第9話


 海を泳いだ幾日後、タラサはイルカの泳ぎかたを身につけた。両足の踵をつけ、膝を曲げないようにして足を上下に動かすことで、尾びれに見たてられた脚は水を蹴って推進力を得た。あまり速度は出なかったが、子イルカたちと戯れるには充分な泳ぎだった。疲れたときは岩場に腰掛け、濡れた肌で風を感じて楽しんだ。

「ずいぶんと様になってるじゃないか」

 コウノトリとお父さんイルカは岬からタラサのようすを眺めていた。そこに、一隻の大きな船が通りかかった。

「船だ。なにかくれるかも」

「追いかけろ!」

 子イルカたちは船に向かって泳ぎだした。彼らはどんどんと速度をあげて距離を詰め、ついには船と並走した。船に乗っていた人たちは身を乗り出してイルカを眺め、ときには歓声をあげた。

 タラサは子イルカたちに置いていかれてひとりになった。彼女の泳ぎでは、船に追いつくことはできない。

(もし、あの船に門番が乗っていたら、わたしは連れ戻されてしまうかもしれない)

 タラサは水中に沈んで顔を出さないようにし、船から遠ざかった。コウノトリとお父さんイルカは、一人で寂しそうに泳ぐタラサを見ていた。

「可哀想に。あの子は人間におびえているんだな」

 彼らはタラサに同情した。


 イルカの家族はタラサがいる砂浜から少し離れたところに住んでいた。以前までほかのイルカたちも住んでいたのだが、北の海に移住したせいで、今は彼らしかいない。

「ねえ、あなた。そろそろ回遊しましょうよ。お隣のハンドウイルカさんたちはもう行ってしまったのよ? いつも一緒に行ってたのに」

「うん。でも、あのお嬢さんを放っておくわけにもいかないだろう。結果的にだが私が助けたようなものだ。最後まで面倒みるのが情けというものだろう」

 子イルカたちが寝静まったころ、お父さんイルカは妻に問い詰められ、縮こまりながら自分の意見を主張していた。

「はいはい。あなたの言い分はわかります。けどね、その情けは家族を犠牲にしてまで通すべきものなのかしら」

「犠牲だなんてとんでもない。私は家族を一番に考えているよ。だけど」

「私たちはこの海域で夏を越せないのよ? そんなにあの人間が可愛いなら、あなた一人で残ってください。私たちは北に行きますから。今から行けばハンドウイルカさんたちに追いつけるかもしれませんし」

 でも、しかし、とお父さんイルカは小声で反論し、そのたびお母さんイルカに怒られてしょんぼりしていた。寝たふりをしていた子イルカたちはそのようすをこっそり見て、くすくすと笑っていた。


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