明美 2
三月の末に、また事務員を補充すると、本部長から連絡が入った。
どんな子がくるんだろう、また使えない子なのかなぁ……。半ばうんざりしながら、配属当日の朝を迎えた。
「おはようございまぁす!」
朝の挨拶はしっかりしなさいというのが、小さい頃のからのパパの教え。
明るく声をかけながら、ロッカールームのドアを開けた。
そこにいたのはゆかりと見知らぬ女の子だった。
この子が新しく入った子ね。確かゆかりと同い年って聞いてたけど、ゆかりとは対照的に地味すぎる見た目。
服も髪型も野暮ったいし、お化粧もろくにしてないみたい。
一目でつまらなそうな子だってわかる。なんだかボーッとしてて、いかにもどんくさくて使えそうもない感じ。
今までは若くて見た目もちゃんとしてる子達が配属されてきたのに、どうしたんだろう。
事務員の採用は本社裁量。全て本部長にお任せしてるけど、次の子の採用面接には私も同席させてもらおうかな。
一瞬のうちにいろんなことが頭をよぎったけど、それを表に出すほど私はバカじゃない。
目一杯優しい笑顔で初対面の彼女に言葉をかけた。
「あなたが堂島さん? 私、宮沢明美です。今日からよろしくね!」
彼女はハッとした顔になり、慌てた様子で名乗った。
「おはようございます! 堂島小枝子と申します!
今日からよろしくお願いいたします!」
言い終わると同時に、バネ仕掛けの人形みたいに勢いよくお辞儀した。
その様子に呆気にとられて、思わずゆかりと顔を見合わせる。
多分二人とも同じことを思ってたはず。なにこいつ、変な子。
思わず笑ってしまったけど、とりあえずゆかりを紹介して女子同士の顔合わせを終わらせた。
本部長も交えての朝礼で営業男子達への紹介も済んで、早速業務の説明に入る。
事務は初めてだと言う彼女に、簡単な手伝い程度の処理を教えてみた。
どんくさい見た目とは裏腹に、堂島小枝子は物覚えがよかった。
私の横に張り付いてメモを取りながら説明を聞き、わからないところは質問してから進めるし、作業後の確認もきちんとして、間違いなく処理できてる。
真面目くさった顔はお世辞にも可愛いとは言えないけど、素直に慕ってくるのは可愛いと思えなくもないかな。
ゆかりみたいに男子達にちやほやされるようなこともなくて、目障りにならないし。
慎重すぎて仕事のスピードが遅いのは気に入らないけど、使えるかどうかをもうちょっと見極めてみてもいいかも知れない。
一月くらい経って、今までいた子達よりは使えそうって思えた頃に、堂島さんの歓迎会を開いてあげることにした。
普段、会社のメンツと遊びに行く時には、気に入った男子達しか呼ばない。
でも今回は本部長にも来てもらう予定だし、とりあえず営業所の全員に声をかけた。
歓迎会とは名ばかりで、特に堂島さんを主役に何をするってこともなく、ほとんどいつもの飲み会みたいになってた。
私とゆかりは本部長や男子達にお酌したり料理を取り分けたりしてるのに、堂島さんはお酌して回ることもなく、ただ座ってるだけ。
鍋島さんが話しかけなければ、誰とも話さないで終わっちゃってたんじゃないかしら。
まったく、気が利かない子だわ。こう言う場で女子としてどう振る舞うべきかをわかってない。
常識ないなと思うけど、私とは女子としての格が違うのは分かりきってるし、しょうがないのかしら。
歓迎会の締めの挨拶で、本部長からちょっとびっくりする発表があった。
本社の新城さんがうちの営業所に配属されるって。
新城さんは社の次期エース。見た目もいいし、直哉と同じくらい素敵な人なのよね。
一緒に働けるなんて、楽しみだわ。
新城さんが赴任してきて一緒に仕事をするようになってすぐに、彼が噂以上に仕事のできる人だってことがわかった。
仕事の話を私と対等にできる人なんて今まで身近にいなかったから、すごく新鮮だった。
パパと直哉の他に一目おける男性が現れるなんて、思ってなかったな。
彼とはいい関係で仕事して行けるだろうと思ってたから、彼が自分の仕事のアシスタントに堂島小枝子を指名した時には本当に驚いた。
「え? なんで堂島さんに? 私がやりますよ?」
慌てて遮ったけれど、私が忙しいことを気遣ってのことだと言われると、それ以上反論できなかった。
「新城さんがそう言うなら、堂島さんやってみたら?」
納得行かない気持ちを圧し殺して、そう言うしかなかった。
堂島小枝子は新城さんの仕事をミスなくこなせたらしい。
「OK。完璧ですね。堂島さん、ありがとうございました」
新城さんが彼女を誉めるだなんて、なんだか悔しい。
席に戻ろうとしている彼女と目が合った。困っているようにも見える、ヘラヘラした笑顔。
緩み切ったその表情を見て、無性にイラっとした。
新城さんに誉められたことがそんなに嬉しいのかしら。
「堂島さん、よかったね。お疲れ様」
イラつきを抑えながら声をかけた。後輩を労る優しい先輩としての姿勢をなんとか崩さずに。
ある日、またイラつくことが起こった。
営業の亀井が要らない仕事を取ってきたの。
亀井は仕事ができないダメ社員。いくら言ってもマイペースなやり方を変えないから、アシスタントするこっちとしてはいい迷惑。
ゆかりが『ダメ井』ってあだ名をつけた時には、余りに的確すぎて大笑いしてしまった。
とりあえずゆかりにもこの件を伝える。
「ねぇゆかり、ダメ井がまたつまンない仕事取ってきたよ。小口の新規客」
「え! またですか? 小さい仕事は取らなくていいって、本部長から何度も言われてるのに」
ゆかりは私の思ってることをいつも的確に代弁してくれるから、気持ちいい。
それにしても、面倒くさいなぁ……。こんなチンケなことに手を煩わせたくない。
この案件のアシスタントはゆかりにやらせようと思ったその時、堂島小枝子が目に入った。
受発注の処理を一から一人でやらせたことはないけど、基本の流れは一通り教えてあるし、小さい仕事だから任せるには丁度いいかも。
これから堂島をダメ井担当にできれば、私とゆかりの面倒な仕事が減らせるし。
「堂島さん、この注文の手配お願いしてもいいかな?
今までも発注したことある商品だから、やり方はわかるよね?」
やります! と言う彼女の返答を聞きながら、自分の思い付きに満足してた。
堂島とダメ井って、何となく似てる気がする。
いつも困ったような顔してヘラヘラしてるところや、要領悪そうで何となく人をイラつかせるところが。
似た者同士、いい組み合わせなんじゃないかな? そう思ってたのに、結果は大失敗だった。
発注ミス。基本中の基本のとこで躓くなんて、信じられない。
発注はロット単位でするものだって、常識で考えれば分かると思うんだけどな。
覚えがいいかと思ってたのに、まだ仕事を任せるのは早かったかしら。
やっぱりダメ井と同じで要領悪いわね。ちょっと期待してあげてたのに。がっかりだわ。
翌日、ゆかりから打ち合わせしようと言われ、ミーティングルームに入った。
仕事の手が空くと、二人でこうして『打ち合わせ』をする。
仕事の話だけでなく、いろいろ話すのがいい息抜きになるのよね。
形ばかり仕事の話をした後、ゆかりが言い出した。
「堂島さんのミス、信じられないですよね」
ホントそう! さすがゆかり、やっぱり私の気持ちをよく分かってる。
「見た目からしてどんくさそうですもんね。
堂島って言うより、ドン島? それともドジま?
横幅も、小枝って言うより大枝って感じだし」
「やだぁ、そんなこと言ったらかわいそうよぉ」
表向きは諌めたものの、絶妙なネーミングがツボにハマって、思わず大笑いしてしまった。
ゆかりは反応もセンスもよくて、付き合っててホント楽しい。
その辺は堂島、ううん、ドン島とは大違い。
私のそばにいるなら、もうちょっとレベルが高くないとダメだわ。
最低でもゆかりくらいのレベルじゃないと。
ある日、ゆかりが堂島を叱りつけていた。
「ちょっと、堂島さん! この書類ちゃんと確認した?」
鋭い言葉と共に書類を突き返している。
あらあら、ゆかりったら。相変わらずキツいわね。
堂島がおどおどしちゃって、みっともない顔になってるじゃない。
私も同じようにミスしてたみたいだけど、ゆかりは「直しておきますね」と手のひらを返したようにニコニコしている。変わり身の早さがすごいわ。
堂島はますますみっともない顔になってる。でも、ミスするやつが悪いんだから、せいぜい落ち込めばいいのよ。
夏になった。
ゆかりが新城さんの歓迎会をやろうと言いだした。
「メンツなんですけど……、堂島はどうします?」
あの子には来て欲しくないなぁ……。私の気持ちを代弁するかのようにゆかりが言った。
「楽しく飲めないやつは誘いたくないんですけど」
さすがゆかり。私と同じ意見なのね。
せっかくの歓迎会だもの、出席者は厳選しないとね。
「やだ、ゆかりったら、仲間はずれにするつもり?」
一応咎めたけれど、そんなのはポーズだけ。堂島を呼ばないのは、もう二人の中では決定事項。
その日の午後、新城さんに声をかけた。
「新城さんの歓迎会、まだですよね」
そう、今まで何度か誘ってみたけれど、いつも忙しくて都合がつかないって言われて、流れていたのよね。
今度の金曜で決まりそうになった時、新城さんが堂島にも声をかけた。
「堂島さんはいかがですか」
やだ。堂島なんて呼びたくないのに。
「あ、堂島さんは飲み会とか好きじゃないみたいなんですよぉ」
とっさにそんな言葉が口をついて出た。
「残念だけどそれなら仕方ないですね」
新城さんは早々に納得してくれた。
嘘も方便って言うし、これで一安心。楽しい歓迎会ができそうだわ。
自分の機転で、上手く事が運んだことに満足して、ついニコニコしてしまう。
堂島を見ると、びっくりしつつも、こちらを責めるような表情をしていた。
しょうがないじゃない。私が楽しく過ごすのを、あなたに邪魔してほしくないんだもん。
ある日、またダメ井・堂島コンビがやらかした。
ダメ井から堂島に納期調整の依頼があったらしい。
慌てた様子でメーカーに電話をかけている堂島。
この程度のことで必死になってるなんて、能力なさすぎ。バカじゃないの。
とりあえず、一通りやり取りが終わるまで黙って見ていることにした。
「無理を言って申し訳ございませんでした」
バカ丁寧な口調でお礼を言い、受話器を持ちながらお辞儀までしてる。
どこまでいい子ぶれば気が済むんだろう? 堂島が発する一言ひとことに苛立ちが募る。
電話を終えるのを待ち、堂島を詰問した。
「堂島さん、今の電話どういうこと?」
やり取りを聞いていて事情はわかっていたけれど、敢えて聞いてやった。
おどおどしながら、ごちゃごちゃと言い訳しているのを聞き流し、叱りつけた。
「メーカーさんの事情も考えないと。大手なんだから、もうスケジュールが組まれてるだろうし、こちらの事情でご迷惑お掛けしたらダメでしょ?」
つまらない小口の客のために、大手メーカーを振り回すなんて、ありえない。
常識で考えれば、それくらいわかるはずなのに、何でわからないのかな?
ダメ井も堂島も、ホントに使えない。
「堂島さん、もしわからないことがあれば、事前に宮沢さんに相談したほうがいいですね」
ほら、新城さんだって私の味方だわ。
落ち込んだ様子の堂島を見て、とても気分が良かった。
その後も、堂島はつまらないミスを重ねていった。
そのたびにイライラさせられるこちらの身にもなってほしいわ。
「どこが間違ってるのかわかる?」
そう聞いてみても、ボーっと突っ立って、もそもそ返事をするだけ。
ああ、反応が鈍すぎてイライラする。
何で新城さんはこんな子にアシスタントを任せたんだろう。
暇そうだったからって、ここまで使えないやつに任せたのは失敗だったわよね。
堂島みたいな子が新城さんの仕事を手伝ったり近づいたりしてたことが、最初から間違いだったんだわ。
仕事中、新城さんが席をはずしている時には、堂島本人の目の前で悪口を言ってやることにした。
「バカだとは思ってたけど、ここまでバカだとは……」
「天然ぶってるやつに限って腹黒いんだよね」
直接顔を見て言うわけじゃない。堂島のことと限定もしていない。でも、特定の人物についてであることは明らかな言葉。
鈍感な堂島でも、自分のことだとわかってはいるようで、私が口を開くたびに身を硬くするのがわかる。
でも、それだけ。何の反応も示さない。聞こえないふりしてるみたい。
何なのよ。不満ばあれば言い返せばいいのに。無表情で何の反応もしないなんて。
何考えてるのか、ちっともわからない。
ほんとに気持ち悪い子だわ。
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