第3話 間に合わなかった武器の国産化
ところで、ペリー来航以前の日本の軍事力ってどんなものだったのでしょうか?
・軍事力といえば、大砲、軍艦、銃、訓練された兵隊
・軍資金(経済力)
気になるところです。
アヘン戦争の事は当時の支配階級を驚かせ、植民地にならないようにするために、大砲や鉄砲の国産化をめざしたのと同時に他国の事情を知ることにもつとめたことでしょう。
そのことは、オランダからペリー来航が一年前に知らされていた事からもわかります。
佐久間象山が1851年に大砲の鋳造に成功しています。ペリー来航の2年前ということになります。
同じ1851年に島津斉彬が江戸幕府老中阿部正弘の仲介で第11代藩主になっています。
また、この年にアメリカからジョン万次郎が帰国しています。ジョン万次郎の情報が幕府を本気にしたと言えると思います。
彼は肥前の国に行っていますので、想像では有りますが、佐賀藩のもつ反射炉で大砲を作る手伝いをしたのではないかと思います。
その後の佐賀藩は嘉5年(1852)7月14回目の試作で満足のいく製品ができたとの記事も有りましたし、1866年に最新兵器アームストロング砲を自力で完成させたとありますから技術では当時の日本の最先端であったのもジョン万次郎の力が大きかったのではと思います。
そして、その技術は佐久間象山へも伝えられたと思わざるを得ません。
大砲は国産化はなんとかできたにしても、性能、数では劣ると思われますし、銃、兵員、軍艦はペリー来航までには間に合わなかったと思われます。
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