ゆかり 1

 朝。

 始業より少し早めにロッカールームに来て、身だしなみを整えるのが私の日課。

 髪を携帯アイロンで伸ばし直して、鏡を覗き込む。

 髪よし、メイクよし、ネイルよし、スーツに着崩れなし。

 お気に入りの香りも身に纏ってる。

 これが私の戦闘モードだ。


 コンコン、という軽いノックの後に、ロッカールームのドアが開いた。

 明美さんの出勤時間にはまだ早い。不審に思いドアの方を見ると、見たことのない女が立っていた。

 ……なんだろうこの子。

「おっ、おはようございます」

 女の口から発せられた第一声は、ぎこちなくておどおどしていた。

 ああ、そう言えば今日から新人が入るって、明美さん言ってたっけ。

 改めてその女を上から下まで眺めてみる。

 印象を一言で言うと『野暮ったい』。

 メイクはろくにしてない。古臭いデザインの眼鏡と太いヒールの靴。癖毛を無造作な一つ縛りにしている。太った体を隠そうともせず、窮屈そうなスーツに押し込めていている。

 なんだろう、この子。一目でどんくさいと分かるような格好してて、恥ずかしくないんだろうか。


 ……この子は、子どもだった頃の私に似ている。一瞬でそう思った。

 消し去りたい過去を見せ付けられたようで、 ヒリヒリする程の嫌悪感が湧き上がってきた。


*****


 私は、ずっと自分のことが嫌いだった。


 幼い頃から、背が低くて太ってて、眼鏡をかけてた。

 両親は二人共公務員で、残業続きの毎日。

 母親はもともと料理が得意ではなかったから、夕御飯の食卓にはスーパーのお惣菜ばかりが並んでた。

 育ち盛りの子どもは食べるのが仕事、と言うのが母親の信念。食べ物を残すことは許されなかった。

 栄養バランスなど考えられていないものを大量に食べ続けてたら、太っていく一方に決まってる。

 母親が見立ててくれた服と眼鏡は、値段は高いけど流行りとは程遠くて、可愛い服を着ている同級生が羨ましくてたまらなかった。

 小学校高学年の頃には、コンタクトレンズにしたくてしょうがなかったけど、頭の固い母親が許してくれる訳もなかった。

 チビデブで冴えない風貌の私は、クラスの子達からいじめられていた。

 子どもは残酷だ。相手の弱点を一目で見抜いて、的確に攻撃してくる。

 外見のことをからかわれる度に、悲しみと共にこんな私になったのは全部母親のせいだと、憎しみが膨らんでいった。

 大人になった今ならわかる。母に可愛がられていなかった訳ではない。ただ、愛情の形が私の求めていたものと違っただけだと。

 母親は束縛と過保護を愛情だと思い込んでいる人なんだと。


 小学生まではそんな母親の支配に甘んじてたけど、正直、重くて窮屈で仕方なかった。

 年を重ねるごとに、憎しみの気持ちに押し潰されそうになっていった。

 中学生になり、自由に楽しそうに過ごしてる周りの子達と自分の違いが歴然としてくると、もう耐えられなくなった。

 羨ましくて妬ましくて、私も自由になりたいと思った。

 そこからはお定まりの展開。私はグレた。

 髪を染め、ダイエットして、年を偽ってバイトして、コンタクトレンズを調達し服を買い漁った。

 そして一人暮らしをしてる年上の友達の家を泊まり歩くことが多くなった。

 たまに家に帰った時に母親から口煩く小言を言われるのがウザくてたまらなくて、私はますます家に寄り付かなくなった。

 今思うと酷い荒れようだったけど、当時できた仲間とは今でも付き合いが続いてるし、彼氏の金田遼太と出会ったのもその頃だった。

 生まれて始めて、ありのままの自分を受け入れてくれたのが、仲間と彼氏だった。

 ヤンキーのまま大人になった現在の遼太は、ギャンブル好きで借金持ち、職を転々としているロクでもない男だ。でも私のことをよくわかってくれてるし、いつも優しい。

 長い付き合いだから、今更他の男と付き合うのも面倒だし、きっとこのまま結婚するんだろうな。

 彼の仕事が落ち着かなきゃ無理な話だし、そんな話はお互い持ち出さないから、私が勝手に思ってるだけなんだけど。


 中学を出た後は、地元の高校に進学した。

 とりあえず高校だけは出ておけと言う仲間からの助言に従ったのだが、今にして思えば正しい選択だったと思う。

 高校に入ってからは少し落ち着いて、毎日家に帰るようになった。

 母親とも適度な距離を持って、表面上は穏やかに過ごせるようになってた。

 母親は以前と同じように干渉してこようとしたけど、逆らっていないような顔をしながら、決して従わなかった。

 いじめられた経験と、グレてた時の先輩達との上下関係から、人の顔色を読んで相手の思う通りに振る舞う方法を学んできたから、その程度のことは朝飯前だった。


 高卒で就職してからは、いくつかの仕事を経験した。

 中でも営業は自分に向いていると職業だと思えた。

 相手の望むものを見抜いて提供するのは得意だったし、見た目も磨いてるから、男性客の受けは上々だった。

 いくらか貯金ができてから、家を出て一人暮らしを始めた。

 離れて暮らすことで、母親との関係は更に快適になった。

 今では『子ども想いの母親』と一緒に『仲良し親子』をやっている。

 でも、未だに夢を見る。

 母親に支配され、何もかも我慢させられていた時のことを。その為にいじめられていた時のことを。

 そんな夢から目覚めると、当時の気持ちが蘇って、猛烈な怒りが込み上げてくる。

 私は母親のことを本当に許せているんだろうか。

 自分でも、よくわからない。

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