第4話 誰?


 大きく溜息を吐いたのはわざとでもなんでもなく、溜息の方が飛び込み自殺よろしく勝手に口から飛び出したからだった。


「なによ? 文句でもあるって言うの?」


 文句はある。


「君に恨まれるようなことなんかした?」


 した。

 

「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」


 そう言うのなら言わせてもらう。


「逆に聞きたいんだけど。僕が君になにをしたっていうの? なに見てるって言われるほど見てないし。そっちが勝手になんか勘違いしてるんだろ?」


 一方的に人を罪人にするなよ。

 とは付け加えられなかった。


「なによ? あっ。そう? そういうこと? 好きなの?」


「はあっ!?」


「そうでしょ。好きだからそうやってそんな目で見るわけだ」


 大丈夫か……。

 ネットで前にこんな勘違いをする人間がいるっていうのを読んだことがある。

 ちょっと目が合っただけで好きだと勝手に思い込む勘違い人間が。


「見れば年も違いそうだけど? 年上でしょ?」


「留年、なんてしてないけど」


「年下に恋するなんて、ちょっとあれじゃない?」


「だから、同じ年だって」


「まあ別に誰が誰を好きになろうが私にはまったく関係ないから。だから、もうそんな目で見るのを止めてくれない? 気になるのよ。すぐ側でそんな目されたら」


「ちょっと……、いいかな。さっきから、その、好きとかなんとかって。なに言ってるの。それって、かなりの勘違いだと思うんだけど」


「とにかく私には関わらないで。私の方もあなたに関わろうなんて気はまったくないから。でも、それでもなにかあるっていうなら、そのときはこっちも強気に出させてもらうから」


 どうしてこっちの台詞をそっちが吐く。

 関わりたくないのはこっちで、関わってきたのはそっちの方だ。

 

「これは最初で最後の警告だから」


 ふんっ。


 彼女は思いきり鼻を鳴らし踵を返した、ら、勢いよく振り返りすぎたせいか足がもつれ前のめりに転んだ。

 

 初めてだった。

 

 初めて……、見てしまった。

 

 あまりにも驚きすぎてしまって、あまりにも動転してしまって、どうしたらいいのか全然わからなくて、僕はただ露わになった彼女のパンツを眺めていた。

 白い、特に個性のない、たぶん、ありきたりのパンツだった。


 時原小町は、うぅと苦しそうに呻きながらゆっくりと上半身を起こし、僕を見て、それからどうにかなってしまった自分のお尻を見て、また僕を見た。

 

 こんな時は一体どうしたらいいんだろう。

 焦りに変わった驚きに、僕はただただ固まっていた。

 

 パンツをスカートが覆った。

 それでもまだ僕の目には真っ白な輝きが残っていた。

 

「見たよね」


 見てないとは言えなくて、「不可抗力」と呟いた。


「どうしてくれるのよ。責任取ってよ」


「ごめん。でも、仕方ないっていうか。突然、転んで、そうなっちゃったんだから。見ようと思ってなくても、見えちゃうだろ」


「あっ。なに笑ってんのよ!」


「笑ってないって」


「あっ。あなたがやったんでしょ! なんなのよっ!」


「待って、待って。なんだよ、それ。なにもしてないだろ」


「転ばせたんでしょ!」


「言いがかりだろ、それは。むちゃくちゃすぎるって。またそうやって、人のことを勝手に悪者にするのかよ」


「あっ。逃げるの! 待ってよ、ちょっと! ちょっと!」


「逃げ? 逃げてなんかないし。言いがかりだって、それは。僕はなにもしてない。君が勝手に転んでそうなったんだから、僕はなにも悪くない」


「うん?」


 時原小町は唇に人差し指を当て、首を傾けた。


「今度は、なに?」


「ん? なにって、なに?」


「……なにって、さっきのあれだよ。僕はなにもしてないって、そういうこと」


 一体どうしたんだ。

 時原小町の顔がみるみる赤くなっていった。

 

「見たんだから。ちゃんと責任取ってよ。全部見たんでしょ?」


「全部って、どこまでが、全部なの」


 睨まれているようだけど、彼女の目には力がなく、その表情はどこか心を揺すられるものがあった。


「……パンツ」


 なんと答えればいいのかわからなくて、とりあえず「まあ……」と言っておいた。

 時原小町は項垂れて、ぶんぶんと頭を振った。

 顔を上げても、彼女の顔はまだ赤いままだった。


「一つ、聞いてもいい?」


 僕は頷いた。


「あの、ちょっと失礼かもしれないけど」


 僕はまた頷いた。


「誰?」


 さすがに今度は頷けなかった。

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