小枝子 3
勤め始めてしばらくの間は、覚えることがたくさんありすぎて、毎日が目まぐるしくすぎていった。
女性事務員の仕事は、客先から来た注文を元にメーカーへ品物を発注し、納期までに客先へ納品されるよう手配する、というシンプルなもの。
しかし、客先と一言で言っても、小さな商店から大型量販店まで規模は様々。
急な注文や納期変更が発生したり、そこへ営業担当が契約を取ってきた新規客先も割り込んだりするから、臨機応変な対応が求められる。
先輩二人は苦もなくこなしているけれど、これまでとは全く畑違いな上、のんびり屋の自分にとっては、結構ハードルが高い業務だった。
最初に与えられたのは、宮沢さんのアシスタントのような仕事だった。
宮沢さんの隣に張り付いてメモをとりながら一つ一つ処理を教わり、こなしていく。
最初はついていくので必死だった。
宮沢さんの教え方は優しく丁寧で、何日か経つうちに少しずつできることが増えてきた。
たまに志田さんの手伝いをすることもあったけれど、わからないことがあって質問しても、いつも
「やり方はマニュアルに書いてあるから」
そっけなく返答され、取り付く島もなかった。
初対面の時の冷たい視線を思い出して、やっぱり嫌われてるのかな……と、ついへこんでしまう。
志田さんの態度に気づいているのかいないのか、宮沢さんは変わらず優しい笑顔で指導してくれていたから、かなり救われたのだけど。
嫌いだと思う相手は少ない方が、楽に生きられる。人に優しくすれば、同じような優しさが返ってくる。
信条と言ったら大げさだけど、そんな考えで生きてきて、あながち間違ってはいなかった。
志田さんが私のことをどう思っているかは、よくわからない。
でも、誠意を持って親切に接していたら、いつかは関係がよくなるかも。
苦手意識はなるべく持たないように、頑張ってみよう……。
先輩二人は、仕事に余裕がある時にはおしゃべりに花を咲かせていた。
美人でお洒落な二人。当然彼氏もいて、話題はファッション、グルメ、恋愛話……と、これぞガールズトーク! って感じ。
しかも言葉のキャッチボールは豪速球。
「明美さん、駅前に新しくできたイタリアン、行ってみましたか?」
「あぁ、あそこね! まだなんだけど、友達が『チーズが効いてて美味しい』って言ってたよ。今度行ってみる?」
「いいですね! いつ行きましょっか?」
「いつがいいかなぁ……。
あ、そうだ、駅ビルの中に新しいショップができたよね。ついでに寄ってかない?」
「新しい店できたんですね! 行ってみましょ!」
ノリのいいハイテンポで繰り広げられる未知なる話題の数々に、私がついていけるはずもない。二人のおしゃべりタイムは、私にとっては彼女達を観察する時間になっていった。
しばらく眺めているうちに、志田さんがかなり宮沢さんに合わせていることが見えてきた。
宮沢さんの意見に絶対に反論せず、宮沢さんが求めている台詞を的確に選んで発しているみたい。
宮沢さんが一番です! と常に持ち上げていて、一言で言えば太鼓持ち。
いやいや、そんな意地悪な見方はよくないな。
……でも、仲がよさそうに見えても、内心はどうなのかよくわからないのは確かだ。
これが大人の付き合いってやつなのか。
女子の付き合いは気苦労が多い。改めて思い知らされた。
仕事にも慣れ始めたある日、営業所員全員参加で私の歓迎会が催された。
会場には本部長もお目見えし、かなりの盛り上がりを見せた。
ただし、その輪の中に私はあまり入れていなかったのだけど。
本部長の両隣には宮沢さんと志田さんが座り、お酌をしたり料理を取り分けたり、つきっきりでお世話していた。
あまりの甲斐甲斐しさに、ここは夜のお店か? と、若干引いてしまう程だった。
いやいやいや、こんな風に思うから、女子力低いんだ私は。
二人を見習わなくては……とは思ってみたものの、やっぱり私にはそんな真似は無理。
早々に諦めて、おとなしく座っていることにした。
男性陣は本部長にお追従を言ったり、女性二人にヘラヘラしたり、適当に盛り上がっている。
それなのに、どうも私のことは遠巻きにしているような空気が感じられた。
そう言う扱いに慣れてはいたけれど、ほんの少しだけ傷ついた。
やっぱり男って生き物は、美人の方が好きだよね……。
そんな中、一人だけ私に近づいてきた男性がいた。
「よう、堂島さん。楽しんでる?」
人懐っこい笑顔で話しかけてきたのは、営業所の最年長、五十代の鍋島さんだった。
男性営業は二十代から三十代がほとんどなのに、この鍋島さんが一人で平均年齢を上げている。
先代社長の頃からいる叩き上げの社員で、年頃の娘さんが二人いるのだそうだ。
自分のことも話しつつ、こちらの話を引き出すのがとても上手い。
二人で話すのはほぼ初めてなのに、緊張することなくおしゃべりできた。
話の中身は世間話から最近の芸能界のことまで幅広く、さすがベテラン営業さんだなぁと感心する。
話し込むに連れ、話題は会社の内情にも及んだ。
会長は若社長に経営を全て任せてご隠居状態であること。
本部長は若社長のお気に入りで、実質会社のナンバー2であること。
美人が大好きな本部長は宮沢さんと志田さんをとても可愛がっていて、若社長も彼女達のことを高く評価していること。
宮沢さんは若く見えるけど三十四歳、大卒でこの営業所に入って十年以上のベテラン。
志田さんは入社五年目。
宮沢さんの彼氏は大手商社のエリート、志田さんは中学校の同級生とずっと付き合っていて……等々、いろいろな情報を小声で教えてくれた。
でも、本部長が美人大好きなら、なんで私みたいに並より落ちるのが採用されたんだろう?
少し不思議に思っていたところで、本部長の締めの挨拶が始まった。
「みんなの頑張りによって売り上げが伸びているところに、堂島さんという新戦力も入ってきてくれて、当営業所はいいことずくめであります。
堂島さん、明美ちゃんにしっかり指導してもらって、早く一人前になれるよう頑張ってください」
いきなり言葉をかけられたことにもだけど、本部長が宮沢さんのことをチャン付けで呼んでいることにびっくりしてしまった。内心辟易しながらも何とかそれを隠して、はい、と頷いた。
本部長の言葉は続く。
「いいことずくめと言えば、再来週から本社のシンジョウ君が当営業所に配属されることが決まりました。
我が社のエースが投入されることは、この営業所にとって実に栄誉なことであります。
職務としては事務の統括、女性陣三人の上司ということになりますが、営業諸君の業務についても梃子入れしてもらうつもりです。
更に売り上げに弾みがつくよう、より一層奮起してくれることを期待します」
……シンジョウさん? 誰だろう?
そう思ったのは私一人だけだったらしい。
男性陣はざわつき、鍋島さんも「シンジョウ君が……」と呟いていた。
女性陣は表面上穏やかだったものの、二人の間に何か異様な緊張感が走ったように感じられた。
シンジョウさんとは、どうやら全社的な有名人らしい。
一体どんな人なんだろう……?
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