ゆかり 3

 新城さんが赴任してきた。

 今のところ、職務上で私が彼と直接関わることはない。

 明美さんと彼のやり取りに聞き耳を立てて内容の理解に努め、今後のための情報収集をする。

 新城さんはやはり仕事ができる。

 明美さんの言葉足らずで早送りな説明を、しっかり理解している。

 一を聞いて十以上を知ることができるタイプらしい。

 私はノリとテンポのいいやり取りが好き。地元の仲間とのおしゃべりはいつもそんな感じだ。

 でも、大した中身がある訳じゃないから、その場限りの盛り上がりで終わっちゃう。

 新城さんとなら、中身のあるやり取りを、気持ちよくできそうな気がする。

 ますます攻略したくなってきた。


 新城さんと親しくなるチャンスを伺っていた時に、またしても堂島小枝子が邪魔してきた。

 彼のアシスタントに指名されたのだ。

 明美さんがやるなら、また納得できる。明美さん以外なら、次は私に声がかかるのが順当なはずのに、なんで堂島なの?

 なんであんなやつに先を越されるの。納得いかない。

 明美さんの様子を伺う。

 平静を装っているけれど、私と同じように、いや、私以上に面白くないと思ってるのが手に取るようにわかる。

 これはチャンスかも。明美さんと堂島の関係を引き離すための。

 新城さんの目もあるし、注意深く振る舞わなくては。焦らずに行こう。


 しばらく様子見するつもりだったのに、決定的なチャンスは意外に早く訪れた。

 単独で任された初仕事で、堂島がミスをしたのだ。発注単位間違い。

 でもあいつのミスと言うよりは、明美さんの説明不足のせいて起きたことだったと、私は思う。

 私が入った当時、この会社には『マニュアル』と言うものが存在していなかった。

 入社直後、仕事を教わり始めてすぐそのことに気付き、とても驚いた。

 明美さんは先代事務員から口頭で教わったから、自分も同じように口頭で教えることに何の疑問も持っていないようだった。

 それ程難しい内容ではないから、そのやり方でできないことはない。

 でも、いくら古い体質の会社とは言え、この時代にそれはないんじゃないのと、内心呆れてしまった。

 私は業務の流れや各顧客への対応を、自分なりにマニュアルにまとめることにした。

 一通り仕上げて、一応誰でも閲覧できるように保管してある。

 明美さんとしては、全て頭に入っているしそんなもの必要ないと思ってるから、まったく活用されていないんだけど。

 発注単位については、業務中にたまたま知ることができたから、マニュアルに載せてある。

 でも、堂島は明美さんからの説明した通りに処理を進めるよう指示されていたから、マニュアルには目を通していなかっただろう。

 そして、私の知る限りでは、発注単位について明美さんが堂島に説明していたことはなかった。

 それじゃ分からなくても仕方ないじゃん。

 自分の指導が悪かったのを棚に上げて、あんなに怒らなくてもいいのに。

 もしかして、明美さんは堂島に説明した気になってるのかな。

 自分の指導は完璧なのに、できない堂島が悪いと頭から決めつけているのかも。

 記憶を都合よく改変できる能力はハンパないから、ありそうな話だ。

 何でもかんでも自分だけが正しいと疑わないあの頭の構造は、ある意味羨ましい。

 明美さんはダメ井をかなり見下してるけど、その評価も、ちょっと理不尽だと思ってる。

 彼は確かに要領が悪い。でも、お客さんを第一に考えてる、いい営業だと思うんだけどな。

 だから、明美さんが気に入るだろうと『ダメ井』なんてあだ名をつけて呼んでることに、たまに罪悪感を感じる。でも、ダメ井にも悪いところがあるんだからしょうがないとも思う。

 まぁ、ものの見方は人それぞれ。

 人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない。

 見る人が違えば、同じものでもまったく違って見えるものだ。

 そのことを理解できていない明美さんは、わがままなガキだと思う。


 堂島にはちょっと同情するけど、このチャンスを逃したりはしない。

 ミスの翌日、手が空いた時間に明美さんと二人でミーティングルームに篭った。

 仕事の打ち合わせはほんの少しだけで、後は単なるおしゃべりタイム。

 早速水を向けてみる。

「堂島さんのミス、信じられないですよね」

 明美さんはすぐに乗ってきた。

「ホントそう! もう入って随分経つのに、あんなことも分かってなかったなんて驚いちゃった。

 前の子達よりは使えるかなと思ってたのに、やっぱりダメみたいね」

 身を乗り出すみたいにまくし立てる。

 あんたの教え方のせいですよと、心の中でツッコミを入れながら話を続ける。

「見た目からしてどんくさそうですもんね。

 堂島って言うより、ドン島? それともドジま?

 横幅も、小枝って言うより大枝って感じだし」

「やだぁ、そんなこと言ったらかわいそうよぉ」

 口ではそんな風に言いながら、明美さんは涙を流しながら大笑いしている。ひどい女だ。

 見た目や名前をネタに陰口を叩いている私の方が、もっとひどいやつだけど。

 でも、もともとは堂島が努力してないのが悪い。

 あんな隙だらけの見た目をよしとしてるなら、何を言われても仕方ないと思う。

 私は見た目も明美さんへの対応も、いつだって努力してる。

 私の方が優れているんだから、私が明美さんからの信頼を得るのは当然の結果。

 今回のミスと新城さんの仕事の件で、明美さんの堂島への評価は下落した。

 これであいつに居場所を盗られる心配はなくなった。

 さて、これからどうやって堂島を料理しようか。

 新城さんに気付かれないよう、密かに事を運ばなきゃ。


 ある日、書類の取りまとめをしている時に、二人が同じようなミスをしていることを発見した。

 よし。チャンス。

「ちょっと、堂島さん! この書類ちゃんと確認した?」

「え、すみません」

 おどおどと返事する堂島に、またイラっとする。

 少し乱暴な態度で書類を突き返してやった。

 明美さんにもミスを指摘したけど、こちらで対応してあげることにした。

「直しておきますね」

 言いながら堂島の方を伺うと、捨てられた子犬みたいな情けない顔をしていた。

 ……笑える。こうまで分かりやすい反応してくれると、かなり面白い。

 

 季節は夏。

 明美さんに声をかけた。

「新城さんの歓迎会、まだやってないですよね」

「そう言えばそうね。そろそろ声かけてみようか」

「メンツなんですけど……、堂島はどうします? 楽しく飲めないやつは誘いたくないんですけど」

 我ながら小学生みたいなこと言ってると思うけど、正直な気持ちでもあった。

 ノリの悪いやつは嫌いだ。

「やだ、ゆかりったら。仲間はずれするつもり?」

 そうは言いながらも、明美さんもかなり意地悪な表情になっている。

 堂島はずしが決まった。

 早速、明美さんが新城さんに声をかけた。

「新城さんの歓迎会、まだですよね。

 忙しくて早く上がれないからって、流れちゃってたでしょう? そろそろどうですか?」

 日程が今度の金曜に決まりかけた時、新城さんが言った。

「堂島さんはいかがですか?」

 うわー、困ったな……と思っていると、明美さんがすかさず言った。

「あ、堂島さんは飲み会とか好きじゃないみたいなんですよぉ」

 明美さんナイス! 平気な顔して嘘つけるなんて、さすが意地悪女王。

 堂島は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 なんて間抜けな顔なんだろう。仲間はずれにされたことに気づいてないのかな。

 鈍感なのも、度がすぎればもはや罪だと思うわ。

 バカな女。見てるとホントにイライラする……。


 ある日、また事件が起こった。

 どうやらダメ井から堂島のところへ納期前倒しの依頼が入ったらしい。

 堂島は慌ててメーカーさんに電話し、前倒しの調整を終えた様子だった。

 この対応に明美さんが黙っている訳がなかった。

「堂島さん、今の電話どういうこと?」

 小さな客のために、大手のメーカーに無理をさせるなんて非常識だというのが明美さんの主張だった。

 正直言って、私は堂島の対応が間違いだったとは思わない。

 私らの仕事は、商品を買ってくれるお客さんあってのこと。

 どんな小さな取引でも、お客さんの希望を優先して調整することの何が悪いんだろうと思う。

 今回の商品も、特殊な物ではなく汎用品だから、メーカー側の出荷調整が難しいとも思えないし。

 ……でも、この営業所では明美さんが法律だから。

 私も前に同じような対応をして、明美さんにこっぴどく叱られたことがある。

 それ以来、無理な納期調整はしなくなったし、やるとしても明美さんの目につかないよう、こっそりやるようにしてる。

 そんなこと、空気の読めない堂島には無理な話かもしれないけど。

「堂島さん、もしわからないことがあれば、事前に宮沢さんに相談したほうがいいですね」

 新城さんが堂島に言葉をかけていた。

 もっともなアドバイス。さすが新城さん、空気が読めてる。

 堂島は、また捨てられた子犬みたいな情けない顔になっていた。捨てられた上に雨に濡れてるくらいの、盛大な情けなさだった。

 ……捨て犬は嫌いなんだ。

 小学生の頃、雨に濡れた捨て犬を見つけ、放っておけなくて家に連れて帰ったことがある。

 しかし、その子を飼うことを母親が許してくれる訳もなく、泣く泣く元の場所に戻しに行った。

 次の日に見に行くといなくなっていたから、誰か他の人に拾ってもらえたのだろうとは思うけど。

 今でも、犬を見捨てた自分が許せない。飼うことを認めてくれなかった母親のことは、それ以上に許せない。

 あの時のことを思い出すと、怒りで胸が張り裂けそうになる。

 だから、捨て犬は嫌いだ。そして、それに似た堂島小枝子が大嫌いなんだ。


「この処理、どこが間違ってるのかわかる?」

 明美さんが堂島にダメだしをしている。ネチネチして嫌な言い方だ。

「普通に処理すれば、こんな間違いする訳ないと思うんだけど」

 聞いてていつも思う、『普通』って何よ。あんたの頭の中にある基準が、誰にでも通用する訳じゃないのに。

 具体的にどこをどう間違ってるって指摘したほうが、話が早いのに。

 この人、自分では頭がよくて論理的って思ってるみたいだけど、私にはちっともそう思えない。

 女丸出しで感情的。こんなやつにやりたい放題されて、堂島もかわいそうに。

 ちょっとだけそう思ったりするけれど、もともと堂島がどんくさいのが悪いんだから、しょうがない。

 明美さん、もっとやってやれ。

 つい心の中で明美さんを応援してしまう。我ながら腹黒い。


 この頃、新城さんや他の男性社員がいないところでは、公然と堂島の悪口を言うようになっていた。

「バカだとは思ってたけど、ここまでバカだとは」

 『あ、はい』という堂島の口癖をまねしてバカにしてみたり。

 小学生みたいな、そしてものすごく陰湿なやり方で、堂島のことを攻撃していた。

 私達が攻撃を放つ度に、堂島が身をすくめるのがわかる。

 小学生の頃の自分を見てるみたい。

 クラスメイトから心ない言葉をぶつけられる度に、体を縮こまらせていた。

 そうすることで心と体を守れるような気がしていた。

 小さく小さくなって、このまま消えてしまえればいいのにと、ずっと思ってた。

 あの頃の自分と今の堂島は、そっくりだ。

 そんな堂島を、私は何故攻撃しているのだろう? たまに心に疑問が浮かぶ。

 でも、そんなことは最早どうでもいいんだ。

 堂島のことを明美さんと二人で攻撃する。

 それこそが最大の目的になっていた。

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