第2話 未完のコレクション

 きびすを返し立ち去らなかったのは、三桁の報酬に惹かれてのこと。それだけ出してもまだ利益が望めるというのか。さすが好事家。それに、私がテストピースに反応しなければ、特別展示としてそのまま公開するつもりだったという。心構えも報酬もなしで、いきなり呪いの絵と対面させられた可能性もあった訳だ。なんとも空恐ろしいサイコパスっぷりだ。


「特別展示室に入るにあたり、護符をご用意しました」


 手渡されたのは柄が鳥の頭を模して造られた短剣。エジプトに由来する物なのだろう。ヒエログリフが刻まれている。


「トートの短剣と呼ばれる品です。つかは知恵を司る神・トートの朱鷺の頭を模しています。邪を絶ち魔を払う効果があると」

「魔を払う」

「試したことはありませんが」

「…………」


 もの言いたげな私の視線に、学芸員は笑顔で応えたが、私が動こうとしないのを悟ると、懐から二つ目の品を取り出した。フリントロック式の古風な銃。先の短剣といい、効果はくとしても、アンティークとして価値のありそうな品物だ。


「魔よけの効果がある銀の弾丸が込められた、聖別済みの銃です」

「聖別」

「館内での発砲は、可能な限り避けて頂きたくはありますが」

「…………」


 普段は使われていないという特別展示室には、既にアーサー・ギュネイの作品が運び込まれている。彼の作品は絵画だけでなく、塑像そぞうや彫刻も含まれる。『不安の肖像』はこの特別展示の目玉らしく、閲覧ルートの最後に控えている。まだ日も高く、館内の照明は充分なはずなのに、何故だかそこだけ暗くよどんで見えた。


 首や手足を伸ばされ、鳥や獣や鉱物と、悪意を込めて混ぜ合わされたような肖像たち。調べるまでもなくすぐ解った。他の人達には、本当にこれが見えないのだろうか?


 絵のように見えるそれは、濃淡の違う無数の呪詛じゅその言葉の数々だった。


憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す


 吐き気を催すような憎悪の群れ。その中に英語ではなく、私の知らない文字が混じっている。目で追って行くとそれは、円や方形といった、幾何学模様を描き出した。


「何かは分からないけど……これはマズイ」


 直感で罠に掛かったと理解し、絵と距離をとる。追い掛けるように、絵の中から異形の腕が伸ばされた。


 マンチキン宜しく、両手に護符を持ったままだったのが幸いした。夢中で振るった右手に持ったままだったトートの短剣が触れると、異形の腕は切り落とされ霧散した。


 一息吐く間もなく、キャンバスの中から次々と手足が伸ばされ、絵の中の異形が浮かび上がってくる。


「うわっ、うわわわッッ!??」


 ギュネイの悪意が生み出した怪物か?

 それとも彼の目は、実際にこれを見ていたのか?


 何より悍ましいのは、それの犠牲者が囚われたままであることだった。

 発狂し、白目を剥いた老婆。自らの目を抉り出そうとしているスーツ姿の女。そしてもう一人、泣きじゃくる幼い少女の姿。

 それを目にし、急速に頭が冷えた私は、こちら側に這い出し掛けている異形の頭を狙い、引き金を引いた。



「残念ながら、報酬をお支払いすることは出来ませんね」


 放たれた銀の弾丸は、ギュネイが生み出した化け物ごと、魔方陣の描かれていたキャンバスを撃ち抜いていた。 


「そのための護符じゃなかったの?」

「発砲は可能な限り避けて頂きたいとも、お伝えしたはずです。損金を請求しないだけありがたいと思って下さい?」


 学芸員は、涼しい顔で銃と短剣を受け取った。囚われていた犠牲者は3人。彼女たちが解放されたのなら、それで良しとすべきか。

 報酬の代わりにと、美術館への年間フリーパスを貰ったが、当分使う気にはなれない。


「『不安の肖像』は5枚。3人の犠牲者とギュネイ自身。……ひょっとして、あなたにとっては、私が失敗したほうが都合が良かったんじゃないの?」


 学芸員は笑みを浮かべ、ただ首を傾げてみせた。喰えない男だ。

 私が魔方陣の仕込まれた一枚を特定し、処分したのは事実だが、彼には話していないことがある。


 それ以外の4枚も、同じように呪詛と怨嗟の言葉で描かれたものであったということ。


 見える私には眩暈めまいのするような代物だが、違う世界を見ている蒐集家とやらには、大した問題ではないだろう。



                       The spectacle that she saw. END

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六連美術館特別展示室 藤村灯 @fujimura

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