をまた高く振り上げて、第二波が来ると悟ったのと地面を蹴ったのはほぼ同時であった。反射的に飛び退いた純の、先程まで立っていた場所が轟音とともに鉄の羽に抉られる。
「『
レオンが高らかに叫んだ。その姿を探すと、彼は少し離れた場所で、肩にはいぬを、片手には先程までは持っていなかった青白い光を放つ藍色の分厚い本を持っていた。
「地上に在する水の霊子よ水の精よ、そして天に御座す水の神スイよ! 我が呼びかけに応え力を与え給え! 我に仇なす者を捕らえよ、
――『
ギリオンフライの両の羽が地面から引き抜かれるのと、レオンが言葉を終えるのは同時だった。ギリオンフライの真下に現れた魔法陣が青く輝き、そこから勢いよく水が吹き出した。
『ギシィッ!?』
その水はギリオンフライを取り囲み、やがてその体は水の箱に囚われる。
「ジュン! 一旦退こう!」
「っう、うん!」
走り出したレオンの後を追って地を蹴る。後ろは振り向かずに森の奥へと駆けた。
「……はぁ、はぁ……ここまで来ればとりあえずは大丈夫かな」
木に寄りかかり、レオンが深く息を吐く。純もまた膝をついて息を整えながら、周りの様子を確認した。森の深い所に来たのだろう、陽の光は濃くなった木々に遮られて届かず薄暗い。鳥の鳴き声なども聞こえず、先程の長閑な森と同じ森とは思えないほど鬱蒼とした不気味な雰囲気が漂っている。
「レオン、今の魔術って水属性っぽかったけど……レオンって闇だよね」
「ああ」
先程見たレオンの魔術を思い出し、質問するとレオンはそういえばといったように頷いた。
「うん、オレは闇属性で間違いないよ。でもオレは『
「グリモワール?」
「その名の通り、魔術が記された書物だよ。それ自体に特別な魔力が宿ってて、それと契約することで魔力を持ってなくても魔術が使えるんだ。オレは水の魔力を持ってないけど『
――ただ、どんな魔道書とでも契約できるわけじゃなくて、自分の持つ属性と相対するものは使えないんだ。例えば、オレは『
そんなアイテムがこの世界にはあるのか……と、純は素直に感嘆した。つまり実質属性が増やせるということだ。基本的に一つだけとはいえ。
「……それにしても、なんでギリオンフライなんて……Dランクの魔物がこの森にいるんだろう」
レオンがぽつりと呟いた。
「そういえばEランクの魔物ばかりって言ってたね」
「うん。だからおかしいんだ。この森にあんなのがいるなんて……どこから湧いてきたんだろう」
「湧いてくるってそんな虫みたいに……いや虫だけど」
魔物とはいえ、見た目はトンボであるので確かに湧いてくるでもおかしくはないかもしれない。そう一人で納得する純を傍目に、レオンはうーんと考え込んでいる。
「だっておかしいよ。魔物は普通一定のテリトリーから動かないはずだ。この森はギリオンフライのテリトリーじゃない」
「うーん……引っ越してきたんじゃない……?」
「有り得ない……そんなことを思いつくような感情を魔物は持ってないよ」
そういえば魔物に感情はないんだったかと、昨日の話を思い出した。生命体を殺すことだけを行動理由とする殺戮兵器――それが正しいのなら、確かに何も無くて縄張りを変えるとは考えづらい。移動するとすれば、さっきキラーラビットの大群がやって来たように、獲物を見つけたとか――それがギリオンフライにも該当するのならば。
「……何かを追ってここまで来たとか?」
「……それが一番有り得るかも」
『ぴぎゃ』
導き出した予想を純が口に出すと、レオンは神妙な顔で頷く。その時、いぬが鳴いた。
「いぬ? 怖いの?」
レオンの肩にいる白い体は僅かに震えている。レオンがその体を抱き上げて撫でてやると、いぬは力無く鳴いてレオンに擦り寄った。
「――ともかく、あいつをどうにかしないと森から出られないよ。多分、オレ達に狙いを定めた。敵を追ってテリトリーを移動するような奴なら、きっと森から出ても追ってくる」
「そうだね、――!」
バキメキッ、と、木々が折り倒される音がした。その音はどんどん近付いてくる。
「……ジュン」
「うん、……来るね」
レオンは魔道書を構え、純もまた刀を構える。
――轟音とともに目の前の大木が吹き飛ばされた。
『ギシャアアアア!!!』
ズゥン! とギリオンフライの巨体が目の前に降り立った。その重量に砂煙が吹き荒れ純とレオンに風圧がのしかかる。
その鋼の羽が振り下ろされる。純とレオンは咄嗟にお互い逆方向に避け、二人が居た場所には深い傷跡が走った。
「ジュン! ギリオンフライの刻印は背中だ! オレが気を引くから、背後から――っうわ!」
叫んだレオンにギリオンフライの第二波が飛ぶ。今度は羽を振り下ろすのではなく体ごと横方向に鋭く薙いだ。寸でで避けたレオンの翠の髪が数本切れる。
「レオン!」
「だだだだ大丈夫!」
「滅茶苦茶声震えてるけど!?」
レオンはギリオンフライの攻撃を避けながら何かを唱えて水球をぶつけまくる。それは硬い甲殻に弾かれて大したダメージにはなっていないが、十分魔物の気を引く材料にはなっていた。
純もまた地を駆け刀を携えたまま手頃な木に登った。刀を幹に刺して取っ手にしながらそう時間はかけずに木の高い枝に飛び移ると、ギリオンフライが下に見える。確かにその背中――三つに別れた昆虫の胸部にあたるその背面である――に、光を放つ赤い紋様が見えた。
「あれか!」
枝を蹴ってギリオンフライ目掛けて飛び降りる。完全にレオンに集中していたギリオンフライが、純に気が付いたのは純がその頭部に着地した時である。
『ギシャアアアア!!!』
「っく」
ギリオンフライは純を振り落とさんと頭を振り回す。その触覚を握り締めて振り落とされないようしがみつくのに精一杯で、身動きが取れない。
――この位置じゃ、刻印に届かない!
「っ止まれ! 『
そう心で叫んだ時、レオンの声と同時にギリオンフライの影を縫い付けるように、どこから現れたか黒い杭が幾本も突き刺さった。巨体が不自然に動きを止める。
――今だ!
反射的に駆け出した。刀を振りかぶり、トンボの後頭部を蹴って飛び上がる。
狙いは赤く煌めく刻印。刀を逆手に持って、刃を下に、縦に構えて振り上げた。
「これで、終わりだっ――――!!」
刀が刻印を貫いて深く突き刺さる。刃先が何か硬い物にあたり、ばきん、と割れるような音が聞こえた、気がした。
『ギシャアアァアアアァァアア――――――!!!』
ギリオンフライの断末魔が森を揺らした。その体は光の粒子に覆われていき――
ぱちん、と何かが弾けるように、光の粒子が飛び散った。巨体が完全に形を無くす。同時に純の足元にひゅっと空気が通った。
「……あ」
やばい。
そう思った時には時既に遅く、足場を失った体はぐらりと重力に従って落下せんと傾いた。浮遊感、と同時に血の気が引く音。
――流石に4メートルの高さから落ちて無事でいられる自信は――
予想される痛みを覚悟して、目を瞑った。
「だ、『
地面に叩きつけられる寸前、ぶわりと黒い風が下から吹き上がり落下速度が激減する。そのおかげで、どさりと落ちた体は少しじんと響く程度の衝撃で済んだ。
「……ありがと、レオン」
「び、びっくりした……怪我ない? 大丈夫?」
「大丈夫、そんなに強く打ち付けてないから」
この通り、と腕を広げてみせる純に、レオンは安堵したようにため息をついた。
「それなら良かった……でも凄いや、ギリオンフライ、倒しちゃった」
「レオンが居たからだよ。二人で倒したんだ」
「……そっか、そうだね。オレ達凄いね!」
レオンがぱあっと顔を輝かせる。純も、なんだか照れ臭くて、嬉しくて、噴き出した。
ギリオンフライが木々を折り倒した森は先程より開けていて、明るくなっていた。遠くに見える一際明るい道は出口だろうかと、きっと間違ってはいない予想を立てる。
「行こっか、レオン」
「うん! カントは森を出たらすぐだよ!」
『ぴぎゃー!』
いぬが高らかに鳴く。服の土を軽く払って立ち上がった純とレオンは、意気揚々と森の出口へ駆けていった。
*
「――順調、ですかね~、今のところは」
そこは真っ白な空間だった。そこに立つ、赤い刀身の刀を構えた灰色の男だけがその白の空間にある色であった。
「ですが、このままではまずいですね」
ハザマは溜息をついて、刀を手放す。それは落下するのではなく、揺らいでその姿を消した。
「自覚が足りません。そいつらは所詮無感情な玩具……悪意も殺気も無い。あるのは本能のみ」
彼はその赤い目を伏せて、もう一つ、溜息をついた。
「純、貴女が飽くまでも真実を求めるのならば――自覚をしなければなりませんよ」
「――本当の敵は、害意を持って貴女に近付くのですから」
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