第二話:旅立ち
――今起こっていることをありのまま話そう。ベッドで眠ったら精神世界とかいう真っ白な空間で自称神様に出会った。
……いや、どういうことだ? そう、己の心の声に己で突っ込むという虚しい行為を終えて、純は混乱のまま目の前のハザマと名乗る男を見上げる。
「え? 私が異世界に来たのがハザマさんのせい?」
「そうです~」
あっさりと頷いて、自称神様の男、ハザマは「呼び捨てでいいですよ」と付け加えた。
「まあそんなことはどうでもいいんですが」
「いやどうでもよくないよ! 何をサラッと爆弾発言かましてるの?!」
「そんな事言われてもトリップしてしまったものは仕方ないでしょう。諦めなさい~。元の界に帰れないとは言ってません」
ハザマの飄々とした様子に思わず純は脱力し、肩を落とす。神様ってこんななのか、なんかイメージと違う――そう文句を付けたい気持ちもあるが、それよりも、純には気にすべきことがあった。再び目の前の赤い瞳を見上げる。
「元の世界に帰れるの?」
「今すぐではありませんがね~。まあこちらにも色々と厄介な問題がありまして。ですが必ず帰してあげますから何処か安全な所で大人しくしててください~」
相変わらず抑揚のない間延び口調で告げるハザマの、その言い方に純は疑問を抱いた。
「問題って、この世界になんかあるの?」
首を傾げ、その疑問を口に出す。しかしハザマは悠然と微笑んで、「貴女に関係ありません」と端的に返した。
「……いや関係あるでしょ。私のことだもん」
「そんな事より、トリップしたうえで何か要望が在れば、可能な範囲でなら叶えてあげますから言ってください~。因みに、既に言語翻訳の魔法はかけてあげました~」
――流された。そう理解して、むっと純の眉間に皺が寄る。純にとっては全然『そんな事』ではない。言語翻訳がハザマの仕業――もとい、おかげだった事の方が、どちらかというと些事である。
そんな純を見下ろして、ハザマは笑って彼女の額に指を押し付ける。ぐりぐりと眉間を軽く押すそれを払いのけても、やはり笑っていた。
「むくれないでくださいよ~」
「……むくれてないよ。釈然としないだけで」
「むくれてるじゃないですか。……ほら早く何か言ってくださいよ。お金とか身の安全とかなんか色々あるでしょう?」
子供を宥めるように言い、ハザマが溜息をつく。
――なんというか、腹立つ。それが純の第一の感想であった。
なぜ異世界トリップなんてしてしまうことになったのかは分からないが、ハザマの口振りからしてどうやらこの世界にある問題のせいで純は元の世界に帰れないらしいとは予想がつく。だが、その問題についてハザマに教える気は無い。
釈然としない、と、純はハザマを睨みあげた。
トリップは純の身に起きたことで、つまり、純はれっきとした当事者である。ならば、何故トリップしたのか、どんな問題で帰れないのか、知る権利があるはずだ。少なくとも純の理屈ではそうだった。
しかしハザマはそれを教える気は無い。だから、要望を叶える、という飴を投げて懐柔しようとしているのだ。中学生だからとなめられているような気がして、それがさらに純を苛立たせる。
やがて純は伏せていた顔を上げ、ハザマを睨んだ。
「わかった」
「何か決まりましたか~?」
「戦闘道具、欲しい」
言い放った純に、ハザマが目を丸くする。しかしそれは一瞬で、直ぐに半目に戻ってその顔をまっすぐ見上げる純を見た。
「……その心は~?」
「異世界トリップした原因とか、帰れない問題とか。教えてくれないなら自分で探す。その為にはこの世界で色々と動かなきゃいけない。その為には自衛手段がいる。だから、戦闘道具――つまり、刀を頂戴」
――そもそも、自衛手段が欲しかったのは事実だった。
魔物が蔓延るらしいこの世界で、丸腰で居るのは危険なことくらい考えなくてもわかる。それが分かるからこそ、自衛手段が無い状態では自分の好きなように行動することが出来ないことが純にはもどかしかったのだ。
レオンと出会って、レオンの夢を応援したいと思った。だが純には戦闘手段がない。力がない。魔物との戦いをレオンに任せっきりでは、レオンの夢を応援する――つまり、レオンと共に旅に出ることを志す資格がない。だから純は、戦闘手段が欲しいと思っていた。それは、レオンの話を聞いた時から。
それは、レオンの為。しかし、ハザマの話を聞いて、純にはもう一つ、戦闘手段が欲しい理由ができた。
「――決めた! 私は旅に出る! 教えてくれないんならこの世界を旅して回って異世界トリップの原因を自分で探してやる! 何故なら! 私が腹立つから!!」
ビシィッ! と音が聞こえそうなほど勢いよくハザマに指を突きつけ、そう宣言した純に――ハザマは、暫しの沈黙の後、深い深い溜息をつく。
「……貴女話聞いてました~? 安全な所で大人しくしてろって言ったんですけど~」
「戦闘手段くれないなら勝手に丸腰で歩き回って勝手にのたれ死ぬけど? 私が死んだら困るんじゃないの? 『ハザマのせいで』こんな目に遭って、なおかつ死んじゃうなんて、なんて酷い神様だ!」
わざとらしく身振りして、わっ、と泣き真似をする純に、初めてハザマが頬を引き攣らせて眉を顰めた。ぴき、と少し青筋を立てて、ハザマが低く唸る。
「…………クソガキが」
「クソガキ上等」
べっ、と舌を出せばハザマはあからさまに舌打ちをする。さらに純は追い討ちをかけるように口を開いた。
「『この世界を旅したところで原因なんか見つからない』、とか言わないってことは、この世界に原因があるんでしょ? ハザマがそれを教えてくれないんなら自分で見つけてやる」
「……貴女の事は素直な『いい子』だと思っていたんですが、認識を改めます~。思っていたより、嫌な所に頭の回る、クソガキですね」
ハザマが舌打ちをもう一つ零す。恐らく、『いい子』の中には『扱いやすい馬鹿』というニュアンスも含まれていたのだろう。ざまあ、と内心で悪態をついて、純は鼻を鳴らした。
「………………………………分かりました~」
暫しの沈黙の後、苦虫を噛み潰したような顔をして、ハザマが漸く答える。
「ご要望通り、戦闘手段、差し上げようじゃあないですか~。刀ならば丁度いいものがあります~」
「やった!」
「ただし」
喜ぶ純に釘を指すように、ハザマが冷たく――或いは、意地を張った子供のような目で見下ろした。
「ワタクシはこれからも貴女に干渉させていただきますし、保護させていただきます~。死なれたら困りますからね~。……それから」
にこり、とハザマが笑った。額に青筋が見える。
「貴女が原因を突き止める前に……か、な、ら、ず、貴女を元の世界に叩き帰して差し上げますから」
必ず、を強調して、低く言うハザマに、純は挑発的に笑った。
「叩き帰される前に見つけてやる」
「言ってなさいクソガキ」
吐き捨てながらハザマが純の額に手を伸ばす。長いしなやかな指が額に触れた瞬間、
――純の脳に激痛が走った。
「――っ!!??」
衝撃に耐えきれず、膝をつく。痛みは一瞬だったが、その一瞬でも体を支えられなくなるのには十分だった。生理的な涙で視界がぼやける。
「っなん、」
「貴女のお望みのものですよ~」
「……?」
けほ、と少し咳き込む純にハザマは平然と告げる。
――私は刀をくれと言ったのであって頭痛を起こせなんて頼んでないんだけど。そう思いながらハザマを見上げれば、彼は「少々痛みましたか~? それはすみません~」と大してすまないと思ってないように言った。
この野郎と内心で悪態をつきながら体勢を整える。頭の痛みは既にすっかり無く、何だったんだ、と純は首を傾げた。
「貴女に、ワタクシの『武力』を分けて差し上げました」
「……ぶりょく?」
そんな純を見下ろして、ハザマがそう告げた。ぶりょく、と聞いて、純の脳裏での漢字変換は『武力』で、連想する意味合いとしては武力行使とかの武力だ。しかし、ハザマの言い方からして少し違いそうである。首を傾げ、頭を抑えつつ立ち上がった純に、ハザマが口を開いた。
「『武力』というものは、神族に特有の力の一種です~。己の魂から武器を創り出す能力ですよ~」
「……凄そう」
「小学生並みな感想有難うございます~」
ハッ、とハザマが鼻で笑った。
「あんたほんといちいち腹立つ……」
「まあまあ。ともかく、魂とは一人一人固有のモノですが、特に我々のような神族の魂にはそれぞれ固有の武器が宿っているのです~。先程ワタクシの魂の欠片を貴女の魂に埋め込ませていただきましたので~それによって貴女はワタクシの『武力』を使ってワタクシの武器を召喚できるようになりました~」
流されたことへの苛立ちは聞きなれない言葉への困惑にかき消された。
――魂の欠片。埋め込む。『魂』という大それた響きに似つかわしくないような軽い調子の言葉は、純には理解が難しい。
「……それ大丈夫なの?」
「言葉ほど大層なものではありませんよ~。貴女の体に影響はありませんし、全て終わって貴女を元の世界に帰す時が来れば回収させていただきます~」
「魂ってそんな切ったり貼ったりできるものなんだ……」
純の中で、『魂』という言葉の神秘的イメージが崩れる音がした。しかし項垂れる彼女を見下ろしながら、平然とハザマは説明を続ける。
「これで貴女に要望通り戦闘手段を差し上げたわけですが、それを使えるかどうかは貴女次第です~」
「使う……って、どうやって」
「そこはもう感覚の問題ですので頑張って下さい~」
――丸投げしやがったこいつ。
困惑と共に、純は己の掌を眺める。体には先程の鋭い痛み以外に何か変化はなく、その痛みさえ今はもう無い。漫画や小説でよくあるように、頭から声がとか、体が熱いだとかそんなこともない。本当に『武力』とやらが自身に宿ったのか不安になるほどに何も無かった。うーんと唸りながら手を握ったり開いたりしていると、ハザマが小馬鹿にした笑いをあげる。
「神族なら幼い子供でも出来ることです~。それも出来ないなら、旅なんて諦めなさい~」
つくづくこの男は純を苛立たせるのが上手かった。
本日最大の苛立ち――これまでの積み重ねでもある――を抱えて、純はぐっと拳を握りしめた。
やってやろうじゃないか。やれば出来る子なんだ見せてやる。そう決意して、純は腕を前に突き出した。目を瞑る。
――なんか、大体こういうのってのはイメージが大事なんだ。多分。
自分に言い聞かせて、純は脳裏に刀を思い浮かべた。己の手に握られた、打刀。己の武器。
「現れろ……ッ!」
瞑った瞼越しに眩い光が見えた気がした。同時に手に質量が宿る。目を開けば己の手には先程まで無かった刀が握られていた。黒い柄に赤い刀身は、どこか不思議な魅力を持って純を惹き付ける。
……わりと、やれば出来た。そんな達成感と、なんだ意外と簡単じゃないか! という自己肯定感と共にハザマを得意げな顔で見上げ、現れた刀を掲げれば、ハザマはそっぽを向いて舌打ちした。この野郎と言いたい気持ちはあるが、それよりも純は武器を手に入れた喜びが大きい。故に、わざとハザマに聞こえるように鼻を鳴らすにとどめておく。
「これで文句は言わせないからね、ハザマ」
「……まあいいでしょう。好きになさい~」
溜息をついたハザマが――ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「時間のようですね~」
「時間? ……!」
ぐらり、と視界が歪む。抗い難い眠気にも似た感覚が純を襲った。目の前のハザマの輪郭が揺らいで、体からは力が抜ける。
「ワタクシはこれからもこうやって精神世界にお邪魔しますので、悪しからず~」
間延びしたハザマの声が遠くに聞こえた。
目の前に広がるのは白。
しかしそれは先程までのような、無限に広がる輪郭のない白色ではなくて、はっきり言うと純が眠りについた部屋の天井の色である。
外からだろうか、チュンチュンと小鳥の囀りが聞こえた。地図から消された、人の居ない村にも小動物はいるらしい。
「……朝……」
むくりと起き上がって、伸びをひとつ。なんだか長い夢を見ていたような感じだ。
……もしかして夢だったんじゃないか? そう思って、試しに先程やったように手を翳して刀のイメージを脳裏に浮かべる。すると、何の抵抗もなくあっさりと手にはあの赤い刀が現れた。二回目だからかすんなりと、拍子抜けするくらい簡単だった。
どうやら本当に、夢じゃなく、精神世界に居たらしい。信じ難いことだが、実際『武力』が使えるようになったのだから信じる他ないだろう。
それよりも、純には戦闘手段ができたことの方が重要だった。
「……よし!」
刀を握り、心に一つの決意を宿して、純は颯爽とベッドから飛び降りた。
*
「おはよう、純」
リビングの扉を開ければ中では既にレオンが朝食の準備をしていた。今から料理をするのだろう、フライパンを片手に持っていた。
「おはようレオン。手伝うことある?」
「あー、じゃあシチューよそってくれる? 昨日のやつ、温めてあるから」
「わかった」
レオンが作業しながら答える。この世界には電気コンロは無いらしく、調理場にそういったものは見当たらない。火の元らしきものといえば金属の柱に囲われて下に薪が積まれた場所がキッチンの端にあって、おそらくそれなのだろう。金属の柱は金網等を敷く時のひっかけでもあるのだろうが、今回は使わないのかそういった類のものは見当たらず柱が剥き出しになっていた。
レオンに言われた通りお玉を携え、二人分のお椀を脇に置いて鍋の蓋を開けると、湯気と共に美味しそうなシチューの匂いが純の鼻をくすぐる。隣にいるレオンをちらりと見やれば、彼は厚切りのベーコンと卵を二つずつ油をしいたフライパンに入れ、手際よく前の棚から小石サイズのルビーを取り出したところであった。
――ルビー? 頭上に疑問符を浮かべ、思わず純は二度見した。
どうして宝石が調理時に出されるのか。というかそんなものを何故フライ返しやピーラー等の調理道具と一緒に並べているのか。諸々の疑問につい動きを止めて凝視する純には気付いていない様子でレオンはルビーを投げる。
そう、薪の山の上に。
「えっ」
思わず声が漏れた。そんな純にはやはり気付かないままレオンはフライパンを掲げて何か短く呪文のようなものを呟く。
瞬間、ルビーから、というよりは寧ろ、ルビーを中心として小さな円を描くように炎が勢いよく燃え上がった。その火は薪を燃やしてパチパチと軽い音を立ててフライパンを熱し、ベーコンと卵を焼き上げていく。
「……え!?」
「どうかしたの純」
「え、いや、ルビー、燃え」
驚愕にとうとう叫んだ純に、漸くレオンが気付いてフライパンを軽く動かして焼きながら振り向いた。いやそんなきょとんとした顔をされても、という言葉を出す余裕もなく、絞り出すように純は疑問を口に出そうとする。結果たどたどしくなった言葉にやはりレオンは首をかしげていた。
「うん? ルビーはよく燃えるよね」
「え?」
「ん?」
――駄目だ会話が成立しない。そう、純が空を仰ぎかけた時、レオンが合点が言ったように「ああ」と零した。
「もしかして純の居た世界ではそうじゃないのかな? この世界では宝石はよく魔道具として使われるんだよ。宝石は魔力元素を溜め込みやすくて、宝石の種類によって違う元素を取り込むから宝石によって違う作用が現れるんだ。……まあ、魔術師じゃない人が簡単に魔術を使える簡易装置って感じかな。例えばルビーなら『炎』の元素を取り込んで、発火剤の作用が現れる」
「へ、へええ……ちなみに電化製品とかは……?」
「デンカセイヒン? ジュンの世界の道具?」
レオンが首を傾げる。この世界は魔術や魔道具が発達している代わりに電化製品や科学はそれほどではないのかもしれない、と、純は予想を立てる。その予想を確かめる方法は純にはない。純にとってレオンの世界が未知であるように、レオンにとって純の世界は未知なのだから。
「そっかあ」とこぼしながら、レオンはベーコンエッグを見下ろす。もう少しで丁度良いくらいの焼き加減になりそうだった。
「宝石も違うんだ……昨日説明してなかったね。宝石は色んな所で使われてるよ。例えばあれ」
レオンが天井を指さす。そこには尖った石がいくつも連なった逆さまの剣山のような無骨な塊がくっついて、光を放って部屋を照らしている。昨日から、変わった形のライトだとは思っていた。
「あれも宝石……?」
「うん。ダイヤモンド。光の元素を取り込んで放出するから、ライトとして使われるんだー。まあちょっと高価だから家の全てにあるわけじゃないし、形も整えられたやつじゃないんだけど……」
そういえば与えられた部屋の明かりは蝋燭だった、と思い出す。
「まあダイヤは高いよね……いやルビーは高くないとかそのあたりの基準はちょっとわからないけど」
「高いものといえばダイヤとかアレキサンドライトとかかなー」
話しながらもレオンは手際よくベーコンと卵を焼き上げ、皿にもりつける。今日の朝御飯はベーコンエッグとシチューである。
「さて、じゃあ町に向かおうと思うんだけど……」
食事を終え、ゴチソウサマデシタ、をした後にレオンがそう切り出した。
「それなんだけど」
――のを、遮って言葉を挟んだ純に、特に怒るでもなくどうしたの? とレオンは首を傾げる。
「私さ、旅しようかと思って」
「えっ」
「町で元の世界に帰る方法が分からなかったら……というか多分わからないと思うんだよね」
ほら、序盤で謎が解けるとかそうそうないじゃん。とは言わなかった。RPGのお約束などきっとレオンに通じないだろう、と。
異世界トリップに、この世界にあるらしい『問題』。与えられたのは神の武器。それらのことは、落ち着きを取り戻した純にどこか高揚を与えていた。
――まるで、ゲームの中の世界のようだ、と。
「多分、私がこの世界に来たのってこの世界になにかあるんだよ。だからそれを探しにいろんな所廻ってみたらいいんじゃないかなって」
「で、でも危ないよ! 魔物とか出るし! それに手掛かりとかあるの!?」
「一切無い!」
「え!?」
言い切った純にレオンが思わず椅子から立ち上がる。手掛かりも無しに、とか、魔物って怖いんだよ、とか言い募る彼の気持ちが分からなくもないが、純には引けない理由があった。高揚感だけではない。純が引けない――或いは意地になる、理由。
脳裏に浮かぶのはハザマの馬鹿にした顔である。
「……絶対ぎゃふんと言わせてやる……!」
「誰を!?」
「ごめん独り言」
「ええ!!??」
レオンは少し疲れたのか、椅子に座り直して項垂れた。まああれだけ叫んだら疲れるだろうな、お疲れ、と純は人事のように考える――叫ばせたのは彼女なのだが。
項垂れたまま、「どうかしてるよ……」とレオンが唸った。
「魔物ってほんとに危ないし、怖いし……ジュンみたいに何も知らない女の子が手掛かりもなく歩き回るなんて自殺行為だ」
「一応戦闘は出来ると思うよ」
「思うってそんな適当な……ほんとに、死んじゃうかもしれないのに」
「じゃあレオンが守ってよ。魔術師様なんでしょ?」
今度こそレオンが目を見開いて固まった。そんな彼を真っ直ぐ見つめて、純は口を開く。
「広い世界を旅して、『空白の歴史』の謎を解くのが夢だって言ってたでしょ? 私、素敵だと思ったよ。だからこんな所で燻ってるのは勿体ない」
レオンが息を呑む声が聞こえた。
「怖いなら私が守ってあげる」
「……え」
「レオン、私と一緒に行こう。『空白の歴史』を解き明かすために。
他人が怖いなら私がそばにいてあげるから」
レオンの青い瞳が揺らぐ。迷っているようだった。
それもそうか、と純は何処か冷静に思う。いくら何でも昨日会ったばかりの人間にこんなことを言われてもどう反応しろというのだろう。私でも困る。そう、純は冷静に考えた。
それでも、純は本気だった。
会ったばかりでも、レオンのことは放っておけなかった。
何にも分からないけれど、この世界に来た原因を知らなきゃいけない気がした。
レオンに助けてもらった恩や、ハザマを見返す――理由は色々ある。だが、何よりも、そういう使命感にも似た勘がそう訴えた。
――レオンが恐る恐る、といったように純を見る。
「……ジュン、いいの? オレの夢を叶えるための旅、ってことになるよね」
「一応私のためでもあるよ。色々な場所に行けば元の世界の手掛かりも見つかるかもしれないしさ」
「うん……」
少し口篭り、そして――レオンはその青い瞳に、確かに決意を宿して顔を上げた。
「ジュン、オレ、泣き虫だしヘタレだし闇だけど」
「うん」
「ジュンが危ないなら、守るから。ジュンが帰れるように手伝うから」
「うん」
「……オレの夢、叶えるの、手伝ってくれますか」
最後の方はもごもごとくぐもった小声になっていた。それでもちゃんと聞こえた。
――嬉しくなって、つい、口を緩めてしまう。
「勿論!」
その答えに、レオンも笑う。やっぱりどこか頼りなさげな、でも柔らかくて優しい笑顔だった。
「不謹慎かもだけど、オレ、ジュンがここに来てくれて良かった」
皿を洗いながら、レオンが呟く。
話が纏まったところで、洗い物をしたら旅に出よう、ということになったのだった。勿論純も手伝っている。
「きっとジュンが居なかったら、オレ、ずっとこの村で引き篭もってるままだったから」
「私もレオンに会えて良かったよ。……でもまだ家からも出てないんだから、こういう話は何か進めてからにしよ?」
「あはは、そうだね」
そのまま笑い合い、取り留めのない話をしていると、ふとレオンが口を開いた。
「……一応、昔旅に出たいと思った時に、ここに行こうって思ってた場所があって……いいかな」
「あ、私地理とか歴史とか全然わかんないからルートはレオンに任せるよ」
「そんな堂々と」
もごもごと言いづらそうに切り出された提案をあっさり了承すれば苦笑される。
「だって事実だし!」
「あはは、それもそうだね。……『パルオーロ』に行こうかと思ってたんだ。リシュール王国の首都なんだけど、元々リシュール王国自体『知の都』って呼ばれるくらい学問が発達してて、その王都のパルオーロにある王立図書館なら何か手掛かりになる文献でもあるんじゃないかと思って。
でもそこは遠いから、まずはやっぱり隣町に行こう。ジュンの着替えとか買わないといけないし……友達に挨拶もしたいし。町々を休み休み、パルオーロに向かおうかなって」
「友達って、昨日言ってた幼馴染み?」
「そう、そいつ。そいつはオレが闇属性でも受け入れてくれて、隣町からこっちに来てからも週一で食材とか持ってきてくれたりしてて……色々助けられたんだ」
……暫く会えなくなるなぁ、と、レオンは独り言のように呟いた。
その言葉に返す言葉は持たなくて、純は黙って水で皿の泡を流す。電化製品はないが洗剤はある、この世界の文明の発展具合は純にとっては謎である。水は家の床下に供えられた水属性の宝石で補給されているそうだった。
流れる水を見て、レオンがひとつ、呟きを零す。
「……でも、オレ、ずっと前からジュンを待ってた気がするんだ」
*
後片付けの後、早速家を出る。
窓からしか見ていなかったトアロ村の惨事は、外に出てみると朝の日差しも相まって昨日よりよく分かった。あちこちボロボロでまるで何か大群に襲われて壊されたようだ。
そんな村の中で、初めて外から見たレオンの家は綺麗なレンガ造りで、廃村の中では異質に見える。
家の前で、レオンもまたトアロ村を眺めていた。懐かしむような、悼むような目をした彼が何を考えていたのかは、純には分からなかったが。
――やがて、レオンが家の方に向き直った。ここで、純は先程から疑問だったことを口に出す。
「あの、レオン」
「ん?」
「皿洗い終わってすぐに出てきたけど……荷物纏めるとか、いいの? 私は荷物という荷物もないけどレオンは色々あるんじゃ……」
そう、レオンは手ぶらであった。普通旅をするにあたって荷造りは必要なはずだが、そんなことをしていた記憶もない。しかし、レオンはあっけらかんと笑った。
「そんなの要らないよ。家ごと持っていくから」
「えっ」
レオンは己の袖から指輪らしきものを取り出す。指輪は銀のシンプルなリングに、トパーズが嵌っていた。
そのトパーズを家に向けて、レオンは何か短く呪文を唱える。
すると、吸い込まれた。
――家が。純の目の前で。
「…………これも、宝石の効果……?」
「うん。トパーズは家とか大型のものを収納して持ち運ぶことが出来るんだよ」
なんて便利なんだ宝石。引越しの味方トパーズ――最早純は困惑の叫びも出ない。
……もういちいちつっこむのは辞めよう。キリがない。ここは異世界なんだ。文化のギャップがあるのは仕方ない。そう心で呟いて、純は密かに謎の決意を固めた。
そんな純の内心は知らず、レオンは「それじゃ行こうか」と純に笑いかける。
「今から隣町……カントに行こうと思うんだけど、それには森を一つ通っていかなきゃいけないんだ。整備されてない草原にも魔物は出るけど、特に森や洞窟は魔物が沢山棲み付いてる。注意してね」
「大丈夫、腕には多少自信あるよ」
「そういえば戦闘は出来ると思うって言ってたね……見た限り武器とか無さそうなんだけど、素手……?」
「まさか」
説明するより見せた方が早いだろうと、手を掲げて赤い日本刀を出してみせる。すると今度はレオンが大声を上げた。
「えええ!? 今、そんなのどこから、えっ、時空間魔術!? ジュンの世界には魔術ないんだよね!?」
「魔術じゃないよ。えーどう説明すれば……」
夢で神様に力をわけてもらった、なんてどう説明したものか、と少し心配したが、レオンは特に詮索することも無く「凄いなぁ」と感心するだけだった。
そうやって感心されて、少し気が良くなる。純は刀を掲げて、にっと笑った。
「私の家が剣道の道場だったのと、その流派が元々は戦闘術からのだったらしいのとで、一応喧嘩は強いほうなんだ。魔物だって怖くないよ」
「ジュンかっこいいなぁ……守るとか言ったけど、ジュンの方が頼れそうだ……」
「あはは、レオンも守ったげる」
「オ、オレだって少しはやるよ!」
レオンが少しムッとなって、指をついっと上に向けた。
「
そう叫ぶと同時に、黒い風が空に向かって吹き上がる。風は地上の枯葉たちを巻き込んで高く上がり、上空で掻き消えた。
「……凄い、これが魔術?」
「うん。オレの、闇の魔術」
「そっか……かっこいいね」
そう告げた純に、レオンは――心底、嬉しそうに笑った。
*
――カントの町の一角で、少年は鼻歌を歌いながら上機嫌に歩いていた。
少年のセミロングの金髪が、水晶がはめ込まれたピアスと共に揺れる。彼のつり目がちな瞳は青く、純血のリシュール人であることを示していた。
「綺麗なお姉さんはいねーかなっと」
下心満載の呟きは誰に聞き咎められることもなく、風に消える。
少年の足が、ふと止まった。空を見上げる。今日も清々しい快晴で、雲さえ見当たらない青い青い空が広がっていた。何にも遮られることのない太陽が、町を、少年を照らす。
少年の青い瞳が眩しく細められた。
「……今日はいい旅日和だぜ、レオン」
少年はまだ、闇を抱えた臆病な幼馴染みが、一歩踏み出したことを、知らない。
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