小枝子 6
ある日、志田さんから鋭い声が飛んできた。
「ちょっと、堂島さん! この書類ちゃんと確認した?」
「え、すみません。私何か間違えましたか?」
「間違えてるから言ってるんだけど。今すぐやり直して」
強い叱責と共に書類を突き返される。
頭ごなしにそんなキツい言い方しなくても……。
へこみながら修正していると、志田さんが宮沢さんに声をかけた。
「明美さん、ここ間違ってません?」
「あ、ごめーん! 直しといてくれる?」
甘えた声で答える宮沢さんに、志田さんもにっこり微笑む。
「了解です! 直しておきますね」
……私の時とは大違い。同じように間違ったのに。
志田さんが私のことを嫌いなのはしょうがないかもしれないけれど、あまりの対応の差に悲しくなってしまう。
新城さんが赴任して三ヶ月、季節は夏になっていた。
昼休みが終わり午後の仕事に取り掛かろうとした時に、宮沢さんが言い出した。
「新城さんの歓迎会、まだですよね。
忙しくて早く帰れないからって、流れちゃってたでしょう? そろそろどうですか?」
「ありがとうございます。そうですね、そろそろ落ち着いてきたので、みなさんのご都合を教えてもらえれば、合わせますよ」
新城さんが答えると、
「私とゆかりは今度の金曜日が都合いいんですけど、新城さんは?」
「ああ、その日なら問題ありません。
堂島さんはいかがですか?」
いきなり水を向けられてどぎまぎしつつ、もちろん私も大丈夫です! と答えようとした時、宮沢さんが口を開いた。
「あ、堂島さんは飲み会とか好きじゃないみたいなんですよぉ。
誘ってもいつも断られちゃって……」
思わぬ言葉に、頭が混乱する。
え? え? ちょっと待って、飲み会嫌いなんて、一言も言ったことないよ?
そもそも、私の歓迎会以来、飲みに誘ってもらったことは一度もないのに。
宮沢さんの意外すぎる発言に反応できずにいると
「そうなんですか、残念だけどそれなら仕方ないですね」
新城さんに言われてしまい、今更否定もできなくなってしまった。
「じゃ、営業の子達にも、適当に声かけときますね! 楽しみにしてます」
そんなやり取りを聞きながら、歓迎会の時に、いつの間にか飲み会嫌いって思わせてたかな……と、自分の態度を思い返してみたりした。でも、思い当たる節はなかった。
いつものように明るく甘い微笑みを浮かべ、楽しそうにしている宮沢さん。
彼女のあまりの屈託なさに、これがいわゆる『仲間外れ』と言うやつなのではと気づくのにしばらく時間がかかった。
あのやさしい宮沢さんが? なんでいきなり? いやいや、信じられない。
宮沢さんを疑うよりも、自分を疑う方がまだ簡単。
気のせいかも……、うん、そうだ気のせいだ。
自分が納得できる着地点を見つけ、安堵する。
信頼していた人の思わぬ言動に、チクリと心に刺さった小さなトゲからは目を逸らして。
ある日、外回りをしている亀井さんから電話が入った。
「あ、堂島さん? 俺、亀井ですけど。
以前から担当してくれてる山田商店さんから、納期前倒しの依頼が入ったんだ。
詳細はメールするから、メーカーさんに対応お願いできるかどうか、確認してもらえないかな。
無理言って申し訳ないけど、お願いします。すみません」
山田商店さんは、私一人の初仕事で大失敗をしてしまったお客さんだった。
今回は失敗しないように気を付けないと……。
少ししてメールが届いた。次の納期を半月ほど前倒しして、今週末に納品して欲しいとの依頼だった。
慌ててメーカーさんに確認の電話を入れる。
「あ、もしもし、私松村商事の堂島と申します。いつもお世話になっております」
担当の方に変わってもらい、事情を説明する。
前倒しての納入はOKとの回答を得て、ホッとする。
「無理を言って申し訳ございませんでした。
ご対応いただきありがとうございます。よろしくお願いいたします」
久しぶりに自分で考えて、迅速に対応できたと思う。
そのことにホッとしていたのもつかの間、宮沢さんから声が飛んできた。
「堂島さん、今の電話どういうこと?」
「あ、山田商店さんから納期前倒しの依頼が入ったので、メーカーさんに対応のお願いを」
私が言い終えるのを待たず、被せるようにキツい言葉が投げつけられる。。
「メーカーさんの事情も考えないと。大手なんだから、もうスケジュールが組まれてるだろうし、こちらの事情でご迷惑お掛けしたらダメでしょ?
特に山田商店なんて小口のお客なんだから、そんなのに振り回されちゃダメ。
お客の言うことをいちいち聞いてればいいってものじゃないのよ」
……そんな。今回の対応も間違ってた?
お客さんの要望を聞いて、メーカーさんと納期調整を行ってはいけないの?
どうしたら正しいやり方で間違いなく仕事ができるんだろう。
私には正解がわからない。途方にくれてしまう。
「堂島さん、もしわからないことがあれば、事前に宮沢さんに相談したほうがいいですね」
やり取りを聞いていた新城さんにも、そんな風に言われてしまった。
報連相もできないダメなやつと言う決定的な烙印を押された気がして、心底自信がなくなった。
昼休み。新城さんは外へ食べに行き、女性陣三人は持参した昼食を社内で食べることが多かった。
以前は三人とも座席で食べていたのに、最近、宮沢さん達はミーティングスペースに篭もって食べるようになった。
何やらクスクス、ヒソヒソと話しているのが聞こえてくる。
私のことを話している訳では無いとは思うんだけど、二人の話し声を聞いていると、不安が押し寄せる。
また何か失敗をしてしまったのだろうか……?
息が詰まりそうな雰囲気から解放されたくて、近くにある小さな公園で昼食を摂ることにした。
コンビニでサンドイッチを買って、ベンチに腰掛けた。
封を切り、口に運んでもそもそと食べる。
宮沢さん達の態度が変化し始めて、しばらくは頭が混乱するばかりだった。
ぐるぐると同じ疑問が頭の中を巡る。
なんで? いつから? どうしてこうなったんだろう?
宮沢さん、最初は優しかったのに。志田さんはもともと私のことをよく思っていなさそうだったけど……。
どうして?
いくら考えても、答は出なかった。
いつしか、何かしらヘマをして叱責されるのが当たり前になっていた。
やることなすこと、小さなことまで注意される。
「この処理、どこが間違ってるのかわかる?
普通に処理すれば、こんな間違いする訳ないと思うんだけど」
宮沢さんにそう言われても、とっさにどの処理の何が間違っていたのかわからない。
なにも答えられずに棒立ちになってしまう。
「あ、はい……、すぐに確認します」
そう答えるのが精一杯だった。
「最初からきちんと確認しなさいよ」
ボソッと低い声で呟く声が、胸に刺さる。
お昼を外で食べるようになってしばらく経つ。
最近、食べることが辛くなってきた。
口に押し込んで咀嚼するけれど、味が感じられない。飲み下すのが苦痛だった。
混乱は続きながらも、少し落ち着いてきて、宮沢さん達の態度は理不尽だと思えることもあった。
でも、そんなことは彼女達には言えない。面と向かって抗議する勇気なんて持てない。
私がもっと頑張れば、何とか状況を挽回できるかな……。
お昼を食べ終え、重い足を引きずるようにして会社に戻るのが日常になっていた。
事務室に女性三人だけで仕事をしていると、自然と彼女達が交わす言葉が耳に入ってくる。
「なんかさー、バカだとは思ってたけど、ここまでバカだとは思わなかったよね」
「『あ、はい、あ、はい』ってバカの一つ覚えみたいに言ってるし」
「天然ぶってるやつに限って腹黒いんだよね」
思わず体が堅くなる。もしかして、それって私のこと……?
でも、目の前に相手がいるのに、そんなこと言うかな。でも、私のこととしか考えられない……。
次第に、彼女達のちょっとした独り言にすら反応してしまうようになった。
「なにこれ。あ、そういうことか」
私のことを言っているのではないと思う。でも、また何か失敗してしまったのかと、怯えてしまう。
常に彼女達の攻撃を受け続けている気がして、仕事に集中できなくなっているのを感じる。
毎日終業時間になるまでが長くて辛い。
このところ、どうしても食欲が出なくて、昼は飲み物だけで済ますようになってしまった。
昼休みは一時間。会社に戻る時間を遅らせるために、ゆっくりと飲む。
その間にも、二人のひそひそ話や、自分に向けられた叱責の言葉が耳に蘇ってくる。
ひと時の居場所を変えたところで、結局は彼女達の影に囚われ続けていた。
昼休みだけでなく、家に帰ってからもそれは同じ。
どこへ行っても、何をしていても、逃れられない。
この会社に入って、普通に頑張ってやってきたつもりだった。でも、きっと何か足りなかったんだ。
全部、私が悪いんだ。
私があまりに仕事ができないダメなやつだから、仕方ないんだ……。
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