第4話
新月の夜、地下室にやってきた門番がタラサを呼ぶと、彼女は老婆を背負って檻から出た。仲間たちは門番がいたせいでタラサに声をかけることはできなかったが、彼女を見るその目には慈しみがこめられていた。囚われたこの世界からの、一時的な脱却をせめて楽しんできなさい、と。
奴隷達はとうの昔に信じることをやめた神様に向かって、祈るように両手を組み合わせてタラサを見送った。
「主よ。無欲なあの子が唯一持っていた、ささやかな夢の成就を邪魔するものが現れませんよう、お護りください」
彼女たちの祈りはタラサが見えなくなってもやむことはなかった。無事に帰ってきて、嬉しそうに外のことを話すタラサの顔を見るまで、やめるわけにはいかなかった。その声は門番には聞こえなくとも、タラサの耳にはきちんと届いていた。その祈りは彼女の血と成り肉と成り、踏み出す足に力強さを与えた。
奴隷たちは仕事と場所の性質上、歩くことはあまり多くなかった。タラサもその例に漏れず、老婆を背負っていたこともあって、地下室の階段を一段上ることさえひと苦労だった。それでも、外の世界を自分の目で見ることができる、という楽しみの前では我慢できないはずがなかった。
門番が開けた扉の先は満天の星空だった。城内を照らす明かりも日の光もなかったが、おかげで明るさに慣れていないタラサの目は潰れてしまうことなく、星の輝きを焼きつけることができた。彼女は門番に声をかけられるまで、自分が空を見て惚けていたことに気がつかなかった。
タラサは慌てて石畳から足を踏み出すと、着地した芝生の柔らかさに驚いた。石の床で暮らしていたせいで硬くなった皮膚でもわかる、足裏をくすぐる感触が心地いい。歩くことがこんなにも楽しかったのか、とタラサは意味もなく足踏みした。
星、芝生、樹木、城壁。タラサは見ておいたほうがいいものの優先順位を仲間たちに訊いておかなかったことを後悔しかけたが、次々に飛びこんでくる光景の前ではそんな思いもすぐに忘れてしまった。
「ねえ、おばあさん。おばあさんの話は本当だったのね。外の世界はこんなにも美しい」
タラサは背中の老婆に小声で話しかけた。門番は、応答がなくとも老婆に話し掛け続けるタラサを気味悪がった。しかし、自分の仕事を肩代わりさせていることもあり、大声を出さない限り干渉しなかった。
城の庭の最北端、不毛地帯となっていた城壁の前に、長い煙突を持った大きな焼却炉があった。
「この中に入れてやれ」
そこに老婆を放りこんでしまえば翌朝にゴミと一緒に燃やされてしまうのだが、タラサは正しい埋葬の知識など持っていなかったので、これでおばあさんも安らかに眠れる、と喜んで焼却炉に老婆を押しこんだ。
奴隷が人間として扱われるか。門番は安心しているようすのタラサを見て、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「まだ、外を見ていたいか?」
タラサは即座に首肯し、門番の声がいつもと違うようすであることに気がつかなかった。
「なら、交換条件だ。これも焼却炉に入れろ」
門番は焼却炉の横にあった木箱を指さした。それは翌朝、彼が焼却炉に入れなければならないゴミなのだが、怠惰な彼は自分の仕事を減らすため、このようなことにまでタラサを利用するつもりだった。しかし、中身が詰まった木箱は重く、非力なタラサではびくともしなかった。
彼女は門番の落胆したようなため息を聞き、いっそう木箱を動かそうと努力した。遂行しなければ、すぐ地下室に戻されてしまう。しかし、タラサがいくら焦燥感に駆られようとも、木箱が動くことはない。
門番はタラサの襟首をつかんで、彼女を木箱から引きはがした。地面にへたりこんだタラサは懇願するように門番を見上げた。
「まだ外が見たいか?」
タラサは激しく頭を上下に振った。そして、立ち上がって再び木箱を動かそうとした。
「木箱はいい。ついてこい。ここからは喋るんじゃないぞ」
タラサは自分の口を押さえ、了解の意を示した。門番は焼却炉から向かって西側に、城壁に沿って歩を進めた。進行方向には古びた二階建ての倉庫があった。タラサはそのあとに続き、どんなものが見られるのだろう、と期待で胸を躍らせた。
門番はすでに開錠されていた倉庫の扉を開けて中に入ると、内部の埃っぽさに顔をしかめた。タラサは地下室で慣れていたので、なにも抵抗を覚えることなく中に入った。しかし、外の空気を知ったことで、彼女は地下室の空気が濁っていたことを知った。
埃が敷き詰められているせいで、門番が歩くと足跡ができた。タラサはそれを面白がり、足跡を残すために倉庫じゅうを歩き回った。夢中になっていた彼女が振り返ると、そこにはタラサが思っていた以上に多くの足跡ができていた。
(わたし、こんなにも歩いたかしら)
彼女が首をかしげていると、門番はタラサの手を引いて二階に上がった。彼は二階の一番奥に向かい、扉の前でタラサの手を離した。彼がその扉を開けると、突然吹いた風がタラサを襲った。彼女は両腕で顔をかばい、風が大人しくなったのを見計らって腕の隙間から周囲のようすを覗いた。
そこには海があった。
部屋の奥には窓があり、そこから海が見えていた。タラサは窓辺に駆け寄り、身を乗り出すようにしてその景色を眺めた。窓の外は城壁を挟んで、すぐに海だった。
「すごい」
タラサは自分が言葉を発していたことに気づき、慌てて口を押さえた。門番がゆっくりと彼女に近づき、横に並んだ。タラサは約束を破ってしまったことを怒られるのかと思い、申し訳なさそうに門番を見上げた。
「これが海だ」
門番はタラサを見ることなく、海に目を向けたままそう言った。寄せては返す波は星の明かりを受け、それらにも負けないきらめきをタラサに見せつけた。
これが海。なんと美しいのだろう。コップ何杯分どころではない。たとえ真水だったとしても飲み干せそうもない。タラサはその光景に見入っていた。目をつぶっていても感じられる潮のにおい、波の音。彼女は全身で目の前にある海を感じていた。
(もっと、もっと近づきたい。この海を感じたい)
タラサが再び身を乗り出そうとしたとき、門番は窓を閉めてしまった。タラサが彼を見上げると、門番は優しく微笑んで彼女を見ていた。
「もっと見たいかい?」
タラサが精一杯うなずくと、じゃあ、と言って門番は室内を振り返った。タラサもそれにつられて扉に目を向けるが、そこにはなにもない。
「今から何をされても抵抗しちゃ駄目だ。もちろん、声を出してもいけない。約束が守れたら、城の外に出してやろう」
タラサは嬉しさのあまり、叫び出しそうになった。
(外に行けるのなら、どんなことだって我慢できる。なにも見られないことほど、苦痛なことなんてあるはずないもの)
タラサが首肯すると、門番は指を鳴らした。それを合図に扉が開き、人が入ってきた。扉が閉まったあと、門番は部屋の中央にあったランプにマッチで火を灯した。タラサが部屋を見渡すと、そこには六人の男がいた。彼らはみんな奴隷番であり、タラサにも見覚えのある顔ばかりだった。彼女は自分を見て一様ににやつく男たちに寒気を覚えたが、促されるまま部屋の中心に立った。
門番の命令で、彼女は服とはいえないぼろ布を肩から外して床に置いた。その身体は垢にまみれて浅黒い肌に包まれていたが、最低限の柔らかさを残した若い肉体だった。においさえ気にしなければ娼婦よりも上等だ、と門番たちは彼女の裸体を見て昂った。
男はタラサの手を取り、自慰行為を強要した。本当は自分の舌で濡らしてやりたいと思っていたが、衛生面を考えて実行しなかった。性器をいじることに慣れていなかったタラサは要領が悪かったので、焦れた門番は自身の指を彼女に挿れた。
歯磨きの習慣がない口に性器を突っ込めば感染症にかかるかもしれない、と危惧した男たちはタラサに自身の性器を舐めさせることはしなかったが、そのかわりに思いつく限りの行為を彼女に要求した。そのなかには、恋人にはとてもできそうにない異常性癖もあった。それを発露した男はさも当然のことのように、タラサの喉に両手の親指をかけて力を込めた。音はしなかったが、軟骨のようなものが折れる感触を感じ、興奮した男はより激しくタラサを犯した。タラサは白目をむいて、ぐう、とウシガエルのような声で呻き、失禁しながら気を失った。
この間に、タラサは唇以外の純潔をすべて失った。
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