初体験
私はアサミを見ずにコーヒーを見つめる。ベッドがきしむ音がする。アサミがベッドに座ったのだろう。
なんかアサミを見れない。別にアサミがぬいぐるみ、ランプスの声を当ててスベったからというわけでも、私がまともな返事を出来なかったからではないと思う。いや、なんか表面的にはそのせいなんだろうけれど、問題はなんでそうなってしまったのかだ。なんでだろう。
コーヒーを見るにミルクはもう入っているらしい。砂糖は入っているのだろうか。見たところ砂糖は持ってきていない。アサミは私が甘いコーヒーが好きだと知っているから、きっと入っているはずだ。
マグカップを手に取る。暖かい。マグカップにはワンポイントで黒猫が一匹座っている。
「いただきます」
「はい。どうぞ」
無駄な緊張感。私はコーヒーを飲む。甘い。やっぱり砂糖は入れてくれていた。少しだけ視線をあげるとアサミの足だけが見える。ぬいぐるみに話しかけていたところを見られたのも気まずいし、アサミが語尾ににゃーとつけたのも気まずい。私がなんかうまいこと返せばよかったのだろうけど。でも、アサミがすぐににゃーを辞めたのもダメだと思う。続けてくれたなんかもうちょっとなんとか出来たような気もする。多分。
「ミキちゃーん」
アサミが私を呼ぶ。だから、私はやっとアサミを見る。
アサミは自分の顔が隠すようにあのぬいぐるみを持っていた。
「ランプスだにゃー。よろしくにゃー」
「え……うん。さっき聞いたけど……」
今度こそなにか言わなければと思った。だから言った。だけど、言った瞬間気付いた。これダメなやつ。
アサミはランプスをベッドの上に置く。
「プリン食べよっか」
ようやく見たアサミの顔は少し赤い。風邪のせいということにしておこう。
「うん」
「このスプーンで食べると美味しさ三割増しになる気がしない?」
プリンと一緒の入ってた小さな透明のプラスチックスプーンを持ってアサミは言う。
「わかる。アイスも木のスプーンで食べたい」
「あー! それね! わかる! 木のスプーンおいしいよね」
「スプーン食べるの?」
「アイス食べ終わったあとにさー。あの木のスプーンをがじがじするのが好きなの」
「それはなんか……わかるかも」
「でしょー」
へへっとアサミが笑う。
「でも、まあ今はプリンだよねー」
アサミはプリンをプラスチックスプーンで食べる。
「……おいしい」
小声でそう呟いて、アサミは黙々とプリンを食べる。アサミを静かにさせるとはどれだけ美味しいプリンなのだろう。
私も食べる。
「あ……おいし」
「でしょ?」
なぜかアサミがドヤ顔。持ってきたのは私なのに。まあ、お店を知っていたのは森さんなのだけれど。でも、そんなことどうでもいいくらい美味しい。
「うん」
それから私達は黙ってプリンを食べる。ただ黙々と、ガラスの瓶にスプーンが当たる音だけが部屋に響く。
私達はあっという間にプリンを食べ終える。
「美味しかったね」
「うん」
美味しかった。
「今まで食べたプリンで一番美味しかったかも。なんというか、こう、あれ、あれですよ」
アサミは目を瞑り、「あれだよ……あれ」と言いながら人差し指をくるくると回している。ひとしきり人差し指をくるくるしたアサミはゆっくりを目を開き、言った。
「めちゃくちゃ美味しかった」
その言葉に私は思わず笑ってしまう。
「なにそれ」
「言葉を失うほど美味しいってやつ?」
「たしかに美味しかった」
「でしょ?」
なぜかアサミが自慢げだった。私が持ってきたプリンなのに。
「ところでさ」
アサミはケーキ屋さんの箱をちらりと見る。箱の中にはまだプリンがふたつ残っている。
「なんで四つ買ってきたの?」
「えーっと、森さんと炭谷さんの分?」
「なぜハテナ?」
「……森さんが買ってくれたから」
森さんがプリンを買ってくれていたころ、私はただショーケースのケーキに見惚れていただけ。
「でも、ゆっきーと炭谷さん帰っちゃったんだよね?」
「あ、ご両親の分とか?」
わからないけど、他に思いつかない。
「あー。なるほど?」
なるほど。といいつつもアサミはいまいち納得している感じではなかった。
「ミキちゃんってさ」とアサミはプリンを見ながら言う。
「なに?」
「一日にプリン二個食べたことある?」
少し考える。
「ない」
なかった。一度も。今まで生きてきて一度も私はプリンを一日で二個食べたことはない。それは自分でも少し意外で、でも当たり前な気がした。普通プリンは一日一個までだ。
「私もない。でさ。食べない? もう一個」
にやりとアサミが笑う。悪い顔だ。これが悪魔の囁きとかいうやつなのだろうか。
それはとても魅力的だけれど、とてもいけないことのような気がした。いや、たかがプリンなのだけれど、プリンを一日二個。それも一度に食べるなんて、そんなこと許されない気がした。
「……いや、アサミへのお見舞いを私が二個も食べるのってどうなの?」
それっぽい言い訳をなんとか思いついた。
そう。これはアサミへのお見舞いなのだから、一個ならともかく二個も食べるなんていけないことだ。
二個残っているのだから、アサミがもう一個食べるのはなにも問題はないと思うけれど、私がもう一個食べるのはどうなのだろう。だって、これはアサミへのお見舞いなのだ。
「私が貰ったのをミキちゃんにあげるんだから大丈夫!」
だめ。私の言い訳なんて、アサミにはまるで通用しない。
「アサミが三個食べれば?」
それでも私は抵抗する。
「いや、それはさすがに食べ過ぎでしょ。太る」
「二個でも太るでしょ」
「私は最近、おかゆとかしか食べてなかったから大丈夫!」
「私が太るじゃん」
「ミキちゃんはもう少しふっくらしたほうが可愛いよ? あ、今も可愛いけど」
今度はへへっとアサミは笑う。
「わかったわかった。一緒に食べよ」
渋々といった感じのフリをする。私だって別に食べたくないわけじゃない。
「やった! ありがと!」
アサミは嬉しそうにプリンを私に手渡す。
はぁ。と私はわざとらしくため息をついてから、さっきと同じように封を開ける。プラスチックスプーンでプリンをすくい、食べる。
「美味しい?」
アサミはまだ食べていない。
「美味しい」
今日一個と一口目のプリンはなぜか一個目より美味しい気がした。
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