お話
えのき
お話
「ねえ、おじいちゃん」
「なに?」
「なにかお話聞かせてよ」
「お話ね。おじいちゃんはね、お父さんくらいのときに、世界中を回ったんだ。世界ではいろんな話に満ちているよ。たとえば、昔ある国に行って、道に迷ったとき、こんなことがあったんだ。
「道に迷ってしまったな。知らない国で一人ぼっちだ」
一時間ほどさまよっていると
「そこの方、こんなところでどうしたんです。街はずっと向こうですよ」
と、ある高貴そうな女性が話しかけてくれた。
「ああ、地獄に仏とはまさにこのことだ!」
「地獄に仏?どういう意味ですの?」
「私の生まれたところでは、死んだあと、悪いことをした人は地獄という場所で永遠に苦しむという言い伝えがあります。そこに全てを救ってくれる方が現れたように、助かった、という意味ですよ」
「そうですか。死後に別の場所にいくというのは面白い考えですね。私達はこのように教えてこられました。
「死んだものは大地となってその魂を生命に返す」
これは、古くからの言い伝えです。私の父はこう言いました。
「神は世界を作り、私達を生み出された。そしてこのように仰ったのだ。
「あなたたちの魂は生きてはこの地を整え、死んでは土壌となれ」
私はこのことをずっと考えていたが、これは結局真理だと思ったよ。こんな言葉がある。
「もし世界が私のためにあるのなら、この世はこんなに美しくないはずだ」
私達の悲しみも、世界が美しいためにあることなのだ。(もし、〜なら、ということにあまり意味はないのだけどね。例えば
「もし昨日雨が降ったなら昨日はどこにも出かけられなかった。そしたら今日聞いた
「とても楽しかったね。こんな楽しい体験ができるなんて、なんて人生は素晴らしいんだろう」
なんて言葉はなかったはずだ。しかしそうすると、
「人生は楽しむためにあるんだろうか?」
という問いも出てこなかったはずだ。いま神の言葉を紹介することもなかっただろう。これこそが
「この世は神によって喜びを知る」
というのとなのだ。私は幼いころにこういわれたものだ。
「すべてきっと上手く行く。うまくいかないことがあっても、それは明日上手く行くことへの布石かもしれない。君の人生に
「あなたは永遠に不幸である。たとえあなたに
「無限の幸せを与えよう」
という人が現れたとしても、それは悪魔である」
という人があらわれたとしても、それは悪魔である。(いや、どちらが悪魔かなんてことは決められない問題だ。こんな話をしてみよう。ある貧しい村があった。なぜ貧しいかというと、干ばつがひどくて作物が育たなかったからだ。
「なぜこの村には水がすくないのだろう」
とみんな嘆いていた。でも頭の良いある人が言った。
「窮地こそがチャンスである。私の父はよくこう言った。
「昔遠い国で、完全に城を包囲されてしまい孤立無援のとき有名な軍師は、主君に
「むしろ城門を何も言わずに開けましょう。敵は降伏したのか、さもなければ罠かと訝しがることでしょう。
「まず敵に疑いを持たせよ」というのが古くからの言い伝えにございます」と言った。果たして主君は軍師を信じそれを受け入れ、城門を開いたのだった。敵は圧倒的優勢であったからこそ慎重であった。
「これはきっと罠である。「窮鼠猫を噛む」という。これを軽く見た国は幾度となく滅んだのだ。隣の国は、200年前圧倒的な勢力を誇っていたのにも関わらずただのひとつの戦争に敗れてついには国を失ってしまった。今でも歌にのこっているであろう。街の子供はよくこう言う。
「ねえ、おじいちゃん」
「なに?」
「なにかお話を聞かせてよ」
「お話ね。おじいちゃんはね、お父さんくらいのときに世界中を、まわったんだ。世界にはいろんな話に満ちているよ。たとえば昔ある国に行って道に迷ったとき、こんなことがあったんだ
「道に迷ってしまったな。知らない国で一人ぼっちだ」
一時間ほどさまよっていると
「そこの方、こんなところでどうしたんです。街はずっと向こうですよ」
と、ある高貴そうな女性が話しかけてくれた。
「ああ、地獄に仏とはまさにこのことだ!」
「この世はまさにいま地獄ですものね」
「そうだろう。本当にひどい世の中になってしまった。昔は鳥が歌い、老人は静かに茶を飲んでいた。しかし一度のいくさでこれである。聞いたか?わたしがここに来る前、皆こう言っていたよ。
「いくらこの世が平和だからといって、大将たちはいつもこんなことを言っていた。
「俺たちのおかげで世界が平和なのだ。そして、もう危険などなくなった。平和とは、俺たちが酒を飲んでこうして(そう、なんの気兼ねもなく(気兼ねなくということは警備(この時代(その当時(開城を罠(この罠は有名(その国では)だった軍師が仕掛けた)だと思った(思ったのはその敵(敵という言葉は恣意的でよくないかもしれない(なぜなら、歴史に善悪(この言葉自体が抽象的である(このように自然言語(自然言語自体が自然言語によってしか定義できない(すなわち、理論の無限後退は結局自然言語に行き着く(たとえば数学基礎論をみてみよう。論理記号と集合論はお互いにお互いのことを拠り所としている(とはいえ、これはこの文の著者(数学はアマチュア(アマチュアというのはプロ(それで(それだけでなくてもいいが(たとえば教える(教育機関(大学(専門学校もふくむ)だけでなくてもよい))など))生活している人)の対義語といういみですらなく、ただの趣味(これも難しい言葉だ!)でやっているという意味)である)の意見である)ということがわかる(と断定できるものでもないが)だろう)からだ)言葉を使うことが適切かどうか判別し難いということだ))などないからだ))である))人がいたということは以前(以前というのはこの文(この物語自体を指す)の途中で話したのだが、記憶されているだろうか?))の話である)の話である)は最低限であるという意味)過ごしているということ)いられるということだ」
そして、その油断により一瞬の反乱で滅んだ」」
ということがあったんだ」
「どうやら寝てしまったようだね。子供には興味のない話だったかな」
お話 えのき @enoki_fugue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます