第10話

 ある日を境に、タラサが暮らす砂浜に人が来るようになった。彼らは夏が本格化し、海開きが行われたから海水浴に来ていたのであり、タラサを探しに来たわけではない。

 それでもタラサは岩陰に隠れ、誰かに見つかるかもしれないという恐怖に震えていた。夜にしか安息が訪れず、彼女は隠れてばかりだったので子イルカたちと遊ぶことも少なくなった。

「どうだい、お嬢さん。たいした足さばきだろう?」

「少しは静かにしないか」

コウノトリはタラサを笑顔にしたくて歌ったり踊ったりしたが、あまり効果はなかった。

「しかし、これはまずい。私の伯母も人間に構われ過ぎて体調を崩したことがあるんだ。お嬢さんもストレスで体を悪くするかもしれん」

 お父さんイルカはタラサに魚を食べさせ、心配そうに寄り添った。タラサはお父さんイルカを脇に抱えるようにして彼の上に乗り、海に浮かんだ状態で魚を食べた。お父さんイルカは、彼女がぼろぼろとこぼす食べかすが頭に溜まっても、タラサを驚かせたり怖がらせたりしないよう、振り落とそうとはせずに大人しく受け入れていた。子イルカたちはタラサが遊んでくれないので、彼女がいる岬に来なくなっていた。

「イルカと一緒にするんじゃない。とはいえ、体調が悪そうなのは確かなんだ。なんとかならないのかね」

 コウノトリは落ち着きなく歩きまわり、岩場に近づく人間がいたら威嚇して追い払い、タラサを匿った。

「住処を変えるしかないだろう」

「近所はどこも同じようなものだ。お嬢さんには遠出できるほどの体力はないぞ」

 コウノトリはイライラを募らせていた。このままでは自分もストレスで禿げてしまうのでは、と密かに心配して、毎日頭の毛並をチェクしていたくらいだった。

「私が背負っていこう。そろそろテリトリーを北に移す時期だからな」

「その時期はとうに過ぎているだろう。さてはお前、嫁になにか言われたな」

 お父さんイルカはコウノトリの軽口に取りあわず、住処に戻って回遊を決行する旨を家族に伝えた。お母さんイルカは住処の大掃除に丸一日かけ、もっと早く言ってほしかったわ、と小言を言いながらもテキパキとこなし、翌日には出発の準備も終えていた。

「掃除にどれだけ時間をかけるんだ、お前は」

「あなたは手伝ってくれないからわからないでしょうけれどね、いろいろ大変なのよ、こっちは」

 軽い夫婦喧嘩を交えながら、出発の時間が来た。

「いいですか、お前たち。去年も注意したけれど、船が来たからって追いかけていたらはぐれてしまうんですからね。今年はお守りをしてくれる仲間がいないのだから、自分の面倒は自分で見るんですよ」

 お母さんイルカは子どもたちに注意事項を話し、お父さんイルカがタラサを連れてくるのを待っていた。

「待たせたね。では、出発しよう」

 お父さんイルカはタラサに背びれを掴ませ、振り落とさないようにゆっくりと泳いできた。タラサを心配したコウノトリも上空を飛び、旅の道連れとなっていた。

「あらあら、ずいぶんと可愛らしくなったのね」

 お母さんイルカはそう言ってタラサの脚をつついた。彼女はタラサの同行を最後まで嫌がっていたが、タラサを一目見た途端、手のひらを返したように気遣いを見せた。お父さんイルカと子イルカたちはお母さんイルカの豹変ぶりを笑ったが、彼女に睨まれるとすぐに口をつぐんだ。

 道中、タラサとコウノトリはお母さんイルカが捕ってきた魚を食べて飢えをしのいだ。タラサが休憩できそうな岩場がないので、お父さんイルカは疲れを我慢して彼女を運んだ。

 タラサはお父さんイルカの背中でまどろんでいるとき、海中で光るものを見つけた。目を凝らしてみると、そこには一匹の魚がいた。光っていたのはその魚の剥がれかけた鱗だった。

(この魚はこんなにも傷だらけなのに、頑張って生きているのね)

「今まで生きてきて、苦しいことがたくさんあった。しかし、楽しいこともまた、同じくらいたくさんあった。人生なにがあるか分からないものさ。だから、お嬢さんもそんなに暗い顔せず、空を見たまえ。なんと美しいことか」

 年老いた魚はタラサたちと並走しながら、陶酔したようすでそんなことを言っていた。

「ではまた。いつか再び会うことがあったら、そのときは君の笑顔を見せてうわあ!」

 お母さんイルカはその魚を自分の食事として捕らえて食べた。

「あら? お嬢ちゃん、もしかして食べたかったのかしら?」

 タラサはゆっくりと目をそらし、遠くを見た。


 満月の夜、タラサたちは目的の大陸付近に到着した。タラサはお父さんイルカの背から降りて小島の岬まで泳ぎ、そこに腰掛けて山から吹き降ろしてくる風を全身で受けとめた。彼女が髪をたなびかせて水気を払うと、水滴は月明かりを受けてきらきらと輝きながら飛び散った。

「やっと、まともに休むことができる」

 コウノトリも岬に降り立ち、羽をたたんだ。

 タラサは首が疲れるまで空を見上げていた。高台にある屋敷から漏れる明かり以外、星の輝きを妨げるものはなかった。この島はタラサたちが住んでいたところほど栄えていないようだった。

「それでは、私たちは先に到着している仲間たちに挨拶してくるよ」

 お父さんイルカはそう言って家族を引き連れ、近くの大陸にある自分たちのテリトリーに向かった。

(眠たい。いい洞窟はあるかしら)

 タラサは岬をうろつき、崖に開いた穴を覗き込んだ。

「お嬢さん、そこはコウモリの巣だ。危ないから入ってはいけないよ」

 タラサはコウノトリの甲高い声を聞き、その場から離れた。先住民に迷惑をかけてはいけない、と彼女はいくつかの穴を確認して、ようやく見つけた空き穴の奥まで入り、自分の腕を枕にして横になった。コウノトリはタラサに寄り添うようにして丸くなった。

(明日の朝ご飯は自分で捕らないと。近くに貝がたくさんあるといいな。カモメさんの分も捕ってあげなくちゃ)

 日の出を迎えるまで、タラサは久しぶりに深い眠りについた。

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