六連美術館特別展示室
藤村灯
第1話 不安の肖像
犬は私たちとは違う世界を見ている。人が3種類の
もっとも、蜜の採れる花を見分けることが出来ているのだから、ハチにとっては生きる上で何の支障もない。犬好きな私としては、犬には私たちと同じものを見ていて欲しいという思いを、抱かなくもないが、それは無意味なセンチメンタリズムでしかない。
かく言う私も
最初見たとき、私はそれを告知ポスターだと思った。
『あなたにはこれがみえますか?』
額に入っていることから作品だと知れた。キャンバスを赤い十字が区切り、区切られた右上部に緑、左下部に橙が置かれている。抽象画だとすれば、面白みもなく、何も心に響くものがない凡庸な作品だが、十字の横棒に、さらに濃い深紅で文字が書かれているのが見て取れた。
『あなたにはこれがみえますか?』
それ以外の文字はなく、特別展示の告知でも無さそうだ。訝しむ私に気付いたのか、パイプ椅子に腰を下ろしていた若い男性学芸員が、にこやかな笑みを浮かべ近付いてきた。
「見ましたね?」
嫌な予感がした。曖昧な愛想笑いを浮かべてやり過ごそうとしたが、長身の学芸員は、私の進路を遮るようにして動こうとしない。
「ええ。トリックアートの類ですか? 作品名も作者の名前も記されていないみたいだけど」
「興味を持たれたようですね。お時間宜しいようでしたら、少し解説いたしましょう」
新手のナンパか? 興味も何も、この男が私をここに留めているだけなのだけど。
ただの観覧者なら無視して引き返す所だが、館の職員相手にはそうもいかない。同意を得たと認識したのか、学芸員は語り始めた。
「アメリカの近代芸術家、アーサー・ギュネイをご存知でしょうか」
「来週から特別展示が始まるって、表に告知ポスター貼ってあったね」
「はい。是非ご来館下さい。ところでこのアーサー・ギュネイ、呪われた作家として呼ばれているのはご存知で?」
芸術家など、多かれ少なかれ皆呪わた存在だ。常に不安に苛まれ、身を削り精神を擦り減らせ、己の才能に酔いしれたかと思えば、自分の凡愚さ加減に絶望する。それは世に認められたとしても例外ではない。ギュネイは不遇の作家で、遺された作品は、死と苦痛を想起させる禍々しいものばかりだと記憶している。
「ああ、抽象的な意味ではなく。文字通り、見れば死ぬという代物です」
私の難しい表情を見て取り、学芸員はひとり続ける。
「聞いたことないけど? ポスターにもそんな紹介無かったじゃない」
「呪われそうな絵ならともかく、本当に呪い殺される絵はまずいでしょう? プロビデンスでは学芸員が一人。プラハでは老女が一人、それぞれ心臓発作で亡くなっています」
関連付けて語られるのがこの二例だというだけで、犠牲者はまだいるのではないかという。眉唾な話だ。
「まずいって分かってるのに展示するの? それとも、まだ被害者が出るか試してみるつもり?」
「まさか。ですが、半分ほどは当たっております」
学芸員が言うには、この厄介なコレクションを持て余していたところ、物好きな
「曰く付きのものを手に入れたいが、それで死ぬのはまっぴらだという事でしょう。我々は候補を、最晩年に描かれた連作『
ゴヤの黒い絵を思わせる、5枚の
「それを全部省けばいいじゃない」
「コレクションの目玉ですからね。全てとなると、価値が大幅に下がってしまう。そこで我々は、犠牲者の関連性を調べてみました。どちらも女性であること以外、特に目立った関連は無いように見えたのですが、ひょんなことからどちらも4色型色覚を持った方だったと判明したのですよ!」
「4色型色覚?」
「通常の人間は3色型色覚。赤、緑、青を感知する
「それでコレってわけ。そこまで分かったのなら、同じ方法で調べられなかったの? 紫外線を感知できるカメラとか――」
テストピースだった展示物を指し示す私に、学芸員は肩をすくめてみせた。
「そこまで上手く行きませんでした。それに、万一何か見えてしまっても困りますから」
悪びれた様子もなく、学芸員は言い放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます