小枝子 5
ある日の仕事中。
新城さんは席を外していて、事務室には三人しかいなかった。
ふと見ると、宮沢さんが眉をひそめている。
「ねぇゆかり、ダメ井がまたつまンない仕事取ってきたよ。小口の新規客」
「え! またですか? 小さい仕事は取らなくていいって、本部長から何度も言われてるのに」
二人のやり取りを聞いて、『ダメ井』が誰のことかわかった。
営業の亀井さん。確か三十五歳。
いかにも人の好さそうなハの字型の眉が印象的な人だ。
まだあまり深くは知らない。それでも、人が好すぎて要領が良くないところはあるけれど、真面目で誠実な人柄だという印象を持っていた。
ダメ井なんてあだ名、付けられてるなんて……。悪い人じゃないのに……。
ふと宮沢さんがこちらを見る。
「堂島さん、この注文の手配お願いしてもいいかな?
今までも発注したことある商品だから、やり方はわかるよね?」
これまで宮沢さんのお手伝いばかりだったけど、初めて一人前の仕事を任された!
その喜びに胸が高鳴る。
「はい! やります!」
「わからないところは聞いてくれていいからね」
宮沢さんの優しい言葉も嬉しかった。
「はい! よろしくお願いします!」
お客様からの注文書を確認する。商品名、注文数量、納期。
発注先のメーカーさんは、定期的に大口でお願いしているところ。発注やメールのやり取りを何度かしたことがある。
手順を再確認してから発注書を作り、メーカーさんに流した。
書類をまとめて宮沢さんのところに持って行き、チェックをお願いする。
「ちょっと! 堂島さん、何この注文数」
宮沢さんから厳しい声が飛んできたのは初めてのことだった。
「え、お客様からの注文数を見て発注かけたんですが……」
「このメーカーさんにはいつもロットで発注してるよね? ロットは千二百。
いくらお客さんが二百個欲しいって言ったからって、バラで買うのは単価が上がって無駄だって、常識で考えればわかるんじゃない?
一ロット頼んで在庫として持ってもらって、必要な時にバラで出荷してもらうのよ」
……知らなかった。いつも言われた通り処理をしていただけだったから……。
大口の得意先から毎月定期的に数ロット分の受注がある商品だから、発注はロット単位でするってルールがあるなんて、気付きもしなかった。
「発注書を流す前に、私に見せて欲しかったなぁ。
そうしたらメーカーさんに迷惑かけずに済んだのに」
……そうだよね、確認すればよかった。
慣れた処理だし、ここ最近は事後にチェックしてもらう段取りになっていたけど、今回は特別だったのに。
報連相を怠るなんて、社会人失格だぁ……。
落ち込みながら、すぐに発注書を訂正して流し直す。メーカーの担当者さんにもお詫びのメールを入れた。
「誰でも初めての経験や失敗はあるから。これからは気を付けてね」
優しくフォローしてくれながらも、少し悲しそうに眉尻を下げている宮沢さんの言葉に、心底自分がダメ人間に思えた。
宮沢さんとのやり取りの途中で、新城さんは席に戻っていた。
話を聞いていて、ダメな奴って思われだろうか……。
次の日。まだ失敗した落ち込みが尾を引いていた。
新城さんは外出中。事務仕事は一段落していて、宮沢さんと志田さんはミーティングルームで打ち合わせをしていた。
書類をファイリングしていたら、珍しく営業さんが事務所に戻ってきた。
亀井さんだ。
彼が席に着くのを待って、お茶を出した。
営業さん達が帰社した時には、いつもお茶を出すようにしている。
営業所に帰って来た時くらい、一息ついて寛いで欲しいから。
一日中外で頑張っている営業さん達を労うために、自分ができることはこれくらいしか思いつかない。
「お疲れ様です」
「すみません、ありがとう」
お茶を一口飲んだ後、ハの字の眉をさらに下げ、申し訳なさそうにお礼を言われた。
「珍しいですね、こんな時間に事務所に戻ってくるなんて」
「ちょっと必要な書類を取りに来たんです。またすぐ客先に行かなくちゃ」
「そうなんですね、お疲れ様です」
そんなやり取りをしていたら、亀井さんが少し真面目な顔になった。
「僕の新規のお客さん、堂島さんが担当してくれるんですよね、すみません」
昨日のお客様のことだろう。
失敗の件が蘇り、つい顔が硬くなってしまったけれど、気を取り直して答えた。
「え、すみませんなんてそんな。頑張ってフォローしますね」
「あのお客さんね、大口のお客さんからの紹介で、断れなかったんですよ。
今は小さな取引だけど、きっと今後に繋がると思うから」
こちらから聞いていないのに、そんな説明までしてくれる。
「だから、いろいろ大変なこともあるかもしれないけど、よろしくお願いしますね」
……大変なことって、もしかして昨日みたいなことだろうか。宮沢さんの叱責する声が脳裏に蘇る。
物思いに沈んでいたら、亀井さんが話を変えてきた。
「新城君と僕、実は同期なんですよ。
新卒で入社して、一緒に鍋島さんから教育受けて、社会人としての心得や営業のイロハを叩き込まれたんだ。
新城君は出世頭なのに僕はこんなだから、そんな風に見えないかもしれないけど 」
「いえいえ、そんなこと……。
お二人、同期なんですね! 初めて知りました」
「新城君は頼れるいい奴だから、何かあったら相談するといいよ」
亀井さん、優しいなぁ。失敗の後だから、心遣いが尚更心に染みた。
この時の亀井さんの言葉が、深い意味を持っていることに、私はまだ気付いていなかったのだけど。
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