第3話

 ある日、地下室に新たな奴隷が収容された。その者たちはタラサよりすこしばかり年上であり、やってきた当初は髪も肌も美しかった。タラサは彼女たちが自分たちと同じ生き物だとは到底信じられなかった。

「なあに、あなた。臭いから近寄らないでくれる?」

彼女たちから外の世界の話を聞こうとしたが、新たな奴隷たちは不潔なタラサを寄せつけようとはしなかった。タラサは初めて受けた害意におびえたが、それで彼女たちを嫌いになることはなかった。

 新たにきた若い奴隷たちにはまだ反抗する気概が残っており、鉄格子に掴みかかっては、目の前で監視している門番に罵声を浴びせた。しかし、怠惰な門番は椅子に座ったまま欠伸を噛み殺すくらいで、彼女たちが騒いだ程度では気にも留めなかった。

若い奴隷たちは感情の流れが一方通行なことに腹を立て、その矛先をタラサたちに向けた。彼女たちは抵抗できないタラサたちに暴力をふるい、ストレスを発散させた。タラサたちはいまだ健康状態を保っていた若い奴隷たちには敵わず、されるがままだった。しかし、みんなはその暴力がタラサただひとりに向かいそうになると、結束して幼い少女を守った。相も変わらず、門番はこの事態を黙認していた。面倒だったから関わりたくないという理由で。

 それから間もなく、以前から居た奴隷のひとりが若い奴隷たちの手で殴殺された。仲間がそんな目にあわされても、年老いた奴隷たちは若者を恨めしそうに睨むことしかできなかった。事件が起きて、門番の上司はようやく異常事態に気づいた。そして、若い奴隷のひとりを鞭で打ち、見せしめとして殺した。反抗的だった奴隷たちはそれを見ておとなしくなり、自分たちの仕事に励むようになった。

 彼女たちは互いに慰め合おうと、仕事の合間にさまざまなことを話した。もちろん、その輪の中にタラサが交じることはできなかった。

「この前のカーニバルはすごかったわ。みんなクジャクのような格好で踊り狂っていたし、王子も見物に来ていたのよ。年々派手になって、来年はどうなってるのかしら」

「ここに来る前、友人の結婚式に行ってきたの。純白のドレスに包まれた花嫁が美しくてね、思わず涙がこぼれてしまったわ。私もいつかあんなふうに着飾ることができたなら」

「私の学校には面白い先生がいてね、ずいぶんと世話になったのよ。卒業以来会ってないけど、元気かしら。今度、会いにいくのもいいかもしれないわね」

若い奴隷たちは笑っていた。しかし、一瞬の間もあかないように、と焦りすぎているせいか、人の話を聞いていないかのように自分のことばかり話し、会話とはいえない言葉が飛び交っていた。タラサは離れた位置からその話を聞いた。断片的にしか聞こえなかったが、あまり近づき過ぎるとまた虐められてしまう。彼女は好奇心を抑え、耳をそばだてた。

 しかし、ときどき若い奴隷たちがなにを言っているのかわからないことがあった。いままでタラサを可愛がってくれていた奴隷たちが使わなかった単語が頻繁に使われていたせいだった。その言葉の意味を仲間に訊いてみても要領を得ない。それもそのはず。その語句は彼女たちが外にいたときには存在していなかった流行語なのだから。

 タラサは若い奴隷たちの会話に参加できないことを悲しんだが、自分の知らない世界がまだ存在することを知って心を躍らせた。仲間たちが話の種を切らせたということは、世界はその程度の広さしかない、という誤解が解けたからだった。

 新しい世界の話で盛り上がる奴隷たちの輪に加わりたい、と思ったタラサはあることに気がついた。

(わたしも外に出て、あの人たちと同じものを見ればいいのだわ。そうすればきっと、わたしとも話をしてくれるはず)

 タラサがその思いつきを老婆に話しても、老婆はその提案を肯定しなかった。

「奴隷は一度地下室に入ったら、二度と出ることはできないんだよ」

 タラサは納得できなかったが、老婆をあまり困らせたくなかったので渋々身を引いた。当然のことながら、心の底では諦める気など毛頭なかったけれど。


 ひぐらしの声が聞こえる季節になり、城の庭師たちは汗を滴らせながら働いていたが、地下室はにおいさえ気にしなければ快適な温度の空間だったこともあり、奴隷達は暑さに負けることなく働いた。もっとも、においを気にするのは彼女たちを監視している門番だけで、奴隷たち自身はなにも感じていなかった。

 そんなある日、老婆が死んだ。タラサがいくら声をかけても、老婆は目を覚まさなかった。仲間たちはタラサの肩に手をかけ、老婆を揺することをやめさせた。

「でも、このままだとおばあさんは門番に怒られてしまうわ」

タラサが知らないことならばなんでも教えてくれた老婆に代わって、仲間たちは老婆の死をタラサに教えた。鞭に打たれなくても人は死ぬ。それはタラサにとって衝撃的なことだった。

老衰なのか、疫病なのかはわからなかったが、老婆の死体を媒介にして病原菌が発生する事態は避けねばならなかった。

 奴隷たちが職務を全うしているところに、檻の鍵を開けて門番が入ってきた。脱走を試みるものはもういない。彼は老婆の死体処理を命じられて地下牢に入ってきたのだったが、死体があまりにも汚かったので、彼は触ることを躊躇っていた。

 タラサは、老婆の死体を見ながら何かを考えていた門番に近づいた。仲間たちはその行動に驚き、タラサを止めることができなかった。

「おばあさんの埋葬、わたしにやらせていただけないでしょうか」

 タラサは老婆をもっとも愛しており、埋葬は自分の義務だと思っていた。あわよくば地下室から出て、外の世界をこの目で見ることができたなら、という思惑もあった。

 門番はタラサの身体を舐めまわすように見た。外に出た途端逃げ出すような体力がありそうか、彼女の思惑は何か、などを推し測るためでもあったが、彼にはそれ以上に下劣な目的があった。検分を終えた門番はいやらしい笑みを浮かべ、タラサの提案を承諾した。

「しかし、奴隷としての仕事を中断させるわけにはいかない。埋葬は夜になってからにしよう」

 門番はそう言って地下室から出ていった。やってきたときは重そうな足取りだったというのに、帰りは軽やかな調子で階段を上っていった。

 外の世界を見る、というタラサが長らく見ていた夢が現実になることを、仲間たちは自分のことのように喜んだ。

「どうせ逃げられやしないのに」

 若い奴隷たちはタラサの夢を嘲った。それと同時に、外に出られる彼女を羨んでもいた。


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