物語の撥条が巻かれて<後編>

「レイ、急ごう」


 走り出すハレを追い、現在のキャンプ地へと向かう。そこから荷物を持ち出し、砂漠と同化するようにカムフラージュされた車へと積み込む。その間にも、予め決められた次のポイントへと逃げていく仲間たち。


「よし、準備終わった。ハレ、子どもたちの様子は?」

「どうやら全員車に乗ったみたいだね。ねぇ、子どもたちも心配だけど、ハチは?」


 そういえばハチの姿がない。確か、襲撃の報告をしたあの車は、後ろの方をしきりに気にしていた。後ろ……あの後ろには黒く揺れる陽炎だけだったはず。

 だんだん大きくなってくる陽炎。もしかしてあれがハチだったのか?

 急いで陽炎の方を振り返ってみるが、そこにはもうなかった。陽炎は消えていた。

 陽炎が消えていた。

 その代わり、人の姿がくっきりと見えていた。しかも、ただ人ではなくあれはハチだ。数は約20人、それに加え2台の大型車もいる。すぐ近くまで来ていた。認識阻害か。今まで姿をはっきりと捉えられなかったのは、過去の戦争の遺物のせいだ。

 



 確かに、子供たちを守りつつ戦える人数ではない。



 ハチから逃げるように急いで車を出す。子どもたちの乗った車を探していると、向日葵畑に向かって走る奏の姿を見つけた。

 その走る先には一人の男の子――グレン。逃げ遅れてしまい、座りこんで泣いてしまっている。駄目だ距離が遠すぎる。奏が走っても、あれでは間に合わない。



「急がないと間にあわなくなる」

「レイ交代、私が運転するから援護して!」

「まずはグレンからだ」


 積まれた荷物から電気銃を取り出し、戦闘の準備を進める。電子銃は殺傷能力が低いものの、動きを止めるのには充分だ。それに当てる場所や出力によっては、ハチの頭に埋め込まれたIDや、ナノマシンを破壊できる可能性もあるらしい。



 ハレが、荒々しい運転をしつつ向日葵畑へと車を走らせ、起伏の激しい砂漠を駆け抜ける。残念だが砂漠では俺よりもハレのほうが運転が上手だ。

 安全性よりも速さを重視した最短ルート。後部座席に積んだ荷物が縦横無尽に動き回るのが音でわかる。

 一方でハチ達は、ふた手に別れグレンと奏を捉えようとしていた。

 グレンに手を伸ばそうとしていたハチの腕を撃つ。続いて脚。無力化できたのを確認し、後ろに続く他のハチたちも撃っていく。その間も車は走り、間一髪のところでグレンの前に辿り着いた。

 急いで手を取り、車に乗せた後、奏の安否を確認しようと辺りを見渡すが、誰もいない。

 


 目の前には広大な砂漠のみ。

 遠くには揺れる黒い陽炎が再び見えた。可能性としてはあそこしかない。


「ハレ、車を出せ! あの黒い影に突っ込むんだ。奏はそこだ」

「えっ、あれ!? 分かった、掴まってて。レイ、その子をよろしくね」


 揺れる車の中で、せっかく泣きやんだこの子も泣きだしてしまう。少しだけ我慢してくれ……もう少しだから。その言葉は、グレンに対してなのか、奏に対してなのか、それとも自分自身に対してなのか……。思わずグレンの手を強く握る。

 揺れていた黒い影が徐々に大きくなり、その姿が鮮明になりはじめた。間違いない、奏はそこにいる。




「レイ、間にあわない!」


 ハレが叫びに近い様な声を上げながら、こっちを見る。



 陽炎の向こう、鮮明になった砂漠の影は一番見たくないものを映していた。

 四、五人のハチと車。そして腕を捕まれ、ぐったりと頭を垂れている奏の姿。その首には拘束用の首輪が着けられ、今にも車に乗せられるところだった。

 奴らもこちらの動きに気づいたようで、俺たちの車に銃を撃ちながら急いで撤退を始める。


 

 俺は後部座席からライフルを取り出し、構えた。こんな揺れる車から、的に当てられる技量なんか持っていない。でも、持っていなくてもやらなくてはいけない。

 せめてこの一発が牽制になれば……この一撃でその手を離させることが出来れば。



 狙いは、奏を掴んでいるハチの肩。

 呼吸を止めて引き金を引く。

 ――当たれ。



 瞬間、銃声が響く。

 血も涙もない、ただただ乾いた音。

 砂漠のような音。



 着弾と同時に、血飛沫があがった。

 真っ赤な血の色。

 ――狙い通り。



 狙撃の反動が重く体にのしかかる。この重さが命を奪う重さだ。

 弾丸は軽いくせに、決意を固めて撃った瞬間、それがとてつもない重さに変わる。一撃に込められた想いの分、着弾した人の持っていた想いの分、重さが増していく。

 こんなことを繰り返していたら、いつかその重さに自分が潰れてしまうだろう……。



 肩を撃たれたハチの一人がその場で崩れ落ちるが、奏の身体はすでに車へと乗せられていた。もう一撃、次は車を狙おうと銃を構える。撃とうと大きく息を吸うが、相手の撃った銃弾がタイヤに当たり、車が制御不能へと陥ってしまった。右へ左へと大きく振られる車に、思わず銃を手放す。

 ハレが何とかコントロールを取り戻そうと、必死にハンドルを握っている。その間俺は、グレンを強く抱きしめている事しか出来なかった。



 何とか転倒することもなく、止まった車から這うように飛び出す。飛び出した拍子に転がり、目や口に砂が入り思わず咳き込む。しかし、そんなことを気にする暇は無く、ただ前を見ようと必死に起き上がる。

 ぼんやりとする視界の隅に、ドアが開けられたままの車両を捉えた。奏があそこにいる。はじかれたように走り出すが、それは動き始めていた。

 ドアの隙間からはっきりと奏の顔が見える。近いのに手が届かない、声が届かない。しかし、さっきの銃声で意識が戻ったのか奏が口を動かしたのが見えた。


「――とう」


 車のドアが内側から閉められた。俺たちと彼女の世界が切り離されたようだ。いまの俺たちにとって、たった一枚の筈なのに、その一枚のドアがとても大きかった。



 最後にドアが閉まる瞬間、確かに彼女は笑っていた。



 走る。離れていく車に向かってがむしゃらに走り続ける。口の中に血の味がするが止まれない。


「かなで! ぜったいに、ぜったいに助けに行くから! ハレと一緒に連れ戻しに行くから! だから、必ず、必ずまた……」

 

 また……。

 また……いつものように笑ってよ。



 全身の力が抜け、その場に倒れかける。

 その時にハレとグレンが、後ろから追いついてきて、ハレが崩れ落ちる俺の身体を受け止めてくれた。ふわりと、砂埃の向こうで、安心する匂いがした。


「大丈夫だから。大丈夫だからレイ、安心して。必ず私たちで助けよう。だって、逃げるときは奏も連れていくって言ったじゃん」


 そうでしょ? と囁くハレの言葉が耳の奥で響く。心地の良い音だ。


「辛かったら泣いても良いんだよ。ぜんぶ私が受け止めてあげるから、それが私がレイの隣にいる理由だから。そうしないとレイが壊れちゃうよ」

「奏が捕まって……おれ、何も出来なくて。ハレ。ねぇ、ハレ。おれはまた誰かが傷つくのを止められなかったよ。しかも誰かを傷つけたくせに」


 思い返すのは、あの血飛沫。


「もういいんだよ、レイ。あなたはグレンを救ったじゃない。それで十分だよ。それに、ハチに捕まっても命を奪われるわけじゃないからさ」

「分かってるんだ。でも、あいつらに捕まったらIDを入れられ、記憶を上書きされて、クイーンの奴隷だ。それは生きてるっていうのかよ。今までの奏と一緒だと思うか」

「確かに一緒じゃないと思うよ。でも、だからこそ、皆を救うために来週の計画があるんでしょ」


 あぁ、そうだったなと呟く。誰が為の計画だったのか忘れてた。本質を見失っていた。


「ありがとうハレ、落ち着いたよ」

「ふふふ、良かった。なんなら、もっと甘えても良いんだよ? 泣いちゃえ、弱音言っちゃえ」


 未だに抱きしめられながら、甘えるも何もな。それに、泣きたくても涙が出なかったんだよな。長いこと砂漠に居すぎたせいか、涙まで涸れてしまった。いや、砂漠のせいじゃない、いままで泣くのが許されない生活だったからだろう。

 いまでは泣き止み、隣で静かに俺たちを見ているグレンを見て思う。この子たちには、幸せになって欲しい。俺たちよりももっと自由に、幸せに。

 グレンが見てるけど、少しだけ甘えてみるか。今だけ、この一瞬だけ、心が壊れないように。


「ねえ、ハレ」

「どうしたの」

「空が見たい。膝枕して欲しい」

「いいよ。でもグレンが見てるけど?」

「今回だけはいいの。少しぐらい我がまま言ってもいいよね、グレン」


 そう聞くと、「今度遊んでくれるならね」と笑いながら答える。そっか、今度か……。絶対に約束を守ろう。


「じゃあ、グレンも良いって言ったし、ほら膝枕をどうぞ」


 熱くないようにと、羽織っていたコートを地面に敷いてくれた。

 言葉に甘えて、ハレに頭を預ける。

 太陽の眩しさに思わず目を細めた。

 雲一つない蒼穹は、今でも手が届きそうだ。透き通るようなその青に、昔おばあちゃんから聞いたラムネの話を思い出す。


「ハレ。今度、日本がある場所へ行こうよ」

「うん、そうだね。約束だよ」

「分かってる、その時はもちろん……」

「奏も一緒だよね」

「あぁ、一緒だよ。みんなでラムネを探しに行こう」

「本当にレイはラムネが好きだね」


 笑いながらも、頭を撫でてくれるハレの手が心地よかった。

 そっか、俺も子供たちの頭を撫でてあげるだけで良かったのかもしれないな、と思った。あとでグレンの頭も撫でてあげよう。


「だからさ、まずは最初の約束を果たしに行こう。奏を救いに」


 その言葉にハレが微笑む。

 やっぱり、ハレの笑顔は眩しいな。




 あぁ、今日の空は綺麗すぎて涙が出そうだ。

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