第3話 嫌悪される存在へ


 時原小町の朝の一言のせいで、僕は空気的な存在から嫌悪される存在へとランクダウンを果たしたようだった。

 上がるよりも落ちる方が速い。祖父が生前よく言っていた言葉の意味がよく分かった。

 一時間目の国語の授業が終わった途端、ひそひそ声の中に僕の名が聞こえてきた。それもあちらこちらから男女問わずに。


 やっぱな、あの足にはさすがの美成もな。

     意外。美成君ってそんな感じなんだ。

むっつり感全開じゃん、美成君。

       怖いよね、むっつりって。普段喋んないから余計に怖いよ。


 違う。違う。違う。違う。違う!

 心の中では机をバシッと叩き、そんなことしてない! と声が嗄れるほど大声で叫んでいた。

 どうしてこんなことに……。

 この転校生のせいだ、全部。

 どんな顔をしてるのかと、目を向けたいところだけどまたなにか言われてしまうかもしれないから止めておいた。

 それに当の本人もクラスで浮いた存在となるのは時間の問題のようだった。

 

 ねえ。時原さんってなにか運動やってるの?

 やってない。やらない。

 時原さんめちゃくちゃ美人よね。彼氏とかいるの?

 いないし、興味ない。

 家、近所なの?

 まあ、そこそこ。

 趣味とか聞いてもいい?

 特にない。

 なんかわかんないこととかあったらいつでも聞いてね。

 大丈夫。

 

 次の休み時間にはもう誰も寄ってこないだろうことは明らかだった。

 それに加え、二時間目の生物の時間に先生が「転校生か? じゃあ、一言自己紹介でももらえるかな?」と言ったのに対し、「朝しましたから。それ以上のことは岡部先生から聞いて下さい」とそっけなく返したことが決め手となっただろう。

 転校初日から独りを選ぶだなんてかなりの変わり者だ。

 この変わり者ぶりがもっとクラスに浸透すれば、僕の身の潔白も証明されるかもしれない。

 そう期待してみたものの、僕に冠されたむっつりというイメージはかなり強いもののようで、休憩時間にトイレに行こうと立ち上がっただけで、女子達がすっと道を空けてくれた。

 ありがたくて、悲しすぎる瞬間だった。

 

 時原小町をもう一度目に入れたのは、昼休憩に学食から戻った時だった。

 近づくなアピールなのか、大きすぎるヘッドフォンをすっぽりとかぶり、ただ前を向いて座っていた。背筋はしゃんと伸び、後ろ姿にも凜とした雰囲気が現れていた。

 どれだけの音量で聞いているのか、隣の席からシャカシャカとロックっぽい音楽が漏れて聞こえてきた。なかなかに速いテンポで、ヘビーなロックのようだった。

 予鈴が鳴り終わると同時に隣から音が聞こえなくなった。 

 ヘッドフォンを外す音が聞こえ、それから――――


 ちっ。


 と、大きな舌打ちが聞こえて、


「いつまでそうやって見てんのよ? 睨まれるような覚えないんだけど」


 と、誰かと揉めてるような言葉が続いた。


 そろりと右を向くと、時原小町が僕を睨んでいた。

 後ろを振り向いてみたけれど、やっぱり掃除用具入れしかなくて、窓の外も空しか見えなかった。

 彼女に向き直るともう彼女は前を向いていた。そんな彼女と入れ替わるように、今度は彼女の周りの人たちが僕に視線を投げてよこした。

 驚きと蔑みが混じった耐えがたい視線に僕は俯いた。

 そして帰りのホームルームが終わり、隣の席から時原小町がいなくなるまでそのままずっと顔を上げなかった。


 菊江さんの夢を見て、悪い一日となったのはこれが初めてだった。

 菊江さんは僕にとってラッキーガールであり幸せの象徴だった。

 

 時原小町。


 彼女のことを考えると、イライラして気が重くなった。

 そんなイライラと気持ちの落ち込みが招いたのか解けた靴紐を踏んでしまい派手に転んでしまった。

 家まであともう少しというところなのに……。

 辺りに誰もいなかったということだけが幸いだった。

 靴紐を結び直し立ち上がると、足がやけに重く感じられた。

 一歩踏み出す度に足は重くなっていき、その嫌な重さは体全体に広がっていった。

 

 あともう少し。あともう少し。

 そこの角を曲がればもうすぐ家に着く。

 

 そこの……、そこの角を曲がったら……。


 曲がったら、目の前に時原小町が立っていた。

 不機嫌そうな変わらずの表情でローファーの底をアスファルトに擦りつけていた。

 僕に気づいた彼女はやっぱり目をきつく細めた。

 そしてまた同じ言葉を繰り返した。


「なんでそんなに私を見るわけ? 私になんかあるの?」


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