十九日目の昼

 学校へ着いてから気がついた。コンビニに寄るのを忘れた。お昼がない。なのに、チャイムは鳴って、お昼休みはやってくる。

 でも、一食くらい抜いてもいいような気もする。お腹は少しは空いているけれど、我慢できないほどでもない。それに購買まで行くのが面倒くさい。ダイエットということにしよう。

 いつものように私の席でお弁当を広げるアサミ。私はそれをぼーっと見ている。ご飯がないことよりも手持ち無沙汰のほうが困る。

「あれ? ミキちゃんお昼は?」

「ダイエット中」

「ダイエットなんてしてたっけ?」

「さっきはじめた」

「ミキちゃん太ってないよ?」

 太っている自覚はないので、多分太ってないと思う。元々そんなに食べるほうでもない。

「ほんとは?」

「買うの忘れました」

「どうするの?」

「我慢する」

 アサミの眉間にシワがぐぐっと寄る。

「ちゃんと食べなきゃダメだよ」

「でも、食べるものないし」

 食欲よりも動くのが面倒臭いという気持ちのほうが強い。でも、アサミは結構健康とかにうるさい。寝不足で学校来たりすると、ちゃんと寝なさいと怒られる。今も多分ちょっと怒っている。

「購買は?」

「行くの面倒」

 それに今から行ってもまともなものは残っていないと思う。残っているのは人気がないやつ。例えばコッペパンとか。そのあたり。

「学食行く?」

「購買と場所同じでしょ」

 購買は学食の隣にある。距離はほとんど同じだ。とはいっても教室からものすごく離れているわけでもない。とにかく身体が重い。

「ちゃんと食べないとダメだよ」

 それはさっきも聞いた。さっきより声のトーンが若干低い気がするけど、気にしないことにする。

「んー。それはそうだけど」

「よし。とりあえず購買に行こう!」

 アサミはお弁当を片付けて、席を立つ。もうお昼休みになって十分くらい。多分、本当になにもないと思う。

「お弁当持ってくの?」

「購買になにもなかったら、学食で一緒に食べよ」

 学食でお弁当食べるのってどうなんだろう。持ち込みしてもいいのだろうか。学食はあまり利用したことがないので、それがありなのかなしなのかもよくわからない。

「ほら。早く」

 アサミに急かされ、私も財布を持って席を立つ。


 廊下に人はあまりいなかった。みんなどこかでお昼を食べているのだろう。

「炭谷さんなんだけどね」

 アサミは朝に続いて炭谷さんを気にしている。どうやらアサミは私以上に炭谷さんのことが気になっているらしい。私としてはもう時間がなんとかしてくれるかもしれないくらいの気持ち。

 これでも週末に少しは考えた。でも、炭谷さんの私に対する認識を変える方法は思いつかなかった。だから、もう時間に頼るしかない。ひょっとしたら森さんと話しているうちに『なんだ悪い人じゃないんだ』と気付いてくれるかもしれない。私は多分、悪い人じゃないから、それで問題はない。

 でも、アサミは炭谷さんのなにを気にしているのだろう。

「なんでミキちゃんのことを見ていると思う?」

「だから、私が森さんと話すことが増えたから……」

「今日の体育でね」

「うん」

「周りの子に聞いたんだ」

 嫌な予感がする。

「『漆原さんってどう?』って」

 そういうのほんとに、やめてほしい。それに聞き方が雑すぎる。どうってなんなの。

 意外に真面目。クールでかっこいい。優しい。勝手にクラスのマスコットだと思ってる。アサミは色々とクラスのみんなが思っている私の印象を並べていく。

「こんな感じー」

 アサミはうんうんと満足げに頷いている。だけど、私はもう途中からなに言っているかわからなくなっていた。耳が拒否した。

「わかった?」

 もうなにもわからない。おかしいのはアサミなような気もしてきたし、私のような気もしてきた。顔が熱くなるのを感じる。

「炭谷さんに直接聞いたわけじゃないでしょ?」

 それにクラスの全員に聞いたわけでもない。炭谷さんの他にもそう思っている人がいてもおかしくない。

「それはそうだけど……」

「でしょ?」

「でも、ゆっきーはミキちゃんのことそうは思ってないと思うよ」

 それは多分そうだとは思うけど、絶対にそうかと言えば、ちょっとわからない。

 森さんとはロンドンで会ったときから話すようになったけど、別に大した話はしていない。ロンドンから一週間くらいしか経ってない。基本的に学校でしか会わないし、それこそ挨拶しかしない日だってある。森さんの中の私のイメージがものすごい良いという気もしない。プリントだって提出が遅れた上に、クシャクシャにしてしまった。

「そういうアサミだって、この前私のこと不良みたいって言ってたよね?」

 金曜の夕方。放課後の教室でアサミが私に同意したことを私は忘れていない。

「あのとき、そんなことないよって言ってもミキちゃん信じないでしょ?」

「そんなこと……」

 あるかもしれない。だけど、言ったことには変わりはない。

「それにさ」

「なに?」

「ミキちゃん、そう言って欲しそうな顔してたから」

 そう言われるともう私はなにも言えない。

 

 かけうどんがのったお盆を持って、私は呆れていた。

 先に席に座ったアサミが手を振っている。アサミの隣には炭谷さん。その正面には森さんがいる。

 結局、購買にはロクなものは残ってなくて、学食に来たまではよかった。食券を買って、うどんを待っている間、アサミは席を取りにいってくれた。その結果がこれだ。

 席は森さんの隣が空いていて、私はそこまでかけうどんを運ぶ。

「森さん、ここ大丈夫?」

 一応聞いてみる。アサミが流れを作ってくれているので、すっと話しかけられる。

「もちろん。どうぞどうぞ」

 森さんは椅子まで引いてくれる。

「ごめんね。ありがとう」

 正面には炭谷さんが座っているはず。顔を上げずにうどんを見る。具はネギが少しだけ。かけうどんだから、あるだけでもありがたい。

「そのからあげ美味しそうー」

 アサミはもうお弁当を広げていた。そして、炭谷さんに絡んでいた。盗み見るようにちらりと顔をあげる。

「い、いる?」

「いいのー? じゃあ私の卵焼きあげるー」

 炭谷さんもアサミの勢いには勝てないらしい。困ったように笑いながらからあげをアサミにあげている。炭谷さんのああいう表情は初めて見た。きっと教室でも普段からしているのだろうけど、私の記憶にはなかった。

 炭谷さんはもうほとんど食べ終わっている。食べるの早い。最後のからあげが卵焼きになってしまって、炭谷さんは良かったのだろうか。

 視線を横に動かすと、森さんは楽しげにアサミと炭谷さんのやりとりを見ていた。森さんと目が合う。森さんはふわりと微笑む。私もにこりと笑って応える。多分、笑えたと思う。

「いただきます」と小さな声で言って、うどんを啜る。かけだとやっぱり物足りない。きつねうどんにするべきだっただろうか。せめて、七味が欲しい。

「うどん、おいしい?」

「え、あ、うん。おいしいよ」

 不意に森さんに声をかけられて、思わずおいしいと答えてしまった。だけど、おいしいかと言われれば微妙だ。不味くはない。おいしいかと言われれば、うん。ごく普通のかけうどん。

「じゃあ、明日はうどんにしようかな」

「……かけうどんじゃないほうがいいかも。きつねとか」

「じゃあ、きつねうどんにするね」

 これで明日、森さんがかけうどんを食べて微妙な気持ちになるのは防げたはず。あぶない。

「あ、コロッケいる?」

「え?」

「コロッケ。うどんに合うよ」

 森さんは定食を食べている。メインはコロッケで、まだまるまるひとつ手付かずだった。炭谷さんと比べるとだいぶゆっくりペースだ。

「ううん。大丈夫。ありがとう」

「そう? おいしいよ。コロッケうどん」

 コロッケうどん。聞いたことない。天ぷらではなくコロッケをのせるのだろうか。いまいち味のイメージができない。

 しかし、森さんと炭谷さんと一緒にお昼を食べる日が来るとは思っていなかった。森さんとは多少、話すようになったけれど、炭谷さんとは今朝少し話をしたくらい。でも、もう同じテーブルにいる。アサミじゃないけれど、なにかおかしい。変な感じ。私がお昼ご飯を買い忘れたから、こうなっている。多分、明日からはまた別々にお昼を食べると思う。別に一緒に食べるのが嫌というわけじゃないけれど、なんとなくそうなる気がする。

「炭谷さんって陸上部なんでしょー?」

「そうだよ」

「陸上部かー。私走るの苦手なんだよねー」

 もうアサミと炭谷さんは普通に話をしている。アサミは元々社交的だし、なんてことない普通のことなのだろう。

「この前、校門に向かって漆原さんと走ってるの見たけど」

 多分、私が禁煙を始めた日のことだろう。そんなこともあったな。もう懐かしい感じがする。

「あれ見てたんだー」

「うん。部活で走ってたから。ふたりはなんで走ってたの?」

 屋上から煙草を投げたから。とはアサミも言えないだろう。煙草も屋上もどっちも言ってはダメなやつ。

「えーっと……青春ごっこ」

 なんだそれ。言い訳下手くそか。

「夕日に向かって走ろう。みたいな?」

「そうそうそれそれ」

「ふーん」

 私が言うのもあれだけど、青春ごっこを受け入れるのはどうかしている。それとも興味がないだけだろうか。

「ほかには?」

「え?」

「青春ごっこ。ほかにどんなことするの?」

 興味あるらしい。青春ごっこに食いつくとは。青春に憧れでもあるのだろうか。陸上部で汗を流している炭谷さんのほうが私たちより百倍くらい青春を謳歌しているような気もするけれど。

「えーっと……」

 さすがのアサミも青春ごっこの内容までは考えていなかったらしい。アサミは目で私に助けを求めてくる。残念ながら私には助けることはできない。だって、青春ごっこがなんなのか私にはわからない。それに私は出汁に浮いたネギを食べるのに忙しい。

「ごちそうさまでしたー」

 森さんがそう言うと、炭谷さんは「よし」と言って、お盆を持ち、席を立つ。今までの会話は森さんのごちそうさまで終わったらしい。

「私が食べ終わったら、教室に戻るの」

 いつもそうなの。と森さんも立ち上がる。壁の時計を見る。そろそろ昼休みは終わる。

「ごめんね。私、食べるの遅いみたいだから」

「ユキはそれでいいの」

 炭谷さんはさっと森さんのお盆も取る。両手にひとつずつお盆を持ってさっさと行ってしまう。森さんは「自分で持っていくよー」と言いながら炭谷さんの後を追いかけていく。

「ミキちゃん、お盆運ぼうか?」

 いつの間にか、アサミが横に立っていた。お弁当箱の片付けはもう終わっている。

「いや。大丈夫」

「仲良いね。あのふたり」

「うん」

「あっ。うどん、私が奢ればよかったー」

「また今度ね」


 教室へと戻る廊下。私の隣には炭谷さん。アサミと森さんは私の後ろ。

 炭谷さんがちらちらと私を見ているのを感じる。私になにか言いたいことがあるのだろうか。それとも私からなにか話しかけたほうがいいのだろうか。

「してたの? 青春ごっこ」

「うえ?」

 先に話しかけられて、変な声が出てしまった。恥ずかしい。炭谷さんは今朝のように怪訝な顔で私を見ている。

「ま、まあ、してた……のかな?」

 走り抜けた後に、なんかこれって青春みたいと思ったから、多分嘘ではない。ただ、青春ごっこをしようと思って、走り抜けたわけでもない。

「ふーん。そういえば、この土日なにしてた?」

 あなたはアサミですか。と言いたくなるほど、バッサリ話題が変わる。ひょっとしてこっちが本題なのだろうか。

「えーっと」

 ただ、なにをしていたかと聞かれても、これといってなにもしていない。ただ、家に居た。だから、なんと答えていいのかわからない。

「私はね。ユキと遊びに行ったんだ」

 私が答える前に、炭谷さんが話し出す。

「服を見に行って、そのあと喫茶店寄った。そこでずっとおしゃべりしてた」

 どうだ。と言わんばかりの自慢げな顔。それも初めて見る炭谷さんの顔だった。

「そ、そうなんだ」

 そこの喫茶店の店員さんが――。と炭谷さんが言ったところで教室についた。炭谷さんはさくっと会話を切り上げて、「じゃ」と自分の席へと戻っていく。

 アサミは一度、無言で大きく頷いてから、自分の席に戻る。森さんはニコニコしたままだ。私はただ首をかしげるだけ。

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