2 ほてび、階段から落っこちる

「ねえ、今の人って確か……」

「ああ、今思い出しても笑えるよね、アレ」

 声の方を振り向く。目が合った女子2人は慌てて目をそらした。何事もなかったかのように話題を変える2人組を尻目に、俺は元の道に目線を戻す。

 高校生活もあと数日。アレ、があったのなんてほとんど3年も前だぞ!? 卒業するその日まで言われ続けるのか……。

 話は高校入学の前日にまで遡る。

俺の通っていた高校の初登校は入学式じゃない。その前日だ。

家の前のこめ太郎前に停まるスクールバスに揺られ、田圃の間や長い坂道を通って、東京ドーム3個分の―俺にはそう言われても実感がなかった―敷地を誇る高校へと向かう。真新しい制服、ではなく、3年間着古した中学の制服に身を包んで。

 このバスには、20人弱の生徒が乗っていながら、普通科の生徒は俺ひとりだった。

 先輩たちに案内されていく看護科や福祉課の生徒を見ながら、初っ端から壁にぶち当たる運の悪さにため息をつく。

「普通科~。普通科はこっちに来てくださ~い」

 声をかけてるひょろ~っとした、メガネの元へ行った。スーツを着ている。教師だろう。

 メガネの後を付いていきながら、俺は何とも言えない居心地の悪さを感じていた。隣を歩いている女子が、やたらとガン飛ばしてくる。

 膝よりもずっと長いスカートに、胸元を彩るワイン色のリボン。くせっ毛なのか、あちらこちらを向いた髪を、耳よりも少し低い位置で結っている。ただでさえ小さいのに、猫背のせいか、余計に小さく見えた。

 なんだコイツ、スケ番かよ。同じクラスじゃないことを祈るぞ……。

 祈りもむなしく、俺たちはバス乗り場から一番遠い棟に連れてかれ、持参したスリッパに履き替えた後、さらに違う棟の3階にある教室に案内された。同じクラスだったようだ……。

 ガン飛ばし女子の謎は、昼時にさらに深まることになる。

 弁当を食べ終え、廊下で歯磨きをしていた時だ。俺の前に2人の女子が立ちはだかった。赤色のネーム……確か、2年だった気がする。

「ねえ、このクラスにいるシオンさんって子、呼んでもらえないかな」

 シオン。あのガン飛ばし女子だ。目つきの悪さが気になりすぎて、午前中の自己紹介時にそう名乗っていたのを覚えていた。

「ちょっとお待ちください」

 俺は彼女の元へと向かった。シオンは俺の接近に気付くと、やはり鋭い目つきでねめつけてくる。俺はビビりすぎて、いつでも逃げられるよう、腕2本分の距離を保って足を止めた。

「あの、ホワイトボード側のドアのところで、2年生が呼んでます」  

「え?」

 実際には普通に聞き返されただけだが、俺ビジョン的には「はあああん?」だ。

 シオンは俺の脇をすり抜けて、2年の元へ向かう。そのまま2人を引き連れて、どこかへ行ってしまった。

「あの女、一体何者?」


 とはいえ、午後は入学式の練習で忙しく、シオンどころではなかった。

 バラバラの制服姿だが、ヴァリエーションが豊富で見るだけで面白かったし、500人を超える生徒が一堂に会しているのは、なかなかに壮観だ。起立や礼のタイミングがぴったり揃うまで何回もさせられたことには、辟易としたがな。何より、15クラス分の名前を聞き続けていると眠りに誘われる。

 2回目に俺の名前が呼ばれたしばらく後、アレは起こった。シオンのことで忘れてたが、こっからが今日の本題。

「宣誓、新入生代表、ほてび」

「はい!」

 朱色のカーペットが敷かれた階段を上がる。ブレザーの左ポケットに入れていた紙を取り出して、朗々と読み上げた。そして、校長役の前で礼をして、再び階段を降りようとした。

 どしーんっ!

 体育館中に重い音が響き渡った。気付くと俺は、階段の一番下に尻餅をついていた。

「えっと……痛そうですが続けます。ほてびさん、自分の席に戻ってください」

 進行役の声に促され、俺は立ち上がると、ひとつだけ空いている椅子に座る。けばいおばさんが、一目散に駆け寄ってきた。

「ねえ、大丈夫? 痛いところはない?」

 そう聞かれてやっと、さっきの音を立てたのが俺で、階段を踏み外れて転んでしまったのだと分かった。

「はい、大丈夫です」

 心配させて申し訳ないが、カーペットがよかったせいか、それとも着地したのが一番下だったからか、まったく痛みを感じなかった。むしろ今思えば、しれっと続きを始めた進行に「少しは気にしろよ」と思ったぐらいだ。


 もちろん本番ではそんなヘマはしない。

 ただ、他の生徒にはいい眠気覚ましになったようだ。


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