第十章(最終章)
「おい、ちょっといいか」
なにしろ専務直々のお達しだ。無論二つ返事で奥の会議室へと向かった。
ここ数ヶ月のことを考えると今年度の収益は厳しそうなのは判りきっていた。正直この時期は新人の研修も任せられておりそれどころではないのだが。
専務は部長へ、部長は課長へとその責を押し付けている。
「どうすればいいか、わかるな」
わかるな。の間には読点がたっぷりと打たれていそうな話しぶり。
その日のうちに部署内で緊急ミーティングという名の説教が開かれた。
誰一人として「定時なので」と言えるやつはいなかった。闇の会議が終わったのは帰宅ラッシュの時間も過ぎている頃。とりわけゆっくりと帰り支度をするのは、最近目をかけていたある新入社員だ。
「佐藤、大丈夫か」
「あ、お、お疲れ様です先輩」
いつも元気な子だがやっぱり少し気になる感じがする。
「この後は予定あるかい」
「いえ、ないっすよ?」
よし、と腹を決めスマホを取り出す。手早く妻にメッセージを送る。
『今夜は飲んで帰るよごめん』
改行もスタンプもせずに送ってしまったがまぁいいや。
――ピンポーン――速返(早速返信)かよ。
『あ~あせっかくの肉じゃがが冷めていくよお。あ~もったいないな~』
やばいぞ。これはかなりめんどくさい。
『ごめんって。明日の弁当に入れておいて』
「……先輩?」
「ああごめん。あのさ、旨い焼き鳥屋があるんだけどいかね?」
またすぐに返信の音が鳴った気がするがもう知らない。電波の届かないところにいます。
「ったくイメージとぜんっぜん違うっすよ!この会社!」
「まぁまぁ」
酔うと饒舌になるのがこいつの良いとこでありキケンなとこ。上司との飲み会には絶対声を掛けないようにしている。
「いっくら頑張っても結果なんて知れてるっすよねぇ!!先パイ!」
「俺だって理不尽だと思ってるよ。わかるって」
「い~~や!全然しぇんパイはわかってないから!」
「タメ口かよ。一応俺、先輩だからな。まぁいいけど」
上司であろうと、部下であろうと。
十年以上働いている先輩であろうと、入って数ヶ月の後輩であろうと。
従業員が目指す場所は同じはずなのに少しずつゴールを見失っていく。気付けば誰も目指したくない場所に向かって「会社」という無人ロボットが目指しているのが現代の日本だと思う。
こいつも入社当時は目をキラキラ輝かせて入ってきた。教育係になった側も、大切に育てたいと思わせてくれる、そんなやつ。でも社会の闇を知り、不条理を知り、無理難題を突きつけられた彼は、今こうして愚痴をこぼす立派な男に成長した。でも俺はこいつを絶対最後まで育ててやりたい。
「…いっそ辞めちゃおうかなぁあ」
蚊の鳴くような声で漏れた彼の言葉に俺は焦った。酔った勢いとはいえこいつは嘘をつかない。これが紛れも無い本心だと悟った。
「佐藤、お前よく聞けよ? 明日には忘れてるかもしれないけどまぁ聞け」
「ふぁい?」
「――旅って、したことあるか」
* * * *
「ただいま~」
「やぁっと帰ってきた!ちょっと!!返信ぐらいよこしなさいって!!」
「電波が切れてたんだって」
「で、電波が切れるっておかしいでしょ!既読だけはしっかりとついたの見てたんだから!」
肉じゃがを弁当箱に詰めながら妻が小言を言っている。こんな光景が平和に思える。
「って、何買ってきたのよ」
俺の左手に下がっているのは近所のスーパーのレジ袋だ。
「ん?あぁこれか。じゃーん」
「…もも肉なんてどうするの」
「料理するに決まってんじゃん。他になにするんだよ」
「それはわかるけど。 って、今から作るのー!?」
いつもはキッチンになんてコーヒーを入れるときしか立ち入らない。でも時たま、気が向いたときに料理くらいすることもある。フライパンどこにあるかわからないけど。だからだろう、料理を始めてもなぜか最後は二人で作っている気がする。
「からあげ粉ならここにあるよ」
「チッチッチッ。それは邪道だって。小麦粉だけでやるのがミソ」
「はいはい。でも一番大事なのは?」
「「タレ、なんだよねぇ」」
夫婦漫才みたいだと同僚にいわれたくらい気が合う妻でよかった。お隣さんはさぞ横目に見てるだろう。
ほろ酔い気分、深夜テンションで作ったのは唐揚げ――ではない。一応現地ではザンギと呼ばれるものだ。ちなみにこれは特製のタレをかけるのでザンタレと呼んで欲しい。
「うーん、やっぱりちょっと違うんだよなぁ」
「本家の味ってやつ? レシピ聞けばよかったのに」
「そんなことできるかよ」
そうだ。あの時もザンタレを食べた。もう十年以上昔のことだ。味なんて忘れてしまった。なんだっけ、もう一度きますとかなんとか言った気がする。それ以来行けてないな。
窓から夜景をぼーっと眺める至福の時間。この夜景を見るために夜は間接照明に変えた。三十三年ローンでこのマンションも買った。妻はアパート暮らしでいいと言ってくれたが当時は若かった。見栄だって張りたかったし、それにこのビル群の明かりは想い出のワンシーンだったから。
洗い物を終えた妻が黙って隣に腰掛ける。
不規則な黄色い点滅は首都高。いつも真っ赤に染まっている代々木駅近くの踏切。西新宿にそびえるビル群は毎日クロスワードパズルのように点々と光が灯っている。このビル群の明かりを見たとき、あの旅を思い出す。ぼろアパートに住んでいたあの日を。
思い出すとまた行きたくなる。感動して涙した場所。何も考えずに走り抜けたまっすぐな道。
気付けばふと、声に出していた。
「また行こうか。有給使って」
「ほんと!? やったぁ。行きたかった」
眩しい笑顔がどこか懐かしい。
「いっそファーストクラスとか乗っちゃおうか」
予想に反して彼女は首を振る。そして、微笑む。
空を翔ける飛行機が北向きに進路を変えた。
その飛行機に向かって彼女は力強く右手を差し出す。
出逢った時よりも頼もしい、サムズアップだった。
この道に立って 遼介 @hkdryosuke
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