天体観測 其の三

 二年生の夏休み。八月上旬。

 科学部は、文化祭の展示のために夏空の星々の天体観測をしていた。

 校舎の屋上で眩いていた星たちを、十人足らずの部員と顧問達が眺めた。月山は、何も遮るものがない星々の世界を独占しているようで、どこか嬉しく、肺腑を衝かれる。夏空を眺めていると、自分がちっぽけにみえてくる。歪んだ心が洗われるように。

 あの星たちは、脳裏に焼き付けて、今でも思い出せる。

 部員と顧問が円の形に仰向けで寝そべった。あの時、月山は顧問が指を指し乍ら教えてくれたのを思い出す。


 アルタイル、デネブ、ベガ、アンタレス……。


 ずっと眺めていると、星と星の間を線が結び、星座の絵が浮かんでくる。

 顧問のギリシャ神話の語りと共に、星座たちは、動きや表情を変えて、部員たちを楽しませてくれる。

 ベガが一等星である琴座は、織姫。アルタイルが一等星の鷲座は、彦星。二人は離ればなれになって、悲しい表情でお互いの名前を呼んでいる。

 アンタレスが一等星のさそり座は、尻尾の毒でオリオンを刺殺したことを自慢し、誇らしそうに胸を張っている。

 天然のプラネタリウムに心が踊った。


 あの時、理佐が隣にいたことを月山は思い出した。

 入学式のときはショートヘアだった髪は、ポニーテールに結い上げれるほど伸びていた。

 理佐がちょんちょん、と月山を突き、

「ねぇ、月見ない?」

 と聞いてきた。月? と聞き返す。

「そう、月。教室に望遠鏡があるはず」

 断ろうとしても、押し切られてする破目になるだろうな、と思った月山は、仕方なく首を縦に振った。理佐は、よしっ! と、嬉しそうにガッツポーズをした。

 顧問に許可を取りに行くと、ついでに月の写真も撮ってくれと頼まれ、理科室にある観察用の望遠鏡を屋上に持って上がった。

 望遠鏡を使い慣れていた月山は、言い出しっぺの理佐に教えながら準備を進めた。

「てっきり、使い方知ってるのかと思ってた」

「そんなイメージある?」

「うん。ザ・理系で、しかも天体系は得意ってイメージ」

「私、物理専門なんですけど。天体は、ガリレオ・ガリレイが地動説を説いて、それに興味があるだけで……。すごいよね。命を懸けてまで、地動説を信じ切るなんて」

「はいはい。ガリレオ・ガリレイの話はもういいから」

「はっ、私としたことが」

「いや、いつもヲタク要素隠しきれてないからな」

「えっ、嘘でしょ」

「花瀬、準備できたから、導入覗いてみて」

 理佐は月山に言われたとおり、望遠鏡の筒の端にちょこんと上に出っ張っているレンズを覗いた。

「わぁ……! キレイ! クレーターがはっきり見える!」月山は、喜ぶ理佐の顔を見ると、心がくすぐったくなる。

「だろ? 俺も見たい」

 月山は覗き込むと、今付けているレンズより少し高めのレンズを取って、セットし直した。

「そういえば、どうやって撮るの?」

「導入にスマホのカメラを覗き込ませたら出来る。観察用はスマホのカメラで充分だ」

 カシャ。シャッターを切る音が屋上に響く。


「月山って、天体に詳しいのね。望遠鏡、慣れた手付きで組み立ててたし」

 まさか、そんな言葉が降ってくるとは、思ってもみなかった。自ずと照れてしまう。

「ま、まぁ、俺の兄貴が元々天体が好きだったんだ。だから、望遠鏡も家にあって、二人でよく観察してただけで」

 早口になり、言葉を並べるにつれて、声が小さくなる。焦っている訳でもない。素直になれない自分が邪魔をしているだけ。


「じゃぁ、天体学者になったら?」

 何故そうなる。そのときはそう思ったが、その言葉は、月山の人生を百八十度変えたと言っても過言ではない。


「何、ポカーンとしてるのよ。望遠鏡いじってるときとか、星見てるときとか、すごく楽しそうな顔してるもの」

 もちろん、無自覚である。

「え? 俺、そんな顔してた?」

「うん」眼鏡越しから見える理佐の瞳は、真っすぐで、疑いが無い。夜なのに、ハイライトがはっきり見えた気がした。

「今まで、進路のこと考えたことなかったけど、いいかもね。天文学者」

「もし、月山が天文学者になったらさ、私にいっぱい教えてよ。私、星とかあまり知らないからさ」

 理佐は、無邪気な子供の様にはしゃいでいた。天文学者になると決まった訳でもないないのに、わくわくしている。

「まだ天文学者って草々なれないんだけど?」

「大丈夫。月山なら天文学者になれるって」

「そうか?」

「うん。だって、月山、賢いし、天文学好きだし」

「好きでなれたら苦労しないって」

「楽しみだなぁ。月山が天文学者って、想像するだけでわくわくする」

 理佐は、月山を見てニコリと笑った。何だ、眼鏡掛けても可愛いじゃん。

 ――もし、天文学者になったら、理佐をもっと喜ばせれるかもしれない。

 その時、そう思ったのは間違いない。


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