第1話 最初の挨拶

「ですから今度の禁煙に関する将官会議への参加を帰国の際にお願いしたいのです。そうです、それぞれ陸軍からは閣下と親交の深い宮上大将閣下が来られますし、退役女性軍人会からは土御門宮妃靜子つちみかどのみやひせいこ殿下もいらっしゃいます。どうか最上いや高澤中将閣下も参加していただきたいと、はい、ではお待ちしております!」

そう言って私は、静かに受話器を置いた。そうしているとドアが開き副官の葉鷹紫織はたかしおり少尉が書類を持ってやって来た。

「今のは加州鎮守府の高澤中将ですか?」

「ええ、今回の軍務省分煙・禁煙推進会議への参加をお願いしていたんです。我が軍内での喫煙に対するモラルは他国軍、特に国家社会主義連邦と比較して悪いですからね。向上を図る意味でも先の大戦で多大な戦果を挙げた高澤中将閣下に参加を求めたんです。」

「大変ですね。まあ、これが仕事ですものね。」

「まあ戦闘に携わっているわけではありませんからね。その分楽と言えば楽ですよ。それに2年近くこんなことばっかりやっていればさすがに慣れますよ。」

自己紹介が遅れた。私は豊葦原瑞穂皇国海軍少佐・朱雀宮祥子すざくのみやしょうこだ。現在の所属は軍務省海軍令部軍務局第1課軍規改革担当部という長い名前の部署だ。部と言ってもいるのは私と副官を含め数人の人間しかいない弱小部署だ。そんなところで私は部長をしている、この肩書は私のために作られたと言っても過言ではない役職だ。これは私が帝の血族である皇家の出身だということがあるだろう。先の大戦での勝利から陸海軍問わず女性の士官登用が積極的に行なわれるようになり、その影響もあってか私達のような皇家の人間であっても軍隊に入隊して士官としての道を歩まねばならないのだ。

しかしながら私は、軍人としての生活をあまり望んでいない。勿論この国のために尽くすという使命は持っているが、先の大戦が終わり皇国と国家社会主義連邦を主軸とした新しい国際秩序が形成されその秩序による世界はある程度安定化していた。しかし、かつての同盟国であった国家社会主義連邦とは静かに対立するようになっている。そう言った緊張状態の中で私は軍人として全うできるかが心配なのだ。


「そういえば、少佐? 次の配置の転換に関する希望調査を出すように人事局の方からせっつかれたんですがまだ決まってはいないのですか?」

「ああ、一応書きましたよ。これです。」

それを見ると葉鷹少尉は明らかに顔を曇らせた。

「第一希望が雪湊賀ゆきすかの航空母艦『宮古』で第二希望があけの戦艦『信濃』で、両方とも艦長ですか・・・。」

「ええどちらとも、決して悪い配置ではないと思いますが?」

「そりゃあ、どっちも悪い配置じゃないでしょうよ。―――どちらも永久停泊艦なんですから・・・。」

「しかも両方とも慣例では女性が艦長になるということが決まっています。私ほどの適任はいないでしょう。」

「あのですね、確かに『宮古』は名目上空母型航空基地で『信濃』は対空対艦要塞となっていますが、実際のところはどちらとも先の大戦の記念艦でいわば博物館の館長みたいなものですよ・・・。」

「そうは言ってもですね・・・、この緊迫した国際情勢の中で皇家出身というだけで士官になっただけの私には他の仕事が務まるとは思えませんよ。」

「はぁ。まあ少佐がそう言うのでしたら、こちらはこのまま人事局の方へ提出しておきます。」

そう言って葉鷹は希望調査書を自分の板挟みに挟んだところで手を止めた。

「あっ! そうでした。本日の午後2時に艦攻本部長の叢雲珠希少将閣下が来られるということです。」

「む、叢雲少将が?」

この時私は自分でもわかるくらい露骨に嫌な顔をしてしまった。叢雲少将とは私が新米の頃、雪湊賀鎮守府の練習戦艦『蓬莱』での遠洋航海実習で世話になって以来の付き合いだがいろんな理由で彼女には全く頭が上がらないのだ。

「それで、一体どんな用件で?」

「さあ、そこまでは。ただお願いがあるということくらいしか・・・。」

「お願い?」

「はい。少佐にしか頼めないということでした。」

「それで午後2時に来るんですか? ってもう一時間くらいしかないじゃないですか! とにかく書類を片付けましょう。それから軽く絨毯も掃除機をかけてください!」

「はい、分かりました。」

どうにも私には嫌な予感しかしなかった。


それから50分後大まかな整理整頓は終了した。あとは待つくらいだ。身なりを整えながら待っていると5分後、つまり約束の時間の5分前に叢雲少将は現れた。さすが海軍の少将だしっかりと5分前に現れた。

私は恭しく敬礼をしながら彼女を出迎えた。

「叢雲少将閣下、よくお越しくださいました!」

「まあまあ、そんなに硬くならなくていいですよ。相変わらず元気そうですね。」

「はい! お陰さまで!」

そう言ったやり取りをしながら叢雲少将は応接用のソファにゆっくりと腰かけた。私がずっと立っているのを見た少将は苦笑いしながら言った。

「ここは貴女の執務室なんだから、貴女も座りなさい。」

その言葉を受けてから私は叢雲少将の向かいに座った。

「それで、今回はどういったご用件ですか?」

「ああそうでしたね。では早速本題に入りましょう。少佐、夕凪龍市中佐を知っているかしら?」

「ええ勿論です。海軍所属の飛行士ではトップクラスの腕前を誇るホープですよ?」

「ええ、そうです。実はその夕凪中佐率いる夕凪航空隊がここ最近、発着艦訓練に三度立て続けに失敗しています。夕凪航空隊が創設されて4年が経過します。今まで彼の隊は156回の発着艦訓練を行っていますがその内153回は全て成功していました。それが、いきなり立て続けに三回連続失敗し、その内二件目ではついに一人の若き操縦士が亡くなってしまいました。中佐はとても責任を感じているようで、その上原因も分からないんです。」

「でも、航空母艦からの発着艦は非常に難しいんですよね。逆に今まで153回もの間成功していたことが奇跡だったのではないですか?」

「確かに偶然成功が続き、同じように失敗が続いた。そうとも言えるんですがね。ただそうと言えないかもしれないのです・・・。」

「と言いますと?」

「あ、いや滅多なこと言えませんがね。ただ夕凪航空隊は今度行なわれる国際観艦式で我が軍が開発した最新鋭戦闘機『蒼雷そうらい』の披露飛行を行う隊の最有力候補なのです。だからこそ徹底的に調査しなくてはならない。それで、少佐にはその夕凪航空隊の調査を依頼したいのです。」

「はい?」

そんな私の素っ頓狂な返しも無視して叢雲少将は続けた。

「調査していただくの過去三件の事故、そしてその後の発着艦訓練の観察です。」

「そ、そんな私にはそんな経験もありませんし、第一私は元々水雷の出身だということは少将もよく御存じでしょう? 航空機は専門外ですよ・・・。」

「大丈夫、夕凪中佐もかなり協力的です。彼は海軍大学校において臨時教官の経験もあります。ですから、専門的知識の方は問題ありません。」

「でも調査の方は? 私にはそれこそ経験がありませんよ・・・。」

「それも、特に問題はありません。」

「と言いますと?」

「今回披露する『蒼雷』が陸軍と一部共同開発によって開発されたことは知っていますね?」

「まあ、何となく。」

「そのため、今回の調査には陸軍の内部調査官も一緒に調査をいたします。」

「内部調査官?」

「そうです。もう少ししたら、この執務室の方へ来ることになっているのですが・・・。」

そんなやり取りをしていると、ドアを三回ノックする音が聞こえた。

私は一抹の不安を感じながらそのノックの主に声をかけた。

「どうぞ、開いていますのでお入りください。」

その声を待っていたかのようにドアが開いた。

「どうもはじめまして。 軍務省陸軍令部情報局内部統括部内部調査官、小清水英彰中尉です。」

そう言うとその男は陸軍式敬礼をしてみせた。

そしてその男を見た瞬間、私は思った。

ああ――もう静かな日常にはもどれないのだということを。

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