day1-3 花の丘

 図書館を後にした僕は、次の目的地『第7地区』へと向かうバスに乗り込んだ。




『ようこそミナト様。目的地を選択してください』


 バスの搭乗口ではIDが確認され、行き先を尋ねるアナウンスが頭に響く。それと同時に、駅の場所が印された地図が表示される。

 もちろん、可移動距離内。ここから二地区分の範囲内のみだ。



 バスの中は空っぽだった。乗客も運転手もいない動く箱。そんな誰もいないただの箱の中では、冷房の音が虚しく響いていた。

 人の気配がない車内を歩きながら、さっきのメモと地図を照らし合わせ、降りる駅を探す。



 ――見つけた。きっとここだ。『花の丘』



『目的地は、花の丘で』

『目的地の入力を確認しました』


 行き先を決定しながら、僕は最後列から一つ前の席に座る。

 座席は柔らかく、ふんわりと優しく体を受け止めた。繊細に扱われ、ガラス細工になったかのような気持ちになる。


『それでは発車します』


 バスが音を立てず、滑るように動き出す。徐々に速度が上がり、窓の外の景色も川の流れのように移ろう。自分の時間だけが、周りの時間よりも加速している感覚に陥ってしまう。自分が速いのか、周りが遅いのか分からなくなる。

 もしかしたら僕だけが、このちっぽけな箱の中という世界に取り残されているのかもしれない……などと考えている間もバスは目的地へと進む。



 気付けばバスは『第15地区』を出ようとしていた。

 途中の駅で数人が乗り込み、人の気配が濃くなった車内。少しだけ息苦しくなったが、誰かがいる方が落ち着く。

 この世界いるのはたった一人じゃないと思えるから。






 『次は花の丘です』


 ポンッと気の抜けるような音と共に声がする。

 そろそろ降りる支度をしないと。

 もう一度、自分のメモを読み直す。メモによると駅に着いた後、ひたすら真っすぐ進めば到着するはずだ。

 程なくしてバスが停止し、降車用ドアが開く。僕の他にも降りる人がいるようで、前の座席から立ち上がる姿が見えた。どうやらおばあさんらしい。

 どうぞと、おばあさんに出口を譲りつつ、メモに記した道を探す。しかし、それらしい道が無い。



 ――もしかして、間違えたのか。



 バスを降りても道が分からなく、不安が募る。


「さっきはありがとうね。不安そうな顔をしてるけど、どうしたんだい」


 余程不安げな顔をしていたのか、さっきのおばあさんが話しかけてくれた。

 何時間ぶりに人と喋る気がする。


「実は、この近くに崖になっている場所があるって聞いてきたんですけど、そこに行く道が分からなくて」

「あー、それは花の丘のことだね。ここの駅名と同じさ。ほら、貴方の後ろ。道路の反対側、真っ直ぐに伸びる道があるのが見えるかい」


 メモに書いた駅前の道はそっちだったのか。歩行者は道路を渡れないので、反対側に行くには地下道を通らないといけないな。


「はい、あの道ですか」

「そうだよ。あそこはね、景色が良いのよ。一度は見た方がいいと思うわ」

「じゃあ、おばあさんも良く行くんですか」

「いやいや、もう私の足腰では坂道を登るのが大変でね。なかなか行けないのよ。だから私の代わりに、ぜひ楽しんでらっしゃい」


 寂しそうな、だけど優しい笑顔を浮かべて言う。


「ありがとうございます。行ってきます」

「うん、気を付けなさいよ。もし迷ったら振り返って自分の足跡を確認しなさい。貴方はまだ若いから大丈夫だよ」


 最後の言葉を、おばあさんは力の篭った目で話した。

 たぶん、花の丘への道のことだけでは無いのだろう。この先、迷う事がどれだけあるのか。



 これまで僕が歩いて来た道は、真っ直ぐ過去へと延びているが、これから未来へと繋がる道は無色透明だ。自分がその道に色を付けるのか、誰かに色を付けられるのか分からない。

 でも、一歩ずつ後悔しないように歩いてみようと思う。




「はい、そうします」


 ではまた、と手を振り別れる。

 僕は地下道を使い道路の反対側に出る。花の丘はもうすぐだ。

 まずは一ヶ所目。気合を入れて丘へと続く道を歩き出した。真っ直ぐ、空へと続くような坂を登る。

 少しずつ花の香りが濃くなり、道の終わりが近いことを知らせてくる。



 


 長い坂を登りきった先に『花の丘』が広がっていた。黄色や紫に赤、色とりどりに咲き誇る花々の絨毯。風に乗って舞い上がる花びらが僕を包み込み、そして後ろへと飛んでいく。その花びらが運ぶ香りだけが、この場所に留まっていた。

 ――綺麗だ。

 それ以外の言葉で表すのが難しい。見ておいた方が良い、って言ったおばあさんの言葉の意味が分かったような気がする。



 目の前に広がる、花畑の真ん中に出来た小道を歩く。この先に、夢で見た崖があるのかもしれない。そう思い、焦る心を抑えながらゆっくりと一歩ずつ踏みしめる。

 坂を上る前に比べ、空が近くなっている。ここまでくると、この世界に透明なドーム状の薄い膜が張られているのが分かる。ここを外の世界から切り離し、僕らを守る為の境界。

 手を伸ばせが空の端に手が届きそうだ。





 空を見上げ足元を見て、誰も居ない花畑を進む。すると道の終わり、崖が見えてきた。崖の向こうに広がる第7地区の町並みが目に入る。

 ――あぁ、広い。

 でも、違う。夢で見た場所と、この景色は微妙に違う気がする。こんなに色とりどりで、明るくなかったように感じる。そうだ、もっと……もっと暗く寂しい場所だったような。

 今はこの場所の様子を記憶に焼き付けよう。

 もう午後三時。そろそろ次の場所へ行かないと。それに、マスターからの依頼も済まさなければいけないんだ。





 次の目的地は『第6地区』か。

 『夢で見た場所を探す』そんなことに何の意味があるのか分からない。でも行かなければ、自分に出来ることをやらなければ……。今回はいつもとは違う、僕の失った記憶が叫んでいるように感じるんだ。


 ――あの子の手を掴め、二度と離すな。


と。




決意を固めて振り返ると、『第1地区』のタワーが遠くに見えた。

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