ゆかり 2
今の職場に入ったのは五年前。
営業事務は初めてだったけど、営業の経験もあって、仕事を覚えるのにはそれ程苦労しなかった。
新人教育をしてくれたのは明美さん。
初日に一目見て、めんどくさい女だってわかった。
女を丸出しにしてて、いつも自分が女王様でいたいタイプ。
付き合い方には細心の注意が必要だったけど、この手の女は、相手を否定せずいつも持ち上げておけば大丈夫だと、これまでの経験から学んでいた。
ひとつ困ったのは、男性営業達のあしらい方だった。
入社初日から、久々に若い女の子が入ってきたと、男性達は色めき立ってた。でも私にとってはただ迷惑なだけだった。
男性営業に声を掛けられているのを明美さんに見つかろうものなら、凄い目で睨まれた。
もともと、会社では面倒な人間関係を築くつもりなんてさらさら無かったから、彼らのことは適当にあしらい、なるべく遠ざけるように努めた。
この会社で居心地をよくするには、明美さんさえ上手く扱えばいいだけだから、難しいことじゃない。めんどくさいけど単純な人だから。
後は彼女との付き合いでのストレスをなるべく溜めないようにすればいい。母親との付き合いの中でスルースキルは磨いてたから、何とかしのげた。
でも。あー、やっぱりめんどくさいわ。
自分が入社して数年の間に、何人か新人事務員が入ってきたけど、誰も長続きしなかった。
明美さんは、初めは優しく業務を教える。
でも新人が一度でも失敗しようものなら、それが重大なものでなかったとしてもネチネチと責め続ける。
そのせいで新人は萎縮して更に失敗すると言う悪循環。
そして何度か失敗が重なると、明美さんはその新人を使えないと認定し、その評価を変えることは決してなかった。
あれじゃ辞めても仕方ないと思う。私も同じように責められ、辞めようかと考えたことが何度もあった。
でも、会長時代から続く経営理念『社員は宝』。
今時珍しいこの方針のお陰で、中小企業ながら福利厚生や給料はかなりよかったから、辞めるのは勿体無いと、なんとか思い留まった。
実を言えば、もはや明美さんの趣味とも言える『新人イビリ』は、私と明美さんの関係を維持するのにかなり役立っていた。
いじめられた経験から、私は知っている。共通の敵を持つことで、人と人の結束が強くなることを。
新人のちょっとした不手際に明美さんがイライラし始めた気配を察知したら、
「あの新人、ちょっとヤバくないですか?」
さり気なく水を向けてみる。
「そーなの! あんなにちゃんと教えてるのに、何でちゃんとできないのかなぁ?
普通に考えてやれば間違えっこないよね?」
明美さんが怒涛のように愚痴り始めるので、そーですよねーと同調する。
でも、ホントのところは明美さんの教え方が下手なのも、新人がミスする原因になってると、私は思う。
確かに明美さんは頭がいい人だし仕事ができる。
だけど、教え方はかなり独り善がり。頭の回転が早すぎるから、説明が早送りで進んで行く。内容を知ってる本人にはわかっても、初めて聞く方は付いていけない。
なまじっかデキる人が陥りがちなパターンだ。
頭がよすぎるために、他の人が『どこがどのようにわからないのか』を、理解することができない。
私も最初は苦労した。エスパーじゃないんだから、あんたの頭の中がわかる訳ないじゃん! って何度も思った。
ミスした時は、ちょっとしたことでも
「ちゃんと確認してって、何度も言ったよね?」
ヒステリックに怒鳴られて、かなりムッとした。
あの頃辞めてしまわなかったのは、お金の為もあるけど、こんなヤツのために辞めてたまるかって意地があったのが、大きかったかも知れない。
明美さんのヒステリーにじっと耐えて、仕事でミスしないよう注意してスキルを磨いた。ご機嫌取りも頑張った。
我ながらよく食らい付いてたと思う。
私への信頼がほんの少し回復してきた頃に、『新人イビリ』で共闘するようになり、明美さんは私を『腹心の部下』扱いするようになった。
少し前まで、私のことを同じようにイビっていたことなんて、すっかり忘れてるみたいだった。
この人の頭の中は、呆れる程自分に都合よくできあがってる。
世界は自分の思う通りに動いて当たり前。
思う通りに動かないヤツはダメなヤツ。
何か問題が起こったら、全部周りのせい。例え自分に原因があったとしても、それは完全にスルー。
昔から甘やかされて、望む物は何でも与えられて、ワガママ放題に生きてきたんだろう。明美さんは、子どものまま体だけが大きくなったような人間だ。
望む物を手に入れる為に、必死で努力しなければならない人間がいるなんて、想像したこともないんだろう。
私は、子どもの頃の私に似た堂島小枝子が嫌いだ。
でもそれ以上に、何の苦労もせず思う通りに生きてきた宮沢明美が、大っ嫌いだ。
堂島小枝子は意外なことに割と仕事の飲み込みが早いようだった。
確認漏れのミスもないらしい。
あれだけ時間かけてやってれば当たり前だけど。
もっと効率よく進めればいいのに。
堂島の仕事振りを見ていると、毎日イラついて仕方がない。
堂島は明美さんと上手くやっている。
これも予想外のことだった。
どんくさいあいつは、きっと明美さんのことをイライラさせると思ってたのに。
明美さんのご機嫌を取るでもなく、ただヘラヘラしているだけなのに、なんで気に入られてんの?
私は明美さんのして欲しいように振る舞って、必死に努力して今の関係を手に入れたのに。
努力をしない奴は嫌いだ。生きてる価値がないとさえ思う。
堂島小枝子は何の努力もしていない。見た目に関しても、人との付き合いでも。
そんな奴に、私の居場所を奪われてたまるもんか。
堂島は私にも近付いて来ようとした。
ヘラヘラと愛想を売ってくるのがムカつく。
これ以上近付いて来ないよう、バリアを張って接することにした。
私の処理の手伝いを任せようとした時に、あいつがやり方を聞いてきた。
自分で調べもしないで最初から聞いてくるって、やる気あるのかよ。
「やり方はマニュアルに書いてあるから」
そっけなく返してやった。
堂島は驚いたように目を丸くした後、眉を下げ悲しそうな表情を浮かべた。
なにその顔。被害者面? 甘ったれてる自分が悪いんじゃん。
まったく、やることなすことホント気に入らない。
それからも、堂島とは必要最小限の関わりしか持たないように努めた。
反対に、明美さんとはなるべく近くにいるようにした。ご機嫌を取り、あいつが割り込んでこないように牽制する。
早くボロを出さないかな。ちょっとミスでもしてくれれば、一気にあいつのことを突き放してやれるのに。
でも今はおとなしく、機会を伺うことにしよう。
堂島の歓迎会では、主役であるはずのあいつのことは放っておいて、本部長への接待に専念した。
職場での付き合いでは、この会社で居心地をよくするためのことしかしない。
やりたくもないことをする時に、無駄なことまでしたくないもん。
今回の歓迎会で一番のトピックスは、本社の新城さんがこの営業所に配属されると言う発表があったことだ。
何度か会ったことがあるけど、イケメンだし仕事もできるし、遼太とは正反対のハイスペック。仲良くなっておいて損はない人だ。
会社で面倒くさい人間関係は築きたくないけど、彼だけは別。今後のためにも絶対攻略しておきたい。
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