第13話

 暖炉の薪が音をたてて燃えていた。温かそうなセーターを着ていたタラサは窓の結露に指を滑らせ、覚えたばかりの文字を書いていた。それらの並びに意味はなく、ただ書くだけのことが楽しかった。

 ノックする音を聞いたタラサが振り返ると、そこにはケーキが乗った皿を持っている召使が立っていた。タラサはこのおやつの時間が好きだった。

 彼女はなにも言われずとも椅子に座り、運ばれてくるケーキを目で追った。召使はタラサの向かい側に座り、机にケーキを置いた。今日はイチゴのショートケーキだった。

 もう食べていいの? タラサが期待の眼差しで召使を見やると、召使は柔らかく微笑みながらケーキに人差し指と中指を突き立てた。それから指をめりこませ、クリームと砕けたスポンジをすくいとった指先をタラサに向けた。

「舐めて?」

 タラサはこぼれ落ちそうになっていたクリームを舌ですくい、召使の指をしゃぶった。

 召使は犬のように自分の指を舐めるタラサを見つめていた。城じゅうの人間から姫と呼ばれ、もてはやされている王子の宝物が、裏ではケーキ食べたさに召使の指をしゃぶっているなどということは誰も知らない。召使はその背徳的な行為に愉悦を感じずにはいられなかった。タラサが舐め終えると、召使はまたケーキを指でいじり、つまみ取ったものをタラサの口に運ぶ。このおやつの時間にフォークが使われたことはない。

「王子、婚約者が決まったんですって。明日、会いに行くそうよ」

 幸せそうに人の指をしゃぶっている姫が絶望する顔が見たい、と思った召使はさきほど知った事実を告げ、タラサの反応をうかがった。しかし、タラサは付着したクリームを舐めることに夢中で、話を聞いていないようだった。

 呆れた召使はため息をつき、タラサの口に指を深く差しこみ、彼女の舌をつまんで弄んだ。いやいや、とタラサが頭を振って抵抗すると、それを見て心が満たされた召使は口から指を抜いた。彼女が再びケーキの欠片をつまんで差しだすと、タラサは躊躇うことなく食いついた。

 学習能力がないのかしら、と召使が頬杖をついてタラサを見ていると、バルコニーに繋がる窓をノックする音がした。

「誰?」

見られていた、と慌てた召使が席を立つと、彼女の指をくわえて離さないタラサもつられて一緒に立ちあがった。召使が手を振ってタラサを引き剥がそうとしても、タラサは食らいついて離さないどころか、意地悪しないで! と意地になってより強く召使の指に吸いついた。

 バルコニーにいたのはタラサの騎士、コウノトリだった。タラサは召使の指から口を離し、窓辺に駆け寄ってバルコニーに飛びだした。そして、久々に再会したコウノトリを抱きしめ、彼の頬にキスした。

「元気そうで何よりだよ、お嬢さん」

 コウノトリは彼女の成長を喜ぶように、眼を細めてタラサを見ていた。城の人間ではなかったことに安心した召使は席に座り、タラサの好物であるケーキのイチゴを頬張りながら彼女たちを観察した。

「実は、今日はお別れを言いにきたんだ」

 タラサには自分の言葉が通じない。コウノトリはそれがわかっていながらも、別れの言葉を告げずにはいられなかった。彼の悲しそうな瞳に気がついたタラサはその首に手を這わせ、慰めるようにして撫でた。

「一緒に来たイルカたちが回遊するんだ。彼らの仲間と一緒に、君と初めて会った南の地にね。ここはもうずいぶんと寒いから、僕も行かなくてはならない。なに、また夏が来れば会えるさ。悲しむべきことじゃない。今の君は幸せなようだしね」

 コウノトリは別れのキスとしてタラサの胸に頭を擦りつけ、彼女の腕からすり抜けてうしろにさがった。タラサが彼を捕まえようとして伸ばした腕は空を切り、コウノトリは南に向けて飛んでいった。何度も振り返ってはタラサを見つめていたが、やがて振り切るように速度をあげた。タラサは森に阻まれてコウノトリの姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。

 席に戻ったタラサはうつむき、召使にケーキを差し出されても口にすることはなかった。イチゴを食べてしまったから怒ったのでは、と思った召使はあの手この手でタラサの機嫌を伺った。

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