もう少しで一週間
「まだ一年なのに、進路とか聞かれてもピンと来ない」
放課後。机の上にはホームルームの最後に配られたプリント。進路希望と書いてある。一年前は希望の先がここだったのに、もうまた次の希望を見つけなければいけないらしい。
「まあ、がっつりなやつじゃないって先生も言ってたし。ある人は教えてねーって感じじゃない?」
そう言いながらもアサミはプリントにペンを走らせている。なんで、わざわざ私の机で書いているのだろう。
「アサミは進路決めてるんだ」
「うーん。まあ。ほら、私が真面目に進路決められるのって大学からだし?」
アサミのお父さんはいわゆる転勤族ってやつで、たくさん引っ越しをしてきたらしい。そのたびに転校。中学受験も出来ないし、高校だって真面目に考えるのも難しそう。だって、せっかく希望の高校に行けても転校しないといけないかも知れない。高校の転校ってどうするのだろう。転入試験を受ければいいのだろうか。落ちたらどうなるのだろう。
「ここも家から近いからだしねー」
それでさくっと入れるのはすごいと思う。私はここに入りたくて結構頑張った。柄にもなく塾にも行った。ここの自由な校風ってやつに憧れていた。お姉ちゃんも行ってたし。
私は視線をアサミから外して、外を見る。進路を断りもなく見るのも気まずい。校庭ではなにかしらの運動部が走っている。寒いのによく走れるなと思う。すごい。でも、別に運動部が走っているのを見たいわけではない。
「どこに行きたいの? って聞いてもいい?」
だから、断りを入れようと思う。
「いいよー」
「どこに行きたいの?」
「ナイショ」とアサミはニヤリと笑って言う。
「……屋上行ってくる」
私は椅子から立ち上がる。最近どうもすぐイライラして困る。
「あーまってまって!」
アサミは慌てて、机から身体を乗り出して、私のスカートの裾を掴む。このままではスカートがめくれてしまうので、私は椅子に座り直す。まだ教室には何人か残っている。だからスカートがめくれるのはちょっと恥ずかしい。
「どこに行きたいの?」
もう一度聞く。
「ナイ――」
食い気味に立ち上がる私。すかさずスカートの裾を掴むアサミ。
「まあまあまあ。座りなよ。ミキちゃん」
私はまた座り直す。
「嫌なら聞かないよ」
言ってから気付く。この言い方だと断りづらくなるだけではないだろうか。
「いやー。嫌っていうか、恥ずかしいというか?」
聞く側からしたらどちらでも大差ない。でも、聞かれたくないなら、なんで私の机で書くのか。
「そっか。じゃあいいよ」
「いやいや。イヤではないんだよ?」
つまるところ、聞いてくれってことだろう。聞いていいってことだろう。聞いたのは私なんだから、それはそれでいい。だけど、なんだろう。面倒くさい。
「で、どこに行きたいの?」
「いや、やっぱり、言うのは恥ずかしい……。だから、これ、読んで欲しいな……」
ラブレターを渡すみたいなノリで、進路希望の紙を渡すな。
私はため息をついてから、さっきまでアサミが私の机で書いていたプリントを受け取る。そこには、東京にある難関大学の名前が書いてあった。
「……どう、かな?」
なんでラブレターを渡すノリを継続しているのかはわからないけど、驚いた。そこは誰でも名前を知っている大学で、ここの高校から行く人はあまり聞かない。でも、アサミの成績なら行けるのかも知れない。ここに行こうなんて考えたこともなかったので実際はどうなのかはよく知らない。
「え、ここ?」
でも、驚いたのはその大学が難関だからではない。そこが東京の大学だったからだ。なんとなく、アサミとは卒業しても一緒にいるような気がしていた。よく考えればそんなわけは当然なくて、そんな気でいた自分に驚いた。
「うん……」
アサミは恥ずかしそうに目を伏せる。まだ続けるのか。
「すごいじゃん」
「えへへ。嬉しい」
えへへ。ってなに。なに。えへへって。
「で、どう……かな?」
どうってなにがどうなのだろう。アサミは難関有名大学を目指している。すごいじゃん。完。ではないのだろうか。
「一緒に……行かない?」
「は?」
「ここに、私と一緒に……」
アサミは上目遣いで私を見てくる。それを見た私の感想は、睫毛長いな。次にバカなの?
ただ、勉強に関して言えば、私のほうが圧倒的にバカである。それでも、初心な子が夏祭りに頑張って誘うみたいなノリで、一緒に難関大学受験しようと誘わないで欲しい。
「どうせ、進路なんてロクに考えてないでしょ? だから、お願い」
なんか、可愛い風に言っているけど、ただの悪口だ。でも、実際ロクに考えていないので、『いやいや、考えてるし』とも言えない。
大体、もう進路について真面目に考えているアサミのほうがおかしい。ここは私にとって希望の世界。中学生のときに希望して、頑張って勉強して、ここに来た。この世界に来て、まだ一年も経っていないのに、もう次の希望を求めるなんて、欲張りすぎる。
「まだ、一年生なんだから、ミキちゃんでもまだいけるよ。ギリいけるよ」
もう完全に悪口だろう。それは。それにギリいけると思ったときは、大体ギリいけない。一歩届かないパターン。お腹痛くなっちゃうやつ。
「……ダメ?」
またしても上目遣い。何度かまばたき。
それを見て、なぜか私の心は揺れてしまう。なんでダメときっぱり断れないのか。いくら心が揺れたところで、無理なものは無理だと思う。アサミだって私の成績は知っているはずだ。
アサミの上目遣いから逃げるように視線を外す。こればっかりは勢いで答えるわけにはいかない。
私が口ごもっていると、アサミは、「まあ、あれだよね」と言いながら、進路希望の紙を半分に折り、この話題はそろそろ終わりにしようといった感じで鞄へと仕舞う。
「こういう決め方は良くないよね。友達が行くから私もみたいな。たださ、ミキちゃんと一緒の大学行けたら素敵だなって思ったから。ごめんね」
アサミは少し寂しそうに笑った。
その顔を見て、わかった。なぜ、きっぱりと断れなかったのか。そう。私は嬉しかったんだ。アサミも私と一緒のことを思っていたことが。卒業後も一緒にいる気だったことが。だから、心が揺れたんだ。地元か東京かの違いはあっても見ている先は一緒だったんだと。
ひょっとしたら、それが希望の先の希望なのかも知れない。ただ、それは私には手が届かないかも知れない。アサミは手を伸ばしてくれているけれど、私にはその手を掴むのは少し難しい。
それでも、私はきっぱりと断ることが出来ずに――。
「あのさ……。まあ、なんというか、あれだよ。……考えとく」
そう言って、私は鞄を手に立ち上がり、アサミの顔を見ないように、早足で歩き出す。
これで良かったのかはわからない。考えたところで私の成績が上がるわけじゃない。でも、今、私は私の進路のことなんてどうでもよかった。
後ろから、「待ってよー」というアサミの声が聞こえてくる。その声には嬉しさが含まれていると思った。それは私の希望的観測かも知れない。でも、もし、今振り返って、そこにアサミの嬉しそうな笑顔があれば、私はそれでよかった。
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